正体
エルロが窓を開け放ち、部屋を満たした煙が抜けきって、ようやく躰がわずかばかり動くようになり、アウルは真っ先にうめいた。
「痛ぇ……」
薬の力で傷を癒やすことはできても、自らの目で見て脳に刻んだ傷は消えない。それが躰に痛みと倦怠を残す。さらには、もう一つ。
アウルは躰を起こして呻いた。
「服、穴だらけじゃん……!」
薬は衣服の穴を消してくれない。頑丈な衣服を購入するための資金という痛みも。
「ん。でも平気で良かった」
「平気とは言えないと思うんだけど……まぁいいや。こいつはなんなんだ?」
アウルは自分を散々に痛めつけてくれた黒くてデカくてちょっと臭い気持ち悪い、今はぴくりとも動かないオブジェと化した何かをつついた。毛は見た目に反しゴワゴワしており、その下には強い反発力を伴う筋肉に似た感触がある。
「鬼だよ。基体は不明」
「基体……よく分からないけど、これちゃんと使いこなせるのか?」
「ん。たぶん。あんまり詳しくない人が喚び出したんだと思う。大雑把な命令を与えて基体に翻訳を任せるように組んであった。こんな大きいの擬似的な即時命令で動かすのは大変」
「……えーっと……? けっこう時間かかる感じか?」
「んー……くわしく見てみないと分かんない。運用の仕方による。――来て」
エルロはアウルの手を取り、階段下の扉まで引っ張った。当然ながら薄暗く、奥を覗くと踊り場で折り返しさらに下に続いているようだった。
「……明かりがいるな」
「ん。真っ暗だったから大変だった」
それで遅かったのか、と納得しつつ、アウルは外に置いていた荷物を取りに戻った。ごちゃごちゃした旅道具から布に包んだ親指ほどの白い石を二つ出し、打ち合わせる。石が眩しいくらいに青く輝きはじめた。金はないが探検はしたい冒険者の必需品、貧者の光石だ。
ジーのパーティではもっと便利で光量も強い魔法のランタンを使っていたが、抜けるときに失敬するのを忘れていたのだ。もっとも、あれはあれで、使用者の体力を削って輝くためにカーク以外がぶら下げるのは有効と言い難かったが。
アウルは光石の一つを階段の踊り場に放り込み、足元を確認しながら二人で降りた。青い光が天井の低い部屋を照らす。黴と湿気った鉄の匂いが鼻をついた。積みっぱなしになっているいくつかの木箱から大工道具や農具が柄を伸ばしている。それから、
「……なんだありゃ」
壁際に設置された祭壇じみた机の前の床に、巨大な剣が真っ直ぐ突き立てられている。その大きさは剣先が埋没してなお、丸い柄頭がアウルの鼻先と同じ高さにくるほどだ。握りや鍔に装飾はなく幅広の刀身も無骨な印象を受けるが、鍔元から手のひら一つ半分ほどもある、リカッソとも呼ばれる刃のつけられていない部位には、見たことのない文字列が刻まれている。なんとはなしにアウルが手を伸ばすと、
「ん」
エルロが小さな声をあげた。
「アウル。触っちゃダメだよ」
「あん? なんで? これ売れそうじゃないか?」
「それで上のに命令を送ってるから、抜いたら制御できなくなるよ。これと同じだよ」
言って、エルロは鉞をゆらゆら揺らした。
「あー……なんだっけ。抵抗器?」
「ん」
エルロが紫の瞳を輝かせた。
「そう。抵抗器。上のを喚び出した誰かは、その剣を抵抗器に作り変えたみたいだよ」
「へー……なんでも抵抗器にできんの? 俺はてっきり魔鋼でできてないとダメかと――」
「ん。ダメだよ? だから、あんまり細かな制御はできないと思う」
「……マジか……番犬くらいにはなるんだよな?」
「ん。それくらいなら大丈夫」エルロはポンと剣のリカッソを撫でた。「まずこの剣を発信素子として最適化して、私達が出してる波長とか匂いを覚えさせて排除対象から除外して、あとは敷地内の巡回をするように設定して……どれくらい攻撃するか決める?」
「いけそうだな。――てか、これまでの住民もバカだよな。これ抜きゃ良かったんだろ?」
「ん。無理と思う。起動中はカルガ族じゃないと見えないから」
「なるほどなぁ……ってことは、狩りにも使えたりするかもな――」
言いつつ、アウルは祭壇めいた机に置かれた革張りの書物を指差し振り向いた。エルロが小さく頷き返す。触っても大丈夫らしい。埃を払って開いてみると、中は日記のようだった。元の家主――古さから見て最初の住人となった騎士のものだろう。
「……初っ端から恨み節かよ……」
一瞬で気が滅入ってきた。日記は息子の嫁と孫娘が連れ去られた三日後から始まっていた。
『必ず取り返す。
奴らを殺す。』
二行に分けられた決意と憤怒。この時点で既に底が知れない。
「んじゃエルロ。どんくらい時間かかりそうか確かめてみてくれ。俺はこれを読んでみる」
「ん。わかった」
エルロが鉞の柄より少し上の金属部を握り、刃先を剣に当ててぶつぶつ呟き始めた。黒き斧頭に葉脈に似た赤い閃光が輝く。どういう作業をしているのかわからないが、その間にアウルは日記を読み進めた。
