ぜんぜんスローじゃないライフ

 森で暮らしたければ薪が要る。煮炊きに風呂に明かりに暖を取るのに、何をやるにしても火を使う。二人は敷地裏手の森に分け入り倒木を探し、エルロの術で薪の長さの丸太に玉切り加工、これを割って初日の薪に当てた。


 斧は騎士だか前の住民だかが残した立派な斧がある。あとは割るだけ――ともいかない。エルロには時間がかかりそうな鬼の修理を優先してもらい、食材の確保もアウルが担った。


 狩人の経験を活かし、森の獣道らしき筋に小さな獣用の罠を仕掛け、薪割りに戻って将来的な薪の量を計算する。


 役人が再訪するまでに用意できる薪は――一ヵ月もつかどうか。乾燥も足りない。当面の使用分は購入してしまうのがいいかもしれない。そこから先は冬を見なくてはいけない。可能な限り自給自足がいいといっても、寒さに震えるのは耐え難い。


 当分は薪割りで一日が終わるだろう。

 初日の夜、持ち込んだ肉と豆で煮物を拵えながら、アウルはため息をついた。

 仮に二、三年はメーン市の郊外――というより辺境――で暮らすと考えたら、毎度のように薪を買ってはいられない。とはいえ、エルロの躰も一つしかないわけで。


 だらだら倒木を探すよりは――。

 その一心で、アウルは翌日からエルロの術による伐採に踏み切った。メーン市で材木を取り仕切るのは商人ギルドなのか、それとも木こりやら大工やらのギルドなのか、それは分からない。分かるのは、バレたら土地の権利やらなんやらで揉めそうということだけだ。


「――ってことでさ。バレても金で解決できそうな……十か十二本くらいか? まぁ、そのくらい伐り倒してもらって――なんだよ、その顔」


 エルロは間抜けを見る目をしていた。


「……前も言ったけど、私は鬼力回路を検索して――」

「そこはいい。その不満そうな顔の理由は?」

「ん」


エルロは首を横に振った。


「不満じゃない。大変。ざっくり範囲を指定していっぺんに切ったりするなら簡単だけど、一本一本選んでやろうとするととっても困難。苦痛。だるい」

「ダルいって、お前――」


 アウルは絶句した。しかし、ここでエルロにへそを曲げられても困るのだ。

 考えてみろ、アウル。と自問自答する。

 自分で切り倒すとしたら、どうなる?

 斧で叩き、縄をかけ、また斧を振り、倒れたら鋸でいくつかに――やってられない。


「じゃあ、楽な方法でざっくり十本くらいだとどうなる?」

「ん。範囲を指定して、その内側にあるものを全部おなじ高さでぶった斬る」


 細かな注文の余地はない。一見すれば明らかに過剰と思われるエネルギーの放出と、それに対して本人の述べるところの楽な作業。横に回って一息に玉切りに――、


「ん……ふっ……ふぃ……」


 作業を終えたとき、エルロは額に玉のような汗を浮かせ、息を荒くしていた。


「えっと……楽って言ってなかったか?」

「ん。楽は……楽……統制が……いらないから……」


 エルロはムッと背筋を伸ばした。


「でもあつかう力の量が……とってもでっかい。……もう無理。お腹へったし眠い」

「マジか。じゃあしょうがない。昼飯にしよう。……ありがとな、エルロ」


 アウルは頭を撫でるつもりで手を伸ばす。エルロは予見したかのように片手をあげた。顔を見合わせる両者。緊迫の一瞬。アウルは一手目をフェイクに左を伸ばし、払われ、その間に右手を出した。髪に指先が触れようかという瞬間、エルロが首を傾け回避し、一歩下がった。両手を前にかざすような謎の構え。


 どこか遠くで獣の鳴く声が聞こえた。罠にかかったのだろう。

 二人は、どちらともなく笑いだす。文句はない。エルロ様々だ。

 こうしてアウルの生活は急に単調になった。まだ日が昇らぬうちから目覚め、かまどの灰をほじって熾火を叩き朝食を温める。匂いにつられて二階のエルロが目覚め、二人で食べたらそれぞれの仕事へ。エルロは地下で鬼の調整、アウルは家の掃除をして薪割りに移る。


 ずっしりと重みを感じる玉に斧を振り、四つに裂いたら薪割り台に乗せ、さらに細く。断面積を増やすほど乾燥も早まる。斧を持つ手を滑らせて、振り上げ、柄尻まで手を下げながら腰を落とす。割った薪を傍に投げ置き、次、次――終わったら手近なものを拾って手斧で割り、脇に抱えて納屋に運ぶ。入り口に放置されている鬼に悲鳴をあげる。三度目だ。覚えているのに、すぐ忘れてしまう。


