第四章【2】 喪失



          §§§



 濃厚な血煙の匂いが、嗅覚を刺激する。


 強烈な鮮血の匂いが、視覚を刺激する。


 生きていたモノが放つ赤い景色のなかに、男は立っている。


 全身を覆う鎧は赤黒く、所々が真新しい赤色で斑模様の様相をていしていた。


 しかし、その赤い液体もじきに固まって鎧の一部になるだろう。


 流れ出た不死者ヴァタールの血は、理由はわからないが必ず赤黒く硬化し、破壊困難なほどに強い物質となる。


 それを利用して武具が作られるようになったのは、不死者ヴァタールの長い歴史のなかのほんの一部の出来事だ。


 男は、戦士だった。


 戦い、敵を倒し、脅威を排除する戦士。


 相手は問わなかった。


 人間が不死者ヴァタールを迫害しようとすれば人間と戦い、不死者ヴァタールが同胞を相手に騒乱を起こそうとすれば不死者ヴァタールと戦う。


 平等に、平穏を乱す存在であれば誰とでも戦った。


 なんのために戦うのかは、とうに忘れた。


 どれだけのときを生き、どれだけの敵を倒してきたのかを忘れたのと同じように、もう理由を思い出すこともできない。


 気づけば、戦士としての自分の能力を磨き上げるだけの人生があった。


 幾日も鍛錬を積み重ね、技を磨き腕をして戦うべきときを待つ。


 生き方は苛烈だったが、精神こころは常に平坦だった。


 研ぎ澄まされた剣が武器としての用途だけを発揮するように、鍛え上げられた男の肉体は戦士としての役割だけを果たす。


 戦士として生き続け、不死者ヴァタールの頂点にすら立ったその者に与えられた称号は《覇王レイレクス》。


 その絶対的な強さゆえに、《最強フォルテウス》とも《恐怖フォボルア》とも呼ばれた男の、それが真実の名であった。



          §§§



 また、悪夢のような記憶ゆめの断片を見てしまった。


 経験した覚えのない過去の記憶。

 会ったこともない他人の記憶を追体験させられるかのような感覚だけが、脳髄に纏わりついて消えてくれない。


 ただ、違和感だけがある追想だった。

 実感などまるで伴わない、頭の表層に触れるだけの中身のない空虚な追想。

 見たところで、自分のなにが変わるでもない無意味な記憶。


(……のも、もう限界なのではないか?)


 頭の片隅で、知らない自分が冷淡にそう言ってくる。

 無感情に、平坦に、ただ事実だけを言い聞かせる〝声〟だった。


(──黙ってろ)


