第5話 ごみやまのけんじゃ❤
「とりあえず話を聞こうか。そうだな……確か」
子猫はそう言うと、くるりと反転しゴミ山を見た。きょろきょろとゴミ山全体を眺め回す。何かを探しているような素振り。
そして、すぐにその何かを見つけたようだった。
「さて……立ち話もなんだ。まあ、座れ」
子猫はトテトテとゴミ山の方に歩いていくと、ゴミ山の端の方に無造作に捨ててあったビール瓶ケースをくいっと顎で示した。
椅子代わりにしろということだろう。
私は、子猫が示してくれたビール瓶ケースを拾い、ひっくり返して地面に降ろした。パンパンと、ある程度手で汚れを払ってから、底の部分にハンカチを敷く。
準備ができたビール瓶ケースを椅子代わりにし、腰を降ろした。
正直、どっぷりと疲れていたので立ち話は辛すぎる。座れるだけでもかなりありがたい。
子猫は恐らく、先程までの私の顔色を見て、少しでも楽に話しやすい場所へと移動してくれたのだろう。
ふーん。なかなか気が利く子猫ちゃんじゃん。意外と紳士。悪くない。
さて、子猫自身はというと……ぴょんぴょんと身軽に跳んでゴミ山を登っていった。
まるで我が家だとでもいうような振る舞い。
どうやらこの子猫は、この生ゴミの匂いと動物の糞尿臭がきついゴミ山を縄張りにしているようだった。
やはり、あの親切なネズミ――お嬢が言っていたゴミ山の賢者とは、この子猫のことで間違いなさそうだ。
まあ、とは言っても、さっきまでカラスやネズミなどもいたし、他の者を排除しようとしたりはしていないようだが。
もしかしたら比較的古株で、ここの顔役という感じなのかもしれない。
子猫は軽やかな身のこなしでゴミ山の頂上にまであっという間に登りきると、そこに玉座のように置いてある古い黄色い洗面器――ケロリン桶に
うっとりとした表情を浮かべ目を細める。どうやらそこが、この子猫のお気に入りの住処のようだった。
私がビール瓶ケースにちゃんと腰を降ろしたのを見届けた子猫は、いたずらっぽく笑いながら言った。
「すまんが、茶は出せんぞ。吾輩らの飲み物と言ったら、ほれ。あれくらいのものだからな」
子猫は水溜りを見つめながら言う。それはもう知っている。ここで暮らしているものたちは、生きるためにはたとえ泥水でもすするしかないのだろう。
なのに私は。
本当にお嬢には悪いことをしたと思うが……さすがにまだ、同じものを飲もうとは思えなかった。
「お構いなく。……その……なんかごめん」
子猫は、力なく視線を落としている私を見やると、私の心の中を見透かしたようにくくっと乾いた苦笑をした。
「ふむ……お嬢と何かあったと見える。まあ、大体の察しはつくが。その泥水のことであろう?」
ゴミ山の賢者は、とても穏やかな声をしており、凄くゆったりとした口調で話す子猫のようだった。
話を聞いているだけでリラックス出来るせいで、少し疲れが和らで行くような気がした。
とても耳障りが良くて安心できる、聞き心地の良い喋り方をするのだ。
「そんな顔をしなくて良い。どうやらお前は勝手に後悔して、勝手に自己嫌悪に陥っているようだが……ここに暮らす吾輩らに言わせれば、決してそうはならんよ」
「そうは、ならない?」
「ああ、そうとも」
子猫はコクリと頷き、優しく笑う。
「いいか? お前は何一つ間違ってなどいない。それで、正しいのだ。ただの、普通の、健全な反応であろうが。誰だって最初はそんなものであろう?
