第三章【3】 霊血
引き続き、アリムラックは
「
──知っているとも。
誰のせいでそうなったのかも、己は知っている。
頭の片隅に浮かんだ感情を、ラルゴは決して表情には出さなかった。
そんな思い出したくもない感情など自分のなかには存在しないとばかりに、彼は平静を保つ。
「三〇〇〇年以上に及ぶ研究の末、誕生したのがわたしたち〈
「…………ははあ。なるほどー」
なにもわかっていない様子のイコが、とりあえず納得したふうに頷いている。
「あれ? じゃあアリムラックちゃんってもしかして、あたしより年上……?」
「うん、そうだよ。こう見えて一端の
フフン、と
「……こういうときはヒトの年齢を訊いちゃダメなんだよね、確か」
「あん? ああ、まあ……そうだな」
小声で確認してくるイコに、ラルゴは無難な反応をする。
別に気にしなくてもいいだろ、とはなぜか言えなかった。
「えーっと、じゃあ今からでも〝アリムラックさん〟って呼んだ方がいいんですかね?」
微妙に敬語を使おうとして言葉遣いがおかしくなっていた。
思わず吹き出しそうになるのを堪えつつ、ラルゴは胸中で安心した。
本当によかった、と。
イコがいなければ自分が
「うーん……?」
イコの提案に、アリムラックは考え込むように首をかしげた。
「いや、前の呼び方をしてくれた方が、わたしは嬉しいな。〝ちゃん付け〟というのをされたことがなかったから、実に新鮮なんだ」
「あ、よかったー。もうあたしのなかでアリムラックちゃんはアリムラックちゃんで完成してたから、変えた方がいいって言われたら困ってたよー」
仲睦まじく話すふたりの少女。
イコはイコで、切り替えが凄まじく早い。
「ところで、アリムラックちゃんはラルゴのこと前から知ってたんだよねー?」
「ああ、そうだね。彼の大ファンというヤツさ」
「ほほう、大ファンと来ましたかー。なんでなんでー?」
説明も途中だというのに、なぜか彼女たちは共通の人物についての話題に花を咲かせ始めた。
思い切り脱線している、話を元に戻せ──ラルゴは、そう言おうとした。
「なにを隠そう、わたしは彼に殺されたことがあるんだ」
「ぶッ……⁉」
言おうとして、次の瞬間にアリムラックが告げた内容に思い切り
「……うわー。噓でしょラルゴ」
衝撃の真実に、『ないわー』という顔をしながらイコが裏切られたように男を見る。
「ちょっと待て! こいつが言ってるのは
「いや? そんな直近の話でもないし、そんな責任の所在を問うような遠回りな話でもないよ」
自己弁護を始めるラルゴを、アリムラックはあっさりと否定した。
そして、ゆっくりと、一言一言を明確に区切るようにしながら言い聞かせる。
「過去にわたしは、君に直接、殺されたことがある。そういう話だよ」
「…………記憶にねえ」
「うん。だから今まで話題にはしなかった。君に記憶がないのにそんなことを言っても、迷惑になるだけかと思ってね」
やはりあっさりと言う少女に、ラルゴは必死に記憶をたどり始める。
ない、どう回想したところで記憶にない。
この村で目覚めてからの記憶をどれだけ探ろうとも、アリムラック・ヴラムスタインと出会ったのはつい最近の出来事でしかない。
ならば、それより前の話なのか。
しかし断片的に浮かぶ記憶を顧みたところで、銀髪紅眼の少女の姿はどこにも──
「あと勘違いされては困るが、わたしは別に君を怨んで会いに来たというわけじゃない」
無意識に存在しないはずの記憶を辿っていたラルゴを、アリムラックの言葉が引き戻した。
「──……怨んでない、だって?」
「そのとおり。むしろ、逆なのさ」
なぜか楽しそうな様子で、白い少女は微笑みを浮かべてみせる。
「計算上は決してわたしを殺せるはずがなかった君が、わたしを殺してみせた! その事実に、当時のわたしは心底から感動したんだよ!」
ハイテンションですらある語調で、銀髪紅眼の
「だから、君に会いに来た。君が覚えていなかったのは残念だけれど、君に会えてわたしは嬉しかったよ」
アリムラックの言葉にどんな言葉を返せばいいのか、ラルゴにはわからなかった。
殺されて、嬉しかった?
