観光

 リーダーというのは大変だ。言動のすべてが隊に影響する。少し疲れた姿をみせれば隊の全員が自らの疲弊に気づき、弱気を見せれば不安に変わり、倦怠は怠惰として伝播する。油断から漏らした言葉遣いの違いが、パーティ全体の意志として機能してしまうのだ。


「――アウル、ありがとう」


 宿をでてすぐ、エルロが小さいながらもはっきりと聞き取れる声で言った。


「あん? 俺は楽できて助かってるけど?」


 宣言通りに、アウルはエルロのポンチョの、肩のあたりをつまんでいた。


「ん……」


 エルロはフードを引き、より深くかぶった。


「面倒じゃない?」

「いや面倒」


 即答した。


 「情報収集とか、本気でダルい。そういう意味じゃ海を見に行くほうがいくらかマシかな。俺も見たことないし」

「……ん?」


 エルロが小首をかしげるようにしてアウルを見上げた。


「アウルもないの?」

「ないよ。森育ちの狩り暮らしだし、でっかい水たまりとか興味ないし」

「ん。そうなんだ」


 エルロはフードの奥で紫の瞳を輝かせた。


「私は見たことある。山の上からだけど、すっごく広いし、大きいんだ」

「それは俺も知ってる。変な匂いがするのも、しつこく鳴ってるのもな」


 風に乗り、潮の香りがアウルの鼻まで届いていた。寄せて、波止場にぶつかり砕け散る波の音も聞こえていた。彼にとっては濁った腐臭と耳障りな騒音でしかなかっただけだ。


「……ん!」


 とエルロが駆け出した。アウルの手からポンチョが離れる。

 エルロは波止場の際まで走り、ぴたりと止まった。腐臭と音が強くなった。小さな漁船がずらずらと停泊し、首を巡らせれば遠くに貿易船らしき大きな船が二隻、帆を畳み休んでいた。


 遥か遠く煙った空気の向こうに、海の碧さと空色を分かつ水平線が見えた。


「……遠くの海ってのは板みたいなんだな」


 エルロの隣で足を止め、アウルは呟いた。


「くっさ……そこらでなんか死んでんじゃないのか?」


 足元で、パン、と波が弾けて飛沫が顔に飛んだ。アウルは煩わしさに目を細める。


「ん」


 エルロが少し興奮した様子で言った。


「思ってたより、ずっとおっきい」

「……山の上から見えるんだから、そりゃ大きいだろうけどさ」

「ん」


 エルロが海を指さした。


「海にも雲がある」

「あ……?」


 アウルはしばらく目を凝らし、エルロが言わんとしていることに気づいて苦笑した。


「残念。空に浮かんでる雲が海に反射してるだけ」

「雲はそんなに近くに浮いてない」

「見た感じで分かるだろ? 雲はあんなに滲んでないって」


 んふぅ、とエルロが息をついた。アウルは鼻息で応じる。


「人もいないし天気もいいし、フード下ろせば? 邪魔だろ」

「ん?」


 エルロは左右を見渡し、フードを下ろした。


「……アウル。肩車」

「……あん?」

「海がどこまで遠くまで続いてるのか見てみたい」

「はぁ? 山の上から見えるってことは――」


 言いかけ、アウルは面倒くさくなって腰をかがめた。


「いいけど、落ちるなよ? 溺れちまっても俺も泳げないからな?」

「ん! 気をつける!」


 言うと同時にエルロはふわりと跳び上がり、アウルの頭を膝の間に挟むようにして肩に乗った。足に巻く鉞もあり、動作の軽快さや小柄な躰に反して重い。


 アウルは小さくうめきながら腰を伸ばした。


「おおー……」


 エルロは感嘆とも呆れともつかない声を漏らした。


「……立っていい?」

「……いや、それは勘弁してくれ。服が汚れる」


 んふー、というため息がし、小さい手がアウルの頭頂部に乗った。

 ゆっくりと時間が過ぎていく。匂いには慣れてきたが、肌に纏わりつくようなヌメつく風は好きになれそうにない。ただ青白く伸びていくばかりの海面は奇妙と評する他にない。


「ん……?」


 エルロが不思議そうに声をあげた。


「アウル。おかしい。魚とりをしてない」

「……いや、どうだろうな。狩りのときでも夜にしか狙えない獲物がいるし」


 とはいえ、沖に一隻も船が浮かんでいないのはどうなのか。漁とはそういうものなのだろうか。アウルは横を向き、ひときわ大きな二隻の帆船を指さした。


「……あのでかい船がさっき言ってた交易船だと思うんだ。外に売りに行く物を積んで港を出る。逆に外から商品を持ってきたりしてるんだよ」

「ん。だとしたら変だと思う。働いている人が少なすぎる」


 違和感の正体はそれか、とアウルは口を曲げた。議会は街の経済状況を鑑み交易船を限界まで動かすしかないと言っていた。だが傍目には二隻も暇をしている。もちろん、漁業についても、海路を使った交易についても、詳しくはないが――、


