第三章【3】 霊血

 引き続き、アリムラックは不死者ヴァタールについて語る。


霊血アムリタの研究自体は、三〇〇〇年以上も前から続いた歴史の長いものでね。その過程で行われた人体実験によって、未完成の不死者ヴァタール亜祖レプリカ〉が数多く生み出された。記憶にはないのだろうが、君も間違いなくそのひとりだ」


 ──


 


 頭の片隅に浮かんだ感情を、ラルゴは決して表情には出さなかった。


 そんな思い出したくもない感情など自分のなかには存在しないとばかりに、彼は平静を保つ。


「三〇〇〇年以上に及ぶ研究の末、誕生したのがわたしたち〈真祖ロード〉だ。遺伝子調整によって胚の状態から超人的な頭脳を獲得し、完成された霊血アムリタによって真の『不老不死』となった新人類──まあ、売り文句はそんなところだね。単に『他人より死ににくくて頭のいい子ども』と思ってくれて問題ないよ」

「…………ははあ。なるほどー」


 なにもわかっていない様子のイコが、とりあえず納得したふうに頷いている。


「あれ? じゃあアリムラックちゃんってもしかして、あたしより年上……?」

「うん、そうだよ。こう見えて一端の淑女レディーなんだ、わたしは」


 フフン、と不死者ヴァタールの少女はドヤ顔をして誇らしげに小さな身体を主張してみせる。


「……こういうときはヒトの年齢を訊いちゃダメなんだよね、確か」

「あん? ああ、まあ……そうだな」


 小声で確認してくるイコに、ラルゴは無難な反応をする。

 別に気にしなくてもいいだろ、とはなぜか言えなかった。


「えーっと、じゃあ今からでも〝アリムラックさん〟って呼んだ方がいいんですかね?」


 微妙に敬語を使おうとして言葉遣いがおかしくなっていた。

 思わず吹き出しそうになるのを堪えつつ、ラルゴは胸中で安心した。


 本当によかった、と。


 イコがいなければ自分が不死者ヴァタールたちにどのように反応していたか、想像すらしたくなかった。


「うーん……?」


 イコの提案に、アリムラックは考え込むように首をかしげた。


「いや、前の呼び方をしてくれた方が、わたしは嬉しいな。〝ちゃん付け〟というのをされたことがなかったから、実に新鮮なんだ」

「あ、よかったー。もうあたしのなかでアリムラックちゃんはアリムラックちゃんで完成してたから、変えた方がいいって言われたら困ってたよー」


 仲睦まじく話すふたりの少女。

 イコはイコで、切り替えが凄まじく早い。


「ところで、アリムラックちゃんはラルゴのこと前から知ってたんだよねー?」

「ああ、そうだね。彼の大ファンというヤツさ」

「ほほう、大ファンと来ましたかー。なんでなんでー?」


 説明も途中だというのに、なぜか彼女たちは共通の人物についての話題に花を咲かせ始めた。

 思い切り脱線している、話を元に戻せ──ラルゴは、そう言おうとした。


「なにを隠そう、わたしは彼に殺されたことがあるんだ」

「ぶッ……⁉」


 言おうとして、次の瞬間にアリムラックが告げた内容に思い切りせていた。


「……うわー。噓でしょラルゴ」


 衝撃の真実に、『ないわー』という顔をしながらイコが裏切られたように男を見る。


「ちょっと待て! こいつが言ってるのはおれを庇った時の話だろッ⁉」

「いや? そんな直近の話でもないし、そんな責任の所在を問うような遠回りな話でもないよ」


 自己弁護を始めるラルゴを、アリムラックはあっさりと否定した。