わからない。
記憶にもない出来事を嬉しそうに話されても、共感のしようがない。
そもそも殺した相手が本当に自分なら、共感する権利など最初からないはずだ。
「まあ、そういうことだよイコ。殺されたことはあるけれど、わたしは彼のことを少しも怨んでなどいない。詳細は省くが、非はわたしの方にあったしね。そういう意味では感謝すらしているから、彼を責めないで欲しい」
「アリムラックちゃんがそう言うならー。じゃあ許してあげるねー、ラルゴ」
「……どうも」
「さて、改めて要点をまとめた方がいいかな。自己増殖、自己修復機能を持つナノマシン〈
教え諭すようにラルゴとイコに尋ねるアリムラック。
理解度の差はあれど、問われたふたりは頷いてみせる。
頷きながら、ラルゴは記憶の中にあった疑問のひとつを口にした。
「……
「
「なんだ、そりゃあ。そんな芸当、
「無論、通常の
肉体に対しての機能はそんなところだ、とアリムラックは言う。
肉体に対しては。
では、それ以外の物質に対して霊血は具体的にはどう作用するのか。
その事例をラルゴはすでに目撃していた。
だから、そこでようやく彼は尋ねることにした。
「……
「そこにある。鎧の形態を維持させていては邪魔かと思ってね」
なんでもないことのように、アリムラックは壁にかけられた黒い外套を指差した。
「……そういうジョークは好きじゃねーな」
質の悪い冗談だ、とラルゴは壁まで歩いて真っ黒なコートを手に取る。
軽い。
空気みたいに軽かった。
厚みのある生地とは裏腹に、持った感触は羽毛をつかむみたいな手応えのなさだった。
以前の着古したコートの重さとも、赤黒い全身鎧の重さとも、まるで一致しない。
「これのどこが、
変化は、疑問を最後まで言い終わる前に済んでいた。
漆黒の外套が、その形状を瞬時に自ら作り変える。
手に持った箇所から男の指先を包み込むように変形を始め、手から腕、腕から肩へと伸びる。
それも、目で追える速度ではなかった。
肌の感覚でかろうじて認識できる、じかに体感していなければ理解できないほどの速さだった。
手のなかにあったコートが消え失せ、代わりに純黒のアーマーがラルゴの全身を覆っていた。
「──……」
「納得してくれたかい? それは間違いなく、君が仕事道具として使っていた
どこか得意げにアリムラックが話している。
応える余裕はラルゴになかった。
呆然とした様子で、肉体と一体化した全身鎧の感覚を確かめる。
奇妙な感覚だった。
視覚では確実に
なにも身に着けていない、生身と遜色ない〝違和感のなさ〟だった。
両腕を動かす。
継ぎ目のない装甲は滑らかに駆動して、男の動作と完全に同じ動きをしてみせた。
本当に実在しているのか、と思わず片腕でもう一方の腕に触れてみるも、確かに硬い感触が指先に当たる。
しなやかに、強靭に、純黒の鎧はラルゴを包み込んでいた。
「おい。まさか、このままって言うんじゃないだろうな──」
不安になって振り返ると、やはり次の瞬間に変化は完了していた。
装甲が展開すると同時に変形し、漆黒のコートに戻ってラルゴの肩にかかっていた。
まるで最初から、その形状であったかのような自然さで。
「……心臓に悪い。頼むから、次からは言ってから変えてくれ」
「すまない、すまない。君が驚くのが面白くて、つい意地悪になってしまった。では、次からは君の意思にしか反応しないように調整しておこう」
クスクスと楽しそうに笑いながら、アリムラックが約束する。
「うん、イコの言ったとおりだったね。よく似合っているよ」
「……どうも。言った本人は、鳩が豆鉄砲を食らったみたいな顔してるけどな」
「おや? どうしんだい、イコ?」
キョトンと口を開けた状態で固まってしまっている村娘に、心配そうに尋ねるアリムラック。
「どうしたもこうしたもねーだろ。
「ふむ、彼女のアドバイスでコートにしたのだが、そういうものか」
立ったまま呆然としているイコに、アリムラックは小首をかしげる。
「彼女の服をわたしの物と同じ要領でドレスに変化させれば、正気に戻ってくれるかな?」
「余計にビックリするからやめてやれ。つーか、やっぱ今着てるのは前のとは別の服なのか」
「うん。実は、作った職人にボロボロにしたと知られると殺されかねないんだ。なので形だけは修復しておいた。それでもバレるとマズいから、内緒にしてくれないか?」
「知らねーよ。どこのどいつか分からないが、会うこともないヤツに内緒もないだろうよ」
「そうかな。では、イコには申し訳ないが次のレクチャーに移るとしよう」
アリムラックの言葉に、ラルゴは怪訝な顔をした。
「なんのレクチャーだ?」
「うん? そんなの、決まっているじゃないか」
当然の疑問に当然とばかりに答えて、アリムラックは部屋の外に出る準備を始める。
「〈吸血機〉についてのレクチャーに、決まっているだろう?」
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