新たな出立

 ――さて。これからどうしたもんか。


 胸裏で呟き、アウルは二階の部屋に戻った。差し込む夕日で部屋は赤銅色になっていた。とりあえず荷物の選別。四、五人の旅が長すぎて一人で歩くのに必要なものが簡単には思い浮かばなくなっていた。廊下を駆ける足音。アウルは一瞬、身構えた。カークだったら窓から逃げる。だが、足音は隣室の扉を激しく開いた。俺は期待していたのだろうか。たぶん違う。


 しばし考え、面倒だからまとめて持っていくことにした。

 廊下に出て隣室の前を通り抜ける間際だった。


「あ! アウル! 待ってて!」


 エルロの声だ。何を? お別れの餞別? ありそうだ。ジャクバの実の袋を押し付けられたりするかもしれない。

 アウルは廊下に響くように言った。


「達者でなー、エルロー」

「待ってってば!」


 こういうとき、足が重くなったりするんだろうかと夢想したこともある。現実にはようやく肩の荷が降りたような気分だった。背負鞄の肩紐が食い込んでいるのに。不思議だった。

 とんとんと階段を降りると、


「……お前がいるのかよ」


 カークがいつになく――いや、いつも以上に厳しい顔で立っていた。


「……ミレリアに分かるわけねぇから、俺が説得に来たんだよ」


 カークは両手を腰に据え、床に息を吹きかけた。


「お前は、このパーティに必要だ。俺にも、ミレリアにも、お前の代わりはできない」

「やめろよ、気持ち悪いな。前まで三人だったし、お前も俺が入るのに反対してたろ」

「あのときはあのときだ。今はもう違う。あいつには――ジーにはお前が必要だ」

「俺にはいらない。そんじゃな」


 アウルは下まで降り、さっさとどけ、と手のひらを横に払った。カークは何度か顎を縦にゆすり、道を開けた。横を抜け、通り過ぎるとき、アウルは背後に気配を感じて足を止めた。


「触ったら殺す」


 伸びてきた気配が止まった。アウルは肩越しに濁ったガラス玉のような目を向けた。


「……最初の判断。あれはお前やミレリアが正しい」


 正面を向き、あらためて言い直した。


「はじめまして。仲間殺しの副団長アウルだ」

「――分かってたよ。全員。でもジーはお前を入れた」


 だろうね。と、アウルは虚空を上目見てお別れに片手を振った。待ってと階段の上から聞こえた。宿を出ると、街の人々は帰り路についていた。流れに逆らうように入り口に向かう。


「アウル! 待ってってば! 私も一緒に行く!」


 ガチャガチャと喧しく背負い鞄を揺らし、エルロが横に並んだ。

 アウルは一瞥だけくれて言った。


「やめとけ。あいつらと行ったほうが楽ちんで幸せだぞ」

「そんなことない。私は――」


 歩幅の違いで徐々にエルロが遠ざかり、またガチャガチャと駆け寄ってきた。


「アウル……! ちょっと早い……! もう少し遅く――」

「なんでお前に合わせる必要があるんだよ」


 アウルは足を早めた。すぐにエルロが遅れだした。

 エルロ――というより、カルガ族の巫女はジーのパーティにこそ必要で、勇者の道から降りた者にはいらない。


 しかし、エルロは息を切らして駆けてきて、アウルの腕を掴んだ。彼は無感情に短剣の柄へ手を伸ばしたが、抜くよりも早く振り向かせられた。


「合わせた方が便利!」

「…………は?」


 呆気にとられ、アウルは首を微かに仰け反らせた。


「ん!」


 エルロは強く頷き、息を整えながら続けた。


「旅をするなら、一人より二人の方が楽」

「……それは……そう、か?」


 アウルは首を傾げ、手を振りほどこうと揺すった。エルロの手は離れる気配がない。通行人に胡乱げな眼差しを向けられ、微笑ましそうにする婦人に気づいて、揺するのをやめた。

