第四章【5】 決意



          §§§



「ラルゴ!」

「……イコ」


 不意に現れた少女の姿に、心底から彼は安堵した。


 ロック村の村娘は、間違いなく無事だった。


 一見してどこにも怪我をしてない。

 身に着けた衣服すら少しも汚れていなかった。


 一方で、少女に支えられるようにして立つ不死者ヴァタールの女は、満身創痍に見えた。


「なんだ、出て来たのか。アリムラックの一番近くいたオメーが、一番まともに〈収束光子砲リーサル〉を喰らったんだ。休んでてよかったのによ」

「いえ……そういうわけには、行きません」


 エンヴァーの言葉に答えたイースの声は、ひどく弱々しい。


 平時の落ち着いた口調とも異なる、肉体そのものが疲弊してしまっている状態に思えた。


 いつも通り白い外套で全身を覆っているので確かめることはできないが、立ち姿からでも《従者セルビトール》の異常は感じ取れた。


 おそらくは、全身にダメージを受けた容体から回復している最中なのだろう。

 本来ならば動ける状態ですらないかもしれない。


「イコ。なんで、そんなに弱ってるヤツを連れてきた」

「だって……イースさんが、どうしても外に出たいって」


 責めるように尋ねるラルゴに、イコは必死に弁明した。


 事実だろう。

 不死者ヴァタールとはいえ怪我人を無理やり動かすような少女ではない。

 よほど強く頼まれたに違いない。


「あんたは、それでいいのか?」

「はい。どなたにも『寝ていろ』とは命じられておりませんので」


 この期におよんで、彼女にとっては命令を遂行することが優先されるのか。


 主人であるアリムラックをさらわれた時点で、イース・セルビトールの任務は失敗したに等しい。

 挽回しようにも、肉体のダメージが戦闘に参加できるほど回復するには時間がないはずだ。


 それでも、黙って休んでいられるほど主人への忠節を持たない従者ではなかった。


「さて、要約するとだな。『さらわれたアリムラックを《衛星》まで助けに行く必要がある。期限はアリムラックが封印されるまで。間に合わなければ〈惑星〉が改造されてバッドエンド』」


 理解できたよな、とエンヴァーはラルゴに告げる。


「……」


 対してラルゴは答えるでもなく頷くでもなく、ただ視線を頭上へとやった。


 はるか上空、生身の肉体のままでは絶対に手の届かない場所に、〝帯〟がある。


 そこに、彼女がいる。

 アリムラック・ヴラムスタインが囚われ、封印されようとしている。


 理解はできた。

 だが、いまだに思考に感情が追いつかない。


 ロック村の流牧民シーファたちも無事であり、胸に生まれた空洞もなくなったというのに、精神と肉体が掛け離れたままになっている。


さねばならない』という思考に対して、『すべきだ』という感情がどうしても芽生えない。


 その理由にみずから目を逸らしたまま、ラルゴは視線を地上に戻す。


「さて、それじゃあ状況を開始するとしよう。まずは〝足〟を呼び寄せないとな」


 当然のように、金髪金眼の真祖ロードはこちらの了解を得ることもせず何事かを始めようとする。


「……待て。誰も、協力するとは言ってない」

「あん? ……おいおい。おいおいおい、ガッカリさせてくれるなよ。そんなことを言ってる暇なんてないのは、わかってんだろ?」


 ここに来て意外な発言をするラルゴに、エンヴァーは嘲笑じみた笑みを浮かべた。


 相手の言う通りだろう。

 〝世界の滅亡〟と表現して遜色ない事態なのだ。

 一丸となって事に当たれこそ、言い争うような真似をしている場合ではない。


 だが、行動を開始する先に待ち受けるだろう〝苦痛〟に、肉体が全力で拒絶反応を示していた。

 冷静に状況を判断する思考に対して、肉体と感情が本能から忌避感を抱いている。


「おれ様はいなかったが、あいつとも正式に契約したんじゃなかったのか? 契約ってのはそう簡単に破棄していいもんじゃないと聞いてたが、違ったのかよ」

「……そうだな」


 エンヴァーが言っていることは、ひたすらに正論だった。

 間違ってなどいない。


「あんたは、アリムラック・ヴラムスタインを護ると契約した。なら、内容を履行しろ」

「……」

「あー、それともまた死んで怖気づいたのか? いいや、違う。あんたは──」

「ッ……黙れ」

。もう議論の段階はとうに過ぎている。黙って行動するだけなんだよ。あいつは気を遣ってたし、おれ様もメンドウ……空気を読んで言わなかったがな。そんな場合じゃなくなったから、容赦なく指摘させてもらう」

