第39話 みえないふり❤

「ナツメ、ほんとお風呂好きなんだねー。でもさ、もう一つの約束も覚えてるよね?」


 私の言葉を聞いた瞬間に、ナツメのゴロゴロ音がぴたりと止まってしまった。


「ナツメ?」

「ん。……そうだな……なんだったかな?」

「だからー、三人一緒に現世うつしよ……」


 ナツメと楽しくお喋りをしながら、シャワーで泡を綺麗に荒い流していると、ナツメは突然、ぶるぶるぶると身体からだをふるわせて、身体からだにつく水滴を弾き飛ばした。


「うわ。ちょっ!」

「すまんすまん」


 ナツメがいたずらっぽく笑ったので、こいつ、わざとやったな? と思った。


「もー、ナツメもこんなことするんだー」


 ナツメにも、意外に子供っぽい所があるらしい。


「なあ、ククリ」

「んー? なにー?」


 びちゃびちゃになった顔をタオルで拭いていると、ナツメが静かな口調で語りかけてきた。


「本当に、すまん……」

「いいよいいよ。久しぶりのお風呂でテンション上がっちゃったんでしょ?」

「そうではない。結局……ククリを継子つぐこにしてしまった」


 タオルから顔を出して、ナツメをじっと見つめる。さっきまでの幸せそうな表情とうってかわって、なんだか少し憂いを帯びているように見えた。


「なんで? ナツメははちゃんと進むか戻るか選ばしてくれたじゃん。選んだのは私だし」


 ナツメは、クスリと小さく笑った。


「全く稀人まれびとというやつは。ことの重大さをまるで理解しておらん。だがあえて言わせておくれ。よくぞ、ニャニャミャイの前に現れてくれた。ククリのお陰で全てが変わった。この恩、ずっと忘れぬよ。ずっと」

「なに? 忘れていいよそんなの。私たち、唯一無二の相棒なんだからさー。これからもいろいろ楽しいこと一緒にやるんだし?」

「ああ……そう、だな。全く、その通りだ」


 ナツメは顔洗うと、気分を切り替えたようで、ひょいっとジャンプして湯船の中に入る。そして、すいすいと楽しそうに泳ぎだした。

 猫のくせにお風呂が好きなだけじゃなく、楽しそうに泳いでるなんて。

 ほんと変わった子。


 まあ、猫じゃないらしいけど。


「数十年ぶりの極楽だ。次はいつになるか分からんでな。せっかくのヒノキ風呂だし、存分に楽しませてもらおう。ニャニャミャイはもう少し暖まってから出るよ」

「そっか。じゃあ、ゆっくり楽しんで」


 次はいつになるかわからないって、大げさな。まあ、久しぶりなんだろうから分かるけどさ。

 現世うつしよに戻ったらお風呂なんて毎日入れてあげるのに。

 でもまあ、うちのはこんなに立派なお風呂じゃないもんね。



***



 ナツメの命の洗濯たるお風呂タイムが終わり、私とナツメは応接間として使われている茶室に通された。座布団を勧められ、私が座ると、その横にナツメはぺたりと座り込んだ。

 私はナツメを抱き上げ、ナツメの身体からだに顔を埋めてみる。


「な、なんだ?」

「んーおっけ。いい匂い」


 さっきまでの生ゴミの匂いと糞尿臭が混ざった悪臭はしっかり消えていた。

 代わりに猫特有の、ほのかに甘い匂いがする。

 干したてのお布団、焼きたてのパン、クッキー、ポップコーンなどなど、いろんな比喩表現が使われる猫の匂いだけど、私はお日様の匂いっていう表現が結構好きだ。

  

