早々の破綻

 フォルジェリ家の現当主、グスタフ・フューリアス・フォルジェリの外道は、年老いた先代の元に生まれたところから始まる。世話になった役人を突くのは少々気が引けたが、騎士の残した日記を元に調べてみたら思いの外あっさりと表に出せない記録が出てきた。


 若い頃は移民に金と土地を貸し付けすべてを吸い上げ、残り滓を趣味に使ったらしい。特にお好みだったのは亜人と妊婦、他人の妻で、生かしたまま腹を開いたとか、取り上げた子を目の前で握り潰すとか、あるいは親や亭主の前でどうとか――噂が真実なら邪悪とはグスタフのような男を言うのだろう。辣腕ながら元は嫌われていなかったらしい先代も、年老いてから生まれたグスタフには手を焼いていたとか、いないとか。実態についてはどうでもよかった。


 噂があるならそれでよかった。


 相手に選ぶならこれ以上はない逸材だ。買った恨みは数知れず、しかし誰も逆らえず、優秀らしい息子二人は町の外。肝心要の我儘な一人娘は、日々を遊び暮らしている。


 メーンを守る壁の外、馬車でおよそ一時間ほど行くと練兵場がある。中にはフォルジェリ家の私兵がおよそ二十。一人娘の遊び相手だ。馬車の列は一台ごとに五人の護衛をつけ、前後の二台に御者をいれ六人の傭兵が乗る。合わせておよそ三十。簡素な門前で車列が止まると、傭兵隊がずらずらと降り立ち中央の馬車から門までの道を肉壁として囲う。中央の馬車から御者が降り、うやうやしく幌付き荷車の扉を開いて、乗降口となる階段を広げる。


 そして、一人娘が颯爽と降り立つ。


 恰幅のよかった父親の血筋の影響か、一瞬、男と見紛う上背の少女。それと分かるのは美しくも幼い顔立ちをしているからだ。歳は十八だとか。都市で権勢を誇る貴族の娘にしては行き遅れ気味。原因はその特殊な趣味のせいだろう。


 グスタフの娘、フラウ・フューリアス・フォルジェリは真紅の鎧を纏っていた。従者二人がかりで下ろした長大な両手剣を受け取ると、右肩に担ぐようにして門の奥へと消えていった。

 その様を、少し離れた小麦畑の隅から見つめる二人。


「……ん。アウル、あの子きっとバカだよ」


 エルロが退屈そうに練兵場を指さした。

 アウルは曇り眼のまま鼻を鳴らす。


「遊んで暮らせる貴族の長女が大剣の修行だしな。バカじゃなけりゃなんなのさって」

「ん」


 エルロはしばし考えて首を傾げた。


「変態?」

「変態は言い過ぎかな。なんか戦場に憧れとかあるんじゃないか? ほら、ギルドとかにもいるじゃん。傭兵になってみたら思ってたのと違う、みたいな」


 自分も同じようなものか、とアウルは口の端を曲げた。

 馬車と傭兵達が門をくぐり、後には衛兵らしき二人が残った。ほどなくして、壁を挟んだ向こう側から訓示めいた声と号令が聞こえた。アウルは神経を研ぎ澄まし、長らく世話になってきた耳を利かせる。ひらけているため風に流され茫洋としている。集中しなくては。


「――いい気なもんだよ」


 聞こえてきたのは門扉の二人の無駄話だ。くぐもった笑い声。襲われる心配などしていないのだろう。門の奥。質の良くない鉄の擦れる音。傭兵達の甲冑か。入ってしばらくしてから半円状に並んでいる。いや円か。中心に音が混じる。刃が風を切った。刃は鈍い。高音で発せられる気勢はあのデカい少女――フラウだ。剣を誰かが受け止めた。対峙している。実力差は大きい。意外だがフラウのほうが腕は上に思える。


