小悪党

 グスタフは杖を取り床を突いた。狼狽えているようだった。恐れているようだった。詰問しようと、杖を突き鳴らしながらフラウに近づいていく。


「お父様、お答えくださいまし」


 フラウの声が震えた。


「わたくしのお母様は、フォルジェリに嫁いだとき、すでに身重でございましたの?」


 グスタフが胸を突かれたようにのけぞり、杖を取り落とした。


「……誰に聞いた? 誰に聞いたと聞いている! 答えろ、フラウ!」


 声を荒らげるグスタフを見据え、フラウは目尻を吊り上げた。


「日記に。ある家の、お父様に全てを奪われたという騎士の日記に」


 呪いを籠めた大剣を地下室に隠した騎士の日記にあった。

 代々フォルジェリ家に仕えた英雄と呼ばれるべき騎士に訪れた残酷な日々。息子を戦で奪われて、その妻と孫娘も取られ、怨嗟の声をあげながら死んだ騎士の日記にあった。


「フォルジェリの家がもつ牧場の、家畜小屋の下……」


 フラウの声に、グスタフの顔が強張る。彼女は構わず続けた。


「埋められていた骨は二つだったとか。では残りの一つはどこにありますの?」

「――待て、フラウ。違う。お前は何か思い違いをしている! い、いや、それよりもその日記だ! その日記はどこにあった!? 他に何を見たというんだ!?」


 グスタフは慌てた様子でフラウに駆け寄ろうとし、足を縺れさせて彼女の肩に縋った。


「フラウ! 答えろ! どこにあった!? お前は何を見せられたんだ!?」

「……悪行を。全てではないようでしたけれど、お父様が成してきた悪の残滓を。お父様、正直に答えてくだいまし。あの日記に書かれていたことは真実ですの?」

「それは……ち、違う! 違うに決まっているだろう!?」


 グスタフの声が上擦った。ググリと喉を鳴らし、額に汗を吹きながら続けた。


「どうしたフラウ、私がお前に嘘を吐くはずがないだろう!? 私を疑うのか? お前にすべてを与えてきたこの私を!?」

「……いいえ、お父様。わたくしがお父様を疑うはずありませんわ」


 言って、フラウは瞳の奥に憤怒を滾らせ、微笑んだ。


「ですから、お父様の言葉を信じます。さきほど仰っていた、わたくしがもう、お父様にとって価値がないというお話も。わたくしに使い道がないというお話も」

「……何を……」

「ただ一つだけ訂正させていただきますわ、お父様」


 フラウは寝間着の裾をまくりあげ、包帯を使い太ももに挟んでいたアウルの短剣を抜いた。


「わたくし、まだフォルジェリの全てを頂いておりませんの」


 フラウは短剣を振り抜いた。咄嗟にグスタフが後ろへ倒れ込む。しかし、衰えはじめたグスタフと傷の癒えたフラウでは勝負にすらならない。黒皮の短剣は蝋燭の灯りを吸い込み姿を消して、恐れ慄くグスタフの腹から胸を深く切り裂く――。


「オーグ! オーーーーーグ!!」


 恐慌に至ったグスタフが、細い躰から血飛沫をあげながら、ただ一人信頼のおける配下の名を叫んだ。その頭を、フラウの指の欠けた手が押し込み、床に倒した。


「やめろ! フラウ! 違う! 違うんだ!」


 叫びは廊下まで響いたが、しかし、館を揺らす轟音に覆い隠された。フラウは必死の抵抗を見せるグスタフに馬乗りになり、顎を押し込むようにして天を向かせた。


「オーグ! オーーーーーーグ!!」


 救済を求めてグスタフが叫ぶ。また一つ轟音が館を揺らし、遠く階下から微かに聞こえた。


「賊だー。ぞーくーだーぁーぁーぁー」


 エルロの声だ。彼女なりに緊迫の演技をしながら叫んでいるつもりなのだろうが、自己申告のとおり大きな声を出すのは苦手らしい。

 フラウはグスタフを組み伏せたまま艷やかに苦笑い、父の首に短剣の刃筋をあてがった。憤怒に満ちた躰は意志を超えて震え、揺れる刃は幾筋もの赤濡れる線を引く。


「お父様、わたくしに、何か仰りたいことはございまして?」


 問うと、グスタフは胸の夥しい出血から息も絶え絶えに言った。


「ふ、フラウ……やめろ……! 父を殺すというのか……!? 私に、私にできることがあるなら何でもしてやる! だから、頼む……命だけは……許してくれ……!」

「まぁ、お父様ったら。そんな言の葉、フォルジェリの当主に相応しくありませんわ」


 澄んだ刃擦れの音が鳴り、グスタフの喉笛から噴水のように血が飛沫いた。フラウの顔と躰が返り血に赤く染まり、血を浴びた蝋燭が明かりを落とす。

 ドン! と扉が叩かれた。


「主様! 主様!? ご無事ですか!?」


 オーグの声だ。フラウは馬乗りになったまま肩越しに振り向く。

 扉を蹴り開けオーグが飛び込んできた。


「主様……!? これは……お嬢様? いったい、いったい何が……」


 事態が飲み込めないのだろう。それは誰の目にも明らかだ。しかし、彼は長くフォルジェリ家に仕えてきた執事であり、傭兵の一人である。


「オーグ……あなたは、お父様がしてきたことを知っていましたの?」


 オーグが息を呑んだ。フラウは短剣を床に置き、扉の方へ滑らせた。オーグの足の間を擦り抜け革のブーツが踏みつけるようにして止める。トン、と扉が閉まり寝所が闇に飲まれた。弾かれたようにオーグが振り向く――いや、振り向こうとした。


「やめときな、オッサン」


 アウルが軽々とオーグの左手を極め、彼の首に短剣を沿わせた。

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