交渉

 エルロがほくほく顔で戻ってきた。さっそく木の実をひとつつまんで口に放り込むと、「ん」と一粒アウルに差し出した。手のひらに載せられたしわくちゃの粒を口に入れ噛みしめると酸っぱい甘みが鼻まで抜けてきた。


「ん。おじさんも」


 エルロはまた一粒だし、漁師に差し出した。


「え? あ、えーっと……」


 くれられた視線にアウルが頷き返すと、漁師は訝しげに粒を受け取り口に入れた。


「……なんだこれ。はじめて食った」

「森に潜れば手に入るしょうもない実だよ。一粒でおっちゃんの一日の稼ぎの三分の一」

「え。おい。俺は……」

「エルロの奢りだし、気にしなくていいって。次はもっと高いもの奢ってやるしさ」


 言って、アウルは顎先で一際おおきな商店を示した。軒先の看板に商人ギルドの紋章。連なる冒険者ギルドの紋章。ギルド同士で提携している冒険者御用達の店の証だ。

 入店するなり、漁師が目を丸くした。


「分かる。すごいよな」


 お値段が。冒険者ギルドに関わりのない人々からすると、用途もわからないであろう品々が無数に並んでいる。客の姿がちらほら。目が合うと、皆、一様に視線を落とし、アウルの右の拳を見て背筋を伸ばした。同業の方が価値に詳しいのはどの世界でも同じだ。

 アウルは真っ直ぐカウンターまで行き、何も言わずに指輪を見せた。


「しょ、少々お待ち下さい……っ!」


 商人ギルドは徒弟制をとっており、見習い、熟練、匠の三段となっている。冒険者ギルドに絡む店はカウンターに熟練までを置くのが普通で、匠は店の経営そのものを担っている。


 だが、勇者が訪ねてくると、少し変わる。

 エルロが口をもぐもぐさせながら言った。


「ん。さっきの商人だ」


 アウルが振り向くと、議会で見かけた商人が固い笑みをつくってやってきた。


「いらっしゃいませ、勇者さま。……どのようなご要件でしょうか?」


 栄えていても街の規模は小さい。商店を訪ねたつもりが本拠にぶち当たったらしい。


「さっきはどうも」


 アウルは言った。


「ちょっと薬を買い足しにきただけなのに、悪いね、呼び出すつもりはなかったんだ」

「いえいえ、そんな――まだなにか問題が……?」

「さっきのはもう終わった話だろ? 今はまた別の商談。本当に薬を買いに来ただけなんだ」


 アウルは薄笑いを浮かべてカウンターに肘をつき、肩越しに漁師を指差した。


「ちょっと港で『事故』が起きてさ。明日の仕事に差し支えるようじゃかわいそうだし、ヤバイ討伐なら備えもいるし、ちょっと買い足そうと思ってね」


 商人はアウルの背中越しに漁師を見やり、ぐっと口角を引き上げた。


「……なるほど。ではこちらを――商品リストになっております」


 言って、商人はカウンターに革張りの目録を置いた。港町だけあって厚さは城下町に勝るとも劣らない。医薬品と書かれた木の付箋を掴んで丁寧に開き、アウルの側に向けた。

 アウルはリストを上から指でなぞり、止めた。


「これ。アーズの薬精を五つ……いや、一つおっちゃんに使うから六つ」


 ギルド主導で開発されたと噂の傷薬だ。ジーのパーティではミレリアがいるため使用頻度は高くないが、効果は絶大。骨折どころか損傷しだいでは四肢の切断すらたちどころに治してしまう。当然、価格も尋常ではない。


「……って言ってもさ。いくらなんでも高すぎないか?」


 顔をしかめるアウルに、商人は厳粛な面持ちで首を振った。


「いえいえ、とんでもございません。昨今では海路に湧く魔物が増えていまして――」


 どこでも吐かれる名文句だ。アウルはため息で遮る。


「公定価格ってもんがあるだろって言ってんの。勇者に市場価格で売る気なのか?」


 冒険者ギルドは国家間の協働で作られた組織だ。市井から成り上がり政治に参画しはじめた商人ギルドといえど、勅命を帯びる勇者と、都市の命を果たすにすぎない傭兵を、同列に扱うことはできない。ゆくゆくは貴族に成り上がろうというなら尚更だ。


