第33話 しずまぬつき❤

 似非調娘えせつぎこは、美しい顔をぐにゃりと歪めてナツメを睨みつけた。

 ナツメはうやうやしく頭をたれ、似非調娘の憎悪に満ちた視線を涼しそうに受け流す。


「今のあなたが繰り出されるお言葉には、ニャニャミャイの心は何一つとして、動かされませんでした。義兄様あにうえさま……あなたは変わってしまわれた」

「変わったのは俺じゃない。周りだよ。貴様が全てをおかしくしてしまった。貴様などを取り立ててやったばかりに」

「ニャニャミャイが、義兄様あにうえさまを変えてしまったと?」


 ナツメは、悲しそうに似非調娘を見つめ返した。


 え? ナツメ今、似非調娘のことを義兄様あにうえさまって呼ばなかった?


「そんなことより、これは一体、どういうことだ? なぜ迷家は調娘を守ろうとしない? これも貴様の仕業なのか?」

「はて? なんのことやら。何かがおかしいと思われるのなら、ニャニャミャイにではなく、迷家に直接お尋ねになられたらどうです」

「減らず口を……貴様……何をした?」


 ナツメたちが再び話し始めたので、はっと我に返る。

 いけないいけない。驚きで動きが止まってしまっていた。

 かつてのナツメと似非調娘の間には、何か因縁めいたものがあるのだろうと薄々察してはいたが――まさか、義兄様あにうえさまときたか。


 ナツメのこと、もっともっと知りたい。知りたいよ。だけど、ナツメはナツメなのだから。

 それに、何より今はまだ戦いが終わったわけじゃない。


「このむすめが、迷家内にある空気を全て持って出るなどと荒唐無稽な戯言を」

稀人まれびとは、迷家にあるものを一つ、なんでも自由に選んで持ち還る事ができる。何一つ、禁忌は犯しておらぬ」

「白々しい……それは、調娘に危害を加えぬ限りにおいてだろうが」


 一連の会話で、ナツメは今の状況を瞬時に把握してくれたようだった。

 すなわち、プランBの進行中である、と。


 ナツメが私に視線を送り、強く頷く。よくやった、と顔に書いてある。


「さあククリ。贈りをものを持って、結界のこちら側へ。そやつは調娘。それを阻むことは出来ぬし、結界を越えて追ってこれぬだろうよ」

「ナツメ!」


 私はダッシュで鳥居をくぐり、結界を越えてナツメのいる常夜とこよ側に抜け出した。

 ナツメは私を守るように私の前に立ってくれた。


「よく……一人でやり遂げてくれた」

「マジでさぁ……完全に無茶振りじゃーん」


 涙が滲んでくる。ナツメの労りの言葉が心に染み渡る。


 あいつ、めちゃくちゃ頭良さそうだったし! いつバレるかと!

 ナツメがいなくてどれだけ心細かったか!


