雑踏

 平原に突如として現れる見渡す限りの農地の果てに、要塞に似た巨大な壁がそびえる。奥には無数の見張り塔が霞み、さらに奥で奇妙な聖堂らしき建物が威光を振りまいていた。交易用に整備された太く長い道をいくつもの馬車が行き交う――その荷台の上で、


「ん」


 エルロが畑を指さし、アウルの袖を引いた。


「また獣人だよ」


 奇妙といえば奇妙だ。田畑で働く農民達の麦わら帽子から兎によく似た耳が高く伸びている。首を巡らすとまた違う獣人と、もちろん人も。衣服も揃いの模様やら、腕章やら、襟章などなど、色鮮やかだ。農地を納めている領主か、あるいは雇い主が違うのだろう。


 ……噂通りだな、とアウルは内心に呟く。


 ベノック王国領下メーン市は成立過程からして他の街と少し異なる。森を切り拓いて作った集落に始まり、元から暮らしていたエルフと揉め、軍隊が入り激戦を繰り広げながら拡大、魔物や言葉を解する魔族の横槍もあってする共生することになった――と、されている。されているというのは、残されている記録が正確とはいえないためである。


 唯一、確実といえる情報は、はるか昔の戦争でベノック王は兵を引き、長命かつ精強なれども数が少ないエルフも引いたということだけだ。


 その後については、いくつかの説が混在している。

 知られているなかで最も有力なのは、両者は残された者だけで戦いを続けたという。それが奇妙な友情を生んだとか。いわく魔族が狙ったのはエルフの土地で、人が助けたと。あるいは逆だと。真相はともかく正々堂々と戦っていたところに第三者が不意打ちにきたため両者が怒り、協力して魔物に抗したのは間違いないようだ。


 当時のメーン市――まだその名ではなかった――の首長の娘がエルフの男と恋に落ち集落に旅立ったとか。しばらくして、エルフの側から娘が寄越され、首長の息子と結ばれたとか。


 そんなことを繰り返す内にメーン市とエルフは双方の領域のあいだに農地や森という形で広大な中立地域をつくり、境界に暮らす人々をつくったとか。


 それがメーン市の獣人達であり、また所属をもたない人々なのだとか。

 ゆえに、カルガ族の娘がフードを下ろし歩いたところで、誰も気にしないとか――。


「……本当なのは、そこだけか」


 アウルは唇の片端を下げ鼻を鳴らした。通りには獣人や人種が違うであろう人々が行き交うため、たしかにカルガ族の娘一人くらい誰も気に留めないだろう。しかし、それだけだ。

「ん」


 エルロは唇を引き結ぶ。


「なんか、危なっかしい」

「だなあ。まったく同意するね」


 とりあえずの宿を探そうと街を歩けばすぐに気づく、凄まじい貧富の差。優遇と冷遇を切り分ける所属の有無。境界人の多さは単に街で暮らす難しさを示しているのだろう。


「ん。それで、次は?」

「次は次はってそう急かすなよ……ゆっくりしようって言ったろ」


 と、ボヤいてはみたものの、アウル自身も焦りを感じていた。

 海辺の街オランからここまで流れてくるのに、およそ一ヶ月――追手どころか未だに勇者印が機能しているのが却って不気味でならない。


 道中でもそうしてきたように、アウルはエルロを連れて冒険者ギルドに入った。

 飛んでくる視線はいつものこと。賑わい方はそこそこ。軒先のギルド章の看板に第二と加えられていたのは、都市が大きいだけに複数に分かれているからだろう。

 アウルはカウンターに片肘をつき、尋ねた。


「――ちは。アウルって言うんだけど……ちょっと確認してもらってもいいかな?」


 言いつつ、首から下げた銀の鎖を引っ張り、服の下に隠していた勇者印の指輪を見せた。

 ギルド職員の女の目が丸くなった。息を吸い込む気配を察知しアウルは手を見せて止める。


「あんまり知られたくないんだ。誰かに話を通すような仕事でもないし、静かにやってくれると助かる。それと――こっちはエルロ。俺達の名前はリストに載ってるかな?」


 アウルはカウンターにしがみつくようにして踵をあげているエルロを指差した。


「ん」


 エルロが手を差し出した。


「エルロだよ。よろしく」

「えっと……よ、よろしくおねがいします」


 ギルド員の女は緊張した面持ちでエルロと握手を交わした。「リストですね? 少々お待ちを……」


 彼女が背を向けると、アウルはすぐに掲示板に張られた賞金首リストを確認した。アウルやエルロの顔はない。次には周囲に目を光らせて尾行を精査する。


「ん。いないね」

「……みたいだな。どうなってんだか」


 ギルド員が分厚い革張りの台帳を手に戻ってきた。


「それで……リストに名前があるかとのことですが……ありますね」

「あるんだ」


 アウルは思わず呟いた。


「え?」

「いや、こっちの話。その名前は――」


 ――未だに勇者の一員とみなされている。言い換えれば、ジーは二人がパーティを離れたと報告していない。なぜだ。何を期待している。傭兵や旅人ならまだしも勇者となると同時に特権――厳密には王または国家の勅命という但し書き――が得られるはずで、パーティの構成も報告義務に含まれるように思われるのだが。