 そう己自身に告げて、ラルゴは目を開けた。


 目覚める前から、自分の周囲で風が吹いているのはわかっていた。

 遮るものがなにひとつなくなった場所で、潮の香りを含んだ風だけが流れている。


 かつてロック村があり、今は塵も残さず綺麗に漂白された景色を、ラルゴは茫然と見渡した。


 なにも知らなければ、本当に綺麗だと思える光景だっただろう。

 地上にあったはずのなにもかもが、消え失せてしまっていた。


 つい先日にできたばかりの、険しい渓谷がない。

 自分が長年暮らしていた家が、どこにもない。

 当然、ロック村という場所を構成していた数多くの家屋も、ひとつとして見当たらない。


 なにもかもが、文字通り〝消滅〟していた。


 自分が横たわっている地面は、一部がツルツルと光るほどに滑らかな表面に変わっていた。


 土に含まれる成分が、あまりの高熱に溶けて固まってしまったのだろうか。

 ならば、それほどの熱量に地上にあったものが耐えられるはずもない。


 燃えて、溶けて、消えてしまうのは逃れようもなかった結果に違いない。


 だから、今のラルゴの胸にポッカリと生まれた空洞もまた、燃えて溶けて出来上がったものに間違いなかった。


 どうすればいいのかもわからず、彼はゆっくりと立ち上がろうとする。


 立つための気力すらなくなった感覚なのに、鍛え上げた男の肉体は支障なく漂白された大地の上に立ち尽くす。


 今さら立ち上がったところで意味がないのに、なにもできることなどないというのに立ってしまったために、彼は目の前の光景をただ眺めるしかなかった。


「あー、なるほど。そういう反応になっちまうわけか。悪い悪い、これはおれ様の配慮が足りなかったな」


 聞いたこともない口調で話す子どもの声が、背後からした。


 振り返れば、金髪金眼の真祖ロードがバツの悪そうな顔をしながら立っていた。


 強い風にプラチナブロンドの髪が大きく靡いている。

 爛々と輝く金色の瞳が、やはり無遠慮にラルゴのことを見詰めていた。


 こんな目をする相手だっただろうか、とラルゴは淡々と思った。


 内向的で、どちらかと言えば暗い目の印象だったのに。

 いや、そもそも口調からしてまるで違っている。


 しかし、相手の変化に心が追いつかない。

 豹変したとさえ言えるエンヴァー・クスウェルの変化に、胸に生まれた空洞のせいで反応できない。


「ハッ、なんて腑抜けた顔だ。やめてくれ、そんな時間はねーのにイジめたくなっちまう」


 獰猛な獣のように口元を歪めて、金髪金眼の真祖ロードは笑う。


 やはり、ラルゴの知っているエンヴァー・クスウェルとはまるで違っていた。


 短い期間の出来事ではあるが、ここまで他人の印象が激変することなどあるのだろうか。


 ボンヤリと自分を見る男を、《第五位真祖フィフス・ロード》は呆れるように見返す。


「時間がないから状況だけ伝えるぞ。まず、誰も死んでないから安心しろ」

「──なに?」

「オーケイ、目に生気が戻ったな。その調子だ」


 ニヤリと笑って、エンヴァーは続けた。


「悪いな。村人全員、地下に避難させたから誤解させた。最後にどうなったか、覚えてるか?」

「……白い吸血機ヴァルコラクスが、村を吹き飛ばした」

「そのとおり。咄嗟におれ様を制止したアリムラックに感謝しな。あのまま攻撃していたら、村人の保護は間に合ってなかっただろうよ」

「…………」

「おれ様の《バーネイル》の端末で、全員を〈収束光子砲リーサル〉の熱から守った。おかげで本体の方は半壊だ。まあ、それはそれで気持ち良かったから構わねえけどな?」

「……あの吸血機ヴァルコラクスは、一体……?」

「さあな。そこにいるも聞かされてなかったって話だから、《第二位セカンド》のヤロウが用意してた秘密兵器ってヤツだろうさ」

「あ?」


 言われて、ようやくもうひとり別の誰かがこの場にいることにラルゴは気がついた。


 なぜわからなかったのか。

 エンヴァーとは違う方角に、またも見覚えのない子どもがいた。


 所在を把握できなかったという疑問は、相手の姿に掻き消された。


 白い、どこまでも色白で透き通るような肌が目に眩しい。


 色素が薄く、〝日に焼ける〟という現象とは無縁であるかのような作り物めいた肌色だった。


 その肌の色の印象が、何よりも強い。

 一糸纏わぬ姿でいるのだから、それも当然だ。


 人形のように無表情な子どもが、裸身のままでラルゴのことを観察していた。


「……お前らの、同類か?」


 咄嗟に目を背けて、エンヴァーに尋ねる。


「ああ、《第三位真祖サード・ロード》だ。名前がないわけじゃないが、呼ばれたくないらしいから今は省略だ」


 質問に答えながら、金髪金眼の真祖ロードは視線をラルゴから同胞へと移す。


「自己紹介はしないのか? 相手に対して失礼らしいぜ?」

「…………」


第三位真祖サード・ロード》は応えない。

 口を開こうともしない。

 その代わりに、


『──貴様が紹介したのだから充分だろう、《第五位フィフス》』


 その場にいる者たちの脳内に直接、言葉を響かせた。


「っ……なんだ、今のは?」

念話テレパシーだよ。おれ様たち真祖ロードは、本当なら発声なんざしなくても相手の頭に情報を送り込めるのさ。まあ、霊血アムリタが身体に入ってる不死者ヴァタール限定の話だけどな」


 未知の感覚に困惑するラルゴに説明すると同時に、エンヴァーは目の前の同胞に語りかける。


『事情を知らないヤツに急に念話なんざ飛ばしてやるなよ』


 ラルゴには聞こえないように指向性を持たせた〝声〟だった。

 それに第三の真祖ロードは、


『配慮する必要などないだろう。肉体にダメージが生じるわけでもない』


 引き続き全員に聞こえるように、思考を言葉にして伝達させる。


「くそっ、気持ち悪いな」

「あー、もうしかたないから慣れろ慣れろ。言ってみたが聞く耳持たねえわ、こいつ」


 やれやれと呆れるようにしながら、念話をやめて発声するエンヴァー。


『慣れろ』と言われても声が頭に響く感覚に違和感しか抱けないラルゴは、それを振り払うようにして頭を振る。


「さっきの話の続きだ。これから、どうやってあいつを助けるかって話だが」

「……誰を助ける、だって?」


 聞かれて、キョトンとした表情を金髪金眼の真祖ロードは浮かべる。


『説明しなければわからないのか』と相手の頭の回転を疑問に思う様子だった。


 だが、そんな顔をされれば、もうラルゴにも理解できた。


 本来ならばいるべきである、もうひとりの真祖ロードがいない。


 自分に対して無邪気に笑う、あの少女がいない。


「さらわれたアリムラック・ヴラムスタインをどうやって助けるか、って話だ。理解できたかよ?」


 露悪的なほどに凄惨な笑みを浮かべて、エンヴァー・クスウェルは告げるのだった。

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