選びし者
「お、お嬢様、これは……いったい、なにが起きているのですか……?」
オーグの細かに震える声に、全身を返り血に染めたフラウが振り向いた。憑き物が落ちたようにすっきりとした顔だった。
「――アウル様。貴方の言うとおりでした。貴方は嘘をついていなかった。お父様にとって、わたくしは何の価値も無くなっていましたの」
「だから、言ったろ? お前の親父はクズだってさ」
アウルの声に、オーグが身動ぐ。
「アウル様!? これは!? どういうことです!?」
「ああ、うん。俺達、フラウと勝負をしてたんだ。でもって、俺が勝ったの」
「……は!?」
オーグが頓狂な声を上げ、フラウが腕組みをしながらため息をついた。
「それでは伝わるものも伝わりませんわよ」
二人に悠々と歩み寄り、オーグの目を覗き込んで尋ねた。
「今から貴方に一つ質問をします。正直に答えてくださいましね?」
ン、と咳払いを入れて続けた。
「貴方は、わたくしの本当のお父様やお母様について、知っていましたの?」
オーグは信じられないといった目をして言った。
「お、お嬢様、まさか――」
ふぅ、と物憂げな息を床に吐き、フラウは凄惨な笑みとともに顔をあげた。
「オーグ。ここでなにが起きたか教えて差し上げます。――賊どもは復讐にいらして、お父様を手にかけました。でも、どうやって『わたくしの』お家に? あなたが手引したからですわ」
「――な!? そんな! 私が何を――」
「何もしなかったのではなくって?」
悪党の傍にいて悪事を見過ごしてきたのなら悪党も同じだ。何も変わらない。
悪党に与えられる慈悲はない。
「でも、安心してくださいましね。フォルジェリの家はお兄様達が戻られるまで、わたくしが守ります。それにほら、内通者は――勇者アウル様が懲らしめてくださいますもの」
「――だってさ。さよなら、オーグさん」
アウルは短剣を滑らせると同時にオーグの後ろ髪を掴み、真下に引き倒した。大きく口を開けた切創から鮮血が噴き出し、真正面にいたフラウの顔面にぶち撒けられた。
血は心臓の鼓動に合わせて何度か噴き、やがて弱々しくなっていく。そのほとんどすべてを顔面に受け止め、フラウは固く瞑目していた。躰に染み込んだ動きだけに悪気はない――が。
「あ、ごめ――」
アウルは咄嗟に謝っていた。フラウの顔からダラダラと血が滴る。寝所を満たす濃密な鉄錆の香り。これほどまでに濃い死の匂いは、ジーと出会った日以来だろうか。
フラウは両手を丸め目を擦っていた。むっつりした顔で言う。
「アウル様……お気をつけあそばせ。次はありませんことよ?」
「次があってたまるかって。――っていうか、もう俺に様はいらないよ。アウルでいい」
言って、アウルは扉を開いた。
「誰かいるかー? 内通者がいたぞー」
廊下に呼びかけてからしばらくすると、兵士達に混じって、てけてけとエルロが駆けてきた。演技のつもりなのか手に鉞を握っているが、顔には一枚の緊張も見て取れない。
「アウルー。賊に逃げられたー」
ポケっとしすぎな物言いだが、アウルはため息をこらえて真面目に応じる。
「マジか。エルロが取り逃がすとかヤバいな」
酷い芝居だが、夜更けの混乱の最中なら、二流の傭兵にとって真実味を帯びてくる。
「お、お嬢様!? その姿は!? お怪我は!? ――って、オーグ様!?」
さらに極まろうとする場の混沌を、フラウが手を叩いていさめた。
「わたくしは無事です。内通者はオーグ。わたくしもまさかオーグがこのような凶行にでるとは思っていませんでした。ですが、お父様がわたくしを庇ってくださり、その間にアウルが駆けつけてくれましたの。――残念ながら、お父様はもう――」
一瞬、暗い顔をしてみせてから、フラウは首を左右に振って決然と言った。
「今はわたくしより下手人を追ってくださいまし。決して逃してはなりません」
当主の倒れた今、唯一命令のできるフラウが言ったのだ。傭兵達は互いに頷き合って、賊を追おうと散開する――直前。
「誰か湯を沸かすように言ってくれ。お嬢様がこのままじゃいくらなんでもあんまりだ。それから、まだ医者は呼ぶなよ? フォルジェリ家の当主が死んだだけでも大事なのに、やったのがオーグだと知れたら厄介だ。追跡も静かに、慎重に。とにかく外に悟られるな」
注意点は以上だ。そう告げると、傭兵達が散っていった。
庶民が相手なら決して通用しない手だが、相手が傭兵で、有力な貴族が味方についてくれているなら無理も通せる。問題は派手にやってしまった事後処理だが――。
ちらとフラウの様子を窺うと、寂しげな目でグスタフの遺体を見つめていた。
「ん」
エルロがどこで拾ってきたのか知れない布巾をフラウに差し出していた。
「血だらけで汚い。拭いたほうがいいよ」
「……それくらい言われなくても分かっていましてよ!」
ペッ、と布を奪い取り、フラウは顔を拭いながら言った。
「……アウル、あなた、知っていましたの?」
「んあ? 何を?」
「わたくしが、あの騎士の家の、孫娘なのだと」
「……はぁ? 何それ? んなこと言ってたのか?」
アウルはフラウの話を聞きつつ、うろ覚えの日記を思い出し、ああ、と胸中に納得する――が。
「……いや、知らないって。歳はだいたいそんくらいかもしれないけどさ、目の色なんて兄弟でも違ったりするし。――っていうか、爺さんが大剣使いだからって孫娘まで大剣使いになるもんかよ。顔も名前も、存在すら知らなかったんだろ? ただの偶然だろ」
「ん」
エルロが小さく手を挙げた。
「でも、パナペペが騎士を基体にしてる鬼だと仮定して、フラウが孫娘だったとしたら、執着してたのも分かるよ」
「そうか? あの日記読んだけど、腹の中の子供については書いてなかったぞ? どうも思い込んだら視野が狭くなる奴だったみたいだし、気づいてなかっただけじゃないか?」
「鬼は波長を読むから関係ないよ。たぶん」
「エルロも言ってただろ? 下手くそで雑だって。制御をミスったんじゃないか?」
「ん!」
エルロが不満げに頬を膨らませた。
「私が調整したからありえない」
「んじゃその調整のときにフラウも攻撃対象から外れたのかもしれないだろ」
何にしても確たる証拠はない。いくらやり続けても結論はでないだろう。
フラウは疲れたようなため息をついた。
「わたくし、結局どちらの子だったのかしら?」
「だから、知らないって。好きな方の親を選べよ」
「好きな方……でもわたくし、あの家で暮らしていた方達のこと、何も知りませんわ……」
「だから……あ、そうか」
アウルは唇の端を吊った。
「良かったじゃん。自分の親を選べるなんて、普通は生まれる前しかできないぞ? 選ばれし者どころか、選びし者って奴だな」
「……は?」
フラウが信じられないと言わんばかりの単音を発した。けれど、その傍らでエルロが、
「おー」
と感嘆の声をあげ、純真無垢な瞳をフラウに向けた。
「やったね、フラウ。凄いよ」
「……ええ、ええ、わたくしはいつでも凄いんですのよ」
言って、フラウはすっくと背筋を伸ばし、十秒ともたずにうなだれた。
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