勇者の旅程
ジーという人間の生き方は、アウルにとって奇妙に見えた。
貴族に娘の亡骸を引き渡すさい散々に罵倒されたが、彼は首を垂れるばかりだった。見かねたカークの擁護すら制し、奴隷のように詫び続けた。そのくせ、ギルドにアウルを登録し、彼が真新しい翠色の印章指輪をつけるときは子供のように得意げに振る舞った。公私を明確に分けていると見るべきか、少年が背伸びをして英雄を気取っているのか、判断に迷わされた。
彼ら勇者のパーティは、常識はずれの戦闘能力を有していた。
とりわけジーの実力は怪物と評するのが正しい。アウルの自信は早々に砕かれ、ついていくのに必死になったほどだ。それは異様な膂力と頑強さを備えるカークや、天におわす六柱の神の力を借りて奇跡を操るミレリアにしても同じである。三人の連携にアウルも加われば、一国の軍隊にすら比肩しうると思われたのだ。
しかし、パーティの意志たるジーの決断は常に奇妙で、彼らの旅は不思議だった。
森を抜ければ霊峰レレイまでの領地を歩く許可を取ると言い、そのために領主の頼みを聞いて洞窟に潜った。麓の村ではレレイに登る準備として村民の頼みを解決して回らされた。
アウルには不可解に思えた。圧倒的武力で押し通ればいい。勅命を盾に立ち入ればいい。道理を手にしていながら、ジーは『人助けも僕らの使命だから』と苦笑したのだ。
寒風吹きすさぶ荒山を登り、高すぎるゆえに雪すらろくにつかない山肌を進み、カルガ族の村にたどり着くと、やはりジーは集落の長の頼みを聞いた。対立部族との交渉、闘争、神殿に居着いた魔物の排除と、まるで傭兵さながらである。
ついにはカルガ族の巫女とされる少女を押し付けられ、受け入れる始末。もちろん、エルロという幼名を持つ少女なくしては神殿で手がかりを得られなかっただろうが――。
アウルには、幼くして両親を亡くしていたエルロを、集落では手に負えない実力者である少女を、協力にかこつけて厄介払いしたようにしか見えなかった。
それでも、ジーは文句の一つも言わず受け入れてしまった。
パーティは戦力を増したが、ジーは変わらなかった。アウルの感じる不思議は次第に不満へと転じ、エルロの独特な価値観に共鳴するのもあり、澱のように彼の胸に溜まっていった。
すでに、カルガの巫女エルロが仲間に加わってから、二ヶ月が経とうとしていた。
「また野宿かよ……こんだけひらけて魔物もいないんだし、旅の宿とかないもんかね」
アウルは焚き火に鍋をかけ、ぼやきながら腰を下ろした。ちぎった干し肉と干し野菜を放り込み、獣脂の固まりを少し入れ、鍋底で炒め始める。
「あるわけねぇだろ。前の街でこの辺で五百ばかし死んだって聞いたぞ」
アウルのそばにガラガラと音を立てて薪を落とし、カークがため息をついた。本当かどうかは怪しいものだが。そう言外に言っているような気がした。
一行は海辺の街オランを目指して移動していた。新たな手がかりから、海を渡る必要がでてきたためだ。海を渡るには船がいる。船を得るには街の協力がいる。面倒ごとの匂いがした。
「明日の昼には着くと思う」
ジーが地図を見ながら言った。
「だよね、ミレリア?」
「え? あ、は、はい! ……たぶん?」
ジーの傍ら――拳ひとつ分ほど空間を開けて、物思いに耽っていたのだろう。反応が鈍い。
「話、半分も聞いてなかったろ」
アウルは鼻を鳴らし、鍋の縁を木杓子で叩いた。
「まぁなんでもいいけどさ。エルロ、水くれ、水」
「……ん?」
と、一足先に毛布に包まっていた少女が躰を起こした。
黒髪に浅黒い肌の、捉えどころのない紫色の瞳をもつ、とても小柄な少女だ。カルガ族の族長から旅に同行するよう命じられた、カルガの巫女である。
「水だよ水ぅー。メシ食ってから寝たいだろ?」
「ん。水……的ちっちゃ」
エルロは面倒そうにポンチョの裾を払い、革ベルトで太ももに留める小型の鉞を抜いた。柄頭に小指をかけるようにして握り直し、刃の延長線上に鍋を定めて、すぅ、と深く呼吸する。
「……周辺領域の
カルガ特有の、いくら説明されてもいまいち理解できない呪術の詠唱だ。王国民があつかう奇跡や魔法とは力の根源が違うという。人を助く奇跡ならば天にある六柱の神の力を借り、魔法とあれば地の底に眠る三柱の邪神や精霊などの力を借りるが、カルガの巫女エルロは――、
「
エルロの握る鉞の刃に植物の葉脈を思わせる赤い閃光が輝いた。鍋の直上、空虚な空間から突如として水が落ち、鍋の油が爆ぜた。鍋にたっぷり一杯分。便利極まる。
「……気味わるい」
ミレリアが忌々しげに呟いた。奇跡をあつかう神官からすればそうだろう。
「ん」
エルロはどこ吹く風と涼し気な顔で振り向く。
「だいじょうぶ。気味わるくない。ただ既存第二世界の
「それが気味わるいって言ってんだよ、ミレリアは」
カークが舌打ちした。ジーは微苦笑していた。
「どっちも便利でいいよ、くだらない。ありがとな、エルロ」
アウルは鼻を鳴らして木杓子を取った。長く旅を共にすれば自ずと役割ができる。当初は苦言を呈す役だったらしいカークは直情径行に戻り、エルロ参入後はジーとミレリアの味方だ。