「……黙ってくれ、と言ってるだろ。あんなのは──」

? なんだよ、記憶を失ってるはずの人間が、なにを恐がってるって言うんだ?」


 なにもかも見透かされている。

〝恐怖を見透かされている〟という恐怖がラルゴから冷静さを奪う。


「あんな──……‼」


 気づけば叫んでいた。


 胸の内にあった〝拒絶〟や〝忌避〟、ありとあらゆる〝逃げたい〟という感情を言葉にして叫び出していた。


「──そう、それが回答こたえだ。ラルゴという名の不死者ヴァタールの記憶は、

「くっ……」


 根底の問題を指摘され、ラルゴは押し黙る。

 なにもかもがエンヴァーの言う通りだった。


「キッカケは、アリムラックを助けようとして死んだときだな。派手に殺されたらしいじゃねーか。頭の中身までぶっ壊されるぐらいに、な」


 金髪金眼の真祖ロードは、整然と事実だけを並べ立てる。


「いや、普通にすごいと思うぜ? 逆に言えば、そこまでロクに死んだことがなかったってわけだからな。一度でも脳にダメージを負えば同時に再生されていただろう記憶も、そのときまで少しも戻らなかった原因だけどよ」

「……」

霊血アムリタはその設計上、記憶の復元まで行うのがデフォルトなんだが、さすがに想定されている損傷を超えちまったら完全修復は保証されない……いまだに不死者ヴァタールの界隈では語り草になってるよ。、って出来事はな」

「──ぐっ……⁉」


 エンヴァーの言葉に反応するかのように、ラルゴの脳裏にフラッシュバックする記憶があった。


 それは五〇年に及ぶ歳月の間失われていた記憶であり、この数日間は彼が全力で思い出さないようにしていた断片だった。


 闇夜を飛ぶ白い機影を追い、みずからも飛翔するイメージ。


 壮絶な攻防の末に、諸共もろともに消滅するかのごとく墜落する二体のマシーン。


 それが、かつてのラルゴという男が最後に経験した内容だった。


「……はぁ……はぁ……クソ」

「面白いよな。そもそも五〇年前にあんたが〝計画〟をぶっ壊してなければ、こうして話すことすらなかったんだ。いやまあ、あのときは想定外が過ぎたけどな」


 苛立ちを吐き出すラルゴに対して、エンヴァーは感慨深く過去の出来事について話す。


真祖ロードでなければ操縦すら不可能だって理由で放置されてた製造直後の吸血機ヴァルコラクスを奪って、先に飛んでた機体もろとも相打ちになって自分も墜ちて……こうして言葉にしてみても、やっぱイカレてるぜ、あんた」


 だが、その狂気の産物とでもいうべき行動力がなければ、とうの昔に〈惑星〉は霊血アムリタの生産プラントに成り果てていたのだ。


 その〝計画〟の推進者であった、《第一位真祖ファースト・ロード》みずからの手によって。


「なにもかもが変わったのは、あの日からだ。撃墜された直後に戻ってきたときにはもう、あいつは本来の真祖ロードの在り方から変わりつつあった。〝計画〟の一時中断を訴えて、ほかの真祖ロードに反対されるとすぐに出奔を決めやがった」


