第8話 おかしなつぎこ❤

 時間が前へと進んでいかず、ずーっと夜の世界――常夜とこよ


 私がこの常夜に迷い込んでしまった時、真っ先に私を心配して声をかけてきてくれた親切なネズミ。

 なのに私は、冷たい対応をしてせっかくの忠告も台無しにしてしまった。

 それにもかかわらず、私のことをナツメに頼んでいてくれたらしい。


 そんな心やさしいネズミのことを、ここに住むナツメたちはお嬢と呼んでいるようだった。


「だが、お嬢だけは違う。ニャニャミャイらと違い、あの娘は決して咎人とがびとなどと呼ばれるべき存在では無いのだ」


 自分の話を終えたナツメは、今度はお嬢について話しはじめた。


「そもそもお嬢はニャニャミャイらとは出自からして違う。お嬢は、元継子もとつぐこではない。お嬢は――調娘つぎこだった」

「へ? つぐ? つぎ? んん? なんか違うの?」


 お嬢という呼び方からして、ナツメたちは大きな親愛と少なくない敬いの気持ちを込めてそのように呼んでいるように見える。

 失礼ながら、ぱっと見はただのドブネズミにしか見えないのだが、彼らにとって、お嬢が何かしら特別な存在であることは、ナツメの態度からもなんとなく察せられる。


「つぐこではなく、つぎこだ」

「ややっこしいなー。継子つぐこ調娘つぎこ?」


 わざとなのかなんなのか、微妙に名前が似ていてややこしい。


「調娘は……調しらべるむすめと書く。読んで字の如くの役割だが、代々にわたり継子を監督し、咎人を監視し、迷い込んだ稀人まれびと継白つくもを与え、新しい継子を生み出すというお役目を担っている家系だ」


 ナツメは地面に『調娘』と書いた。やはり、達筆な文字だった。


「ここから少し先に進むと、調娘の管理する迷家まよひがという屋敷が有るが、お嬢は通常ならそこで大事なお役目についているはずの身だ。

要は、ここら辺一帯を任されて取り仕切っている神職の一族と言うわけだな。

調娘の始祖。初代の調娘は付喪神つくもがみであったとも言われていてな。自らに続く付喪つくもを生み出すために迷家を作った、とも言われておる」


 ここら辺一帯を任されて取り仕切っている神職の一族?

 なんでそんな偉い人があんな姿になって、泥水なんかを……。


「まーよーするにお嬢は、元々はみんなをとりまとめてた領主様で、すっごく偉い巫女さんでもあったってこと?」

「まあ、その認識で良かろう」

「で、そのお嬢が管理していた迷家? って呼ばれてる領主の館がこの先にある、と」


 ナツメは、頷きながら話を続ける。


「ふむ。迷家は現世うつしよと常夜の狭間にあるとされ、その両方に繋がっている。

それ故、迷家には、不浄なるもの――要は人外の者である咎人を寄せ付けぬための結界が張られている。

ニャニャミャイら時の牢獄の住人たちが、現世うつしよへと脱獄せぬようにという事だな」


 ナツメは、自嘲的に笑った。またこの、自分を卑下しきっているような笑い方。

 私はこの顔が好きじゃない。もしナツメがここから出られる日が来たら、こんな顔をするのを止めてくれるのだろうか?


「そんなわけで、ニャニャミャイらは迷家には入れぬが、もし迷家を訪れることがあったとしても、人の身であるククリなら問題なく結界を越えられよう。ただ……今、迷家を訪れた所で、そこにお嬢はいないわけだが」


 まあ、そりゃそうだろう。お嬢はネズミの姿になり、ナツメたちと一緒にここ、常夜にいるのだから。

 私が聞きたいのは、そこら辺の事情なのである。


「今のお嬢は、人の形を失ったせいで、人外を寄せ付けぬ結界に阻まれるようになり、迷家に戻れなくなっておる」


 ナツメの話から察するに、咎人を監視していたはずのお嬢が、何らかの原因でネズミの咎人の姿になってしまい、自らも常夜――時の牢獄の住人になってしまった、ということのようだった。


「ここからは少し話が長くなるが」


 ナツメは、少し懐かしそうに目を細めた。


「調娘にしてはまだ幼い年齢だったせいもあろうが……お嬢は調娘のくせに妙に怖がりだった。いや……そうか。今にして思えば、あれはお嬢のことを誰よりも理解していたのであろうお嬢の母君。先代の調娘による適切な教育の賜物だったのかもしれんな……」


 何かしら思うところがあったのだろう。ナツメは物思いに耽るように少しだけ話を中断したが、すぐに続きを話しだした。


「最初はニャニャミャイらのことを怖がってばかりでな。ちょっと迷家に近づいただけで取り乱すので、手を焼かされたものだった。ニャニャミャイらは結界がある限り何も出来などしないというのに。

