フラウの挑戦

 久方ぶりに慎ましくも満足のいく食事を終え、アウルとエルロはウィチカンの葉巻を回し喫みしていた。まるで柔らかな夏の雲に横たわるような独特の酔いに二人は姿勢を崩していく。

 葉巻を受け取り赤みがかった煙を吹いて、エルロが気の抜けた瞳で挙手した。


「ん。そろそろ大事な話。これからどうするの?」

「それなんだよな。あの様子だと近いうちに頭数そろえてここに来きそうでさ」


 言いつつ、アウルはちらとフラウの様子を伺う。せっかくの食事も一口、二口手をつけてからは呆然自失に左の人差し指を見つめるばかり。父親に見放されたのが堪えたのだろうか。


「ん」

 とエルロは一服ふかし、アウルに葉巻を手渡した。


「どうするの? 迎撃?」

「それなぁ……まぁ来られたところで楽勝ではあるんだけど、問題はそのあとだよな」


 アウルは煙を吸い込み、夕日に晒された霧のような煙を吐いた。

 最も手練れと思しきオーグも脅威ではないが、潰せばどうなることやら。

 魔獣と世界の変革に備えるご時世、初戦を圧倒的勝利で凌ぐとしよう。戦争とは違う。自分からは何もしてこない賊に決死の兵を送り続けるなどという愚かな判断をするだろうか?


「――て言っても、一発目からして面倒すぎるんだよな」


 ウィチカンのもたらす酩酊が、アウルにより強い倦怠と怠惰をもたらす。気の抜けた手つきでエルロに回し戻して食卓に突っ伏した。


「まぁ、あれだな。パナペペは番犬にできたわけだし、次善策かな。ほら、言ってたろ? 土地の安全を確保したら借用料に色つけて返してくれるって。どうも農業には向いてないみたいだし、それがわかっただけでも収穫ありだ。これから寒くなるし、どっか暖かそうなところに行こう。あと今度から家を借りるときは街に近いところか街中にしよう。その方が楽だ」


 それから、とアウルは胸中に思う。

 もし次があるなら、お人好しを狙おう。クズすぎると建設的な話し合いにならない。暴力を否定し、善性と寄り添い、自らを盾にしたがるバカを相手にしないとダメだ。


「俺はさ」


 アウルは澱んだ瞳でフラウを見る。


「これでも自分がクズだと分かってるんだ。腕力に物を言わせたほうが話は早いし、マジメにコツコツやっても俺みたいなクズに使われるだけだって思うし。けど、お前の親父さんはヤバいな。俺は自分がマトモに思えた」


 ブフォッ、とエルロが煙を吹き出した。


「ん! ケホッ、コホッ!」


 と、可愛らしく咳き込み、滲んだ涙を拭いつつ珍しく表情にだして笑っていた。


「ごめん。笑っちゃった。でも、ちょっと分かる。子どもの指は」

「本当だよ。同じクズでも種族が違うわ。あいつに比べりゃ魔のつく奴らも常識的だな」


 緩やかな沈黙。滞留する煙が視界を仄赤く染め、火の消えた炭の暖気が温かな渦を巻く。エルロは満足したのか葉巻を指に挟んだまま口をつけようとはせず、ぼんやりと言った。


「ん……もしかして、指がフラウのじゃないってバレた? 私のせい?」


 あの日、鉞を片手に席を立ったエルロは、『フラウの指を落とすのは可愛そうだし、この前、畑で死んでた奴の指を使えないかな』と、提案した。


 この前というのは、フォルジェリ家でメイドとして働いていた追跡者だ。パナペペにバラされてしまったが、確認したら指は残っていた。女にしては大柄なフラウの手と比べればどうしても小さく見えるが、切断した状態ならごまかしが利きそうに思えたのだ。


「どうかな」


 アウルは食堂での反応を思い返す。グスタフはともかくオーグは配下に剣を抜かせた。


「……たぶんバレてない。てかバレてたとしても、結果的にエルロの判断が正解だ」

「ん。本当?」


 エルロがよく見れば気づく程度に表情を明るくした。ずっと気がかりだったのだろう。


「本当だよ。無傷で返せばあの親父もそこまでしつこく追っかけてこないだろ。――なぁ?」


 アウルは、ずっと黙りこくっていたフラウに水を向ける。

 フラウは落とされずにすんだ人差し指を撫で、のろのろと顔を上げた。ようやく受け入れたかと思ったが違うらしい。その瞳は、どこか見慣れた昏い輝きを放ち、顔は憤怒に満ちていた。


