詰問
夜。静まり返るフォルジェリ邸の廊下に足を引きずるような音があった。顔の半分と四肢を包帯に覆われ、燭台を捧げ持つ手を指の欠けた手で支え――
「――お嬢様……!?」
グスタフの寝室を見張る傭兵に小さな悲鳴を上げさせた。
「主様はもうお休みになられています。お嬢様もこのような時間に出歩かれてはお躰に――」
「眠れないのです」
フラウは消え入るような声音で言った。
「瞼を閉じると、あの音が……」
言って、痛々しく包帯の巻かれた左手で口元を隠した。
「お願いいたします。どうか、お父様の隣で寝かせてくださいまし」
「し、しかし……」
と、鼻白むも、傭兵はフラウの姿に目を伏せ、一つ深く呼吸をしてから寝所の扉を叩いた。ほどなくして、煩わしそうな声が聞こえてきた。
「……なんだ? 私を起こしたからには――」
「お父様! わたくしです! フラウですわ!」
耳にした誰もが胸を押さえる悲痛な声が廊下に響く。
「お父様、お願いです、入れてくださいまし。わたくしは、フラウは……」
その姿は、自らの身に降り掛かった不幸に恐れ慄く少女そのものだった。
しかし、彼女が廊下に響かせた声は、階下に眠るアウル達を起こす合図であった。そうと知ってか知らずか、寝所からグスタフの声が返った。
「……フラウ? どうした? 何を言っている?」
「お父様! フラウは、フラウは、怖くて眠れないのです! どうか、どうかお父様のお顔を見せてくださいまし。お父様が傍についていてくだされば、フラウは……!」
「子供のようなことをいうな。大丈夫だ。兵が見ている。安心して眠れ」
「お父様……! お願いいたします……どうか、どうかご慈悲をくださいまし……!」
言って、フラウは床にへたりこみ、額を扉に打ちつけた。何度も、何度も、繰り返し――。
傍に控えていた傭兵は悲嘆に顔を歪め、喉を絞るようにして呼びかけた。
「主様。私からもお願いいたします。部屋にいれてさしあげてください」
しばらくして、衣擦れと杖が床を叩く音が聞こえ、寝所の扉の錠が外れた。
「……入れ」
低く重い声。フラウは傭兵の手を借りて立ち上がり、しばし二人にしてくれるように伝えて扉を開く。グスタフは燭台の細い灯りを頼りに銀の水差しを盃に傾けていた。
「お父様……! ありがとう存じます……! フラウは、フラウは……!」
「いい。みなまで言うな。錠をかけて傍に来い」
盃の水を飲み干し、グスタフは首を左右に振って、フラウに向き直った。すぐに眉を歪めて顔を背けた。フラウの顔が翳った。
「……お父様……? どうして……?」
か細い声で問われ、グスタフは忌々しげに息をつく。
「見るに耐えん。奴らに何をされた? あの男に、何をされた?」
「……あの男……? お父様、何をおっしゃっていますの?」
「とぼけるな。わかっているはずだ。何故こんなことをしでかした? 私がどれだけの時間をお前に割いてやったと思っているんだ?」
「お父様……!? わたくしは、フラウは――」
「フラウ。そのくだらん演技をやめろ」
言い、グスフタフは傍らの杖を取って、ようやくフラウの顔を見た。
「ひどい有様だ」
杖で床を突き、フラウに近づき、顎をしゃくった。
「手を見せてみろ」
「手、ですの?」
「そうだ。左手だ。包帯を取って見せてみろ」
フラウは顔を伏せ、燭台を床に置くと、左手に巻かれた包帯を取った。痛みが残っているか眉間に細かな皺が寄った。
「もっとよく見せろ!」
グスタフが乱暴にフラウの手を取り、壁の燭台に近づけようと力任せに引いた。悲鳴。グスタフは頓着せずに傷を改めようと目を寄せる。
「……バカなことをしたものだ。自分で自分の価値を落とすとはな……」
「お、お父様……! 痛い……! 痛いですわ……! 手を放してくださいまし……!」
フラウの悲痛な声を受け、グスタフは呆れたとばかりに息をつき、手を離した。
「いったい何が不満だったと言うんだ? お前が望む物を与え、やりたいようにやらせてやっただろう。お前は自分がどれほど恵まれているのか分かっているのか?」
「お、お父様……!? どうなさいましたの? なぜ、なぜフラウにそんな、酷いことを……」
「酷いだと? 酷いのは、どちらだと言うんだ!」
ほとんど吠えるように言い、グスタフは乱暴にフラウの顔の包帯を取り払い、眉を歪めた。
「なんとむごい……あの男にやらせたのか? 私に何をさせようと言うんだ!?」
グスタフは背を向け、杖をつきながらテーブルに近づく。アウルに渡されたアーズの薬精が置かれていた。荒々しい手つきで薬瓶を掴みフラウの足元に投げた。
「使え。あの駄犬がよこした薬だ。そんなものまで用意して、何が欲しかったと言うんだ?」
フラウは顔を歪め、薬の詰まった小瓶を拾った。使い方はアウルに聞いていた。そして、使えばなにが起きるかも。父の真意を引き出せるであろうことも。
「お父様……なぜ? なんでフラウにそんなむごいことをおっしゃいますの?」
尋ねつつ、フラウは小瓶の蓋を開けて頭から被った。みるみるうちに薬が体表を滑り傷を見つけて煙をあげた。片目の腫れが引き、青痣が薄れ、赤い口を開けていた傷が塞がる。
しかし、指は――。
すでに失われ、接ぐべき先をもたない傷跡は、ただ塞がるばかりで欠けたまま――。
「……母親に似て浅はかな娘だ。全てを与えてやったというのに、自分で無駄にしてしまった」
「お母様、に……?」フラウの両眼が大きく開いた。「それは、どういう……」
「どこまでも頭の足りない娘だな。これまで鏡を見て疑ったことはないのか?」
言われて、フラウは小瓶に視線を落とす。燭台の赤に照らされた透明な硝子に、揺れる碧眼が薄ぼんやりと映っている。
「そうだ」
グスタフが言った。
「フォルジェリの目ではない。母親くらいの器量があれば使い道もあるかと思ったが……どうだ。なんだ、その図体は。剣を学びたい? 誰の影響だ? どこの血がそうさせる? 私がどれほど忌々しく思っていたか、分からずにいたのか?」
「お父……様……」
フラウの肩から力が抜け、その手から小瓶が滑り落ちた。
「では……ではもしや、わたくしは……フォルジェリに仕えた騎士の――?」
フラウの声に、グスタフは訝しげに振り向いた。
「今、騎士と言ったか? 我が家に仕えた騎士と? 誰に聞いた? まさかあの駄犬か!?」
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