生まれ変わる

 アウルは椀に入れた肉を匙に乗せ、息を吹きかけた。


「そうだよ。アウル。けど、偶然だよ」


 動揺を見せるなと自身に言い聞かせながらジーに視線だけをくれてやった。


「あの髭面野郎が言ってたのは、あっちのアウル」


 アウルは親指を立て、肩越しに背後の扉を指さした。


「この団の副団長、らしい。見た目はなんていうか……子どもだな。顔は可愛いけど言うことがゲスくてね。腹一杯にしてやれば黙るだろうと思って味見を頼んだら、あいつ鍋を混ぜるのに使ってた木杓子で味見してそのまま戻しやがった。最低な奴だよ」


 マジで死ねばいい――死んだのか。

 一人納得するアウルの横顔に、ジーは一度、瞑目した。


「……カーク」

「……おう。見てくる」


 カークが扉を開いた。ほんの数十分の間にずいぶんと血の匂いが濃くなっていた。ミレリアが臭気に鼻口を覆いながら後に続こうとし、アウルは咄嗟に肩を越して言った。


「やめときなよ。酷いもんだった」

「――平気です」


 ミレリアが毅然と言い返した。


「私は、これでも神の使いですから」


 アウルは首を左右に振った。まもなくカークのうめきとミレリアの息を呑む気配があった。ジーは扉から漏れる光を一瞥し、アウルのすぐわきの椅子を起こす。


「君は――」

「言ったろ? 俺はギルドに入れるかもって思っただけだよ」


 アウルは積み重ねられていた椀の一つを取り、シチューを注いでジーに差し出した。


「ジーだっけ? もし食えそうなら食ってくれ。礼みたいなもんだ。俺は、お前らが来てくれなきゃ動けなかった」


 ジーは湯気の立つ椀とアウルの顔を何度か見比べ、首をすぼめるようにして口へと運んだ。


「え?」


 ジーは驚いたように瞬き、またアウルと見比べ、失笑した。


「ごめん。びっくりした」

「美味すぎ?」

「うん」


 ジーは幽かに聞こえてくるミレリアと思しき鎮魂の祈りに気を使ったのか口元を隠したまま肩を揺らす。


「ちょっとこれは、いくらなんでも美味しすぎるかな」


 その申し訳ないけれど止めらないといった笑顔は年相応で、つい数分前アウル自身の手で殺めた少年に似ていた。しかも歳も近そうで、アニキなんて呼ばれる心配もない。


 アウルは椀に残った細い骨を唇に挟んで笑いかけた。


「あー……ものは相談なんだけど」


 ダメで元々の交渉だ。仮に決裂しても、これだけ緩んでくれていれば逃げ出すチャンスくらいは残してくれるかもしれない。


 しかし、ジーの回答は予想の上をいった。


「……実は僕らのパーティには大きな問題があるんだ。全員、料理が得意じゃないんだよね」


 ジーは椀をすっかり空にし、アウルに差し出した。

 答えをもらったようなものだ。アウルはごろりとした肉の塊を一つ余分に足して返した。


「――おい、ジー。とりあえず布で包んだけど――」


 背後からカークの声が飛んできた。


「……おい嘘だろ? ジー、お前……メシ……?」


 彼は巻いた絨毯を肩に担いでいた。他に物がなく、絨毯で貴族の娘の死体を包んだのだろう。


「え?」


 分厚い鉄鎧にくるまれた躰を越して、ミレリアが顔を覗かせた。


「……え!?」


 信じられない、といった表情。だが、その不審は、この状況で食事を摂っていることよりも、ジーがアウルの横に座り話していることに向いているように見えた。


「あの……ジー……?」


 ミレリアの呼びかけに応じて、待ってとばかりにジーが肩越しに手をかざす。あらためてアウルの方に向き直り、少し陰を帯びた青い目で見つめながら言った。


「アウル。僕らは魔物が増えた理由を探り原因を排除するよう勅命を受けた『勇者』なんだ」


 この世界に存在する国家すべてが同じ難題に取り組んでいる。国家の枠を越えてギルドが設立されたのも、すべての国が魔物の増加を不安視したからに他ならない。


「勇者は国家と王の名前を借りるから、権限が大きい分だけ印を渡されている人数も少ない」


 やりようによっては、かなりの横暴もまかり通る。それゆえに人を選んで勇者と定める。当然のことだ。ゆえに登録自体が難しいギルドのなかでも勇者は――。


「それで……魔物が増えた理由は分かったのか?」


 アウルの問いに、ジーは首を振った。


「今は細い手がかりを追ってるところでね」


 そこで言葉を切り、また言葉を選ぶように顎をあげて呟いた。


「……どうも、僕らが生まれるよりもずっと昔……まだ神さまが地上で暮らしていた頃に理由があるらしい」


 ジーはアウルを横目みた。反応を探っているようだ。


「……神さまかぁ……」


 アウルはため息で答えた。


「まぁ、あるかもな。俺が元々暮らしてた森にもよく分からない祭壇とかあったし……仕留めた獲物の一部を供えて祈るとさ、一瞬で消えちゃうんだよ。すると……なんていうか、強くなる……?」


