値段

「――っし。どうだ? 自分で抱えてるよりはマシだろ?」


 応急手当として漁師の折れた腕を借りた上着で吊り、アウルは軽く叩いた。男が苦悶の声をあげ、恨めしげに彼を見上げた。


「突っかかってきたのはそっちだろ? 右手もいくか?」

「――か、勘弁してやってください!」


 様子を窺っていた仲間の漁師のひとりが声をあげた。


「そいつ、こないだの漁で弟が大怪我しちまって……それで」

「それで酔っ払って喧嘩を売ってきたって? 勇者様から金を巻き上げようって?」

「違うんですって! 治療費で酒を飲む金もねぇからって、俺らが奢ってやったせいで……」

「そりゃ大変だ。治療費どころか明日からメシも食えなくなるなんて」


 すっかり酔いが冷めたらしく、男の威勢のよさは消え失せていた。仲間達も暗い顔で肩を落とし、ぼそぼそと慰めの言葉を吐くばかり。


 アウルは青空を見上げた。恩を売っておくのも悪くないように思えた。腕の骨折ならミレリアに診せずとも冒険者向けの商店で薬を仕入れればすぐに直せる。費用は一般の民にとっては莫大で、冒険者にとっては端金だ。


「メソメソするなって」


 アウルは優しげな声色をつくった。


「あとで腕も直してやるから、先に話を聞かせてくれ。それまでは反省する時間だ」


 顔を見合う漁師達に、アウルは帆船を指差し尋ねた。


「船は素人だから簡単に教えてくれ。あれが交易船なのか?」

「……え? あ、ああ……そうだ。船主は議会とそこに参加してる商人と貴族で――」

「持ち主は誰でもいいんだ。だいたい何人くらいいれば動かせる?」

「あ? どうだろうな……俺達は漁師だから詳しくねぇけど……たぶん、多く見て二十人くらいか。もちろん、どこまで行くのかによるけどな――なんでそんなこと聞く?」

「船を使いたいからに決まってるだろ?」


 アウルは腕組みをし、漁師達と交易船を見比べた。


「たとえば、俺達があの船を奪ったとして、動かせるか?」

「はぁ!?」


 と、漁師達が頓狂な声をあげた。

 骨に響いたのか、腕の折れた男は顔を歪めながら言った。


「奪うって、あんた正気か? 腕っぷしは分かった。強い。認める。けど、あれの持ち主は議会と貴族さまだ。追っかけ回されてすぐに――」

「ん」


 エルロが首を左右に振った。


「アウルは、動かせるかって聞いたよ」


 漁師は絶句した。正気を疑う目をアウルとエルロの間で往復させ、喉を鳴らす。


「ただ動かすだけなら仲間を集めればなんとか……けど指揮を取れる奴がいないと無理だ」


 アウルは鼻を鳴らし、男を見下ろした。


「おっちゃんが船長になるとして」

「そら……いくらなんでも無茶だよ。外海にでたら迷子になってあの世行きだ。俺らができるのは水夫まで。下働きだ。海図を見ながら道案内ができる連中がいる。船長と航海士と――」

「じゃあ、そいつらを俺達が雇うとしたらどうだ?」

「雇う……雇うって、そう簡単に言うこと聞く連中じゃねぇと思うが……まぁ、できなかないだろうな。ただ、さっきも言ったが、すぐ追っかけられるぞ。逃げ切るのは――」

「追っかけてきたのを返り討ちにすれば、船長も航海士も、他にも全部、手に入るだろ?」

「ん……!」


 エルロが驚いたようにアウルを見上げた。


「アウル、頭いいね」


 アウルはもっと褒めろとばかりに笑んだ。

 そんな二人のやりとりに、漁師達は呆れたように顎を落とす。


「……そんな……腕っぷしだけで、なんとかできると……?」

「あ? 可能性の話だよ。あれだけ大きい船なら必死になって追いかけてくるだろうし、壊したくないから……横付けして乗り込んできたりすんのかね」

「……いや……俺が船主なら……ほっとくだろうな。たっぷり水と食料を詰め込んで、外から餓死するのを待つんだ」

「おー」


 エルロが紫の瞳を輝かせた。


「おじさんも頭いい」

「……あぁ、は、ハハ、ハ……」


 漁師達が乾いた笑い声をたてた。

 ふむ、とアウルは鼻で息をつく。


「そんときゃこっちから近づいて乗り込めばいい。だろ?」

「ん。そうかもね。でも、もっと楽ちんな方法がありそう」

「へぇ。たとえば?」

「ん。船の持ち主に――」

「恩を売ろうって? それ、いま俺達がやらされようとしてるとこだ」

「ん」


 エルロは首を左右に振った。


「持ち主を脅せばいい。脅して、譲ってもらう」


 吹き抜ける潮風。ぐぐり、と漁師達の誰かが喉を鳴らした。

 王国の民とは譲ってもらうの意味がだいぶ異なる。

 奪うか、脅して譲り受けるか――。

 法に抵触するのは同じだが、船を奪うとなると大事で当然ながら露見もしやすい。というよりも、間違いなくバレる。ギルドに依頼が提出され、追跡が始まる。やったのが勇者だと判明した場合、ギルドはどう対応するだろうか。