「……船の護衛もいないんだよな」


 アウルはぼそりと呟いた。議会や、ジーのいう世界が信用できないからか、忘れておくべきだった考えが薄っすらと輪郭を描きはじめる。


「あの船って、どれくらいの人数で動かすんだろうな」

「ん……分からない。でも、私達だけじゃ動かせないと思う」


 それは、そうだ。知識としての操船は知っていても、やったことがあるのは手漕ぎの釣り船くらいしかない。海に出て別の大陸を目指すとなると自分達の手では無理だろう。


「必要なのは帆船を動かせる人間か」

「ん。あと、水と食べ物がいると思う。さっき海の水が口に入った。しょっぱかった」

「水は……まぁ、エルロが作れるだろ? あとは食べ物だ」

「作ってるんじゃないよ。取り出してるだけ。そんなにいっぱいは、ちょっと難しい。食べ物はもっと無理――」


 エルロがぺちっとアウルの頭を叩いた。


「ん。アウル。何を考えてる?」


 その口調は、ミレリアを真似したような、嗜めるような言い方だった。

 アウルは我知らずつり上がっていく口角をそのままに言った。


「船、人ごと奪った方が早いと思わないか?」


 それは昔ながらの、勇者となった今では許されない方法である。しかし、エルロは、


「ん……たしかに」


 あっさりと同意した。カルガ族が嫌われる遠因でもある。カルガ族は自分達の集落を最優先に思考する。他人が被る迷惑を考慮するのは、もっとずっと後ろだ。


 その点では街の議会も同じと言える――いや、議会どころか、これまでの旅程で出会ったすべての人々がそうだった。誰も彼もが、自分達の利益が最大になるよう動く。


 勇者というとてつもなく腕の立つ傭兵がきたなら利用しない手はない。みんなそうだ。


 何が皆で力を合わせるだ。何が皆で世界を守ろうだ。他人のために命を張っているのは俺達だけじゃないか。いや、俺だって他人のために命を張ってるわけじゃない。


 では、ジーは? あいつはどうなんだ?


「――おい、そこで何してんだ?」


 アウルの思索は背にかけられた野太い声に切られた。肩の上のエルロに気をつけながら振り向くと、漁師らしき体格のいい男が三人並んでいた。潮風に混じり酒の匂いがした。


「ちょっと海を見に来たんだよ。冒険者でね」


 言って、アウルは肩に乗る太股を叩いた。ぴょん、とエルロが飛び降りる。アウルは右の握りこぶしと、その中指にはまった緑翠の印章を見せた。


「分かるかな。勇者なんだ。ちょっと船を借りられないかと思って来ててね」

「ああ? 勇者ぁ?」


 三人のうちの、一際おおきな男が、足元をふらつかせながら近寄ってきた。急に眉を寄せたかと思うとアウルを無視し、腰を折るようにしてエルロの顔を睨んだ。


「見ろよ! やっぱカルガ族じゃねぇか!」波の砕ける音より大きな声だった。「おい! 来てみろよ! なんか臭ぇと思ったんだ! カルガのガキがいるぞ!」


 後ろの男ふたりが顔を見合わせ、迷惑そうな、それでいて獲物を見つけたと言わんばかりに嬉しそうな笑みを浮かべて寄ってきた。


「カルガ族が何しに来たんだ? 山の上が住処だろ? 客探しか?」


 後ろの男が言うと、すぐエルロにつっかかっていた男もアウルを上目見ながら口を開いた。


「兄ちゃん、このガキ買ってやろうか? いくらだ?」

「エルロが?」


 アウルは瞳の輝きを鈍くしながらエルロに視線を下げた。


「……使い方にもよるだろうけど、漁師が買える値段にはならないかな」


 単に躰を売るより、武力を使ったほうが稼げるのは間違いない。


「あぁ? じゃあ何か? 兄ちゃんは、俺らの海に薄汚いうえに役にも立たねぇカルガ族を連れてきやがったクソ野郎ってことか?」 


 漁師は日々の仕事で鍛えたのであろう逞しい腕を見せつけるように短い袖をまくった。赤ら顔に張りつけた怒りを隠そうともしない薄笑いや、腰に差した無骨なナイフからも、腕に自信があるのだ見てとれる。もっとも、所詮は素人の範疇だが。

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