「無傷で、返すと、そうおっしゃいましたの?」

「お、おお」


 フラウからは初めて受ける圧に、アウルはいささか鼻白んだ。


「メシの前にも言ったけど、報酬はもう貰った。葉巻とパンと香辛料だ。もう帰ってくれていいぞ」


 面倒事は嫌だ。明日にも街で役人と話をつけ移動する。そんな計画を朧気に立てていた。

 フラウが全身から怒気を発した。


「許せません……! いえ、わたくしは許しませんわ……!」

「許さないって、いや、面倒はかけたけどさ、生きて帰れるんだし、いいだろ?」

「そのようなことを言っているのではありませんわ!」


 フラウは食卓を思い切り叩いて吠えた。


「わたくしは許しません! わたくしの値段が、こんな、こんなパンの一つに禁制葉巻、香辛料の小瓶一つ!? たとえお父様であっても、わたくし決して許しはしません!」


 剣幕に押されてアウルは首を振った。珍しくエルロも目を丸くしていた。

 アウルはとにかくなだめようと声色を低くする。


「いやでもしょうがないんじゃないか? 向こうは指がなくなってると思ったわけだしさ。賊に三日も四日も拐われてれば嫁に出すにも使いにくいし、指がないんじゃほら、これまで金をつぎ込んでやってきた訓練も無駄、みたいなさ。そういう奴じゃん。アイツは」

「違いますわ!」


 叫び、フラウは血の雫が糸を引くほど強く拳を握り固めた。


「お父様は、決して、そのような獣ではありません! このわたくしが証明してみせましてよ!」

「ん?」


 エルロが小首を傾げた。


「証明? どういうこと?」


 問われ、フラウは金髪を振り乱す。


「エルロ! そしてアウル! わたくしは貴方がたに挑戦いたします!」

「挑戦? さっきから何を言ってるんだ? この煙に当てられたか?」


 アウルが手を払い部屋に漂う煙をかき混ぜると、


「わたくしがこのようなものに惑わさるとお思いですの!?」


 フラウは歯を軋ませて否定した。


「アウル、わたくしは勝負を要求します。お父様はわたくしを愛してくださっているはずですの。わたくしが――指を失い、傷ついたわたくしが帰りさえすれば、お父様も自らの緩みを悟られ、わたくしに正当な謝罪と、正当な値をつけてくださるに違いありませんわ!」


 そういうことか、とアウルは呆れて息をついた。

 フラウは――この哀れな貴族の娘は、自身が無価値と切り捨てられたのが許せないのだ。あらゆる望みを叶えてきたゆえに、許されてきただけに、それらが選ばれし者たる自分ではなく父に依存していたと受け入れられない。自尊心を満たすためなら、たとえ父をも敵とする。


 あの親にして、この子あり――。

 フラウはまぎれもなくフォルジェリ家の人間であり、フューリアスの二つ名を持つに相応しい少女として生きようとしている。


「ん」


 と、エルロが小さく挙手をした。


「でも、どうやって? 何をするの?」


 フラウは狂気を孕んだ視線を振りまき、手の甲を見せるようにして左の人差し指を立てた。


「この指を落としてくださいまし。この髪を切り捨ててくださいまし。わたくしを打ち、傷跡を残し、糞土で汚してくださいまし。そしてお父様の前へ連れ出してくださいまし。そのあかつきには! わたくしが、わたくしの価値を証明して差しあげますわ!」


 滾る熱気に、アウルは唇を湿らせた。


「せっかく揃ってる指を自分で落とすって? 正気か?」

「ええ! もちろん!」


 フラウはいつぞやと同じように、人差し指だけを立てて、食卓に拳を叩きつけた。


「わたくしは正気。だからこそ、あなたがたに挑戦させていただきます!」


 エルロが席を立った。フラウの躰に震えはない。むしろ、待っているようにすら思えた。


「ん。面白そうだし、私は受けてあげてもいいと思う。アウルは?」

「あー……条件次第だな。お前が勝ったとして、俺らにどうしてほしいんだ?」

「わたくしの従者に。勇者は、神に愛され選ばれたわたくしにこそ相応しい下僕ですもの」


 王より上のつもりでいるのか、とアウルは肩を揺らした。


 ――面白い。


「じゃ、俺らが勝ったらどうするんだ? フラウ、お前はなにをだせる?」

「アウル。エルロ。貴方がたへの、終生の忠誠を誓いましょう。わたくしの一命に替えてでも、貴方がたの名誉と財を、望まれることを提供させていただくと、お約束いたします!」


 決然とした宣言に、アウルは「よっし」と腿を叩いて立ち上がった。


「乗った。勝負しようか」


 負けたところで応じるつもりはない。グスタフにやりこめられたまま逃げるのも、多少の腹立たしさはありつつもジーと旅をしていたときと変わりはしない。


 しかし、もし一泡ふかせたそのうえで使役する側に回れるのなら――、

 これほど愉快なことはない。

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