強者の挑発

 アウルはクズ革から作った革紐を掴み、エルロに向き直った。


「エルロ、斧貸してくれ」

「ん!」


 エルロは不愉快そうに眉を寄せる。


「斧じゃなくて抵抗器だよ」

「なんでもいいよ。俺の短剣じゃ軽すぎるだろ?」


 アウルは革紐をフラウの左手人差し指の根元に巻きつけ、小枝を差し硬く絞った。痛むはずだがフラウの表情に徴候はない。他の指を巻き込まないよう、人指し指を食卓の端に引っ掛ける形に置き直し、アウルは言った。


「はいよ。一発目は自分でやりな。そっから先は手伝ってやる」


 勝負を所望したのはフラウだ。指は自ら落とさなくてはならない。

 フラウが金槌を受け取ると、エルロが鉞を抜き、人差し指の第二関節に刃筋を合わせた。


「ん。指先の感覚が無くなったら――」


 エルロが注意を言い切らないうちに、フラウは金槌を振り上げた。一瞬、呆気にとられてしまい、アウルは止めに入るのが遅れた。


「おい! まだ血が――」


 止まりきってない。

 その声は、フラウの振り下ろした金槌の、鉞の背を叩く甲高い金属音にかき消された。火花を散らした黒刃は指を落とし、食卓の端を破断した。勢い余ってフラウの躰が流れる。手を掴んでいたアウルもつられる。切断の衝撃で人差し指が爆ぜるように宙を舞った。虚を突かれたうえに支えまで失い、エルロまでも転けていた。立っているのはフラウのみ、革紐で絞られた指の切断面から僅かに鮮血が滴る。その瞬間に限っていえば、勝者は彼女をおいて他にない。


「――バカ! 血が止まってからだよ! てかテーブル壊すな! 指どこ飛んでった!?」


 アウルは苛立ち紛れに舌打ちし、止血帯に挿した小枝をフラウに握り直させた。エルロが目を丸くして立ち上がり、ポンチョについた埃をはたいた。


「ん。びっくりした。次から叩く前に言って欲しい」

「ほんとだよ。ったくさぁ」


 アウルは間髪入れずに同意し、フラウに尋ねた。


「どうだ? 思ってたより痛いだろ? 治すんなら薬が――」

「――痛っっっっったいですわーーーーーーッ!?」


 すべての音を掻き消す怒声を発し、フラウは止血帯を握りしめたまま腕を思い切り振った。


「うわバカ! 汚ねぇ! 手を振るなって!」


 フラウが腕を振るうたびに鮮血が飛び、パタパタとそこらが赤く濡れていく。


「ん!」


 と、エルロが何かを思いついたように手を叩いた。衝撃で床に落ちたウィチカンの葉巻を拾い上げ、火を点けてからフラウの唇に挟んだ。


「吸って。痛くなくなるよ」

「んぎぎぎぎぎぎぎッ――!」


 と、フラウは低く唸りながら唇に葉巻を咥え、スパスパと煙を吹かした。その間にアウルはテーブルの反対側に目を凝らす。


「おーい。エルロー? 指どこに飛んだか見えたか?」

「ん。分かんない。テーブルが影になって見えなかった」

「マジかよ。ちょっと手伝ってくれ。なんか凄い勢いですっ飛んでったろ」

「そんなもの!」


 切断された指を探そうとする二人を一声で止め、フラウは言った。


「わたくしには必要のないものでしてよ!」


 アウルとエルロは顔を見合わせ、口々に言った。


「ん。拾っておけばあとで繋げるかもしれないよ?」

「そうそう。血の匂いを嗅ぎつけて鼠が入ってきたりしたら困るし」

「いりませんわ!」


 フラウが吠えた。止血帯の枝を歯で押さえながら服の裾を引き裂き、枝を固定するように巻きつけていく。


「この指は、この欠けた指先は、わたくしが勝負を挑んだ証として残します! いずれこの指が、勝利の証となりますのよ!」


 ふたたび顔を見合わせる二人。


「あー……いや、それはいいんだけど、鼠がな?」

「お黙りなさーい!!」


 激しい痛みと怒り、それにウィチカンの葉巻がもたらす薬効が興奮をもたらしているのだろう。いつも以上に熱狂的にフラウは叫んだ。


「髪はあとでかまいません! さぁアウル! エルロ! わたくしを殴打しなさい! この顔に! この躰に傷を与え! わたくしを糞土で汚しなさいな!」


 なんと倒錯的な命令だろうか、とアウルとエルロはどちらともなく口の端を下げた。


「嫌だなぁ……俺そういう趣味はないんだけど」

「ん。私もない。痛そうだし、嫌かも」


 零した嘆きを聞きつけてフラウは二人を睨みつけた。葉巻のせいもあるのだろうが、赤い稲妻を閉じ込めたように目を血走らせ、何者をも喰い殺さんばかりの決意を漲らせていた。


「あー……じゃあ、まぁ……」

「ん。やるしかないね……」


 その夜は、フラウを拐ってから最も長く感じる夜だった。呻きと怒声は夜半まで続き、殴り疲れて嫌気が差してもなお続く暴力の要求。フラウが満足した頃には、アウルもエルロも辟易としていた。フラウの片目は腫れ、髪は乱雑に切られ、指も欠けた。黙ってからしばらく荒い呼吸を繰り返すばかりであったため、さすがにやらせすぎではと二人して焦ったほどだ。