 思い出話を懐かしむようにしながら、エンヴァーは傍らにいる同胞に語りかけた。


「覚えてるよな? おれ様が今の性格になったキッカケも、あのときだった」

『忘却するはずがないだろう。《第一位ファースト》をとめるはずだった貴様が行動をともに始めたときは、何事かと思うしかなかった』


 念話で皮肉を寄越す《第三位真祖サード・ロード》に、エンヴァーは様々な意味で苦笑した。


「しかたねえだろ。あいつに負けたのが、んだからよ」


 結局のところ、エンヴァーが現在の《快楽主義》な性格に至った理由は、それだった。


 ただの真祖ロードであった《第五位フィフス》は、出奔しようとした同胞と戦い、敗北した。


 その敗北という初めての経験に、かつてのエンヴァーは愉悦を感じてしまったのだ。


 だから、とめるはずだった相手とともに出奔した。

 感じた愉悦を、さらに追い求めるために。


『今になっても理解できない。《第一位ファースト》の動機も、貴様の理由もな』

「そうか? おれ様とり合ったときのオメーも、最後の方はイイ線行ってたと思うんだがな」

『……』


 言われて、《第三位真祖サード・ロード》は沈黙を決め込むことにしたようだった。


 たしかに面白くはないだろう。


 エンヴァーとて、変わり始めたかつての自分に対しては困惑の方が強かった。

 五〇年近い月日を経て、ようやく《快楽主義》な自分を完成させたといっても過言ではない。


 と、そこまで思考して金髪金眼の真祖ロードはラルゴの存在を思い出した。


「……ッ」


 真祖ロードたちが話していた内容に記憶を刺激されたらしく、亜祖レプリカの男は苦しげに息を吐いている。

 我ながら放置してしまったことに呆れて、エンヴァーはラルゴに語りかけた。


「戻った記憶は、正確には一部分か。まあ、当時に負っただろうダメージを考慮すれば無理もねえな。実感としてはどうだよ? 自分が、何者であるかっていう自覚はあるかい?」

「……ねえよ」


 苦悶する自分に容赦なく問うてくる真祖ロードに、ラルゴは睨み返すようにしながら答える。


「実感なんてあるもんか。今のおれを形作ってるのは、ロック村で過ごした五〇年だ。そこに、いきなり何百年も生きた人間の記憶を見せられたところで、自覚なんざできねえよ」

「そんなもんか。自覚があろうとなかろうと自分の記憶は自分のものだと思うんだが、必ずしも許容できるわけじゃねーのな」


 それでは困る、とエンヴァーは何気なく呟いた。


 そこで、ようやくラルゴは気づいた。


 時間の猶予がないと言いながら、金髪金眼の真祖ロードがラルゴという不死者ヴァタールの記憶について話す理由に。


 必要だからだ。


 誰がどう見たところで、今のラルゴは戦士として戦うに不充分だ。

 優柔不断で、不安定で、戦場に赴いたところで無駄に死んで生き返るだけだろう。


 そんなことでは〈惑星〉が滅ぶ。


 今エンヴァー・クスウェルが欲しているのは、ロック村の用心棒ラルゴなどでは決してない。

 もっと別の、かつて存在した異なる人格なのだ。


「まあいい。あんたがのを待ってたらキリがない。状況だけは進行させてもらうぜ」


 そう言って、エンヴァーはひとつのコマンドを外部に発信した。

 一体の兵器を起動させるための、そして呼び寄せるための命令である。

 沈黙を維持するつもりだった《第三位真祖サード・ロード》が、瞬時に反応する。


『今のは──』

「ああ、そうだ。準備してたのは《第二位セカンド》のヤツだけじゃなかった、ってことさ。後手に回っちまったから不利なのは変わらねえが、そこからでも逆転できるぐらいの用意はあるさ」

