堕落

 とりあえず馬の引く荷台一杯の乾燥した薪を確保して再び冒険者ギルドを訪ねてみたが、ジーはまだ動いていないようだった。


「……アウルはジーのこと凄い気にするよね。もう関係ないのに」


 家へと戻る道すがら、エルロが荷台でゴロゴロしながら言った。


「関係ない……まぁ、そうか。でもあいつらが未だに詰まってるとかびっくりだろ?」

「ん。それはそう」


 エルロは左右に揺れながら訥々と続けた。


「戦力不足? 私とアウルが抜けたのは地味に痛かったとか」

「じゃなきゃ今ごろ船の上だろ……にしたって攻略が遅いか。貴族の妨害があるのかもな」


 アウルは薄れつつある記憶を手繰る。オランでは港の権益を貴族が取り仕切っていた。鉱山が再開してしまうと自身の権勢が弱まる。だから妨害する。ありえない話ではない。


「まぁエルロの言う通りだな。俺らには関係ない」


 家に戻って、朝を迎え、地下倉庫から鍬をひっぱり出して畑とする土地を整備する。見様見真似と聞きかじりの知識がベースだ。下草を土に残る根から掘り起こし、先日エルロが刈った草と束ねて家屋の傍に。土いじりを面倒くさがったエルロは薪割り担当だ。


 土を起こし、草を束ね、薪を割る。汗が吹き、失せ、躰が冷えると昼になり、昨晩から煮込んでいる兎のシチューを温めて食べる。戻り、土を起こし、草を束ね、エルロが顎をあげた。


「……パナペペがなんか仕留めた」

「……俺は畑をやってるから、頼んだ。皮は丁寧に剥げよ? 売り物になる」

「ん。分かった」


 つくづく、着いてきたのがエルロで良かったとアウルは思う。都会育ちのミレリアなら卒倒しかねない獣の処理も山育ちの彼女なら当然の作業として済ませてくれる。

 畑は日が落ちきる前に切り上げ、次は納屋だ。

 小屋の天井から下がるいくつもの肉塊。地に染みいる饐えた血の匂い。赤黒い屠殺場。薪を作る過程で手元に残る葉付きの枝を炙って虫よけの煙を焚く。新しく追加された肉塊は魔獣の一種だろうか。見覚えはないが猪に似ていた。


 綺麗に剥がれた毛皮を煙たてる青葉の上にかけ、先日作業した皮を揉みほぐす。燻蒸用の薬草の在庫が心もとない。明日の朝は近場の森の掃除からだろうか。アウルはため息まじりに一番古い肉塊から肉を削いで家に持ち帰った。


「ん。今日もシチュー?」


 エルロが不満げに呟いた。手際よくウォーゲームの準備を始めている。


「残念ながらシチューなんだよ。あれこれやってる余裕がないんだな」


 愛想笑いで答えつつ、アウルは肉に塩と森で採取した香草をまぶした後、平鍋で表面を焼き付けてから鍋に落とした。あとは煮るだけ。エルロと対面、ウォーゲームの布盤と向き合う。


 片手間に木炭を使って樹皮の裏に収支を書きつけていく。土地の借用費に、露店委託の手数料に、先行投資となる薪代に、皮を革へと変えるための薬剤や道具その他の諸経費――。


「ん。アウルの番だけど。マジメにやって」


 アウルは盤面に顔を向け呻いた。すでに勝ちの目は消えていた。圧倒的な物量差。このままやってもジリ貧だ。しくじれば数手で壊滅まである。普通なら投了するところ。


「……このままだとヤバイな」


 アウルは炭で汚れた指をズボンで拭った。


「ん?」


 エルロが不思議そうに首を傾げた。


「ゲームの話じゃない?」

「うん。違う。金の話。今ちょっと計算してみたんだけどマジで全然たらない。俺らがここで普通にやっていこうとしたら、畑を耕して薪を割って狩りやってるうちに一生が終わる」

「……それはとてもヤバイ。今の暮らし、とっても詰まらない。たいへん」


 珍しくエルロも顔に真剣味を見せた。


「だよな。正直、俺ちょっと農業をナメてたわ。もっと楽かなって思ってた。わりとマジでしんどい。好きじゃないとやってられないよ、こんなの」


 アウルは掌を見つめた。指の付け根に新しいマメができつつあった。狩人として暮らしていたときも、冒険者として過ごしているときも、なかったマメだ。いずれは慣れるだろうが求めていた生活とは違う。


 俺は何がしたかったのか、とアウルは顎を上げた。はじめは、冒険者ギルドに登録して大金を稼ぎ、楽に暮らしたかったのだ。楽とは何か。自分で働かなくてもいい仕組みだ。


「人、雇う?」


 エルロが小首を傾げた。彼女は分かっているようだった。そうなのだ。自分の時間を使い自らの手で切り拓くのが面倒で仕方がない。できることなら、先に金を用意して、嫌いな作業は人に任せてしまいたい――そう、海辺の街の貴族や商人のように。