 そして、ゆっくりと、一言一言を明確に区切るようにしながら言い聞かせる。


「過去にわたしは、君に直接、殺されたことがある。そういう話だよ」

「…………記憶にねえ」

「うん。だから今まで話題にはしなかった。君に記憶がないのにそんなことを言っても、迷惑になるだけかと思ってね」


 やはりあっさりと言う少女に、ラルゴは必死に記憶をたどり始める。


 ない、どう回想したところで記憶にない。


 この村で目覚めてからの記憶をどれだけ探ろうとも、アリムラック・ヴラムスタインと出会ったのはつい最近の出来事でしかない。


 ならば、それより前の話なのか。


 しかしを顧みたところで、銀髪紅眼の少女の姿はどこにも──


「あと勘違いされては困るが、わたしは別に君を怨んで会いに来たというわけじゃない」


 無意識に存在しないはずの記憶を辿っていたラルゴを、アリムラックの言葉が引き戻した。


「──……怨んでない、だって?」

「そのとおり。むしろ、逆なのさ」


 なぜか楽しそうな様子で、白い少女は微笑みを浮かべてみせる。


「計算上は決してわたしを殺せるはずがなかった君が、わたしを殺してみせた! その事実に、当時のわたしは心底から感動したんだよ!」


 ハイテンションですらある語調で、銀髪紅眼の真祖ロードは胸中を嬉々として語った。


「だから、君に会いに来た。君が覚えていなかったのは残念だけれど、君に会えてわたしは嬉しかったよ」


 アリムラックの言葉にどんな言葉を返せばいいのか、ラルゴにはわからなかった。


 殺されて、嬉しかった?


 わからない。

 記憶にもない出来事を嬉しそうに話されても、共感のしようがない。


 そもそも殺した相手が本当に自分なら、共感する権利など最初からないはずだ。


「まあ、そういうことだよイコ。殺されたことはあるけれど、わたしは彼のことを少しも怨んでなどいない。詳細は省くが、非はわたしの方にあったしね。そういう意味では感謝すらしているから、彼を責めないで欲しい」

「アリムラックちゃんがそう言うならー。じゃあ許してあげるねー、ラルゴ」

「……どうも」

「さて、改めて要点をまとめた方がいいかな。自己増殖、自己修復機能を持つナノマシン〈霊血アムリタ〉によって不死身となった人間が〈不死者ヴァタール〉。そのなかでも旧来の性能を持つのが〈亜祖レプリカ〉、完成された性能を有するのが〈真祖ロード〉──ここまでは、問題ないかい?」


 教え諭すようにラルゴとイコに尋ねるアリムラック。

 理解度の差はあれど、問われたふたりは頷いてみせる。


 頷きながら、ラルゴは記憶の中にあった疑問のひとつを口にした。


「……おれ断鎧カヴァーラが〝変わった〟のは、どういう理屈だ?」

霊血アムリタの作用だ。霊血アムリタは周囲の物質を取り込み、増殖する機能を持つ。君の断鎧カヴァーラに付着させたわたしの血液を通して、鎧そのものを霊血アムリタの集合体に改造させてもらったのさ」

「なんだ、そりゃあ。そんな芸当、おれにはできないぞ」

「無論、通常の不死者ヴァタールにできることじゃない。幾兆の数の霊血アムリタすべてを精密に操作できる能力を持つ真祖ロードだからこそ可能なことだ。わたしたちの頭脳はその能力に特化していると言っても過言ではないし、だからこそ霊血アムリタの拡張性が発生したとも言える。霊血アムリタ本来の機能は、飽くまで『肉体の修復』だからね」


