第二章【3】 アリムラック
本当に、『緊張していた』の一言で済ませていい変化ではない。
照れくさそうに
人形のようであった少女と、今の彼女。
とんでもない落差だった。
つい先ほどまでは置物のように沈黙していたのが嘘みたいに、少女はよく話す。
というか、よく動くうえに表情もコロコロと変わる。
本人が『緊張していた』と言っているのだから、間違いではないのだろう。
それにしても限度というものがあると思うのだが。
「話の流れついでなのだが、実はさっきから気になっていてね。部屋のすみにあるアレは、君の仕事道具という認識で間違いないだろうか?」
壁際に置いていたラルゴの全身鎧を見ながら、アリムラックは興味深そうに表情を輝かせる。
「……そうだが?」
「触ってみても問題ないだろうか?」
「問題なくねーよ」
「では、お言葉に甘えて」
「待て待て待て、問題ありって言ってるだろ」
トコトコと短い歩幅で壁まで歩いて鎧に触れようとする少女を、ラルゴは背後から抱え上げて制止した。
白い小さな指先が赤黒い鎧の表面を撫でる寸前だったものの、大人と子どもの体格差がある以上当然の結果だ。
あぁっ、と至極残念そうな声をアリムラックが漏らした。
「あんたも、黙ってないで主人が危ないことしようとしてたらとめろよ」
「……アリムラック様のご命令に従うのが、私の仕事ですので」
目の前に主人である少女を下ろしながら話すラルゴに、灰色の髪のメイドは短く答える。
それに「そうかよ」とつまらなそうに言いながら、ラルゴは念のために全身鎧を
問題ない。
赤黒い鎧に変化はなく、アリムラックが撫でようとしていた部分も触って怪我をするような箇所ではなかった。
それでも、胴体まわりの鎧は少女よりも大きいのだ。
なにかの間違いがあって倒れるようなことがあれば、無事では済まなかっただろう。
「すごいぞ、イース。〝推し〟に持ち上げられてしまった」
「おめでとうございます、アリムラック様」
鎧の点検を終えて振り返ると、嬉しそうに話す主人にメイドが応対していた。
(その〝推し〟と言うのをとりあえずやめてくれ)
そんな言葉、知っていても実際に耳にしたのは初めてだった。
そう考えるのと同時に、おや、と一瞬だけ感心するようにラルゴは思った。
たった一言、少女の言葉に返答するだけのことだったが、自分と話しているときとの違いをイース・セルビトールに感じたからだった。
ビジネスライクな態度を徹底するかのような話し方は主人に対しても同じなのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。
ほんの僅かな微妙な感覚ではあったが、確かに敬愛に近い感情をイースという人間は主人に抱いているようだ。
「……楽しそうにしてるところ悪いんだが。さっき『末永くよろしく頼む』なんて言ってたな。まずは、そこから訂正させろ。誰も護衛の仕事を請けるなんて、言ってないだろうが」
「──ああッ⁉」
ラルゴの発言に、またもアリムラックは叫ぶように困惑する。
「なぜだね⁉ 記憶喪失なのだろう⁉ わたしなら君の記憶を復活させることは可能だぞ!」
「眉唾な話で他人を勧誘しようとすんな。信じられるか」
「ああ、なるほど。記憶を蘇らせる方法について心配なのだね。その点は安心してくれたまえ」
「いや、そうじゃなくてだな……」
ラルゴの言葉も聞かず、フフン、とどこか得意げな表情になって幼い少女は宣言する。
「この《永遠の美少女天才科学者》アリムラック・ヴラムスタインに任せてくれれば、万事解決してみせよう! さあ、わたしの護衛となるのだ!」
「…………」
ここに来て、特大の爆弾を投げて寄越されたような気分だった。
そして、『科学者……科学者ってなんだったかな?』と半ば現実逃避するように考える。
言葉の意味そのものはすんなりと頭に浮かんだ。
だが、どうしたところで科学者の定義と目の前の少女が結びつかない。
なによりアリムラック・ヴラムスタインという少女の幼い容姿が、科学者という言葉と一致しない。
どう多めに見積もっても彼女の年齢は一〇歳にも届かないはずだ。
先ほどから胸を張るように得意そうな態度をしているが、そもそも主張するものがあるほど身体が成長していない。
「……断る」
やはり最初と同じ結論に行き着いて、同じ返答を今度はアリムラックに対して告げる。
その瞬間、サァッと音を立てるように、少女の顔が青褪めた。
うわ、と思わずラルゴが反応してしまうほどの、それは見事な変化だった。
「バカな…………まさか、こんなことが…………再計算……いや、条件を前提から変えなければならないのか……?」
「いや、そこまで落ち込まなくていいだろ」
自分が原因とはいえ、目の前で真っ青になられると慰めの言葉が口を出てしまう。
この世の終わりとばかりに消沈し始めるアリムラックに対して気の毒なことをした気分になるものの、さすがに護衛の仕事を請けようかと心変わりするには至らない。
「…………イース! わたしはどうすればいい⁉」
早々に自分の従者に助けを求めることにしたようだ。
もう少しぐらい粘れよ、と言いたくなる即決さだが、年長者に頼ろうとするのは素直に子どもらしくて安心する。
「どうすれば、彼を籠絡できるッ⁉」
前言撤回、発言があまりにも子どもらしくない。
凄まじい勢いで自分のなかのアリムラック・ヴラムスタインの評価が『ヘンなガキ』になっていくのをラルゴは実感する。
「アリムラック様」
と、そこでイース・セルビトールがおもむろに口を開いた。
相変わらず淡々とした口調だが、やはり主人に対しては僅かに声色が優しい。
「
「う、うむ。何だい、何か策があるのかい?」
「いえ。私のような下賤の者には、主の叡智を超えるような発想は到底叶いません」
敬愛しているどころではない仰々しい話し方だったが、部外者が口を挟むことではなかった。
「ですが、聞いたことはあります。『押してダメなら引いてみろ』という格言が、対人関係のテクニックとして存在すると」
「…………」
ラルゴの知識にもある言葉ではあったが、今の状況とは関係ねぇだろと彼は思った。
しかし、メイドの発言に主人である銀髪の少女は興味深そうに反応する。
「ほう。それは、どういう意味の言葉なんだい?」
「アピールするだけでは相手は振り向いてくれない、という意味だったと記憶しています。攻めるばかりでは相手もこちらに関心を抱いてくれるとは限らない。場合によっては距離を置くことで『なぜ自分から離れるのか』という興味を相手に持たせることができる、と」
やはり、どう聞いても色恋沙汰に関するテクニックの話だ。
ズレている、もっと違うアドバイスをしてやれと言いたくなるラルゴだったが、口を出せば元の木阿弥だと自分に言い聞かせた。
(……本当に、ヘンなヤツが自分のところに来てしまったものだ)
完璧とさえ思える人形のような風貌、幼い容姿に似合わない理知的かつ居丈高な口調、ラルゴという男への好意を隠そうともしない無邪気さ。
それでも、話が通じない相手でなかったことは幸運と思うべきなのかもしれない。
自分がロック村で用心棒として働く理由を整然と説明さえすれば、この少女は理解してくれる気がした。
妙に弛緩してしまった心地でラルゴは話し出そうとして──
その〝異変〟を、少女よりも僅かに遅れて感じ取った。
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