第32話 あにうえさま❤

 私はニタリと含みのある笑いを作りながら、自信有り有りな視線を似非調娘えせつぎこに投げかけた。


「下らん! 何が空気だ! 馬鹿げている!」

「なんで? ツキミちゃんは、迷家まよひがにあるものならどんなものでも一つだけ持って還っていいっていってたんですけど?」

「確かにそうだが、空気を全て持っていくなどとそんな荒唐無稽な要求が通るわけがあるまい。そもそもそんなことをすれば、迷家が守護するべき対象である調娘つぎこに危害が……」


 私は、呆れたようなような顔を作り、大きなため息をついた。


「だからさー。じゃあ、調べてみたらー? ツキミちゃんの言うことが信じられないって言うならさー。もう直接、迷家に聞いてみたらいいじゃん?」


 あえて、ツキミちゃんという名前を連発して話し、こちらの言っている事のほうが正しいのだということをことさらに印象づける。

 似非調娘は、自分よりツキミちゃんの方が迷家については詳しい――そう思っているはずだからだ。


 やはりこちらの切り札は、こちらの最大のアドバンテージは、真の調娘たるツキミちゃんの存在なのだ。

 それは、虚実に限らず、ありとあらゆる意味において。


 似非調娘が一番警戒しているのはツキミちゃんの存在――というより、ツキミちゃんという切り札を手に入れたナツメの存在、なのだから。


 この二人の言うことを、似非調娘は完全には無視できない。

 似非調娘が、生まれてしまった疑念を払拭する唯一の方法は――この二人より正しい答えを持っているはずの迷家自体に尋ねること。これしか無い。


 今まで完璧に調娘を演じていたはずの似非調娘が、だんだんと素の表情を見せるようになりつつあった。


「くっ……良かろう。どうせあいつの浅知恵であろう? ならば、のってやろうではないか。システム!」


 似非調娘はぱちんと指をならし、空中に浮かぶモニターを呼び出す。

 続けて、もう一度パチン。モニターの電源が入ったように画面に映像が映し出される。

 が、今度は前とは少し違い、天神様の細道の様子を映した映像ではない。


 ――何かご要件はありますか? 


 という簡素な文章が書かれた画面だった。


「新たな継子つぐこへの贈り物について尋ねる。それに空気は可能か?」


 モニターに書かれている文章が、『何かご要件はありますか?』 から


 ――検索します……。

 

 に変わる。数秒待つとすぐに、


 ――餞別品に空気を禁じるという禁忌事項は存在しません。


 に変わった。

 正直に言うと内心ビビっていたのだが、この画面を見て安心する。


 良し! ツキミちゃんの予想通りの解答。さすが迷家を知り尽くすツキミちゃんである。


「禁忌に記されていないのは、想定されていなかったというだけであろうが。では、まさか本当に許可するとでも言うのか?」


 引き続き、似非調娘の質問を受けた迷家のシステムがしばらくの間沈黙。

 その後に、モニターの文章が変わるというやりとりが幾度か繰り返され続けることになった。


 ――禁忌事項は存在しません。したがって、許可されている。と結論づけられます。


 似非調娘は少し声を荒らげた。


「アホなのか貴様! そんなことを許せば、お前が守るべき調娘はどうなる?」


 最後の質問を受けた後、今度は先ほどより少しだけ長い沈黙が有り、また文章が変わった。


 ――新たな継子が望んだものを、一つだけ持ち還ってもらう。調娘に危害が及ばない限り、迷家の中にあるものならどんなものでも、何でも良い。それが餞別品に関するルールです。


