報告会

 二人が宿に戻ったとき、まだ誰も帰ってきていなかった。取り立ててやることがあるわけでなし、集まれば明日以降の作戦会議が始まるだけ。なにか腹に入れつつ時間を潰そうと、宿の食堂で軽食を頼みマス目の描かれた布を広げた。


 ウォーゲームの時間だ。

 エルロに言わせれば五十七勝四十六敗七分け。ロクにルールも知らなかった相手に十以上も負け越しているのはなぜか。魔法兵や弓兵が遠距離攻撃できないのはおかしいとか、騎兵が移動線上にある駒を無視できるのはおかしいなどの、反論しづらい指摘に応え特別ルールを採用したから――ということにしておこう。


「ん」


 エルロがサイコロを振った。


「……六。私が後攻」

「またか。相変わらず強運だよ」


 イカサマを疑いたくともサイコロを購入したのはアウルだ。

 まずは交互に駒を配置する。駒の種類と数は同数で、自陣内なら配置は自由。駒を並べる順番も自由だ。この時点で既に特別ルールである。先攻から順にサイコロを振って縦横のマスを決め、障害物となる地形駒を置く。ここで戦前に立てた作戦が御破算になったり、逆に――、


「ん……!?」


 とエルロが眉を寄せた。せっかく固めて展開したというのに、駒の半数が移動を強いられることになりそうだ。


「今日は俺が勝てそうだ」


 言って、アウルは歩兵を前進させた。

 駒が動き、皿から素揚げの小魚が消え、何ともしれぬ果汁を注いだグラスが空いた。


「――っだよ。またやってんのか? 飽きないな」


 口ぶりとは裏腹にご機嫌そうにカークが戻ってきた。盤面は佳境……といっても、泥試合の終盤に突入していた。


「ん」


 エルロは盤面から顔を上げて言った。


「おかえり」

「――アウル。そっちはどうだった?」


 カークの問いかけにアウルは盤面を睨みながら応じる。


「騎兵を囮に弓兵を持ってくるか、魔法使いを前に出して二択を迫るかだな」

「ん」


 エルロはグラスに果汁を注ぎ足し口に運んだ。


「どっちにも乗らない。二手損と歩兵を盾に山に弓兵を寄せて距離を稼ぐ」


 山というのは盤面上に置かれた障害物の一つだ。一手かけて騎兵や弓兵を重ねると、代わりに移動距離や効力範囲が伸びる地形。先に戦術を披露され、アウルは低く唸った。

 カークはこめかみに青筋を浮かして低い声で言った。


「そんなこと聞いてねぇんだが……おい! コレおれにもくれ!」


 空の皿を振り回しながら宿の者に叫び、カークはどかりと椅子に腰掛け、わざわざテーブルを揺らすようにして身を乗りだした。

 そんなにムカつくならよそに行けばいいのに。と思いつつ、アウルは魔法兵の駒を進める。


「……お前、本当に下手くそなのな」


 カークの呆れたような声に顔をあげると、エルロがニマニマしながら遠方より将の駒を飛来せしめて魔法兵を討った。


「ぬぁ!? なんだそりゃ!? どこにいやがった!?」

「……どこもなにも、山の後ろでずっと出れずにいたろ……忘れてたのかよ?」


 カークは気の抜けた息をつき、給仕が慌てて持ってきた皿を受け取った。小魚の素揚げは時間がかかるからと、代わりに燻製肉の薄切りを乗せたらしい。


「騎兵を下げ……たらいかれるし、歩兵を前に……出しても足らない。弓を……ああん? ああくそ! 負け! 俺の負け! 投了!」


 アウルは両手をあげ、皿がテーブルに降りるなり肉を一切れ口に放り込んだ。強く噛みしめると敗北の味がハーブの香りととも滲んだ。


「んふふ」


 と、エルロも手を伸ばした。しかし、皿まで届くことはなかった。しれっとカークが遠ざけたのだ。エルロは一瞬むっとした表情を見せながらも、椅子に座り直しただけだった。

 外でやりあうだけでもかったるいのに、とアウルは皿をエルロの方へと滑らせた。


「……俺が頼んだ食いもんなんだが?」


 カークはエルロに背を向けるようにしてテーブルに肘をついた。


「金だしてるのはお前じゃないだろ?」


 色を昏くしていくアウルの瞳と、引く気はないであろうカークの視線が交錯する。殴り合いで勝つのは難しい。速さで翻弄しても一回や二回アウルが殴ったところで怯みやしない。刃物を抜けば勝負になるだろうが、泥試合の始まりだ。


