第2章 あいつとあの子の事情。

第6話 ないていたから❤

 目の前に、猫じゃないと言い張る子猫がいた。

 私は、改めてじっくりとナツメの身体からだを見つめ直す。


 ふむ……猫である。やっぱり、どっからどう見ても猫である。

 シュッとしていて、中々の美形さんな子猫ちゃんだな、と思う。

 うん、でもやっぱり猫だ。それ以外の何者でもない。

 これが猫でないならば、一体何が猫だというのだろう?


 そして――猫であるならば、だ。この子はまるでなってないのではなかろうか?

 せっかく名前も決まったんだから、これを機に、私があるべき方向へと導いてあげる必要があるのかも知れない。

 そんな使命感を、私はひしひしと感じていた。


「ねえナツメ。まずさあ……その話し方なー。せっかくレアな話せる猫ポジなんだからさー。もっとこう……」

「だから、吾輩は猫では」

「そのくだりはいいから! とにかく、ナツメは自分の最強の利点を全く活かせてないって話。せっかくいい素材持ってるんだからさー」

「そ、素材? なんの話だ?」


 どうやらやはりナツメは、自分の希少な才能に気づいていないようだ。これはとても嘆かわしいことである。

 名付け親たる私が、責任を持って気づかせてあげる必要があるであろう。


「そうだなーとりあえず、一人称、吾輩はやめてくんない?」

「んな? なぜだ?」

「せっかくかわいいのに、なんかかわいくないじゃーん」

「……何を言ってるのかさっぱり分からん」


 ナツメは困惑しきった顔をしている。まあ、そういう仕草もかわいいのだが。


「そもそも子猫っぽくないし?」

「だから吾輩は猫では」


 私はナツメのお決まりの切り返しを完全にスルーして思考を続ける。


「いやでも、せっかくのナツメの個性だしなー。多少は残してあげたいってのもあるよねー。ちょっと背伸びしてる感じも、それはそれで良きというか? 捨てがたいものがあるにはあるわけだし?」


 となると、やはり。あれか?


「じゃ、ニャニャニャイで」

「却下」


 ナツメは、被り気味に拒否ってきた。


「もーワガママだなー。じゃあ、ニャニャミャイでもいーよ。ニャニャニャイにする? ニャニャミャイにする? 私はどっちでもいいけど」

「はぁ……分かった分かった。もうそれでいい」

「じゃ、それを踏まえてさっきのやってみ。吾輩は~のくだり」


 ナツメは疲れ切った様子で投げやりに言葉を発する。


「ニャニャミャイは猫ではない。名前はもうない」

「そうそれ! まーる。うんうん、いいよいいよ。良くなってきたじゃーん。じゃあ次。これはまあ基本なんだけど……語尾に、ニャをつけて」

「はぁ? なんだそれは? 断る! 断じて断る!」

「違う違う。いい? 見てて。ニャ、ニャんだそれは! 断るニャ! こうだから。ハイ、やってみて」

「絶対嫌だ! 意味が分からんし、そもそも話しづらい」

「じゃ、語尾にニャンでもいいけど。ただこっちは私的わたしてきに、ちょっと女の子っぽくなっちゃう感じがするんだよねー。どう思う?」

「知らん!」


 ナツメは、ぷいっと顔を背けてしまった。

 私は、大げさに頭を振る。まさかこんなに嫌がるとは。非常に残念だが……どうにも語尾の方の説得は無理そうだ。

 

 仕方ない。ここは一人称ニャニャミャイを勝ち取っただけで良しとするか。


「もーやっぱりワガママだなー。絶対そっちの方がかわいいのに……。まいっか」

「一つ確認したいんだが……もしかしてククリの判断基準は全て、かわいいか、かわいくないかなのか?」

「それな。かわいいは正義! 基本じゃん?」


 あんぐりと口を開けて、ナツメはかわいそうなものを見るような目で私を見つめてきた。

 しかし、私はそんなことでは動じない。ふっふっふ……と不敵に笑って見せた。


「まあ、そのうちナツメにも分かるときが来るってー。万物の真理ってやつがね」

「来ないと断言できる。……が、語尾を断られた割に、なんだか、嬉しそうだ」

「んー。ずっと憧れてたんだよねー。非日常をまとった人が声をかけて来てくれるってシチュ。

その人と私は相棒になってー、その人は私が困っていると命がけで助けてくれんの。で、その人が困ってたら、私も絶対助けてあげんの」

「相棒……」


 ナツメはなんだかむず痒そうに顔を洗った。満更でもなさそうに見える。


「まあ当初の予定とはだいぶ違って、危険な香りがする男じゃなくて、おしっこと生ゴミの匂いがする子猫ちゃんになっちゃったみたいだけどねー」

「だから、ニャニャミャイは猫ではない! 名前は……な、まえ……そうか。ニャニャミャイにはもう名前が……」

「そ。名前は、もうある! よろしく、ナツメ」

「ああ、よろしく。ありがとう……ククリ」

「へ? 何が?」

「いいや。別に」


 気持ちよさそうにケロリン桶に身体からだを埋めてるナツメを見て、思わずクスリとしてしまった。


 やっぱり、どっからどう見ても猫なんですけど!