 躰は軽く、力は強く――より感覚を研ぎ澄ますことができるようになった。父や当時の仲間が同じように祈りを捧げても何もおこらなかったのに。不思議だった。


夢でも見たか、あるいは嘘をついたのか。

疑いを晴らすべく皆の前で祈りを捧げたこともあるが、何か仕掛けをつくって騙そうとしていると思われただけだった。アウルが、自らを神に選ばれた者だと過信し、森を出ることになったきっかけの一つでもある。


 黙って聞いていたジーはニッと少年らしい片笑みを浮かべた。


「もしかしたら、僕らが依頼を受けたのも、神さまのお導きだったのかもしれないね」

「……ジー!?」


 声に振り向くと、ミレリアが眉を寄せていた。神官として聞き捨てならなかったのだろう。


 カークが諦めたように息をつき、絨毯で包んだ貴族の娘の遺体を肩から下ろした。

 ジーは小さく頷き、アウルに言った。


「僕らは依頼を果たしたらこの森を抜けて、カルガの里に行こうと思ってるんだ」

「――は? カルガの里だって? 何しに?」


 アウルは思わず声を尖らせた。

 カルガの里とは、森を抜けた先にそびえる霊峰レレイの山頂近くに暮らす、カルガ族の集落のことだ。彼らは王国に伝わる神を信じず、独自の信仰をもち、また魔法とも奇跡とも異なる怪しげな呪術を操るため、はるか昔には悪魔あるいは鬼として忌み嫌われていたという。


 今でこそ山を降りて生活するカルガ族もおり、獣人らが都市に溶け込むのに合わせて受け入れられつつあるが、いまだ獣人と同等あるいはそれ以下の種族として扱われている。アウル自身は森ぐらしが長く、また狩人も下に見られがちな職であるために偏見はないが――。


「……魔物の増加はカルガ族のせいなのか?」

「いや」


 ジーは即答した。


「まだ分からない。そうじゃないと良いと思ってる」

「……そういうことにする、って話か?」


 ギルドが設立されても魔物の増加は止まっていない。危機感に欠ける騎士貴族は遊び呆けるか政治争いに夢中で役に立たない。商人貴族は危機を逆手に取った金稼ぎに忙しい。犠牲となる民の不満は高まり続け、いずれは反乱に向かうかもしれない。そうなる前に、すでに差別の対象となっている存在を利用して――国が生贄を求めたとしても不思議ではない。


 アウルが小さく鼻を鳴らすと、ジーは神妙な顔で首肯した。


「もしかしたら――僕らはそういう役割を期待されているのかもしれない。でも僕はそんな終わりにするつもりはないよ。信仰は違っても長く同じ世界に暮らす仲間だし、カルガ族が僕らの神とは異なる神を信じるなら、調べればなにか分かるかもしれないと思ってる」


 席を立ち、ジーは残り少なになっていた椀の中身を飲み干した。


「森を抜けるには腕の立つ案内人が必要だ。それに山に登るのにもね」

「……おい、マジかよ……」


 カークが肩を落とした。


「そんな奴を信用すんのか? ギルドに届け出て案内人を雇ったほうがよくないか?」

「ジー……私もそう思いますよ」とミレリアもつづく。


 しかし、ジーはアウルの肩に手を置いた。


「そう焦らなくても、まだ断られるかもしれない。そうだろ?」

「……断る理由がないけどな」


 アウルは苦笑してみせた。嘘だ。理由はいくらでもあった。盗賊であると露見すること、人助けなど興味ないこと、どうも儲かりそうにないこと、何をするにしても危険が伴う世界ではあるが何も好き好んで最前線に飛び込む必要はないのだけれど――。


 まず最初の目標を果たすのも悪くない、とアウルは肩に乗せられた手を叩き腰をあげた。


「ギルドに入れてもらえたりするか? 俺、後見人がいないもんでさ」

「もちろん。絶対に入れると保証することはできないけどね。でも、『勇者』が推薦した人が入れないなんて変な話だし、そうなったら僕の名前で国王陛下に頼んでみるよ」

「んじゃ決まりだ。俺はアウル。また同じ名前だからって疑われたら困るし、ガンツィの森のアウルとか、まぁそんなふうに覚えてくれ」

「ガンツィ? ギルドにも入らずここまで国を渡って来たのかい? 頼もしいね。――僕はジーだ。父の名前をもらってジー・クルキ。よろしく」


 二人が握手を交わす様子を、カークとミレリアは複雑な顔をして見ていた。


「さて、と――」


 アウルはカークに振り向き、彼の足元に置かれた死体を指さした。


「肩に担いで行くんじゃ酷いことになりそうだし、荷車でも探そうぜ?」


 ジーと違ってこっちは時間がかかりそうだ、とアウルは唇の端を吊った。


 ――もっとも、ジーにしてみても単に人が好いというより別の思惑がありそうだったが。

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