エピローグ「岐路/帰路(ROUTE)」
終章
今の〝彼〟には、戻るべき場所がふたつあった。
かつて《
あるいは、海辺にある小さな村。
旧文明の末裔である流牧民たちの集落であり、ラルゴという男が五〇年あまりをただの用心棒として暮らした地。
どちらも、間違いなく帰るべき場所だった。
今の〝彼〟には《
『もはや自分には関係がない』と過去を切り捨てられるほど冷淡な人間であったなら、そもそも苦悩することもない。
問題があるとすれば、一度に両方の場所に戻ることは決してできないということ。
選ぶ必要があった。
ラルゴという人間として、どちらかを。
しかし選ぶ必要はあっても、悩む必要はあまりなかった。
〝どちらに先に帰るべきか〟という問題であれば、難題だったけれど。
〝どちらに先に帰りたいのか〟と考えたのなら、思いのほか答えは簡単なのだった。
§§§
まるで何事もなかったかのように、村の用心棒は帰ってきた。
眠そうに欠伸をしながら、勝手知ったる様子で新しい村の入り口に近づく。
エンヴァー・クスウェルの仕事は早かった。
寸分違わず、消滅する前と同じロック村を再現してみせたのだ。
用心棒の家も再生していた。
元から物が多い場所ではなかったが、それでも自分の家があるというのはありがたかった。
「おかえりなさいませ」
「……ずっと待ってるのか、あんた」
村の入り口でメイド姿のイース・セルビトールと遭遇した。
灰色の髪の従者は、どうやら休むことなく主人の帰りを待ち続けていたらしい。
「悪いが一緒じゃない。あいつが戻るのはもう少しかかるぞ」
「そうですか」
用心棒の言葉に、メイドは相変わらずの淡々とした口調で頷く。
なにも立って待ち続けることはあるまい。
そう思うものの、余計な口出しはしないことにした。
誰に命じられたでもなく、イース・セルビトールという人物が〝そうすべき〟と考えたのだ。
ならば、その邪魔をするような真似は無粋だろう。
「じゃあな。またあとでな」
「……はい」
それでふたりの会話は終わった。
自宅を目指して、用心棒は村のなかへと入る。
「うーっす、戻ったぞー」
「うわ、普通に帰ってきたぞコイツ」「あ、ラルゴだー」「ラルゴだラルゴだー」
「ちょっと! こっちも大変だったのにどこ行ってたのさ!」「早速だが手伝え!」
見知った顔の村人たちと話しながら、黒い外套の用心棒は村のなかを歩く。
知ってはいたが、やはりこの村の住民たちは
あれだけのことがあったのに、もう日常を取り戻している。
「あ──ラルゴ」
「よう、イコ」
住民のひとりである村娘の少女と道中で再会した。
「あ、あの……その、えっと……」
「……?」
挙動不審な少女に首をかしげる用心棒だったが、しかしすぐに思い至る。
最後に別れたのは、自分がかつての《
おまけに会話すら拒絶していた。
恐がられてとしても不思議ではなかった。
「あー、いや、安心しろ……って言うのもおかしいのか」
どうすれば自分の過失をフォローできるのか、まるでわからなかった。
単に村の用心棒、少女の友人としてなら謝罪できる。
しかし、《
情けないことに、威圧的に応じた場合にどうすればいいのかという知識は彼のなかになかった。
「えー……恐くない、恐くないぞ。今の
両手を上げて無抵抗のジェスチャーをするも、少女の顔は晴れない。
「マジかよダメか。くそっ、どうしろってんだ」
「…………ぷっ」
「あ?」
用心棒の困りきった様子に思わず吹き出してしまった少女に、彼は訝しむ。
「あははははははっ! 心配しちゃって損した! いつものラルゴだ!」
腹を抱えて笑う少女。
笑い過ぎて
「……こっちこそ気を遣って損したよ」
思いきり気の抜けた不機嫌顔になって、その場から歩きだす。
「あははははっ! 待って待って! ごめんってば! でもホントに心配だったんだから!」
「うるせー」
言いながら、口元を手で隠す用心棒。
安心して綻んでしまった表情は、見せたくなかった。
顔を背ける男に追いつきながら、少女が尋ねる。
「ねえ、アリムラックちゃんはー? 一緒じゃないのー?」
「話したいことが山ほどあるんだとさ。満足できたらこっちに来るんじゃないか?」
「ふーん?」
曖昧な返事に、曖昧に首をかしげる。
そこでようやく少女は気づいた。
戸惑うばかりで、まだ帰還した用心棒にちゃんと言葉をかけていなかった。
彼が帰ってきたときになにを言うかは決めていたのに、これでは甲斐がない。
「お疲れ様、ラルゴ」
いたわりの言葉をかけてくれる少女に、用心棒は笑う。
「そこは『おかえり』でいいんだよ。疲れてなんかねえからな」
精一杯の痩せ我慢で、ラルゴは笑った。
吸血機篇 アブソリュート・ブラッド 紘都果実 @Kmnrider893
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