 昼間の交渉から始まって、どうにも晴らしようのない苛立ちが募る。

 勇者といえど商売だ。リーダーは自分ではないし、仲良くしろとも言わないが。


 緊迫する気配に、食堂の片隅で宿の人間が狼狽えだした。エルロは気にする風もなく燻製肉をもぐもぐ咀嚼しながら遊び道具の片付けを始めた。駒を重ねて音がならないように細紐で結わえ、盤を描いた布で絞るように包んだら、ポンチョの下に隠した厚布の鞄に。剣呑な気配を纏う二人を横目に燻製肉をもう一切れ。宿に入ってきた気配に振り向く。


「――戻ったよ、って……またやってるのかい?」


 ジーが苦笑していた。ミレリアを連れている。二人とも少し疲れの色が見えた。店員に何か飲み物をと頼んで、空いている側の席についた。


「病院にかかれない怪我人がけっこう居てね。ミレリアと診て回ってら遅くなってしまって」

「私はひとりで大丈夫って言ったんですけど――」


 二人が話しかけても、アウルとカークはまったく反応しなかった。


「――ん」


 エルロが挙手をした。


「海を見てきたよ。議会? は大げさに言ってるだけだと思った。あと、商人の巣を見つけた」

「巣って……」


 ミレリアが引きつるように片頬をあげた。エルロは、ん、と頷いて続ける。


「それからアーズの薬精を六つ買って――あと、ジャグバの実を一袋買ったよ」


 言いつつ、エルロは布鞄から袋を出した。


「ジーも食べる?」

「――ああ、えーと、僕は遠慮しておくよ。ありがとう」

「そう? ミレリアは?」

「い、いえ……私もいらないかな……」

「美味しいのに」


 エルロは一粒とりだし、口に放り込んだ。


「それから、アーズの薬精はひとつ使って、残りは五つ。おじさんは直った」

「了解。じゃあ残りはアウルに聞こうかな」


 ジーは微笑をエルロに送って、給仕から飲み物を受け取り、一拍。振り向いた。


「使った? 薬を? ……おじさんを直したって? 誰を?」


 みるみるうちにジーの眉が寄りはじめ、ミレリアの顔が強張った。


「ん」

 

 エルロはジャグバの実を噛み締めながら言った。


「港にいたおじさんだよ。叩いたら骨が折れちゃったから直してあげた。明日も仕事ができないとかわいそうだから」


 聞くなり、ミレリアが一息にグラスを呷り、ガン! と叩きつけるようにしてテーブルに置いた。エルロは耳を塞ぎ、アウルとカークが背筋を伸ばす。


「アウル!? あなた、またやりましたね!?」


 投げつけられた金切り声に、アウルは鼻から細い息をつき、俺達は悪くない、と両手をひらりと広げてみせた。


「……海を見てたら絡まれたんだよ。だから平和的に解決しようと思ったんだ」

「平和的!? 折れちゃった!? 折ったんでしょう!? あなたが!」

「違うって。絡まれたのはエルロだからさ、エルロに叩かせたんだ。したら折れちゃて」

「折れちゃって、じゃありませんよ!」


 器用にも声真似、顔真似まで取り入れて、ミレリアは吠えた。


「私達は苦しんでいる人達を助けるために戦ってるんです! 私達が傷つけるなんてあってはならないことなんです! いいですか!? 私達は、ジーは――」

「怪我は直したから大丈夫だって。逆に礼を言われたくらいなんだ。なぁ、エルロ?」


 と、水を向けて逃げようとするも、ミレリアは止まらなかった。


「なぁ? じゃありません! なんのために一緒に行かせたと思ってるんですか!? ジーはそういうことが起きないように監視してもらおうと――」

「――ミレリア」


 ジーがもうやめようとばかりにミレリアの肩に手を置き席につかせた。彼女はいまだ言い足りない様子で、カークがそれを見てアウルにからかうような視線を送った。


「話を戻そう」


 ジーは言った。


「港に話を聞きに行って――まぁ、面倒事に巻き込まれたかもしれないけど問題は解決した。なら次だ」

「おう」


 カークが意気揚々と話しだした。


「こっちは上々だ。酒場に行ったら締め出される前の鉱夫がわんさと居てよ。奢ってやったら色々と教えてもらえたよ。裏道の地図なんかも――」

「あ、それなんだけどさ」


 アウルはカークの話を遮った。淀みなく言う、つもりだった。

 船を奪わないか、と。

 しかし、いざジーに希望の光が宿る青い瞳を向けられると言葉に詰まった。拒否されるのは分かっている。もし受け入れられたらアウルは幻滅すらするだろう。


 では、なぜ言おうとしたのか。冗談のつもりか? いや、違う。

 もう付き合いきれなくなってきているから。

 そうとしか思えなかった。

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