第4話 おつきさまみたいですてきだな❤

 ゲームのダンジョンか何かじゃあるまいしさー。でも……。 


 私は、自分の頭に浮かんだ突拍子もない考え、嫌な予感を払拭するために、確認して見ることにした。


 ごちゃごちゃ考えてても時間の無駄だし?

 そりゃ馬鹿馬鹿しい話だとは思うけどさー。

 念のため? 確認して、んなわけないかー、ですむ話じゃん?


 我ながら非現実的な考えだとは分かってはいるのだ。だが、どうしてもその考えが頭から離れない。

 とは言え、自分が正気じゃなくなっているとは思いたくないものだから、必死に自分自身に言い訳をする。


 鞄からペンを取り出し、落書きだらけのレンガの壁に遠慮がちに小さな印をつけた。


「ごめん。一個くらい増えてもいいよね?」


 なんだか気が焦ってきて、少し足早になった。何度か曲がり角を曲がる。さらにまた、眼の前の曲がり角を曲がる。


 きっと、この曲がり角の先には――あった。

 また見覚えのあるゴミ山だ。見たことがある黒猫の子猫もいる。


 やはり、私の想像通りの場所にゴミ山があった。まるで見てきたかのように、曲がり角を曲がったその先にゴミ山があることが分かってしまった。

 その頂上に、黒猫の子猫がいるのでろうことも。


 嘘でしょ? まさかね。


 強い焦りを感じつつ、落書きだらけのレンガの壁に走り寄る。


 そこには――自分がつけた印があった。


 息が詰まるほどの衝撃を感じた。

 慌てて元来た方向へと逆走する。何度か逆方向に曲がり続けた。すると……やはりゴミ山があった。子猫がいる。レンガの壁に駆け寄る――自分がつけた印があった。


 また逆走する。何度か曲がって、ゴミ山があって、子猫がいて、壁に駆け寄って――印を確認。

 今度は逆走せずに、同じ方向に連続で進むことを試して見る。

 何度か曲がる。ゴミ山。子猫。壁――印確認。


 何度やっても、結果は変わらない。抜け出せない。

 これはもう、認めるしか無いだろう。認めたくはないけど、認めるしか無い。

 元の場所に戻って来てしまっている。どっちに行っても同じところに戻ってしまう。私の嫌な予感が、確信に変わった。


 この空間は、ループしている。


 ゲームのダンジョンとかでよくある、無限ループとかっていうやつだ。そう結論づけるしかない状況。


 私に忠告をくれたネズミの言葉を思い出す。ネズミはこっちに来ちゃ駄目だといっていた気がする。


 行きも怖いけど、帰りはもっと怖い? ――それどころか、帰れないじゃんこれ。


 いや待て。そうだ……。そうだった。あの時、このまま進めば、帰れなくなる。ネズミは確かそんなこともちゃんと言ってくれていた。


 今になって分かった。ネズミは、このことを忠告しようとしてくれていたのだ。


 これは、罰なんだろうか?

 親切な……それなのに私が傷つけてしまったネズミの悲しそうな顔を思い出す。

 なんで私はあの時、あの子の話を真剣に聞こうとしなかったのか?


 なんとなく、街灯の灯りを見つめた。すでに完全に夜になっている。街頭の灯りの周りには、灯りに誘われ、引き寄せられ、離れられなくなっている羽虫たちがわらわらと群がっていた。

 路地はとても静かなので、耳を済ますとブンブンと言う羽音が聞こえてくる。


 何がしたいんだろ……まさか、光に憧れてるとか?


 虫たちがひどく滑稽で、哀れに見えた。

 なんだかこの路地に惹かれ、迷い込み、出られなくなった自分と重なるものを感じて薄ら笑いが出た。


 身体からだの力が抜けていく。グラリとよろけ、壁に手をつく。どうにもふらついてしまうので、身体からだを支えるために背中を壁に預け、壁にもたれかかった。立っているのが億劫で、そのままずるずると身体からだを沈み込ませていく。


 どうしよう……。


 涙が滲んで来る。

 完全にしゃがみこんだ状態になっても、やはり身体からだを支えているのがまだまだ億劫だ。今度はそのまま横に倒れ込んでいく。


 ありえない。無限ループとか、冗談キツすぎ。もう何も考えたくない。


 肉体的にも精神的にも疲れ切っていて、このまま何も考えずにここでしばらく寝てしまいたい。そんな欲望に負けそうになっていた。


 と、突然目の前に金色に輝く何かが現れた。

 夜もだいぶ更けてきて、辺りはかなり暗くなってきている。その暗がりの中に、金色の球体が二つ、浮かんでいる。

 まるで夜空に浮かぶ月のように美しく、淡く、やさしく――そして何よりも、とっても甘い光を放っていた。


 なんだろこれ……綺麗……やさしい光で……お月さまみたいで素敵だな。


 これは――瞳だ。黒猫の子猫の瞳。

 いつの間にかゴミ山のてっぺんにいたはずの顔の整った子猫が、私のすぐそばにまで来ていたようだ。

 息がかかりそうなほどの超至近距離にまで近づいて来ており、金色の瞳で、私の顔をじっと見つめていた。

 

 暗闇に紛れる漆黒の毛並みと、足音がしなさそうなしなやかな動き故だろうか?