 しかし、その甲斐あって、誰の目にも賊の非道な暴力に耐え抜いた姫と映った。


 青白んだ朝の道を農夫の操る荷馬車が急ぐ。荷台にはアウルとエルロが座り、間に応急手当を施したフラウがいた。もちろん、フラウは自力で歩けるのだが、演出としてアウルが背負って森を出てみたらやはり農夫に出くわし、親切にも馬車を回してくれたのである。あまり騒がれても困るが、断るのも不自然。顔を隠して名も伏して、街まで頼むの一言で済ませた。


 昼前、メーン市の門では翠色の印章指輪とフォルジェリの名が物を言った。

 門兵二人が屋敷へ走り、馬車を乗り換え移動する。誰も口にはしないが中央通りは馬車の荷台の異様な気配にさざめいた。しかし、それも馬車がフォルジェリ邸に向かうまでの話。館が見える頃には人の姿もまばらとなり、視線に顔を向ければ怯える横顔があった。


「フラウ。ついたぞ」


 囁き、アウルは真新しい布にくるまれたフラウの肩を叩いた。

 フラウは僅かに身動ぎ、耳元を寄せるアウルに呟く。


「肩を貸してくださいまし。わたくしは自分の足で歩きます」


 演出だ。兵士の助けを断りアウルが肩を貸して降りると、オーグがすでに待っていた。


「アウル様。さきほど、門兵からお聞きしましたが――」


 事態が理解できないのだろう。オーグは目深に布をかぶるフラウを見て声を詰まらせた。

 フラウが指の欠けた手で顔を隠す布を下ろす。白日の下に晒される、糞土に汚れた顔。


「ご機嫌よう、オーグ。久しいですわね。わたくしの顔を覚えていまして?」


 その問いかけに、老兵の顔が複雑な形に歪んだ。

 殺したはずの相手が生きていた? 勇者を疑う自分を恥じた? それとも――。

 あらゆる感情が入り混じっており、アウルとエルロは失笑を堪えなければならなかった。


「――な?」


 アウルはオーグに昏い眼差しを投げた。


「ご依頼通り救出したよ」


 ここからはフラウのカバーストーリーに従う。

 アウルはせしめたパンと香辛料を餌に賊の住処に入りこみ、手はず通りエルロと示し合わせてフラウを救出した。しかし、彼女はすでに痛めつけられており、痛み止めにウィチカンの葉巻を使った。すべて行き当たりばったりのでまかせだが、パンは賊の手に届きにくく、また香辛料は半量の金に等しく、薬効は貴族らこそ知っているもの。それなりの説得力はあった。


 フラウは速やかに居室に移され、風呂を沸かすのを待ち薬湯に浸かることとなった。その間に、アウルとエルロは、グスタフの執務室へと通された。


「答えろ、駄犬。どういうつもりでアレを連れ帰ってきた?」


 アレとはフラウのことだろう。


「ん」


 エルロが口の端を少し下げた。


「アウルの言うとおり、ひどいお父さんだ」


 グスタフは煩わしげにエルロを一瞥、アウルに尋ねた。


「なぜカルガの乞食を連れてきた? 嫌がらせのつもりか?」


 予想通りの反応だ。フラウとグスタフの些細な違いでもある。

 アウルは横目にエルロを見下ろし、向き直った。


「まさか。俺の相棒だよ。この子がずっとお嬢さんを見張ってたんだ」

「ん」


 とエルロがポンチョの裾を払い小さく挙手した。


「エルロだよ。この子じゃない」


 グスタフは腕を伸ばし天秤の皿を中指で押し込む。


「『見張っていた』? ならなぜあんなことになっているんだ?」

「私が見張ってたからあれですんだんだよ。もし殺したりしたら、私が何をするのか分かってたんだ。――指を切られたのは、お前が悪いんだと思う」


 恐れを知らぬ物言いだ。グスタフはエルロを射殺さんばかりに睨み、秤を押し込む指をどける。カシャン、と小さな音を立て天秤の皿が上下した。


「いいだろう。駄犬め、私が悪いのか確かめよう。今すぐ賊とやらの巣に案内してみせろ。もちろん殺し尽くして連れ出したんだろう? 死体があるはずだ」

「断る」


 アウルは言った。


「もう昼だ。今から出ても着く頃には真っ暗だよ。何も見えない。それより、お嬢さんを連れ帰った俺達に一宿一飯の報があってもいいんじゃないか?」

「あんなものを持ち帰られても迷惑だと言ったはずだが、そんなことも忘れたか?」

「まさか。覚えてたから連れてきた。嫌がらせだよ。街の連中みんなが気づいた。俺なんか脅してないで『あの騎士のときみたいに』急いで口止めしたほうがいいぞ?」


 二つの昏い視線が交錯する。

 あとはグスタフが何を信じるか。判断を誤ったのかと疑わせる。向こうからみれば全てが疑わしいが確証はない。皿に乗せたら最後の仕上げだ。


「ああ、そうだ。あんたはともかく、お嬢さんがあのままじゃ可哀想だ」


 アウルは腰に下げた小さな革鞄からアーズの薬精を出し、執務机の天秤に乗せた。


「魔法医を呼びたくてもお嬢さんの状態がバレるのは困るだろ? アーズの薬精だ。傷跡に振りかけてやればあらゆる傷を跡形もなく直してくれる」

「……聞いたこともない薬だ。もし本当だとして、なぜ連れ帰る前に使わなかった?」

「だから、嫌がらせだよ」


 アウルは笑い、グスタフは失せろばかりに手を払った。

 執務室の扉が閉まると、すぐに獣のような怒声と激しい打音が響いた。硝子が割れる音はなかった。――無論、足の悪い老人が床に叩きつけたとて、秘薬の小瓶が砕けるはずもないが。

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