だがお嬢は、基本的には好奇心が強く、そして何よりも心根の優しい娘であった」


 ナツメはこうして、お嬢がなぜこうなってしまったのかをポツポツと語りだしたのだった。


「しばらくして、ニャニャミャイらが何もしてこないと思い始めたのだろうな。そうなってからは逆に、常夜のことやニャニャミャイらのことをいろいろと知りたがってな。

ニャニャミャイは、結界越しにだが、暇つぶしにお嬢の話に付き合ってやったりするようになった。無視しようとすると、すぐさま泣きだしそうになるもんでな」


 私の時もそうだった。

 ナツメはどうも、泣いている人をほっておけない質のようだ。


 しかしなんだか、結界越しのコミュニケーションというのも、中々にもどかしいものを感じてしまう。

 どんなに仲良くなっても、触れ会うことは叶わないのだろうから。


「まあ、迷家にはお嬢だけしかおらん。話し相手が欲しかったのだろうよ。

ニャニャミャイと話をするようになってからは、咎人というもののイメージが変わってしまったようでな。教わっていたのと全然違う、と驚いておった」


 ナツメはなぜかそこで一度話を区切り、ぐっと堪えるように息をつまらせた。大きな後悔を感じているように見える。


「……そのせいもあったのかも知れんな。お嬢は、迷家から見えるこちら側の惨状に心を痛めているようだったよ。

ニャニャミャイらに少し慣れてくれてからは、何度も新鮮な食べ物などを差し入れてくれた。

調娘は迷家の結界の外。つまり、常夜側へと出ることを禁じられておる。故に、食べ物を物干し竿にくくりつけたりしてな。恐る恐るという感じでこっち側に落としてくれたりした。そうしておいて、結界の向こうからおっかなびっくりといった様子でこちらを伺っている……という感じであった」


 ナツメの語りからは、お嬢に対する深い愛情が滲み出ている。

 あまりにもお嬢との思い出を大切そうに語るので、ちょっと嫉妬してしまいそうになる。


「ニャニャミャイらのことを怖がっているのか、それとも親しみを持ってくれているのか、それすらもよく分からんむすめだったよ。

そもそも調娘がニャニャミャイらを怖がるのも、興味を持つのも、どちらにしろ珍しいことなのだがな。

普通の調娘にとって、成り損なった落語者たる咎人など、取るに足らぬ路傍ろぼうの石に過ぎぬのだから」


 ナツメはまた自罰的で、かつ自虐的に笑った。

 私はこの時には、すっかりこの紳士的な子猫のことが大好きになっていた。

 だが、どうしても、時折見せるその笑いかただけはあまり好きになれなかった。


「差し入れてくれた食事をニャニャミャイらが有り難く頂戴すると、お嬢はこう……ホッとしたような顔になってな。それからにっこりと嬉しそうに笑っていた。その顔がとても愛らしくてな。暖かった」


 ナツメはゴミ山の頂上に置いてあったケロリン桶を誇らしげに見た。


「本当に……おかしな調娘が来たものだと思ったものだ。それからいろんなものを差し入れてくれるようになってな。あのケロリン桶もお嬢がくれたものだ」


 そっかあれ。だから大切そうにしてたんだ。


 ここに暮らしている人たち――あえて「人たち」と言う事にする。ナツメやお嬢と触れ合って、そう呼ぶべきだと私は感じたから。


 ここに暮らす人たちにとって、お嬢がどれだけ大きな救いをもたらしてくれた存在であったのか、ナツメの話しぶりからそれが伝わってきた。


「で、そのすっごく偉くて、なのに愛くるしかったはずのお嬢が、なんであんなことに?」


 懐かしそうに目を細めていたナツメの表情が一変した。

 私の質問を聞いたナツメは、ひどく不愉快そうな、苦虫を噛み潰したような顔になった。


「かいつまんで言えば、ある咎人を憐れんで禁忌を犯した……と言うことになるか。

中々心を開こうとしない彼の者に対しても、お嬢は別け隔てなく接していたというのに……いやむしろ、一番気にしてやっていたくらいだ」


 その時のことを、思い出すだけで虫酸が走る――ということなのだろう。


「彼の者は、お人好しのお嬢の目の前で――つまり、迷い家の結界の前で、藻掻き苦しむ姿を演じてみせた。

それまでお嬢が必死にあれやこれやと苦心しても、決して食べようとしなかったお嬢がくれた食い物を、やっとのことで口にし、お嬢の瞳が輝いた――その直後にな。

お嬢はそれを見て、慌てて結界をこえてこちら側に足を踏み入れてしまったのだ。禁忌を犯してな。

最初はあんなに怖がりで、滅多にニャニャミャイたちには近づこうとしなかったくせに……一体何を考えていたのやら……だからっ」


 苦悶の表情を浮かべながら、苦しそうな口調で語る。怒っているのかそれとも悲しんでいるのか、なんとも言えない表情である。


「だから……咎人であるニャニャミャイなんぞに、深く関わらないほうがいいと言ったのだ」


 今にも自責の念に押し潰されてしまいそうなナツメの歪んだ表情を見ると、私まで胸が痛くなってしまう。


 ナツメは、お嬢がこうなってしまったことに対して、責任を感じているようだった。

 友人のように接し、振る舞ってしまった自分の存在が、お嬢の咎人への警戒心を緩めてしまった――そう感じているんだろう。


 そうしてナツメのお話は、ついにお嬢がこうなってしまった核心部分へと差し掛かっていくのだった。

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