 アウルは奇妙な居心地の悪さに首を振り、もう一つ尋ねた。


「それじゃあ……俺とかエルロ宛に公開手紙は?」


 公開手紙とは、冒険者ギルドを介した世界規模の連絡手段である。ギルドは建前上この世界に存在するすべての都市に設置され、手紙の写しを全世界のギルドに送付し、対象者に確実に伝えることができる。もちろん、写しをつくるために内容はギルドに筒抜けとなり、最悪は外部に流出する。それらの危険を加味しても公開手紙に代わる冒険者への連絡手段はない。

 ギルド員はすぐに公開手紙の台帳も確認して言った。


「――いえ、アウル様に宛てた公開手紙はございませんね。……エルロ様のも」

「……どういうことなんだよ」


 ジーの意図が分からず、アウルは自らに問うように呟いた。


「えぇと……公開手紙をお書きになりますか? たとえば――」


 ギルド員は周囲を確認して声を潜めた。


「ジー・クルキ様に宛てたりとか……」


 余計な気遣いだ。アウルは首を振った。


「それより、ジーがいまどこにいるか分かるかな? 海を渡るって聞いてたんだけど……」

「ジー・クルキ様の居場所ですか……少々お時間を頂いてもよろしいですか?」

「ああ。なんでもいいんだ。手がかりくらいでもさ」

「大丈夫ですよ」


 ギルド員はアウルの胸元で光る印章指輪を一瞥して言った。「ジー・クルキ様はまめに報告をされますからね。都市を跨ぐだけでも何かしらの連絡があるはずです」


 知ってる、とアウルは顎を小さく上下する。

 ジーは街を移動するたびに冒険者ギルドに赴き、報告書らしき何かを提出していた。勅命をよこした国王か、これまでに協力を仰いだ人間に宛てていたのだろう。面倒事に首を突っ込むような気がして覗き見たことはない。


 しばらくして戻ってきたギルド員は、またしても驚くべき報告を寄越した。


「……まだ街を離れた形跡がない? 本当に? ジーが?」

「えぇと……たぶん。移動すれば報告がなされているはずですし、その、たとえば――」


 死んだとしたら、勇者死亡の報は各ギルドに届けられるはず。ギルド員の言うとおりだ。海を渡るなら海難事故を想定して先に出立を報告する。ジーはそういう奴だ。それがない。つまりは、まだオランでゴタゴタしている。


「あの……もしかしたら、まだここまで連絡が届いていないだけかもしれませんよ?」

「どうだろう。ギルドがそんなチンタラやってるかな」

「……ここだけの話にしていただけます?」


 ギルド員が口元を隠し、身を乗り出した。


「ジー・クルキ様が報告するたびに大金が動くんですよ」

「……だろうね」


 アウルも声を低くした。ジーの情報を逐一更新したければ、鳩や馬車だけでは足らない。ギルドの旅人に手紙を託したり、あるいは専属の人間を置いたり――。さらには、吟遊詩人や新聞、伝聞士などなど、彼の報告をネタに商売をしている人間も多いのだ。

 逆に言えば、情報の伝達速度そのもので他者をだしぬき利益を得ようとする者もいる。もし、そんな理由で情報の更新が遅れているのだとしたら。


 ――ジー……どいつもこいつも、足の引っ張りあいにすら気づいていないかもしれないぞ。


 瞳を昏くするアウルに、ギルド員が囁きかけた。


「我々にお手伝いできることがあれば、なんなりと仰っていただければ――」

「いや大丈夫」


 アウルは手のひらを見せた。


「まぁ、また来るよ。ありがとう」


 真面目に世界を守ろうとしているのは本当の下っ端ばかり――いや、ギルド員にしても袖の下を目当てに声をかけてきたのかもしれない。

 アウルがカウンターに背を向けると、傍にいたはずのエルロがいなくなっていた。


「アウルさん。あちらです」


 ギルド員が今にも吹き出しそうな顔で他の冒険者も集まる待合所を指さした。周囲を人に囲まれ、誰に出してもらったのか飲み物をすすりつつ、椅子の上で足をパタパタしていた。


「……ありがとさん」


 アウルは鼻で息をつき、肩越しに振り向いた。


「それじゃ、さっそく頼まれてくれるかな?」

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