 並行して手に入れた食材――兎や猪の毛皮を鞣す作業が入る。これらはアウルにとって馴染みのある作業で、多量の時間が溶けてゆく以外に不満はない――が。


 不満がないことが不満になってきた。

 アウルは今日も獣の皮の裏側にへばりつく脂と肉の残り滓を削ぎ落としながら思う。


 戻った。あの頃に。

 狩人の倅として生まれ落ち、獣を狩り、毎日のように同じ作業を繰り返す日々――。


「――ん。アウル。鬼の調整が終わったよ。今日から動かせる」


 エルロの宣言がなければ、その時点で忍耐が限界に達していたかもしれない。

 納屋からいちいち悲鳴をあげさせる鬼が消え、アウルは訊ねる。


「……仕上がったんだよな? ……俺の目には見えないんだけど?」

「ん。パナペペ。いないいないばあ」


 エルロが唱えるとポンチョの下で鉞が淡く光った。


「――うおぁ!?」


 突如として目の前に現れたグロテスクな獣に、アウルは思わず悲鳴をあげた。散々やられたからか本能が躰を強張らせてしまうのだ。

 エルロは口元を手で隠しながらクスクスと笑った。わざわざ煽るためにそうしているのだ。


「アウル。ビビってるね」

「うるさいな。……てかパナペペってなに? 名前?」 

「ん」


 エルロは小さく頷いた。


「そう。見た目がキモいから名前を可愛くした」

「パナペペって可愛いか……? まぁいいや、こいつ狩りとかにも使える?」

「んー……無理かな。使うならもっとちゃんと調整がいると思う」


 言って、エルロはパナペペと名付けられたグロテスクな化け物に言った。


「パナペペ。いないないばあ」


 ふっ、とパナペペのグロテスクな姿が消え、エルロが続けて唱えた。


「パナペペ。巡回して」


 気配はない。動き出しているのかもわからない。しかし、エルロの首は遠ざかるなにかを追うように滑っていく。


「ん。とりあえず家の外を巡回するように指定した。私とアウルの波長と違うのを攻撃するってだけ。いちおう地下にあった抵抗器の信号が届く範囲なら巡回コースにいれられる」

「……見つけたらすぐに殺すとかじゃないよな?」

「ん。普通ならそう。三日くらい見た目で同定して見逃す。三日目からは即殺。でも元々の特性が変な感じで、相手によっては見たらすぐ殺しちゃうかも」

「……それけっこうヤバくないか?」

「ん」


 エルロは首を横に振った。


「そんな相手はほとんどいない。だいじょうぶ」


 ――たとえばフォルジェリ家の人間とかか。

 アウルは日記の内容を思い返し、鼻を鳴らした。ともあれ番犬はできた。あとは農場を整備するだけだ。エルロの体力の回復を待って雑草の生い茂る畑を大雑把に刈り取り、二人して鍬を手に土を掘り返す。不毛といえば不毛で、実りあると言えば実りのある生活――になるはずだった。あらためて役人と契約を交わし、その翌日には種と薪を仕入れに市場までの足にさせてもらって、アウルは気づいた。


「……これさ、露店権ってあるよな?」

「……ええと……はい。もちろん、そうですが……」


 役人が意外そうな顔で答えた。夜遅くに寝て朝早く出たのもありエルロは半分眠っているような状態でアウルに手を引かれている。 


「あの、まず市民権がないと割高になりまして――」

「だろうね――いや、ダルいわ。思ってたより」

「はい?」

「……俺は狩人の子どもでね。生まれながらの狩猟ギルドの下っ端で、革細工のトコとか肉をやるとことか見習いに行ったりして……けど実際、売るとこまでやってないからさ」

「……もっと自由に売ることができれば……簡単じゃないでしょうね」


 役人は疲れたような愛想笑いを浮かべて言った。


「あの……差し出がましいとは思うのですが……メーンであらためて狩人としてやり直すよりも、冒険者ギルドで生計を立てられたほうがよろしいのでは? ウチで扱っている露店に委託しても構いませんが、税金も考えると損が大きすぎます」


 もっともな助言だった。購入した土地のうち農地として使える面積は限られている。素人の手では完全な自給自足すら厳しいだろう。かといって、エルフの集落との境界領域にあたる森で狩りや採取をするなら、常識の範囲内に抑えなくてはならない。


 考えてみれば、元々あの土地に暮らしていたのは退役した騎士であり、恩給を含めて質素に暮らしていたからこそ生活が成り立っていたのだ。それでも足りないと認識したからこそ息子は市の兵として働く道を選んだのだ。最初から苦行だったのである。

 アウルは自嘲気味に唇を曲げて言った。


「人が好いんだね、あんたのとこは。そんなの黙ってた方が儲けられたでしょ」

「主人がそういう御方なんです。ここだけの話、私も苦労させられているんですが……」

「ちょっと分かるよ」


 ジー。その名を忘れるのは不可能だ。アウルは指を折り曲げて数える。一月を一本に置き換えれば片手で済む。それほどの僅かな時間であらゆることを忘れさせられていた。


 念願だった冒険者ギルド。指一本ごとにふりかかる甘い地獄。片手で足りなくなるころ身に降りかかる地獄。耐える術はあったのだろうか。


「……とりあえず皮革とか、野菜とか、そんなんを委託で売らせてもらって」

「足りますか? それで」


 問われ、アウルは役人と顔を見合わせ、曖昧に笑った。

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