勇者性の違い

 ジーは善い人間だ。言葉では言い表しにくいが、気が合うところもある。ミレリアも真面目すぎるだけで悪い人間じゃない。神官にしてはカルガ族の言動に譲歩している方だ。カークにしても実力は本物で、難のある性格もパーティの仕事となれば割り切ることができる。


「……おいアウル。人の話の邪魔しといてなに黙ってんだよ」

「カーク」


 ジーが止めた。テーブルに沈黙が広がり、エルロが周囲を目視で確認したのちジャグバの実の袋をポンチョの下にしまい込んだ。薄切り燻製肉の最後の一つをつまむのも忘れなかった。


 その姿を見てアウルは思う。

 たぶん、同じ状況なら俺もそうしてる。

 ジーは本気で人を救おうとしている。本気で世界を守ろうとしている。そして、人を信じよている。魂を削ってまで信じようとしている。誰をといえば、森に潜む盗賊団の洞穴で出会った、いかにも怪しげな同じ年頃の少年――つまり、俺を。


 アウルは深く、深く息をついた。


「交易船の出資者は議会に顔を出してた貴族だ。世襲で港や漁師達を仕切ってる。鉱山の方は、たぶん商人だな。金がないんだろう。公定価格を無視して吹っかけてきやがった。勇者印を見せたら素直になったけどさ」

「……おい。難しい話すんな。俺にも分かるように言え」


 カークが言った。嘘だ。本当は理解できているし、その先も予想できている。そもそもが感情任せなだけでバカなわけではない。ジーの意向を察して守るため、あるいはパーティの構造を維持するために必要なことをしているにすぎないのだ。

 アウルは言った。


「ジー、これは議会内部の権力争いだよ。金に困ってるのは本当だと思う。カークが酒場で話を聞けたんなら相当なんだろう。けど、それは議会内で牽制しあってるからだ。失敗を重ねたのも安くあげようとしたからかもしれないぞ? 鉱山の魔物を討伐したいなら傭兵向けの商店を値下げしてやればいい。でも、そうはしなかったんだ。分かるだろ?」


 ジーはアウルのくすんでいく瞳をまっすぐ見つめて言った。


「……アウル。もっと、はっきり言ってくれていいよ」

「……あいつらの船、奪っちまおう」

「――ハッ!」


 カークが強く鼻を鳴らした。


「お前は冗談までへたくそだな」

「冗談じゃない。本気で言ってるんだよ、カーク。商人の家は割れてる。奴は怯えた。依頼相手の勇者になんで怯える? 疑ってるんだよ、俺達を」

「――アウル」


 ジーの目が険しくなり、アウルの瞳はさらに曇った。


「……どいつもこいつも世界なんてどうでもいいんだよ、ジー。お前だけだ。精一杯に広げてみたって、お前らだけなんだよ、世界を守りたいなんて本気で言っているのは」


 最後の決め手になるのは分かっていた。ジーの青い瞳は変わらない。ただ重そうに瞬きしただけだ。決定的な差が目の前に現れた気がした――いや、気の所為ではない。


 溝は最初からあった。

 元を正せばアウルは地の底に堕ちていた身だ。なろうとしていたのも金で動く傭兵で、大義に殉ずる勇者ではない。保身を願った罪人が勇者を騙し、頂上についただけのこと。

 アウルは唇を湿らせた。


「ジー。商人を脅せば船は手に入る。俺達の目的はなんだ? 会う人すべては救えない。魔物が増えた原因を探し、食い止めるのが仕事だろ? 邪魔する奴に教えてやるんだよ。俺達が勇者だ。従え。尽くせ。世界を守るために力を貸せ。それなら俺は、これからも力を貸せる」