「ババーン! ナツメだけじゃなくボクもいる。身体からだと名前、返してもらうから」

「ツキミちゃんも!」


 ツキミちゃんが曲がり角の向こうから走ってくる。

 来た! 私達の切り札。最高のタイミング。


「ボクは、ククリちゃんなら大丈夫って思ってた。ナツメはそわそわしちゃってたけど」

「な? 違うぞ! ニャニャミャイが不安だったのはククリではなく、ニャニャミャイの考えた作戦の方だよ。ククリのことはニャニャミャイだって信じておった」

「じゃあ、そーいうことにしといてあげる。ククリちゃんの前だし」

「むう……なんだその含みのある言い草は」


 かわいらしい二人のやり取りが聞こえてきて、ああ……二人のもとに戻ってこれたんだ……という実感が湧いてくる。

 と、庭にいたニワトリとヒヨコたちが急に苦しみだした。ぴくぴくと痙攣し数羽がその場で倒れる。


 ナツメが、口をきゅっと結び、目を伏せた。


「始まったか……許せ」


 似非調娘が口に手をやり閉じた。


「なんだ? まさか本当に空気が?」


 その行為に意味があるとは思えないが、それが精一杯の抵抗だったのだろう。

 似非調娘は、狼狽した様子でニワトリたちを凝視している。


「こんなことが、許されて……。おい! 迷家! 貴様一体、何をしている! 俺は調娘だぞ! なぜ調娘を守らない! それがお前の仕事だろーが!」


 しかし、迷家は無反応だった。


「なぜ何もしない! 俺は調娘! 宿里月海やどりつきみなんだぞ! くそぉ……」

宿里月海やどりつきみは、あなたの名ではないよ。義兄様あにうえさま

「黙れ! 咎人とがびとごときが、調娘に逆らうか!」


 混乱した様子の数匹のニワトリが慌てて結界の方へと走っていくが、結界に阻まれて外には出られず、そこで苦しそうに暴れていた。が、やはり、次々に力尽きて倒れていく。


「こんな……こんなふざけた話が……まかり通って。なぜ迷家はこれを許している」

「さあ、どうする? そこにいては、ニワトリたちの二の舞いだ。だがあなたなら、結界を越えてこちら側に逃げられる。ニワトリと違って」

「いい加減、諦めたら? 死んだらおしまいじゃん」


 そういった私を見て、似非調娘は顔をぐにゃりと歪める。怒っているのか悲しんでいるのか……判別のつき難い、複雑な表情だった。


「なぜだ! 答えろむすめ! なぜみんなこいつばかりを……私の何がこいつに劣るというのだ?」

「まだ分からないのですか? 義兄様あにうえさまは何一つ、ニャニャミャイに劣ってなどおりません」


 ええ? そうかもだけど、今、それ言っちゃっていいの?


 だけど、ついそう言ってしまったナツメの複雑な心境は理解できる。

 かつては義兄様あにうえさまと呼び、慕っていた似非調娘が、自分ごときに劣ると言ったのが、どうしても我慢できなかったのだろう。


 ナツメはそういう人だから。だからこそ、好きになってしまったのだ。


 私のかわりに応えたナツメを射殺さんばかりの目で睨みつけた後、意を決したように似非調娘がコチラに向かって走ってくる。


「くそぉ……どけ!」


 結界の前で群れるニワトリを弾き飛ばし、似非調娘が結界の外に走り出た――調娘と迷家のリンクが途切れる――ツキミちゃんが身体からだと名を失ったあの時と同じく、迷家が空き家となった。

 

 ついに――結界が消失した。


 次の瞬間、夜が空間を侵食していく。

 朝と夜に切り分けられていた空が、夜一色へと切り替わっていく。

 常夜側から夜空が伸びていき、空を飲み込むように迷家の周辺を暗くしていった。


 朝を迎えていたはずの迷家の周囲が、一転して夜に切り替わる。

 結界で防いでいた常夜の影響がなだれ込んだのだろう。


 日曜の朝になるのか? はたまた土曜の夜を繰り返すのか。運命の分かれ道――それが今、この瞬間に決したのだ。


 その場にいた誰もがその光景を呆気にとられてみていたが、私はいち早く我に戻った。


 まだ、やるべきことが残っている! 私の、最後の、最重要なお仕事!


「かくほー」


 私は、似非調娘に飛びついた。

 似非調娘の身体からだは四、五歳程度の少女である。十四歳の女子中学生である私が組み伏せるのは、体格的に全く難しいことではない。

 今まではただ、それをするわけにはいかなかっただけだ。


「な、何をする貴様! 離せ! 調娘に危害を加えるなど、迷家が許しは……」


 ナツメが、私に組み伏せられている似非調娘の顔の前に立ち、似非調娘を見ろした。


「ここはもう……迷家ではないよ。調娘と言えども、迷家が無ければただの人だ。それはあなたが、一番わかっていることでしょう」


 ナツメの顔は、なんだか少し悲しそうに見えた。


「まさか……義兄様あにうえさまともあろうお方が、ニャニャミャイごときに遅れをとる日が来るとは……。いや、ニャニャミャイではあるまい。稀人ククリと調娘のツキミに負けたのだ。ニャニャミャイだけではどうにもならなかった。やはり……ニャニャミャイにとって義兄様あにうえさまは、どれだけ追いかけ続けても、いつまでたっても手が届かぬ……遠い遠いお人だったよ」


 ナツメは、常夜に浮かぶ月を見上げてポツリという。


「あの、決して沈まぬ常夜の月のようにな」


 月を見つめるナツメの瞳は、一途な憧憬の念に溢れている。まるでそれを必死に真似しているかのように、同じ色に輝いていた。

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