喧しい人質

「痛いですわ! 痛いですわ! 痛いですわ!?」


 日の暮れ始めた森近くの家に、気品の溢れる悲鳴にも似た怒声が飛んだ。


「なんですの!? いったいどういうつもりですの!? この痛みはなんですの!? わたくしをどうするつもりですの!? このような無礼はお父様が絶対に許しませんわよ!?」


 馬車が家についてもフラウの口が動きだすまでしばらくあった。一息ついて、竈に火を入れ遅すぎる昼食にして早すぎる夕餉を温めるうちにまず口から痺れが解け、以降ずっと不平と不満を喚き続けている。


「いい加減に一言くらい返事をしたらどうですの!? あなた達はいったいどこのどなたですの!? 獣の革を被って獣人のフリをするなど人の道に悖りますわ! 正々堂々と名を名乗り陳情を申し立てるのが民の正しき――」


 アウル自身の経験を元にすれば、声を上げるのすら躊躇われるほどの激痛が全身を襲っているはずなのだが――貴族というのは痛みにも強いのだろうか。だとしたら反則的な種族だ。

 アウルはため息まじりに匙を皿に落とし、フラウの方へ向き直った。


「悪い。今メシ食ってるんだ。あとで分けてやるから少し静かにしてくれないか?」


 ほんの一瞬だけきょとんとしたフラウは、にぃ、と口の端を吊り上げて吠えた。


「それはこちらのセリフですわ! いますぐにこの縄をほどきなさい! そしてわたくしに鎧と剣を返しなさい! そうしたら許して差しあげましてよ!? いいえ! それだけではありませんわ! あなたの実力はわたくし、この身で確かめました! あなた達をわたくしの私兵として雇っていただけるようお父様に進言してもかまいませんことよ!」


 いつ息をついているのか聞きたくなるような言葉の波が押し寄せる。珍しくもエルロの瞳すら曇らせている。うんざりだと言わんばかり。また、さっさとなんとかしてくれと。


「――おい。ちょっと静かにしてくれって言ったろ? 殺したって良かったんだぞ?」

「んはっ!」


 フラウは強く鼻を鳴らした。


「不可能ですわ! できるわけありませんわ! であればわたくしを生かしておくはずありませんもの! わたくしを生け捕りにしたからには理由があるはず! 殺してはならない理由が! つまりあなたがたにわたくしを殺すことは――」


 フラウが言い切るより早く、アウルは椅子を鳴らして席を立った。さすがのフラウも口をつぐむ。しかし、余裕の笑みは変わらなかった。


「教えておいてやる。俺は最初、殺したっていいって思ってた。止めたのは彼女だ」


 アウルは言う。親指を立て、エルロを指さす。嫌そうな顔をしていた。


「俺は今も、いつでも、お前を殺せるんだよ。お前がまだ喋り倒していられるのは彼女のおかげだ。礼を言って少しは黙れ。彼女も俺も食事中なんだ」

「いー! やー! でー! すー! わー!」


 フラウはことさらに大声で怒鳴った。


「わたくしは絶対に黙りませんわ! なんですの!? 最初は殺す気だった!? 礼を言えですって!? いいでしょう! 言って差し上げますわ! ありがとう存じます! さぁわたくしの縄をほどいて頂けまして!? わたくしはあなた達の要求に――」

「ん!」


 エルロが匙を皿に突っ込み、じっとりとした目で言った。


「アウル。黙らせて」

「おい。名前を言うなって」

「アウル!? あなた、アウルと言いますのね!? さぁ、アウル! わたくしの――」


 みろ。一発くらい殴って黙らせた方が早そうに思えた。けれど、それでは何のために丁重に運んできたのか分からない。しかし、エルロの目も真剣だ。黙らせたいのも本当なのだろう。


「……わかった。わかりました。ちょっと道具とってきますよ」


 言って、アウルが部屋を出ていき、扉が閉まると、同時にフラウがまくし立てた。


「何をするつもりのですの!? このわたくしに! このフラウ・フューリアス・フォルジェリに! 今ならまだ間に合いますわよ!? さぁ! ほら! 邪魔なアウルはいなくなりましたわよ! わたくしの縄を解きなさいな! そうすればあなただけは許して――」

「うるさい」


 小さいが、酷く乾いた声音だった。生き血を凍らさんばかりの気配がフラウの足元に這い寄っていく。エルロは無感情な眼差しで席を立ち、中指を鉞のヘッドにかけて抜いた。くるりと回して滑り落とし、柄頭の近くで握り直す。ことん、ことん、と靴底が木床を叩いた。


「うるさいって、言った」


 言葉の圧。細い腕から垂らした鉞の圧。吸えば吸うほど息苦しくなる冷気に似た感覚。


「アウルはああ言ったけど、私だって殺したってよかったんだよ」


 フラウは顔を青ざめながら、声を発した。


「……で、でしたら、そうすればよろしくなくて? それができないのは――」

「ん。そうだね」


 エルロは同意した。


「殺すことはできない。でも、死なせてと言わせることはできるよ。お前は、それがわかってない。やる側で、やられる側じゃなかったから」


 フラウが目覚めてから今までで最も穏やかな会話だった。

 エルロが鉞を高く振り上げた。


「ちょ、ちょっと、待っ――」

「うぉーい! 何してんだ?」


 ギッ! と扉が開かれた。アウルが布を口元に巻き、無数の蝿が取りつく木桶を片手に立っていた。一瞬にして顔をしかめたくなるような腐臭が部屋に流れ込んでくる。

 エルロは腕を下ろしつつ、すとん、と柄を滑らせるようにして斧頭に中指をかけ、二回まわして太もものシースに収めて革ベルトを留め直した。


「アウル。それ何? すっごく臭い」

「黙らせろって言ったのはエルロだろ? 外だとパナペペ来るし、ここでやるしかない」


 ガゴッ、とアウルは足元に木桶を置いた。番犬代わりの鬼はエルロの再調整もありフラウを見つけても殺しはしなかった。しかし、彼女に言わせれば家に入るまでついてきたという。エルロなしにフラウを連れて出れば、何がおきるかわからない。

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