第四章【11】 変化



          §§§



 感じようとせずとも感じ取れるほどに、大気が鳴動している。


 だが、それを実際に感じることができる者は多くはあるまい。


 あらゆる霊血アムリタにアクセスし、その周囲の現象を知覚できる真祖ロードでなければ認識できないほどに、その大気の鳴動は静かで、そして激しかった。


 傍目にはまるで変化のない〝帯〟が浮かぶ光景から視線を落として、《第三位真祖サード・ロード》は直前まで傍受していた情報について思案する。


《カーミルラ》が《太陽光発電衛星》へと攻撃を仕掛け、《対吸血機用急襲機アンチ・ヴァルコラクス》との戦闘を開始するまでの経緯は、すべて観測していた。


 ラルゴ・レイレクスによるアリムラック・ヴラムスタインの救出と、アルカルド・クオドフスクの恋心の暴露という経緯もすべて、残さずに。


 意外であり、また受け入れたとしても理解できない事実だった。


 誰よりも真祖ロードらしく、またそうあるように志しているようだった《第二位セカンド》が、《第一位ファースト》に対して恋愛の感情を抱いていたというのは。


 しかし、もしかすれば逆だったのだろうか。


第一位ファースト》への感情を自覚していたからこそ、あの真祖ロードは自身の心情をひた隠すようにしていたのではないか。


 推測はできても、あまり意味のない内容に思えた。

 当事者ではない自分が思考したところで、価値のある行為とは感じられなかった。


第一位真祖ファースト・ロード》と《第二位真祖セカンド・ロード》と戦いの行方も、最終的に〈惑星〉が霊血アムリタの生産プラントになるかどうかも、今の自分には重要ではなかった。


 それらの事項よりも優先したい事柄が、今の《第三位真祖サード・ロード》の胸中には存在していた。


 合理的に思考したなら到底ありえない選択なのだが、ともかく〝そうしたい〟と思う感情が芽生えているのだからしかたがない。


「ねえ、ほらー、お願いだから着てみてよー!」

『……』


 傍らに立ってコートを着せてこようとする人間の少女に、怪訝な視線を送る。


 なぜかこのイコという少女にとっては、自分が衣服を纏わず裸身でいることが気掛かりらしい。

 どこからか持ち出してきた古い男物のコートをなんとか羽織らせようと、先ほどから躍起になっている。


 理解できない。

 他人が裸であるか否かなど、些末なことであるはずなのに。


 だが、このまま纏わりつかれていれば行動に支障が出る。


 無論、真祖ロードである自分がその気になれば人間の少女を排除することなど容易ではある。


 けれど、なぜか今は〝そうしたくない〟のだった。


 そう思う理由に自分でも説明をつけられないまま、《第三位真祖サード・ロード》はしかたなくイコの厚意を受け入れる。


 サイズの大きなコートを着せられるまま、とりあえず身に着けた。


「お、急に素直になってくれたねー。えらいえらーい」

『……』


 まるで人間の子どもにするように頭を撫でてきた少女に、どう反応すべきなのか。


 答えはわからなかった。

 自分の感情も、他人への行動も正しい解答が見つからない。


 こんなことは、これまでの自分の人生にはありえなかった。


 だが、理解できようとできまいと、すべきことはある。


 その場から立ち去ろうと歩きだす《第三位真祖サード・ロード》に、それまで沈黙していたメイドが尋ねた。


「どうされるおつもりですか?」


 動向を探るつもりか。

 亜祖レプリカのコミュニティに所属する一員としては、真祖ロードの動きを把握しておくのは優先順位の高い事柄だろう。


 知らせる理由はなかったが、情報を伏せる意味もなかったので素直に答えることにした。


『《第四位真祖フォース・ロード》を探す。今の自分にとっては、それだけが重要事項だ』


第五位真祖フィフス・ロード》エンヴァー・クスウェルとの戦闘で自分を庇い、海中へと消えた同胞。


 先に戦闘不能に陥った真祖ロードの所在は、まだ不明のままになっていた。


 だが、本当であれば探索する必要などない。


 生きていることに疑いはないし、無事であるかどうかの確認すら急ぐ必要もない。


 現に自分が生還したのだから、《第四位真祖フォース・ロード》にも異常は発生してないはずだ。


 だから、同胞の探索をするのは〝自分がそうしたい〟と思うからに他ならなかった。


「ねえイースさん、その子がなんて言ったか教えてー。エンヴァーちゃんもだけど、たまに黙ったまま話してるときがあって困るよー」

「お仲間を探しに行くそうです。エンヴァー様との戦闘で、真祖ロードの一人が行方知れずなので」


 人間の少女が、亜祖レプリカの女に通訳を頼むように話している。


 不便なものだ。

 不死者ヴァタールでない、体内に霊血アムリタを有していないというだけで、大きな差が生じる。


 そこまで考えて、第三の真祖ロードはとある事実に気がついた。


 おそらくは、する必要のない行為。


 してもしなくても、この相手は気にするまい。


 だからこそ、《第三位真祖サード・ロード》はしないままには〝したくなかった〟。


『……』


 黙考する。

 真祖ロードとしての自分を維持するならば、まるで必要性のない事柄について。


 非合理な思考を嫌い、合理的な人格なままでいたいなら、そうする必要はない。


 このまま黙って立ち去れば済む話だ。

 感情的な思考など切り捨てて、己を取り戻せばいい。


 だが、そもそも〝あるべき真祖ロード〟という理想図が虚像なのだとしたら。


 ただ〝こうあるべき〟と考える在り方が間違いならば、かたくなに自分を保とうとすることは進化へんかを妨げる行為なのではないか。


第三位真祖サード・ロード》は、人間の少女へと振り返った。


 取るに足らない、関わる必要性すらも感じていなかった相手と初めて向き合う。


「うわ、やっぱりすごい可愛い……」

『……』


 この期におよんで緊張感のない感想を漏らす少女に、呆れてしまう。


〈惑星〉の危機はいまだに去っていないというのに、他人の容姿に感心する余裕があることに感心してしまった。


 それとも、信じているのだろうか。


 あの亜祖レプリカが動いたのだから、自分たちは絶対に無事に済むと信じることができているのだろうか。


 確証もない、ただ感情だけの希望的観測があるから今も平穏でいられるのか。


 もう少しだけ、《第三位真祖サード・ロード》は思案した。


 この人間の少女に伝えたい感情を伝えるための手段は限られている。

 それを実行するのは、生誕から五〇年が経過して初の経験だった。


 サイズの合っていないコートの裾を持ち上げて、できるだけ意味が伝わるように状況を整える。


 深呼吸をして、肺から吐き出した空気で声帯を機能させる。


「…………感謝する」


 生まれて初めての〝声〟を残して、その真祖ロードは少女たちの前から姿を消した。

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