「人を雇うにも金がいるし、そんな余裕はありませんって話」

「ん。じゃあどうするの?」

「それが分からないから相談してるんだよ」


 口の端を苦々しく歪め、アウルはウサギ肉のシチューを皿によそいエルロの前に出した。自分の分を確保して、皿を前に手を合わせる。祈りの対象はそれぞれだ。アウルは今日という一日に。エルロは知らない。何に祈っているのか。

 匙を口に運び、手が足りず獣臭さの残る肉を咀嚼しながらアウルは言った。


「もっと楽に美味いもん食いたいなぁ」

「ん。これも美味しいけど、前のアウルのご飯はもっと美味しかった」

「そいつはどうも」


 アウルは目を閉じ、匙を口に運びながら考えた。農作業も日々の仕事もクソがつくほどかったるくてやってられない。ため息ばかりだ。アウルは街で仕入れてきた安葉巻を唇に挟み、竈から火のついた木っ端を抜いた。濃密な煙を明後日の方に吹き、途中で投げたウォーゲームの盤面を見下ろす。なにか現状を打破する一手はないものか――。

 スッと視界にエルロの掌が入ってきた。いくつかの駒が乗っていた。


「ん。借りる?」

「んー、借りてみたとして」


 アウルは掌から駒をつまんだ。二人のやるウォーゲームに持ち駒を戻すルールはない。ひとまず自陣に置いてみる。押し込まれた現状を打開するには足らない。


「勝てなきゃ返すアテがない。でも勝ちの目が見えない」

「じゃあ返さなければいい。もらっちゃう」

「そういうのは盗むとか奪うって言うんだよ。でもって、踏み倒せるのは少額まで」

「ん」


 エルロは自陣に並ぶ駒を指差した。


「私から見ると少ない」

「分かるわ。俺も昔はそう考えたし」


 アウルはエルロの陣から一つ駒をつまみ上げた。盗賊稼業の第一歩。それでは昔に通った道を歩きなおすだけだ。そうじゃない。


「――奪うより寝返ってもらう、とか」


 アウルは駒をひっくり返して元の位置に戻した。


「ん?」


 エルロがパチクリ瞬き、顔を上げた。


「どうしてこの駒は裏返ったの?」

「どうしてか。そうだな……人質がいた、とか」

「ん」


 と頬を緩め、エルロが空の手を差し出してきた。


「あん? なに?」

「葉巻。私も吸いたい。村でもたまに吸ってた」


 たとえ子どもでもカルガの巫女だ。儀式や祭礼で吸う機会もあったのだろう。一服つけてから掌に葉巻を置くと、エルロは手慣れた様子で吸口を含み先端を赤熱させた。口先を少し尖らせるようにしてぷふぅと煙を吹いた。


「あんまり美味しくない。もっと良いのが吸いたいかも」

「そうな。そんじゃ持ってるトコからもらうしかないな」


 やると決めたらどこからやるか。背後に控えるエルフとの約定があるためか、はたまた王国の傘に入ったからか、メーン市そのものの防衛力はしれている。腕っぷしで稼げる対魔物の前線は遠いため、冒険者ギルドに集まる傭兵も一線級にない。アウルの手札は自身を含めて二人と一匹でしかないが、街ごと乗っ取ることもできる。


 ――が、街ごといっても維持ができない。綻びが王国に伝われば軍がくる。軍と稼ぎどころを見つけた傭兵相手はキツすぎる。やるならやっても問題にならなそうな相手がいい。民に疎まれ常に足元を狙われているような相手。恐れられていて、こちらに寝返ってくれたら便利な奴。やり込めたとき賞賛されるなら最高だ。そんな賞金首みたいな奴がどこに――。


「いるか」


 アウルの瞳から光が失せていく。


「グスタフ・フューリアス・フォルジェリ」


 地下室でみた騎士の日記に出てきた男。英雄と呼ばれるべき栄光の騎士が幽鬼に魂を貶してまで呪おうとしたクズ。土地が使えなくなると善人を騙して売り抜けた奴。


「ん。決まりだね。パナペペも喜ぶと思う」


 ぷっ、と煙を吐いて、エルロがアウルに葉巻を戻した。


「アレに喜ぶとかあんの?」


 アウルは眉を寄せ煙を吹いた。


「ま、いいや。明日は調査だな」

「ん。私はパナペペを調整しとく。今のままだとフォルジェリ? 見たら殺しちゃう」

「マジかよ。ヤバいな、パナペペ」


 他愛ない会話をこなしつつ、アウルはひっくり返した駒を動かす。ルールブックにない一手である。しかし、盤面をひっくり返す王手でもある。


「ん。アウルの反則負け」

「固いこと言うなよ」


 アウルは黒より黒い眼をして笑った。

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