「変なの」


 アウルは吐き捨てるように言った。


「あいつら、一人一人決闘してるみたいだ」

「ん」


 エルロが満足げに鼻で息をついた。


「やっぱりバカだ」

「他人の趣味は笑っちゃいけない」アウルは足元の麻袋を引き寄せ口を開いた。「エルロ、どっちにする? 兎と、熊」


 麻袋の中には、狩りで得た兎と熊の毛皮でつくった仮面と手袋が詰め込まれている。顔を隠すためではなく、印象を操作するために。どれだけ気を使っても顔は知れるが、人相書きは粗末なため問題にならない。


 しかし、背格好は別だ。その点、獣人となれば毛並みと獣種の証言が中心となる。また、彼らは今でも差別の対象となっている。いつものように食うに困ったスラムの獣人が犯罪に手を染めた。そんなありきたりの物語まで想像されて、盗賊稼業では有効な煙幕となる。もっとも、当時の同業の獣人は死んだ目をしていたが。


「ん」とエルロは二つの仮面の上で手を往復させ、「こっち」と、熊を取った。


「マジで? 兎を取るかと思ってたわ」

「ん。兎は目が気持ち悪い。でも熊はカッコイイ」


 エルロはウキウキした様子で熊の毛皮を頭に被り、嫌そうに言った。


「………臭い」

「まだ燻しきってないしな。――あ、今から変えるのナシだから」


 アウルは兎の仮面を身につける。木の骨組みが頬に当たるのと革の固さが気になった。加えて頭についた長い耳だ。頭をすっぽり包み込むように拵えたのもあるが、首を傾けるとゆらりと揺れるのが煩わしくてたまらない。もっとも、文句を言える状況でもないが。


「んじゃ、行くか。フラウ以外は皆殺しでいいぞ。その方が都合が――」

「ん」

 

 エルロが言葉を遮るように手をあげた。


「皆殺しはあんまり良くないと思う」

「面倒なこと言うなよ。もしかしてアレか? 人を殺すのは初めてとか?」

「ん」


 エルロは熊顔を横に振った。


「殺すと仲間に恨まれる。一人を殺すなら家族友人ぜんぶ殺せってカルガでは言う。あの人達は傭兵だし、気絶させるのが良いと思う」


 見れば、熊面の奥で純真無垢な瞳が待っていた。言われてみればとアウルは空を仰ぐ。ジーと出会った時とは状況が違う。盗賊と違い私兵には家族や友人もあるだろう。


「面倒くさいな。俺、痺れ薬は一人分しか持ってきてないぞ?」


 より正確に言えば一人分しか用意できなかった。メーンの森は故郷のガンツィと異なり動植物に必要となる毒を持つ種が少なく、蛇や数種の植物から調合するしかなかった。殺すよりも生かす方が難しいというのは皮肉だ。


「んじゃ、その方向でいくか。死んじゃったら事故だ」

「ん。りょーかい」


 エルロは右太ももから鉞を抜いた。「私が右の人をやるね」


「だから、俺は左か。真正面から行って、三、二、一でぶっ叩く」


 アウルは右の腰に棒状の投げナイフのベルトを垂らしながらエルロの頷きを確認、立ち上がった。空に寝そべる太陽よろしく呑気なものだ。両手に毛皮の手袋をはめ、門兵に近づく。先に気づいた奥の――向かって左の兵士が眉を吊り上げ、槍を握り直した。