 漆黒の毛並みに金色の目を持つナツメの場合、お日様の匂いっていうより……なんだかやさしいお月様の匂いって感じがする。


 ナツメの匂いを堪能していると、ツキミちゃんが緊張した面持ちでこちらを伺っているのに気付いた。

 私はナツメを降ろして、ツキミちゃんを見た。


「あ、ごめんごめん。ツキミちゃんどうぞ」

「そ、それじゃあ……」


 そう言えば、ツキミちゃんは稀人をお迎えしたことは無い、と言っていた。だからこんなに緊張しているのか。


「迷家を訪ねてくれたお客様に、ご飯と寝る場所を用意する。だよねツキミちゃん?」

「うん。でもククリお姉ちゃんはもうご飯食べちゃったみたいだけど……」

「あー……あんなんノーカンノーカン。ちょっとお菓子食べただけだし。やっぱり本物の調娘であるツキミちゃんにやってほしいかな?」


 ツキミちゃんは、ぱっと嬉しそうな笑顔になり頷いた。


「少し、待ってて」

「じゃあ……私も手伝うよ」


 立ち上がりかけたが、ツキミちゃんは頭を振った。


「いい。ククリお姉ちゃんは大切なお客様で、これはボクの大切なお役目だから」


 ツキミちゃんは気合の入った顔で夕飯の支度をしにいった。



***



 黄泉よみかまどで炊いたご飯と、庭で取れたお野菜と果物。お味噌汁。それに卵。卵は恐らく、にわにわたちが産んだものなのだろう。


 ツキミちゃんが作ってくれた夕食は、シンプルだけど本当に美味しくて。


「はい。ナツメにはこれ。ねこまんま」

「な! ニャニャミャイは猫ではない!」

「いらない?」

「……いや……ありがたく頂こう」


 笑いが絶えない本当に楽しい夕食会になった。楽しすぎて少し夜更かしてしまったが、ツキミちゃんが用意してくれたフカフカの布団で眠りについた。

 ナツメは少し嫌がったが、抱きしめて寝ることをしぶしぶ了承してくれた。


 幸せそのものな気分。そして、明くる日を迎える。



***



 ナツメのもふもふのお陰でぐっすり眠れて、清々しい朝を迎えられた。

 朝起きるとすでにナツメはいなかったが、あの柔らかくて温かい幸せな感触は、まだ頬に残っている。


 身支度を済ませて、幸せいっぱいの気分で応接間に向かう。

 これからは、ナツメとずっと一緒だ。きっと、楽しいことがいっぱいいっぱい待っている。


 私はこれまで。

 退屈だ。大冒険がしてみたい――なんて気持ちを漠然と抱えて生きてきた。

 けど、それは多分、少し違ったのだ。別に大冒険じゃなくていい。

 ナツメと一緒なら、何をしても特別で、楽しいと思えそうだから。


 応接間につくと、すでにお見送りの用意を終わらせた調娘のツキミちゃんが待っていた。

 ナツメとツキミちゃんは寄り添うように立っている。二人は何かを真剣な表情で話していた。


「いや、ニャニャミャイが自分で言う。それが最低限の礼儀というものであろう」


 何の話をしていたのかよく分からなかったが、そんな風なことを言っているのが聞こえた。

 ツキミちゃんが、ナツメの頭をいたわるように撫でていた。


「おはよー。ナツメ、ツキミちゃん」

「おはようございます。稀人様」


 恭しく、ツキミちゃんが頭を下げた。


「わ、なになに? さすが本物の調娘つぎこ。様になってるー。ね、ナツメ」

「稀人様に、大切なお話がございます」

「ありがとうお嬢。でもやはり、自分で言わせておくれ」


 ツキミちゃんが何かを言おうとしたようだが、ナツメがやんわりとした口調でそれを止める。ツキミちゃんはナツメの顔をしばらく見つめ、そして小さく頷くと一歩引いた。

 代わりにナツメが私の前にとことこと歩いて来て、じっと私の目を見た。そして。

 

「お別れだ。ククリ」

「な、なに? どーしたのナツメ?」

「お別れだ」


 とても短い、別れの挨拶だった。それ以外には何も言おうとしない。言い訳も説明も何もしてくれない。


 だけど、本当は――その言葉に驚きは無かった。

 だって私は、本当はこうなると思ってたんだ。


 出来るだけ、見えないふりをしていただけだから。




――あとがき――

第8章まで読んでいただきありがとうございます。

面白いと思ってくださった方は、是非フォローと★でのご評価をお願いします。

次話から、最終章。残り数話で完結予定です。

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