ミレリアはクソ真面目な神官に見えたが、本人は隠しているつもりなのかジーに恋しているような素振りを見せ、エルロが加わってからは露骨な王国人顔を披露するようになった。
アウルは二人に代わって嫌味と悪態、対立意見をぶつける役になった。また、王国人とは価値観が異なるエルロの理解者役でもある。彼女の考え方のほうが気性に合うのもあるが。
エルロは……エルロだ。相手の振る舞いに合わせて態度を変える。そこが山の下ならどこにいても後ろ指を差されるカルガ族の賢い生き方なのかもしれない。
「食事を取ったら順番に休もう」
ジーは言った。
「三交代で最初は僕が見張り。次は――」
「ん、私がやる」
エルロが小さく挙手した。
「――ありがとう。じゃあ次はエルロで、三番目はカーク。頼めるかな?」
「任せとけ。腹一杯で起きられないかもしれないけどな」
ハハ、と乾いた笑いが焚き火を囲む。ジーの少年らしさは鳴りを潜め、お人好しは頼み事をこなすうちに酷くなり、今では聖人のようだ。唯一、素顔の一端が現れるのは――、
「……アウル、起きてるかな?」
「……名前を呼ばれたら起きるようにできてるんだ」
アウルは瞼を持ち上げると、毛布のなかで片肘を立て頬骨を乗せた。皆、静かに寝息を立てており、乾ききらない薪が火中で爆ぜる音と、気のせいか遥か遠方に波の音があった。
「冗談を言ったんだから笑ってくれよ」
「……冗談だったの? 本当にそうなのかと思った」
焚き火をつつきながらジーが笑う。二人だけだと急に気安くなる。歳が近いからかもしれない。生き方が違うからかも。弱かったアウルが隙をみては鍛錬に付き合ってもらったからかもしれないし、事あるごとに大人しく引き下がる彼に代わり牙を剥いたからかもしれない。
「ジー。お前、結局どうしたいんだよ」
「……何が? どうって?」
「ミレリアだよ。どう見ても惚れてんだろ。きっと今、聞き耳たててる」
アウルはジーのそばの毛布の固まりを見やった。震えはしなかった。寝ているか起きているかは判然としないが、夢の中でも記憶に残すような女だ。
ジーは呆れたように口を曲げながら毛布の固まりを覗き、首を左右に振った。寝ているらしい。本当かどうかは分からない。寝入ったふりすらパーティの誰もが一級品である。
「……アウルは、この旅が終わったらどうする?」
「何度目だよ、その話」
アウルはくつくつと肩を揺らす。
「俺は変わらないよ。左うちわで酒池肉林。お屋敷もらって、肉を吊るして、最高のワインで池をこさえて……飽きそうだけどさ」
ジーが吹き出すように笑った。
「ダメだ。何度聞いても下らなすぎて笑っちゃう。ちゃんとした夢だと思うんだけど」
「ちゃんとしてはいないだろ」
アウルはニヤけながら固めた荷物に頭を落とす。
「……ジーはどうするんだ? 『分からない』以外の答えはでてきたか?」
何十回も繰り返した話だ。アウルの答えは常に変わらない。思いつくのは酒池肉林だが、平穏無事に生きられるならなんでもいい。そうなった。ジーの答えも、いつも同じだ。
「……分からない」
生まれたときから使命を帯びていたという。クルキという名をもつ父親のせいで、その父に惚れ込んだ母親のせいで、誰かのために尽くすのが生きがいになっているとか。人がいいにも程があるが、市井から勇者として見出されるのはそういう人物なのかもしれない。
アウルは近くの毛布の固まりを見やった。
「なんか言えよ。エルロなら『ん。お肉をいっぱい食べたい』くらいは言うだろ?」
苦笑するジーをよそに毛布の固まりがもぞもぞ蠢き、寝ぼけ眼のエルロが顔を出した。
「……ん……。お肉よりもチコリの花をいっぱい食べたい。お腹いっぱい」
ぼそっと呟き瞼を閉じた。レレイの山頂に咲く花だ。針のように細い青色の花弁を集めて茹でると芳醇な香りと優しい甘みがでる――が、鍋いっぱいに集めても両の掌に収まるくらいにしかならない。ついでに獣の脂に塗れたカークの舌では味を感じられないほど繊細である。
ジーは、エルロの毛布を一瞥してしばらく俯き、やがて静かに切り出した。
「……たとえば、僕が狩りに出て、アウルがご飯を作るっていうのはどうかな」
「無理だな」
アウルは即答した。
「たまに来てメシが食いたいっていうなら考えるけど」
「……そっか。じゃあ……じゃあ……やっぱり分からないな。次は笑わせるよ」
「俺は人の夢を笑ったりしないよ」
アウルは潮時を感じて瞼を閉じた。遥か遠くの闇の向こうに波の音を幻聴する。
しばらくして、見張り番として起こされたエルロに暇だからと揺さぶられ、カルガ族用の特別ルールを採用したウォーゲームにしばらく興じ、カークを起こしてまた瞼を落とした。
前夜ジーが予想した通り昼の少し前、オランに入ると、人々は二色に塗り分けられていた。
普段と変わらぬ日常と、先の見えない絶望と。
一方からは潮の香り、他方からは砂塵と鉄錆の匂いがした。
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