「おい! なんだお前ら! 止まれ!」


 二人は一度顔を見合わせ、なかったことにして近づいていく。


「おいこら! 聞こえてねぇのか!? 止まれ! そこで止まれって!」


 叫んでないで槍を構えろ、とアウルは思った。右の兵士も槍の穂先をエルロに向けるようにして構えた。左の兵士はやや遠いか。一歩では踏み込めないかと問われれば余裕だが。

 アウルは兎の仮面越しに言った。


「いま中に来てるのはフラウ・フューリアス・フォルジェリさん?」

「黙れ! そこで止まれって言ってんだよ!」


 奥の兵士が恫喝する気か、槍を下げて近づいてきた。


「なんだその――なんだ? 皮かぶってんのか?」

「三」


 アウルは無視してカウントした。


「二」

「おい。ここはフォルジェリ家の私有地だ。立ち去れ」


 手前の傭兵が言った。と、ほとんど同時だった。


「一」


 とアウルが発話するのに合わせてエルロが駆け出し、跳んだ。たったの二歩で全速に到達し、空中で旋回しながら鉞を握る手を引き絞り、力を溜める。


「は!?」


 アウルは思わず口に出していた。三、二、一、で攻撃に移行するつもりだったのだ。エルロは一拍早かった。アウルは急いで奥の兵士に突っ込む。右手で黒皮のナイフを抜きそのまま――刺したらまずいんだったと靴底を滑らせながら逆手持ちに握りを変えた。


 グワン! とすぐそばで鈍く激しい音を立て、エルロの鉞の背が、傭兵の側頭に叩き込まれた。骨のきしむ音とともに傭兵の首が傾いだ。受けた衝突力を受け止められずに足が浮く。その場でターンを決めるようにグルグルと躰が回り始めた。


 アウルは振り回された槍の柄を掻い潜り地を蹴って、短剣を逆手に握る手で傭兵の喉を殴った。そのまま傭兵の槍を持つ手を担いで投げにいく。腰を入れて傭兵の体重を背中に負い、宙にあるうちに腕に巻いた手を脇に滑り込ませた。アウルは勢い躰を浮かし、自重と渾身の力を込めて、傭兵の躰を硬い地面に叩き落とす。


「ぐばっ!」


 と短な悲鳴があがった。首の付け根から地面に刺さった傭兵は白目を向き、口の端から涎を垂らしながら倒れた。見た目、指二本分は首が縮まったように思える。一方で、エルロがぶっ叩いた傭兵は指二本ほど首が伸びて見えた。


「……おい、エルロ。三、二、一だって言ったろ?」

「ん?」


 エルロは不思議そうに小首を傾げた。


「だから一と同時にいった。違った?」

「三、二、一、で、ゴツンだよ。同時じゃないって」

「ん? 私は同時がいい。同時のがやりやすい」

「マジで? そうなの? んじゃ次は同時で――てか、そいつ死んでない? 大丈夫?」

「分かんない。なんかメキョッていった」

「それ骨が折れた音じゃないか? 人には殺すなって言っといて――」

「アウルだってブキャッていわせた」

「あ? いやほら見ろって。俺はちゃんと気絶――」


 させたのだと手を広げるも、地面に叩きつけた傭兵が吹く泡に赤色が混じっていた。


「……あれだな。頭と首はやめよう。危ない。それでも死んだら事故だ。んで、さっさと終わろう。腹減った。中の連中は――だいたい真ん中にフラウで、回りを――」


 二人は昨晩のうちに練兵場に忍び込み、罠としてエルロの術をいくつも仕込んでいた。どんな術を仕込んだのかは聞いていないが、エルロにはフラウの生け捕りを前提にしてもらっている。門兵を倒したのなら後は術を発動すれば終わりだ。


「ん。それは聞いた。でも目で見ないと無理」

「は?」


 アウルは顎を落とした。


「昨日、俺いったよね? 壁の外から仕留めたいって」


 言って、門に触れた。振動から中ではまだ練兵中――フラウのお遊びの真っ最中だ。音が激しいために門の騒動に気づかなかったのだろう。

 エルロは面倒くさそうに熊マスクの目の穴の位置を調整しながら言った。


「ん。それはそう。だからいっぱい仕掛けた。こんなに少ないと思わなかったから、一度にぜんぶ実行させると死人が出ちゃうと思うよ」


 まるで他人事のような言い草だった。

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