第14話 いけめんむーぶはずるくない?❤
我儘な子をあやしつけるように、ナツメは辛抱強く穏やかな口調で話し続けてくれた。
おかげで、不機嫌になっていた私も少し落ち着きを取り戻してきた。
「ニャニャミャイには、やって見ることすら難しい。ニャニャミャイは常に見られているからな」
「見られてる?」
「ああ、そうだ」
ナツメはそう言うと、小さなため息を漏らした。
よくよく考えて見れば、ナツメが今まで何もしなかったというのはおかしすぎる。
ナツメはいろいろなことを考え、調べて、試してみることが大好きなようだし、何よりも、ナツメがお嬢のために動こうとしないなんてことがまずありえない。
お嬢と違って、何の恩も義理もない私のためにすら、尽力してくれようとするやつなのである。
「見られてるって誰に?」
「この先にいる
似非調娘。
つまり――お嬢の名前と
「
調娘はたった一人でここら辺一帯を治めているらしい。迷家の絶対的な力がそれを可能としているのだろう。
「彼の者は、元々格式高い名家の生まれでな。その誰もが知るであろう誉れ高い家名に恥じぬだけの力量を持った、とても優秀で真っ直ぐな
この話しぶりからするに、似非調娘は、ナツメが咎人になる前――まだ人の姿をしていた時からのナツメの知り合いのようだ。
「だがなぜか、格も実力も何枚も劣るであろうニャニャミャイごときのことが気に入らんかったようでな。ある時から、ニャニャミャイのことを寒門の出の下賤な成り上がり者だと言いだし、遠ざけ始めた。まあ、その通りではあるのだが」
二人揃って咎人になっている当たり、ナツメと似非調娘は何かしらの浅からぬ因縁を持っているのだろうか?
「あれから何年たったのか……。それでもなお彼の者は、今もあの頃と何ら変わらず、ニャニャミャイに対して強い警戒心を持ち続けておるようなのだ」
その気持ちはなんとなく分かる。
似非調娘だけじゃない。お嬢もそうであったのだろう。お嬢はナツメをゴミ山の賢者と呼び、自分とは違い賢くて勇気があると言っていた。
私も同じだ。なぜだろうか? こんな小さな子猫の姿へと身をやつしていても、ナツメにはとても大きな器を感じる。
全てを許し、包み込んでくれそうな圧倒的な雄大さというか……。
人間力とでも言うべきものを感じてしまうのだ――まあ、猫なんだけど。
「今の彼の者は調娘。調娘は迷家においては絶対不可侵な存在だ。対してニャニャミャイは咎人に堕ち、全てを失ったまま。今のニャニャミャイには何の力もないし、万に一つも勝ち目などないのだがな――む? そろそろ来たかな。さて、お喋りはここまでとしよう」
霧が立ち込めてきた。言いたかったことがまだ全然言えてない。聞きたいこともまだまだたくさんある。
なのに無駄にカッとなってしまって貴重な時間を潰してしまった。
私は……本当に人間が出来てない。人間のはずなのに。
伝えたいことがいっぱいいっぱいあるけど、今は我慢するしかない。
霧が少し出てきたと思った次の瞬間には、視界が完全に持っていかれた。世界が真っ白になってほとんど何も見えない。
分かっていたはずのに、恐怖で心が乱される。前も後ろも、右も左も分からなくなった。
心細くなってナツメの名前を呼ぶ。
「ナツメ? どこ? 何も見えないよ」
「ここだ。大丈夫。すぐとなりにいる」
足元に何か柔らかいものが当たった。ナツメが、とんとんと前足でつついてくれたようだ。柔らかい肉球の感触がした。
足元を見ると、白い霧の中でも、真っ黒なナツメの
「ナツメ……良かった」
ほんと……何が相棒だっつーの。これじゃあ私が、一方的に助けられてるだけじゃん。
「ニャニャミャイが誘導する。ニャニャミャイの揺れる尻尾を目印にしろ」
「ええ? そんな無茶な」
ナツメの声質は、持ち前の妙に大人びた口調と違い、小さな男の子のようにかわいらしいものであるのだが――いや……むしろだからこそなのか?