「えーい、もういい! 何がルールだ馬鹿馬鹿しい! はっきりいおう。ルールなどくそくらえだ!」


 ルールの番人たる調娘の言葉とは思えない発言だった。やはり本質的には、この人は私に近いのだと思う。

 似非調娘は忌々しそうに歪んだ顔を作ると、パチンと指を鳴らしてモニターを消してしまった。

 それを見届けた私は、勝手口の扉へとそそくさと早足に向かう。


「じゃあ、そういうことだから」

「待て貴様! 待てと言っている!」


 私は扉を開け、迷家の屋敷から出ようとした。

 扉を開けると――そこには異様な光景が広がっていた。


 結界のこちら側はすっかり朝日が登っていて、明るくなっている。なのに結界の向こう側は日が落ちていて暗闇が広がっている。

 世界が真っ二つに切り分けられたように、はっきりと光と闇に塗り分けられていた。


 こうなるのであろうと想像してはいたのだが、やはり実際に見ると呆気にとられ、足を止めてしまう。

 まさに、理外りがい。おずれごと――もとい妖言およずれごととは、かくも常識外れな現象を引き起こすものなのか。


 似非調娘が走って私を追いかけて来る。私を強引に止めようと、私に向かって手を伸ばしかけた――が、似非調娘はちっと舌打ちする。

 寸前でぴたりと手を止め、悔しそうに手を引っ込めた。


「あれ? ルールなんてくそくらえ、じゃないの?」


 そのまま手を出してくれれば話が早かったのに。やはりそう簡単にはいかないか。


「ざーんねん。やっぱり結構気が合うのかもと思ったのにさー」

「よく言う女狐が。抜けてるように見えてしたたかだ。これが、中々どうしてあなどれん」


 その時、暖かい声が聞こえた。

 今一番聞きたかった声。安堵感。この声を聞けば、なぜか何も怖くなくなるんだ。


「ニャニャミャイのククリに勝手にさわってくれるなよ。不法者が」


 ニャ、ニャニャミャイの? 今、ニャニャミャイのって言った?


 思いがけないナツメの言葉で、胸がキュッと締め付けられる。

 結界の向こうにナツメがいた。その愛しい姿をやっと見ることが出来て、涙が溢れ出そうになるのをぐっと堪える。

 まだ終わっていない。最後までやり遂げなければ。

 大好きなナツメを抱きしめるのはその後でいい。


 似非調娘は、美しい顔をぐにゃりと歪めてナツメを睨みつけた。


「やはり、貴様かぁ! 小賢しい入れ知恵を! いつもいつもいつもいつも。またしてもその足りない頭と未熟な腕で! 性懲りもなく俺の前に立ちはだかろうと言うのか! その結果がこのざまなのだぞ! なぜ分からん! 貴様はこの数十年、何一つ学ばなかったとでも? どうして俺を、理解しようとしないのだ。俺はお前に」


 似非調娘は、長年にわたり溜まりに溜まっていたナツメに対する感情を一気に爆発させたようだった。


 強烈な自尊心とないまぜになって、見え隠れしている劣等感と嫉妬心。そこから生まれた対抗心――そんな複雑極まりない感情を剥き出しにしていて、もはや隠そうとすらしていない。


 ナツメの纏う全てを悟ったかのような不思議な雰囲気。

 いつ何時でも静寂さを感じさせるほどに落ち着き払ったその態度が、似非調娘を極度に苛つかせ、このようにさせてしまうのだろう。


 さっきまで完璧に仮面を被っていたかのように見えた似非調娘が、ナツメの前に出るとこんな風になってしまうのか……。


「これはこれはお久しゅうございます。何やら大層お怒りになられているようだが……ニャニャミャイはニャニャミャイなりに、数十年間あれやこれやと考え続けました。ですが、やはり今のあなた様が繰り出されるお言葉には、ニャニャミャイの心は何一つとして、動かされませんでした」


 ナツメは、持ち前の神秘的な澄んだ金色の目でじっと似非調娘を見すえて、こう呼びかけた。


義兄様あにうえさま


 ナツメが、うやうやしく頭をたれる。

 似非調娘の憎悪に満ちた視線を涼しそうに受け流し――凪いだ海のように雄大で穏やかな態度のまま、しっかりと似非調娘を見つめ返した。

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