『なるほど。《第二位セカンド》の機体が存在する以上《第一位ファースト》を救出する手段などないと思っていたが、そういう手筈か』

「……なんの話をしてるんだ、お前ら」


 自分を無視して話を進める真祖ロードたちに、ラルゴが困惑気味に尋ねる。


「なんのって……の話に決まってんだろ」


 男なら燃えてみせろよ、と第五の真祖ロードは理不尽に笑ってみせる。


「さて、到着まで一〇分はかかる。そのあいだに必要な準備は済ませねえとな」


 エンヴァーは、その金色の瞳に嗜虐的な光を宿しながらラルゴを見た。


「どっちがいい?」

「……なにがだ」

「自分でするか、おれ様に任せるか。確実なのは後者だ。綺麗に頭を吹き飛ばしてやるよ」

おれが協力するのは、決定か」

「あー。まあ正直に言えば、あんたが参加したところで成功率は大して変わらねえ。吸血機ヴァルコラクス同士の戦いになろうと、あんたの存在はほとんど影響しないからな」

「だったら──」

「その絶対を覆したのがあんただから、アリムラックのヤツはあんたに熱心なんだよ。その一点が、あんたがあいつに好かれる一番の理由だ」

「……だから、実感なんてないって言ってるだろ」


 仰ぐように、ラルゴは頭上の〝帯〟を今一度だけ見上げる。


 実感がないというのなら、記憶だけでなく今この瞬間の状況に対してもだった。


〈惑星〉が滅ぶなどというスケールの内容に、思考が及ばない。


 そんな状況に、かつての自分はどうやって臨んだというのか。


 思考したところで理解できないことだった。


 そもそも蘇った記憶すら断片的であり、かつての自分がどのような人物だったのかを正確に把握させる内容ではない。


 おまけに、そのときの自分がどのような感情を抱いていたかの情報が完全に欠落している。


 いや、もしかすれば抱くような感情すらすでに持っていなかったのか。


 生きた年数すら判然としないが、永く生きた不死者ヴァタールほど感情が希薄になるという知識だけは今のラルゴのなかにもある。


 ならば、恐怖もなかったのだろう。


 苦痛と〝死〟を前にして、かつての自分は少しも恐れなかったのだろう。

 恐れる機能すら失っていたのかもしれない。


 それと同じことを今のラルゴができる理由など、どこにも──




『自己紹介から始めさせてくれ。わたしの名は、アリムラック・ヴラムスタイン』

『君が護衛として守るべき、雇い主だ』




 ああ、とまるで罵倒のように、苛立ちのように、自分自身に呆れ返る。


 最初にあの少女を助けたときと同じだ。

 どれだけ度しがたい中身だろうと、自分の感情に気づいてしまったのなら偽れない。


 理由なら、ある。


〈惑星〉が滅ぶという理由なら、実感が足りない。

 その結果として親しい人々が死滅する結末になろうとも、今は実感がないのだから理由としては弱い。


 だから、今この瞬間に動く理由があるとすれば、ひとつだけ。


『アリムラック・ヴラムスタインを見捨てられない』という誤魔化しようのない自分の感情だけが、ラルゴという男を突き動かしうる唯一の理由だった。


 それほどまでに、すでにあの少女との関係は浅いものではなく。


 それだけのことで他人を助けられるほど、ラルゴという人間はお人好しな不死者ヴァタールだった。


「へえ。覚悟が決まった、ってヤツか」


 内面の変化を見透かしたように、エンヴァーが感心するみたいに言う。


 同時に、金髪金眼の真祖ロードはその小さな指先を僅かに持ち上げた。


 体内の霊血アムリタを操作すれば相手の頭部を苦痛なく破壊することは容易だ。

 覚悟が決まったなら即刻実行しようとしたのだが、


「いや、いい」


 それを、ラルゴは片腕の動きで制止した。


「あ?」


 一瞬だけ怪訝な表情を浮かべて、しかしエンヴァーはすぐに理解した。


 物好きなことだ、と。


 自分も他人の嗜好をとやかく言える性質ではないが、目の前の男がこれからしようとすることはあえて行う必要のないことだった。


「イース、そいつの目を塞いどけ」

「承知しました」

「え、なに、うわっ⁉」


 支えていたはずの相手に突如として視界を遮られ、困惑するイコ。

 手早く少女から男の姿を隠したイースに、ラルゴは胸中で感謝した。


「助けは要らない。


 そう宣言して、明確な恐怖が芽生える前に彼は実行した。


 手近な地面に両腕をついて、頭をもっとも高い場所まで持ち上げる。


 そのまま一息に、額を全力で打ちつけた。


「──、──」


 頭蓋の砕ける感触。

 脳髄の一部が弾ける感覚。


 

 この程度の損傷では記憶が蘇る間もなく再生してしまう。


 だから、ひたすら絶え間なく自身の頭部を地面に叩きつける。


「物好きだよ、ホントに」


 赤い液体が撒き散らされていく光景に、呆れるように真祖ロードが呟く。


 自死という行為をもって、ラルゴは今の自分を殺すことにしたのだ。


 鮮血に混じりながら、透明な脳漿が大地を汚す。


 やがて、それも干からびるようにして固まっていった。

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