***



 ナツメの名付けなどが終わると、ナツメは改めて私に質問をしてきた。


「どう言えばいいのか……そうだな。まずククリは本当に稀人まれびとなのか? ククリはここに何をしに来た? 自らの意志でここに来たのか?」

「え? うーん……まー……自分の意志で来たっちゃー来たことになんのかなー?」


 私はもとから『未知の道探し』をしていた。そういう意味では自らの意志で来たと言えば来たし、こんな場所に来たかったのかと言われればそうでもない。

 そもそも「稀人よ……」という言葉に誘われて興味を持ってしまった感もある。

 自分の意志と言えるような、言えないような。


「なんだはっきりしないな。自ら望んで来たというなら、やはり継子つぐこなのか?」

「継子? 知らんけど、多分違うんじゃね? てか、こんなとこに来ることは望んでないし。そもそも、継子って何?」

「では、やはり迷い込んだ稀人か? どっちなんだ? 頭がこんがらがってきたぞ」

「いやそれ言いたいの、こっちなんですけど」


 ナツメは困ったように毛繕いをしだした。どうやらこの子猫が、考え込んでいる時の癖らしい。

 毛繕いしている姿は、やっぱり猫以外の何者でもない。


「確かにそれはそうか。すまんな。話を焦りすぎたか。しかし本当に何も知らないというのならあまり詳しく語るのもな……。では……正門と間違って裏門から出てしまっただけか?」

「正門? 裏門? なんの話してんの?」

「ふむ。では……誰かの紹介で、ここに来たのか? ここのことを誰かから聞いたことがあるか?」

「いや、全然」


 ナツメは少しの間毛繕いをしつつ考え込んでいたが、結論は出たようだった。


「信じがたいが、お嬢が言う通りどうやらククリは本当に稀人のようだ。とにかく、迷い込んだだけだと言うなら、今すぐ戻ることだ。ここのことはこれ以上知らない方がいい。ここでのことは全て忘れろ。一度認知してしまうと、見るべきじゃないものまで見えるようになってしまうぞ」

「それが出来たらもうやってますー」

「大丈夫だ。ニャニャミャイがあないする。ククリはまだ現世うつしよに戻れるはずだ。ここに囚われているニャニャミャイと違って、ククリならな」


 道案内しようとしてくれているのだろう。ナツメはケロリン桶から出てすくっと立ち上がり、歩き出そうとした。


「待って。あのさ。囚われているって何? どゆこと? もしかして……ナツメはここに閉じ込められてる、みたいなこと?」


 ナツメは、しくじったとでも言いたげに目を細めた。


「ニャニャミャイについてはどうでも良い。今はククリの話をしている。いいか? ここが最後の曲がり角だ。だからニャニャミャイはククリを止めた。これより先に進めば迷家まよひがにつく。そこでは一つだけ得るものがあるが、様々なものを失いもする。戻れば何も失わない。今ならまだ戻れる。戻れなくなる前に……」


 私は、ナツメの話を遮りつつ質問を続けた。


「あのさ! 私の話だけってそれズルくない? ナツメの話は?」


 穏やかなナツメが珍しく、少しだけ声を荒げる。


「だから、ニャニャミャイのような痴れ者のことなどほっておけ! 本当は、ニャニャミャイなんぞには関わらないほうが良かったのだ! 何度も何度も同じ失敗して、なのにまたニャニャミャイは……ククリが一人で泣いていたから……思わず……」


 こっちもこっちでムカッとしたので負けじと思い切り睨み返してやった。ナツメの金色の目をしっかり見据えてきっぱりと言い切る。


「そんなの無理。だってナツメ、私を助けようとしてくれてんでしょ?」


 相棒は、私が困っていたら助けてくれるんだ。だから私も、相棒が困っていたら絶対に。

 

 私が何を考えているかなんて、ナツメにはお見通しのようだった。


「……さっき言ってた相棒とかいうやつか? ……適当に見えて、存外、強情なやつだな」


 ナツメは少したじろいで、気圧されたように目を反らした。私はもう一度、同じ質問を繰り返す。


「さっき、ナツメが囚われているとかなんとか言ったよね?」

「……言ったな。ニャニャミャイとしたことが失言だった。ここまで食いついてくるとは」

「教えて。それ、どういう意味?」


 ナツメは困った顔で、頭を横に振った。


「それを知ってどうすると言うのだ……知らぬで良いことは、知らぬほうが身軽というものであろう?」

「はぁ? 今更それ言っちゃう? まー分かんなくも無いけどさー。そりゃメンドーごとなんてなるべくならゴメンだよ? でもさー、ぶっちゃけもう手遅れなんだよねー。だって私、ナツメのこと、もう知っちゃってるわけだし」

「……まったく聞き分けのない。これが稀人というものなのか」


 ナツメは立ち止まったまま、どうするべきかと悩んでいるようで、ピクピクと耳を動かし、ゆらりゆらりと尻尾を振りつつ、様子を探るような目つきで私をちらりと見た。


 私は腕を組んで胸をむんと反らし、引き下がる意志が微塵もないことを身体からだ全体でアピールする。


「分かった分かった……良かろう。特に面白い話でもないが」


 ナツメは諦めたように大きなため息をつくと、ブルブルと身体からだを振るわせて、シャッキリと気分を切り替えたようだった。


 この時……ナツメが初めて、少しだけ、自分のことを語ってくれたのだ。

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