『フォルジェリ家の人間は誰一人として面会を取り次ごうとしない。グスタフの差し金であろうことは明白だ。主殿に奴の愚行を伝えてやろうにも、屋敷の外に出て来ないとなると打つ手がない。せめて二人がどこに連れて行かれたかの分かればいいのだが……』
主殿というのはグスタフの父のことだろう。流行病にでもやられたか、それとも単に歳で臥せっているのか――役人の話した内容も加味すれば薬を盛っていても不思議ではない。
アウルは光なき眼でページを送っていく。
息子の嫁と孫娘を探すうちに、老いた騎士はこの地と市を往復する時間すら惜しむようになったらしい。週に一度、手がかりを持ち帰り、整理し、日記としてまとめなおすようになった。
『事二二-五 資六 証十一 庫二 幼エルフの長耳 言ナシ』
暗号めいた記述は集めた証拠の記録だろう。膨大な数だ。
アウルはあらためて部屋を眺め回した。表向きには仕事道具を収めた箱が並ぶが数が多すぎる。いくつかは資料だとしても全てにしては少なすぎる。老騎士が死んだあと、誰かに持ち去られたのだろうか。
ページを埋め尽くす文字列のなかの、収集したと思しき証拠品の略名から、グスタフが何をしていたのか、おおよそ想像することができる。
「――誘拐に拷問、貴族向けの女衒ね」
声が暗闇に溶ける。嫁と孫娘を拐った時点で想像はついていた。数が尋常ではなかっただけだ。資料通りなら数百人が犠牲になっている。それでも露見しないのはフォルジェリ家がメーン市で力を強めていったため。
郊外に確保した土地に人を住まわせ、エルフや魔獣の仕業として回収し、他の有力貴族への接待に使う。共犯者の貴族に脅しをかけて、また力を強めていく。
玉砕も辞さない攻勢を防ぐのは難しい。
欲の皮の突っ張った人間ほど、自身を大きくしようと怪しげな話に乗ってしまうものだ。小康状態にあったエルフとの対立関係は再燃し、諍いを治めると称して顔を出し、罪人に仕立てたうえで煽り嬲り、裏では真実をチラつかせ脅しをかける――。
怒りと憎しみで肥え太ったグスタフは、次に善意を狙った。
役人の言ったとおりだ。
先見の明というか、商才はある。
『終わりだ。もう終わりだ。議会は一人残らず腐敗した』
怒りの滲む筆跡が、老騎士の敗北を伝えている。信じて託した証拠はいずこかへ消失し、代わりに息子の嫁と孫娘の居場所を見つけた。
フォルジェリ家が所有する家畜小屋の土の下に、二つの骨が残っていたのだ。
騎士は狂った。冷徹な狂人となった。もはや何もかもを失った男は、王国内においては禁忌とされるカルガ族の術に復讐を託したのだ。
すでに五年が経っていた。仕えた主はとうに死に、自らも先は長くない。グスタフは生きながらえる。許せない。許されていいことではない。
『他の誰が許したとしても、私だけは決して許しはない』
日記はそこで途切れた。
「――ふぅん、なるほどね。お疲れ、騎士様」
アウルは日記を祭壇もどきのテーブルに戻した。
「どうよエルロ。そろそろ見えてきたか? どんくらいかかりそうだ?」
「ん」
エルロが詠唱を止めると鉞の輝きが消え、部屋が真っ暗になった。
「とりあえず私達のことは登録できた。のと。外にあった小屋に待機するようにした。臭いしキモいから」
「ああ、うん、まぁ……あそこにいられると邪魔だしな」アウルは苦笑した。「で?」
「ん……少しずつ実装していくとして、三日か四日はかかると思う。基体に残ってる
「オブジェトがしょぼい? どういう意味だ? 簡単に頼む」
「ん。簡単……」
暗闇のなかでエルロの瞳が光った気がした。
「この家に住み着いた動物を攻撃することしかしない。特定の波長に対して敏感になってて――えっと、何かに似てる人ほどめちゃくちゃにされるっぽい」
「何かに似てる……か」
たぶんまだ見ぬグスタフさんだろうな、とアウルは思う。
エルロの言う波長がどのような性質をもつのかは分からないが、騎士が残した暗号めいた証拠の羅列だけで何が起きたか想像ができる。言い換えれば、悪逆非道のグスタフとよく似た思考ができてしまう。
普通の人間は幼いエルフの耳を高値で売ろうとは思わない。施しを餌に集められた行き場のない男女が宴の余興に壊され弄ばれていると誰が想像できるだろう。それらに、傍目には善良に見える人々が加担しているなどとは、夢にも思うまい。
「……基体になってるのはここの騎士様なのか?」
「ん。不明。でも、この抵抗器との繋がりがすごく強いし、可能性は高いと思う」
「ってことはめちゃくちゃ強いな。――こりゃ得したわ」
絡んでこられたら最も面倒になりそうなフォルジェリ家の人間に特効。運がいい。
「んじゃまぁ……鬼の調整は後回しにして、まず新生活の準備を優先だな」
「ん? 何するの?」
「部屋の掃除と薪づくり。冷たいメシは食いたくないだろ?」
やるべきことはたくさんあった。
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