「大丈夫だ。ニャニャミャイを信じろ。ニャニャミャイだけを見つめてついてこい。必ず、ククリを迷家に連れて行く」
真剣な眼差しでいきなり信じろだの、ニャニャミャイだけを見つめてついてこいだのと、きっぱりはっきり言われてしまうと、ちっちゃくてもやっぱりちゃんと男の子してるんだなって思っちゃうし、キュンってなってしまう。
「うう……だから、不意打ちイケメンムーブはずるくなーい? 分かりましたー。信じますー」
ナツメはゆっくりと進みだした。大きく左右に尻尾を振りながら先導してくれる。黒い色をした尻尾を、大げさに揺らしてくれているので動きがついていて見つけやすい。振ることによって、多少は霧も払えているようで、その効果も大きいのかも知れない。
いくらかそのまま進んだが、霧はいよいよ深くなってきて、その揺れる尻尾すら見えづらくなってきた。足がすくむ。
そうなるともう、やはりナツメの名前を呼んでしまうのだった。
「待ってナツメ。これじゃ尻尾すら見えないじゃん! ナツメ? ナツメ?」
「落ち着けククリ。ニャニャミャイはここだ。そうだな……」
また、とんとんとナツメが足をつついてくれた。それだけですっと気持ちが楽になる。
そうして私を安心させながらも、ナツメは、いよいよ濃くなってきた霧の対策を思案しているようであった。
「……えーい! 分かった! この手を使うのはニャニャミャイも本当は凄く嫌なんだが……嫌なんだぞ? だが、もはやこうなってしまっては、あれをやるより仕方があるまい。最終手段ってやつだ」
「あ、あれ? 最終手段?」
ナツメは、覚悟を決めるように少しを間を開けた。緊張が伝わってくる。私もゴクリと生唾を飲み込んでしまった。
ナツメは何か、リスク覚悟の秘奥義的な切り札を隠し持っているとでも言うのだろうか?
「ククリ!」
「は、はい!」
「ニャニャミャイの尻尾を掴め!」
「え? 尻尾? 掴む? わかった! 掴んだらどうなんの?」
「どうなるとは? 掴んでおれば、尻尾が見えなくても案内出来るではないか」
んん? まあ、そりゃ確かにね。なるほどです。
でも、それだけ? それが……最終手段なの?
「いいか? ニャニャミャイの尻尾は物凄くデリケートなんだからな?
本来これが自由に動かせぬと、
だからな。いいか? そっとだぞ? そっと。絶対だぞ?」
必死にそっとだぞと言っているナツメの声を聞いていると、なんだか自然にクスリと笑いが出てしまった。
やっぱり、かわいいなー。
不安がどこかに吹き飛んでしまった。
大好きな子猫の尻尾をそっと両手で包み込むように掴む。暖かった。安心するぬくもりだ。
「ふさふさしてるー」
「ふふん! まあ、自慢の尻尾だからな。とは言え、口惜しいことに自慢している時間はない。少し時間を使い過ぎた。霧が晴れぬうちに進まなければ」
「うん。だね。おっけ」
ナツメは再び霧の中を進みだした。ナツメの尻尾を握った私がそれについていく。ナツメのぬくもりに触れているだけで、何も見えない霧の中でも、何も怖くないのが不思議だった。
「だいじょぶ? 痛くない?」
「大丈夫だ。ククリこそいいな? 慌てず速やかに、だ」
尻尾をこまめにピクピクと動かしてこっちだと先導してくれる。なるべく強く引っ張らないようにゆっくりと進んだ。そして――。
「よし! 抜けた。ついたぞ!」
一足先に霧を抜けたナツメの言葉が終わるか終わらないかといううちに、私の視界も唐突に晴れた。
開けた広場の中央に、ぽつんと佇むように、藁の束が重ねられた藁葺き屋根の屋敷が立っている。屋敷の敷地は竹垣で覆われていて、入り口には門のように鳥居が建てられていた。
屋敷の建築様式は明らかに近代的なものではなく、かなり古い伝統的な工法が使われているように見えるのに、その屋敷はなぜか時間の経過を全く感じさせず、建てられたばかりであるかのように真新しく見えた。
まるで、古きゆかしき物語から、そのまま抜け出してきたかのようである。
手作業で丁寧に組み上げられたのであろう藁葺きの屋根は、穏やかな風に吹かれて微かに揺れている。柔らかな月の光を浴びた藁が黄金のように輝いていて、とても綺羅びやかに見えた。
壁は塗られたばかりに見える白い漆喰。木製の戸や窓がどこか温かみを感じさせる。漆喰の壁には蔦が優雅にからみつき、緑が壁面をやさしく覆い隠していて、静寂な雰囲気を醸し出していた。
敷地内の庭には一面に草花が咲き誇っているのだが、不思議なことに春夏秋冬四季折々の花たちが全て一度に開花している。
庭には小さな畑があり、様々な野菜や果物が作られているようだが、これも草花同様に、全ての季節の野菜や果物が一斉に収穫期を迎えているように見えた。
ふと、桃源郷という言葉が頭をよぎる。
ニワトリとヒヨコが数羽放し飼いにされているが、このニワトリたちもまた、金の卵でも生むというのだろうか?
まあ……さすがにそれは無いか。
でも、そんな気にさせる雰囲気の屋敷だったのだ。
ついにループを抜けたその先。迷家のある場所へと辿り着いたのだった。
――あとがき――
第3章まで読んでいただきありがとうございます。
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