 肉体に対しての機能はそんなところだ、とアリムラックは言う。


 肉体に対しては。

 では、それ以外の物質に対して霊血は具体的にはどう作用するのか。


 その事例をラルゴはすでに目撃していた。

 だから、そこでようやく彼は尋ねることにした。


「……おれ断鎧カヴァーラは、どこにある?」

「そこにある。鎧の形態を維持させていては邪魔かと思ってね」


 なんでもないことのように、アリムラックは壁にかけられた黒い外套を指差した。


「……そういうジョークは好きじゃねーな」


 質の悪い冗談だ、とラルゴは壁まで歩いて真っ黒なコートを手に取る。


 軽い。

 空気みたいに軽かった。


 厚みのある生地とは裏腹に、持った感触は羽毛をつかむみたいな手応えのなさだった。


 以前の着古したコートの重さとも、赤黒い全身鎧の重さとも、まるで一致しない。


「これのどこが、おれ断鎧カヴァーラだっていうんだ──」


 変化は、疑問を最後まで言い終わる前に済んでいた。


 漆黒の外套が、その形状を瞬時に自ら作り変える。


 手に持った箇所から男の指先を包み込むように変形を始め、手から腕、腕から肩へと伸びる。


 それも、目で追える速度ではなかった。

 肌の感覚でかろうじて認識できる、じかに体感していなければ理解できないほどの速さだった。


 手のなかにあったコートが消え失せ、代わりに純黒のアーマーがラルゴの全身を覆っていた。


「──……」

「納得してくれたかい? それは間違いなく、君が仕事道具として使っていた断鎧カヴァーラだよ」


 どこか得意げにアリムラックが話している。


 応える余裕はラルゴになかった。

 呆然とした様子で、肉体と一体化した全身鎧の感覚を確かめる。


 奇妙な感覚だった。


 視覚では確実にくらい色の鎧を装着していると理解できるのに、肉体の感覚はまったく違っていた。

 なにも身に着けていない、生身と遜色ない〝違和感のなさ〟だった。


 両腕を動かす。

 継ぎ目のない装甲は滑らかに駆動して、男の動作と完全に同じ動きをしてみせた。


 本当に実在しているのか、と思わず片腕でもう一方の腕に触れてみるも、確かに硬い感触が指先に当たる。


 しなやかに、強靭に、純黒の鎧はラルゴを包み込んでいた。


「おい。まさか、このままって言うんじゃないだろうな──」


 不安になって振り返ると、やはり次の瞬間に変化は完了していた。


 装甲が展開すると同時に変形し、漆黒のコートに戻ってラルゴの肩にかかっていた。


 まるで最初から、その形状であったかのような自然さで。


「……心臓に悪い。頼むから、次からは言ってから変えてくれ」

「すまない、すまない。君が驚くのが面白くて、つい意地悪になってしまった。では、次からは君の意思にしか反応しないように調整しておこう」


 クスクスと楽しそうに笑いながら、アリムラックが約束する。


「うん、イコの言ったとおりだったね。よく似合っているよ」

「……どうも。言った本人は、鳩が豆鉄砲を食らったみたいな顔してるけどな」

「おや? どうしんだい、イコ?」


 キョトンと口を開けた状態で固まってしまっている村娘に、心配そうに尋ねるアリムラック。


「どうしたもこうしたもねーだろ。おれですら動揺したのに、あんな手品じみたもの見せられて呆気に取られないヤツはいねーよ」

「ふむ、彼女のアドバイスでコートにしたのだが、そういうものか」


 立ったまま呆然としているイコに、アリムラックは小首をかしげる。


「彼女の服をわたしの物と同じ要領でドレスに変化させれば、正気に戻ってくれるかな?」

「余計にビックリするからやめてやれ。つーか、やっぱ今着てるのは前のとは別の服なのか」

「うん。実は、作った職人にボロボロにしたと知られると殺されかねないんだ。なので形だけは修復しておいた。それでもバレるとマズいから、内緒にしてくれないか?」

「知らねーよ。どこのどいつか分からないが、会うこともないヤツに内緒もないだろうよ」

「そうかな。では、イコには申し訳ないが次のレクチャーに移るとしよう」


 アリムラックの言葉に、ラルゴは怪訝な顔をした。


「なんのレクチャーだ?」

「うん? そんなの、決まっているじゃないか」


 当然の疑問に当然とばかりに答えて、アリムラックは部屋の外に出る準備を始める。


「〈吸血機〉についてのレクチャーに、決まっているだろう?」

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