 夜の帳の中から音もなく近づいてきて、いきなり目の前に現れたように感じられたのは。

 

 私が神秘的な金色の瞳に見惚れていると、子猫が突然――ぺろりと私の顔を舐めてきた。

 完全に不意打ちである。あまりにも突然のことだったので、思わず声を上げてしまう。


「わっ!」


 驚きのあまり背筋をピンと張り直し、身体からだを立ち上がらせた。しゃがんだ状態にまで体勢を戻す。


「どうした? あまり顔色が良くない」


 どうやら私は今、かなり酷い顔をしていたらしい。


「なななな、何? なんなの一体?」

「泣いているのか? 大丈夫か?」


 理解した。

 子猫はどうやら、いつの間にか泣いてしまっていたらしい私の涙を、舐め取ってくれたようだった。

 心配そうにこちらの顔を覗き込んでいる。


 まだ、心臓がばくんばくんと鳴っている。これは驚きによるものなのか、それとも違う種類の鼓動の高鳴りなのか、判断がつかない。


 ただ……暗く、黒く染まりかけていた世界に、鮮やかな色が戻ったのを感じた。

 まるで、雲間から月光が差し込んだかのように。


「なんだよもー。子猫ちゃんさー、びっくりしたんですけど」

「吾輩は猫ではない。名前はもうない」


 子猫は、幼い男の子のようなかわいらしい声で話しかけてきたが、口調はなんだか少し仰々しくて、声質と口調にズレを感じる。


 あれ? そう言えばこの子猫。今、喋ってる? ってもうさすがに慣れた。

 つーか、この子を初めてみた時から、なんとなくそんな気はしてたし。


「あのさー子猫ちゃん。見ての通り今私、疲れきってんの。出来ればほっといてくんないかなー」


 私は、子猫から目を反らしつつ、そう言った。

 言い訳して、カッコつけた。

 本当は、自分の今の姿がすごく惨めで、その姿をこの子猫だけには見られたくなかったからだ。


 余計にカッコ悪いけど、ついやってしまった。


「だから、吾輩は猫ではない。名前はもうない」

「あーそれ、知ってる知ってるー。太宰治でしょ?」

「んな? 違うぞ! 太宰じゃない! 太宰に謝れ!」


 知っとるわいそれくらい。わざとですー。


 大きなため息をついて子猫を見返した。お節介なのかなんなのか、こっちはお前に興味ねーよアピールしても通じないみたいだった。


 どうやら、一人で泣いていた私を放っておいてはくれなさそうな雰囲気だ。


「あれ? 違った? つか、そんなことはどーでもいいんだよねー。子猫ちゃんさ」

「だから吾輩は猫では」

「もうそのくだりはいいから。何か用があるなら早く話進めてくんない?」


 完全に八つ当たりだ。自分でもわかっている。凄く無礼な態度をとってしまっていることは。

 しかし子猫は、少し眉根を寄せただけで、私が催促した話の続きをし始めてくれた。


 ネズミも猫も、すごく人間ができてるなー。人間の私よりずっと。


「では娘。さっきから飽きもせずにぐるぐるぐるぐるとやってるようだが。もしかして、本当に継子つぐこじゃなく稀人まれびとなのか? 吾輩もそれなりにここに長くいるが、稀人など見たこともないが……」

「あーもう。みんなしてさっきから私のこと稀人稀人言ってるけどさー。つかさ、まず、稀人って何?」


 多少刺々しい話し方になっているであろう私を相手にしても、この子猫は一切気分を害した様子は見せず、非常に穏やかで、かつ理知的な話し方をしてくれるようだった。


「読んで字の如く。まれに来たる人。他界からの来訪者……新たなる風。新しい何かをもたらす者……というような意味合いの言葉だが。それを知らぬと言うことは、お嬢が助けてあげて欲しいと言っていた稀人とやらは、やはりお前のことのようだな」


 お嬢? お嬢って誰のこと? 助けてあげて欲しいと言っていた? 私を? 

 ……まさか。


「そう言えばお嬢は、ここのことを天神様の細道と呼んでおったようだが……。この場合の天神様は菅原道真公すがわらのみちざねこうのことではなく、天津神あまつかみという意味なのだろうな。いやそもそも、お嬢はそこまで考えておらんか……。でもまあ、通れと言ったり通せぬと言ったりだからな。言い得て妙ではある」


 天神様の細道! たしかネズミがその言葉を使っていた。


 ――このまま天神様の細道を進むと、どんどん夜が深くなって、そのうち帰れなく……。


 やっぱり、お嬢って言うのは、あの親切なネズミのことに違いない。

 わざわざ黒猫に、私のことを頼んでくれていたのか……。あんな仕打ちをしちゃったのに。


 なんて……なんていい子なんだろ。


 そう言えば、あの親切なネズミ――お嬢? はこうも言ってなかったか?


 ――何かあったら黒猫を頼って。きっと力になってくれる。


 そうだ。確かに言ってくれていた。そしてその時のために、事前に黒猫に私の話を通しておいてくれたということか。


 ありがとうお嬢。本当に。


「私、ホントは、一人じゃどうにもならなくて。助けてくれる?」

「無論」


 こともなさげに、黒猫はそう言い頷いた。

 泣いている女の子が目の前にいるのだから、助けるに決まっているだろうとでもいいたげだった。


 ああ……そうか。黒猫は、暗い夜道を照らしてくれるとかなんとか……言っていた。


 今度こそは、絶対にお嬢の言うことを聞かなくては。

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