 んふー、と息をつき直し、エルロは空いている手で額の汗を拭った。


「私はカルガの巫女だ。鬼力回路を検出して迂回路を作れる」

「……だから……あれか。魔法みたいな力が使えるって言いたいのか?」

「ん」


 エルロは頷いた。


「――でも、走って息が切れてたらすぐに使えない。もったいない」


 ――これは、あれか。売り込んでいるのか。とアウルは小さく吹き出した。所属するパーティが分解したのでどちらについていくのが得かを自分で考え、こちらを選んだと。

 エルロの紫の瞳は雇ってもらえると確信しているかのように透き通っていた。


「……楽しい旅をしようってんじゃないぞ?」

「ん」


 エルロは首を横に振った。


「あいつらと一緒にいるよりは絶対に楽しい」

「――あいつらって、お前……辛辣だな」

「ん?」


 エルロは小首を傾げた。


「辛辣? はよく分からないけど、カークはめんどくさい」

「それはそう」


 アウルは即座に同意した。


「ん。ミレリアはなんだか疲れる」

「それは……まぁ、そうだな。なんだか疲れるわ」

「ジーは……」


 エルロは言い淀んだ。


「んぅ……うまく言えないけど、私だけ残ると、今より大変になると思う」

「否定できない……けどよ、エルロ。そんな気を使えるのになんで普段からやらないんだよ」

「ん。逆。みんながやりやすいようにやってたんだよ」


 なるほど、とアウルは感心して頷きを繰り返した。

 カークはいわゆる遠慮のない王国人として接してきたから、標準的なカルガ族人として。ミレリアは異教徒として接してきたから、対立するように。ジーは、カルガ族から預けられた子どもとして接してきたから、まるで兄に纏わりつく妹のように――。


「……あれ? それじゃ俺は?」

「ん?」


 かくん、とエルロの首が傾いた。


「アウルはアウルだよ。とても便利」

「便利」


 復唱する他にない。アウルは端から青みがかる茜空を見やった。次いで、エルロを指差す。

 待っていたとばかりにエルロが頷いた。


「上手いこと言うよ。俺の負けだ。着いてきてもいいぞ。けど、絶対つまんないからな」

「ん」


 エルロは小さく頷いた。


「――でも、つまんないかどうかは私が決めるよ」

「じゃ……とりあえずエルロの鞄の整理からだな。ガチャガチャすごいうるさいぞ?」

「アウルが待ってくれないから悪い。荷ほどきしたばっかりだったから全部もってきた」

「全部? 全部って……パーティのも持ってきちゃったのか?」


 それぞれの鞄には個人の所有物に加えて共有の旅道具も詰め込まれている。ジーの様子では明日すぐ動くとは思えないが、いざ動くとき困るのではないか。いや、困るだろう。普通に。

 アウルは思わず来た道を振り返り、エルロと見比べた。


「……ここで戻るのはキッツいな……って、あ」


 財布。と、アウルは自分の腰に下げている鞄に視線を落とした。パーティの共有資産の一部――というか物品調達を任されることが多かったため七割近い――現金をそのまま持ってきてしまった。それから購入した薬。商店で出された証書や領収証の類も。非常に困りそうだ。


「…………ま、いっか」

「ん?」


 と、首を傾げるエルロに、アウルは晴れやかな笑みで答えた。


「とりあえず、急いで前の街に戻る馬車を見つけるか、なければ野宿覚悟で出発しよう。鞄の整理は後だ。バレないうちにずらかりたい」

「ずらかる? どういう意味?」

「逃げるって意味だ。俺、パーティの金まで持ってきちゃったよ」


 潮風が抜けていった。少し冷えこみ始めた夜の匂いがする。


「――んふっ」


 と、エルロが吹きだした。


「笑うなよ。お互いさまだろ?」

「ん。わかった」


 二人はほとんど同時に歩きだした。

 アウルの足は少しだけ遅く、エルロの足は少しだけ早くなっていた。

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