吾輩だってそうだ。あんなもの飲めたものじゃなかったさ。勿論、お嬢もな。何を気に病むことがある」
子猫は、こちらを丸い金色の目でじっと見つめてくる。この目で見つめられると、妙にムズムズする。
なんだかとても甘~い視線に感じるのだ。
子猫の瞳は、慈愛に満ちた柔らかな光を発している。
暗闇に映えて、浮かび上がって見える神秘的な瞳。
まるで夜空に浮かぶ満月のように見えて、視線が吸い寄せられてしまう。
とくに今は、子猫がゴミ山のてっぺんにいるせいで、私は子猫を見上げる形になっている。そのせいか、余計にそのように見えてしまうのだった。
「ここは繰り返される世界なのでな。腹ただしいことに、贅沢さえ言わなければ案外と食うには困らんようには出来ている。勿論、最初はきついだろうがな。
お嬢などは衰弱し、ギリギリになってもまだ拒み続けたものよ。嫌がり暴れるのを抑えつけて、無理やり口に詰め込んでやったものだ。それでも何度も吐き出しおったがな。まあ……そんなことを繰り返すうちに、いつの間にか慣れるものさ」
下らぬことで気に病むな。お前は何も悪くないよ。そう子猫の顔には書いてある。
「それにまあ……ここの物が
「意味?」
「ふむ。
子猫はじっと私を見ながら、言い含めるような口調でそう言った。くれぐれも気をつけるように、と言いたいようだ。
「そんなわけで、この段階では物を口に入れる気が起こらぬようにしておるのかも知れん。稀人が思いとどまって、引き返すことが出来るように、とな。まあ……ここを作ったやつに聞いてみんと本当のところはわかりゃせんが」
子猫が投げかけてくる視線は、万事が労るような気持ちを感じるものだった。気落ちしている私を気遣っているのがはっきりと分かる温かい眼差し。
――何かあったら黒猫を頼って。きっと力になってくれる。
直感的に、お嬢の言った言葉が理解できた。
普通の感覚では、喋る猫なんて得体が知れない怪異だと思うのかも知れない。それこそ、化け猫の類じゃないのか? って。
だけど私は、この小さな
「えーっと? ネズミちゃんがお嬢で、君が、お嬢が言ってた黒猫ちゃん?」
「吾輩は猫ではない。名前はもうない」
あーそう言えば、さっきもこれ聞いたな。何かしらの強いこだわりがあるのかも知れない。
「なんか知らんけど、そこは絶対譲らないんだー」
まあ……どう見ても猫なんですけど。
本人が嫌がって、違うと言い張るのなら仕方あるまい。猫と呼ぶのはやめようか。
「君、猫って言われるの嫌なんでしょ? で、名前も無いとかっていうしさー。このままじゃ不便だよねー。じゃーなんて呼べばいいん?」
「吾輩は猫ではないが、それ以外なら好きに呼べばいい。しょせん吾輩は名を失った身だ」
「うーん。ちょっとまって。そーだなー」
私は、子猫をじっくりと舐め回すように見る。子猫は、少し居心地が悪そうな顔になったが、文句は言わなかった。
猫……一人称は吾輩……名前は無いとかって言う……ってなるとやっぱりもう、あれしかなくない?
「じゃあ……吾輩系ネコキャラだし……ナツメ! ど? かわいくない?」
「んな?」
私の言葉を聞いた瞬間、子猫はいきなりピン! と耳と尻尾をたて、立ち上がった。
子猫にとって何か想定外のことが起こったようだった。元から丸い目をさらに真ん丸にしている。心底驚いている様子で、私をまじまじと見つめた。
「な、何? おっどろいたー」
「いや……少し、驚いてしまってな……」
「驚いたのは、こっちなんですけどー」
「す、すまん。しかしお前……ナツメ? というのは、もしかして吾輩に名前をつけてくれたのか?」
「ん? どゆこと? 気に入らなかった? 別にいーけどさー。好きに呼べって言ったのはそっちじゃーん」
「あ、いや、いいんだ……。好きに呼んでくれて構わない。むしろ……。しかし、そうか……
子猫――改めナツメは、すぐに落ち着きを取り戻し、ケロリン桶に座り直した。
「だが、それなら吾輩的にはどっちかというとソーセキの方が」
「えー、やだ。なんかかわいくないし。ナツメのほうが絶対かわいいじゃん」
「かわいいかどうかは吾輩的にはどうでも良いのだが……
ナツメは、自嘲的に笑った。その顔が、私は妙に気に入らなかった。どこがぴったりなのかさっぱりわからない。やっぱりこれは、不採用である。
私は両手をクロスさせバツ印を作る。
「やだ! ダメ! ダメダメダメ! ダメダメのダメ! いい? かわいいは正義だから! 大体、好きに呼んでいいんでしょ!」
「分かった分かった……」
ナツメは、小さくため息をつく。
「しかしお前……最初にあった時は、太宰だとかなんとか言ってたろう? やはり、わざと間違ったな?」
「バレた? ごめんごめん。あの時はなんかちょっと機嫌悪くてさー。変な当たり方してごめんねー。なんか全部めんどくさくなって、もうみんなどっかいっちゃえって思ったんだけどさー。それでも、ナツメはそばにいてくれたじゃん? すっごく嬉しかったなー」
ナツメは、むず痒そうに顔を洗った。
「だから、ナツメについて行こうって思えた。後さ、お前じゃないから。私はククリ。
「了解した……ククリ」
ナツメが名前を呼んでくれた瞬間、胸が高鳴り、踊りだしたのを感じた。
どうやら私は、この時にはすでに、この黒猫の子猫のことが心底気に入ってしまっていたらしい。
今になって思えば、最初の最初。一人で泣いていたとき、いきなり涙を舐め取ってくれたあの時から――一目惚れ、だったのかも知れない。
セーラー服にお月さまを。
こうして、私とナツメの物語は始まったのだ。
――あとがき――
第1章を読んでいただきありがとうございます。
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