「もちろん、承知しておりますとも」


 商人は笑みを崩さなかった。黙っていれば言い値で売りつけるつもりだったくせに。

 まったく、本当に、嫌になる。

 アウルは死人の目をして金を置き、差し出された証書に自身の名とパーティの長たるジーの名を書き入れた。赤い蜜蝋を角に垂らし、指輪の印章を押しつけ、証拠とする。


「では、どうぞ――」


 商人が先にカウンターにいた熟練を呼びつけ、小箱をカウンターに並べた。ひとつ

ひとつが一般市民の一財産だ。アウルは箱を開け、おがくずに守られた薄碧い小瓶を抜き、黒皮のサイドポシェットに収めていく。硝子の小瓶は強固で、多少の衝撃では傷一つつかない。おがくずで守っているのは――もちろん商品の保護という意味もあるが――自分達の子飼いとなる傭兵達を脅かし金を絞るための演出なのだ。


 まったく、本当に、嫌になる。

 ますます目を昏くし、アウルは言った。


「毎度ありとかなんか言いなよ」

「ああ、これは失礼を――」

「冗談だよ」


 アウルは目の暗さはそのままに、気安い調子で尋ねた。


「ところで、ここは住居もも兼ねてるのか? それともただの仕事場かな?」

「――え? いえ私は――」


 そう言いかけ、商人は口をつぐんだ。だが、アウルは商人の視線を見逃さなかった。


「……あっちかな?」


 言いつつ、アウルが西の窓に顔を向けると、商人の額に先ほどまでなかった汗が滲んだ。息苦しそうに襟に指を運ぶのを見て、アウルはカウンターを離れる。


「討伐の報告はどこにすればいいのかと思っただけさ。結婚は? 子供とかいたりする?」

「い、いえ」


 商人は右手で左手の指を隠した。


「なかなか、良縁に恵まれませんで……」

「そう言わずに大事にしてやったほうがいいよ。鉱山が再開できるとは限らないんだし」


 アウルは商人に口元だけを歪めてみせ、アーズの薬精を一本、漁師に手渡した。


「……いいのか? なんか、凄ぇ高そうだったが……」

「ん」


 エルロが漁師を見上げた。


「半分くらい飲んで、残りを傷にかけるんだよ。すぐ治る」

「わ、分かった」

「――待て待て、慌てるなって。骨がずれてくっついちまうぞ」


 言われるままにその場で試そうとする漁師を制し、アウルは男の腕を吊る布を外した。まるで蟹か何かのように青黒く腫れ上がった上腕を掴むと、男は悲鳴をあげまいと右の親指の付け根を噛んだ。骨の状態を探りながら折れた骨を正位置に戻すと、耐えきれなかったか男の悲鳴が店に響いた。居合わせた冒険者や商人のひきつる顔を無視して飲むよう促す。

 漁師は目を固くつむり半ばほどを飲み下すと、瓶を見つめ不思議そうに瞬いた。


「キッツイ痛みは消えたろ? 残りは腕の打ち身と――その歯型にかけとけ」


 傷はまるで何もなかったかのように失せ、漁師は教会で奇跡を受けた信者のように騒いだ。

 ――とはいえ。


「ありがとう、あんた――アウルさん、と、エルロさん。この礼は必ずするから――」


 と店の外で感謝されるに至ると、アウルは呆れをもってエルロと顔を見合わせてしまった。


「ん。いずれなにか頼むかも」


 エルロはそう答えた。そうだよなとアウルは内心でつぶやく。

 突っかかってきた奴を痛めつけ、見逃してやった。礼の一つですませてどうする。

 これがジーなら、お礼だなんてと、何も受け取らずに許すのだろうか。


 ……許すのだろう。彼ならば。勇者ならば、間違いなく、当然のこととして。


 この先もずっとこんな旅が続くのだろうか――だとすれば、俺は。

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