 一方で、脅して譲ってもらうのなら奪うよりは簡単そうだ。

 ……いや、むしろ、何人も殺されている鉱山の魔物を討伐するより、安全だ。

 アウルは感心してエルロの頭をポンと撫でた。


「なるほど。エルロも頭いいんだな」

「ん」


 エルロは迷惑そうに手を払い除けた。


「当然。ウォーゲームも私が勝ち越してる」

「ウォーゲームの勝率は関係ないだろ? あれは遊びで――」


 心外だ。アウルは抗議した。


「これは……なんというか……生活の知恵的な奴だろ? ……そうだよな?」


 急に水を向けられ、漁師達は頬を引きつらせながら曖昧に首を傾げる。

 んふー、とエルロが勝ち誇った。


「……まあいいわ。エルロの勝ちで。ほら、おっちゃん、立ちな。怪我を直してやる」

「え!?」


 漁師は愕然とし、すぐ顔を歪めた。


「あ、痛っつ……」

「俺さ、約束だけは守ることにしてるんだ」


 アウルは苦笑しながら男を立たせた。


「まぁ、気が向いたときだけなんだけどさ」


 アウルとエルロは、漁師の男を連れて、街の中心部へと足を進めた。

 交易を行っているというのは本当なのだろう。統一感に欠ける雑踏があった。陸路でやってきたのだろうどこか懐かしさを覚える衣服。海を渡ってきたであろう用途も意図も分からない置物やら小物の類。人種はそれほど混じっていないが、腹立たしくなるくらい活気があった。


 これまでに寄ってきた街は、どこもそうだった。

 魔物の増加で民が苦しんでいる。実際、アウルの集落は苦しんでいた。狩りはどんどん難しくなり、狩り場の奪い合いからいがみ合い、殺し合い、数が減ったことで魔物にやられ。悪循環の果てに消え去るよりはと集落を離れ――そして気づく。


 もっと早く集落を捨てれば良かった――

 街には活気が残っている。街を守る壁があるからだ。壁を守る兵がいるからだ。生活範囲を限定すれば簡単に生き残れたのだ。


 狩人達は、木こり達は、大きな街から離れて暮らす集落は、ご婦人方が「魔物が増えて怖いわね」と自らの安住を喜ぶために死んだのだ。


「ん!」


 エルロがふいに声をあげた。


「アウル! ジャグバの実が売ってる!」


 指差す方を見みやると、店主と思しき熟れた気配の中年男が恭しく一礼した。四角い区切りの入った棚には、色とりどりの木の実や香草の類が収められており、エルロの所望するジャクバの実は店主の一番ちかいところに溜められていた。爪の先ほどもない木の実で、干すとぐにゃぐにゃした食感となり、噛むたびにほのかな酸味と甘みを絞り出す。


「……高くね?」


 近辺の森では採取が難しいのか、それとも魔物の増加で高騰したのだろうか。知識さえあれば簡単に集められる木の実が、一般人なら躊躇う価格で売られている。上がった値段が、これまで集めてきていたであろう街の外で暮らす人々の命の値段だ。


「ん!」


 エルロが威勢よく手を出した。


「お金」

「……いや、自分の財布から出せよ。ギルドから出てるだろ?」

「アウルも食べるから半分」

「食べない……こともないか。まあいいわ。ほら」


 アウルはパーティ共用の財布から銀貨をつまんでエルロの手に落とした。途端に駆け出していく背中を見ていると、背後で漁師がうめいた。


「おい……あいつら、吹っかけてくるぞ?」


 吹っかけてくる。つまり、より高値で売りつけようとしてくる。ジーがいう世界の危機のさなかにあっても人々はしたたかだ。


「おい!」


 と、アウルはエルロと交渉中の店主に呼びかけ、中指にはめた勇者の印章を見せた。店主の顔が強張った。じっと見つめていると、エルロの手から金を受け取り、布袋に詰めて木の実を渡して、引きつった笑み会釈をよこした。


「……ふはっ、痛っ」


 漁師が吹き出し、痛みにうめいた。


「野郎のあんな顔はじめてみた」

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