 ジーは手元に視線を落とした――が、すぐに顔をあげる。その眼差しは悲しんでいるようにも、喜んでいるようにも思えた。


「いつか言われるだろうなと思ってたよ」


 笑っていた。


「――おい!?」


 カークが立ち上がった。


「おい待てって。ジー、何いってんだ?」


 ジーは諦めたように笑っていた。


「勇者性の違いかな?」

「はぁ!?」


 いまにも掴みがからんばかりのカークと異なり、ミレリアは分かっていたような顔だった。


「……アウル。私は、清々してますよ」


 声に震えがない。本当のことなのだろう。


「幾度か助けてもらったことは覚えています。忘れもしません。けれど、あなたに感謝していいのか、ずっと迷っていました。神も答えを与えてくれませんでした」

「ミレリア?」


 横からジーに問われて、彼女はゆるく首を振った。


「でも、悔い改めるつもりがお有りなら、祈りの場はいつでも門を開いていますよ」

「俺はさ」


 アウルは腕組みをし、椅子の背もたれに躰を預けた。


「お前のそういうところが本当に嫌いなんだよ。ジーに従うとか口では言ってて、一度だって俺のこと信用しなかったろ」


 ミレリアはぐっと唇を巻き込んだ。また耐えているのだろう。

 この際だからと、アウルは正直に告げた。


「それで正解。俺は信用に値する人間じゃない」


 目を丸くしたのに満足し、アウルはカークに矛先を向ける。


「言っとくけど、俺はお前のことも嫌いだからな?」

「あ!?」

「デカい図体して言うこともやることもしょぼいんだよ、お前」

「てめぇ……いま、しょぼくねぇとこ見せてやろうか?」


 カークは歯を剥いて握り拳を固めた。安い脅しだ。そういうポーズ。アウルはつづける。


「大変だったな」

「――は?」


 拳が解けた。


「大変だったなって言ったんだよ。面倒くせえ奴が加わったと思っただろ、最初。慣れてないだろうによくやった。頑張ったと思うよ。本当に」


 困惑しきりのカークから顔を背け、アウルはエルロに向き直った。


「エルロ。お前は……」

「ん?」


 と、エルロが小首を傾げた。彼女の眼は揺らがない。そういう意味ではジーと似ているといえなくもないが、


「……お前は、なんだ、えーっと……頑張れ?」


 つぶらで無垢な瞳に見つめ返され、アウルは失笑してしまった。


「ん。頑張ってる」

「だよな。あんま我儘……言うほどいってないか。頑張れだな」


 上手いこと言おうとしたから変になった。エルロに特段の不満がないからかもしれない。

 アウルは苦笑交じりに髪の毛をかき回し、ジーに向き直った。


「んじゃ、最後。ジーな」

「うん。どんな小言がもらえるのかな?」


 ジーはすべてを悟っているような目をしてテーブルに身を乗り出した。片肘で頬杖をつき、いつもと同じくまっすぐにアウルを見つめる。応じ、アウルは右手をテーブルの下に落としながら前に重心をかける。


「お前は……面白い奴だよ。気に入ってる。頑張れよ」


 こんな人間がいるのかと思った。お人好しの一言で語りきれない善人。自身を犠牲にしている自覚すらない本物の勇者といえる人間。

 拍子抜けしたのか、ジーが頬杖を崩した。


「小言がもらえるのかと思ったのに」


 そう言って、瞬く――瞬間。アウルはジーの瞼が落ちきるのに合わせて短剣を抜いた。床を蹴ると同時に最短距離で突き出す。ジーの瞼が持ち上がり、事態に気づいて躰が強張りはじめた。動き出す。それより早く刃が進んでいく。ジーが咄嗟に躱すのを見越して。


 ずぐり、とアウルのナイフがジーの左肩を貫いた。音を立ててテーブルの脚が滑り、椅子が倒れる。カークが立った。遅れてミレリアの手が、アウルの伸び切った腕を掴もうとした。アウルはもう一歩、前へと床を蹴った。ナイフが進む。刃の全てを埋めようと。素早くジーの手が動いた。掴まれる。前に。アウルは突き放すようにして躰を引いた。

 ジーが床に転がった。誰かが悲鳴をあげた。ミレリアが方向転換、庇うようにかぶさった。


「てめぇ!」と、カークがアウルに掴みかかった。テーブルから滑り落ちゆく皿をエルロがキャッチ。「ダメだ!」とジーが叫んだ。カークが固まる。ミレリアも治療に入ろうとしていた手を止められていた。


 アウルは襟を掴んだばかりのカークの手を払い、短剣についた血をテーブルの濡れた布巾で拭って腰の鞘に収めた。


「ジー。その傷は拾ってもらった感謝の印だ。おかげで色々なことが分かったよ」

「アウル」


 ジーは肩の傷を押さえながら躰を起こした。溢れる血が手を赤く染めた。


「いままでありがとう。僕も勉強になった。また気が変わったら――」

「ないよ。俺は辞める」


 怖くなるほど善い奴だ、とアウルは苦笑しながら背中を向けた。

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