見切り

「アニ……アウルさんはいいんですか?」


 半裸の男はさすがに少年よりか状況が見えているらしく、緩んだ表情に僅かな強張りをみせていた。アウルは答えない。鍋を見つめている。男が慎重に鍋に手を伸ばし、木杓子でひとすくい椀に取り、音を立てて啜った。アウルは昏い目で鍋を見つめたまま言った。


「馬のモモ肉だ。荷に葡萄酒が混ざってたろ? あれで煮たんだ。けっこう美味いだろ?」

「え、ええ……あの――」

「殴る意味あった?」

「……その、やたら喚くもんで、俺達、ちょっと、盛り上がっちまって――」


 男の顔が青ざめていく。躰を動かしたからとは思えない汗が頬を流れ、すぐに失せた。


「どこ殴った? 顔か? 腹か? まさかとは思うけど、歯を折ったりしてないよな?」


 そうなれば人買いに売り払うのも難しくなる。黒字は目減りする一方だ。

 男が手に携えていたボロ服を急ぎ羽織った。膝を地べたに揃えて姿勢を正す。


「それだけは、俺が、ちゃんと目ぇ光らせてたんで――」

「今、見てないよな?」


 アウルの闇色の瞳に捕捉され、男はヒュッと息を飲んだ。男の視線が滑り、アウルの右の腰に差された短剣の柄に降りる。手が柄尻に置かれていた。男は慌てて立ち上がった。


「も、戻ります……!」

「頼むよ、本当に」鍋に視線を戻したアウルは「俺はメシ食ったら寝――る――から……」


 背筋に殺気を感じて眉を歪めた。視線を通路へと投げ、耳を澄ます。


「どうしたん――」「うるさい。黙っててくれ」


 耳で聞く空気の流れ。扉を挟み通路の奥、三叉路を見張る二人。さらに奥、広間に五人。一人眠る交代要員。外に出る。立てた見張りが三人。拡散していく空気の流れに歪みが生じた。


「森に……三人……か?」


 そう呟く間に、外に立てた見張りが死んだ。広間で二人が気づいた。獣人だ。人より危機に敏い。寝ている奴を叩き起こした瞬間、カランカランとアウルのいる広間で鳴子が揺れた。


「――敵襲!」


 アウルが叫ぶと、男が弾かれたように木の扉へ駆け出す。アウルは土塊を蹴飛ばし焚き火の火を弱め、頭領の部屋まで伸びる鳴子の糸を握り、


「……早すぎる!?」


 手を離した。たかが盗賊団とはいえ、アウルの指揮さえあれば貴族の私兵部隊すら屠る連中である。それが、たった三人ばかりにか。接近に気付いた時には広間におり、今はもうアウルの仕掛けた鳴子を揺らした。三叉路を真っ直ぐに――そう、道を違えてくれた。


「――――ッ!」


 アウルは糸を引き頭領の部屋の鳴子を揺らした。仲間は。首を巡らす。仲間を呼びに行ったはずの男は扉の奥に消えたきり戻ってこない。


「おい! 何やってるんだ!? もう来るぞ!?」


 そう言って部屋に飛び込んだアウルは、「……あ?」と眉間に皺を寄せた。

 鼻を突く淫臭。それと――血反吐の臭い。濃厚な怒気と、恐怖が、部屋を支配していた。


 自分の番だと部屋に飛び込んだ少年が全裸のまま呆然と立ち尽くしている。先に飛び込んだ半裸の男が、自分よりもさらに大きな男を組み伏せ、拳に血を滴らせながら殴打している。それを囲むように下半身だけ露出した男が三人。


「……なにやってんだ?」


 アウルが問うと、部屋にいた男達すべてが首をすぼませ、時を止めた。


「あ、アニキ……あの……これは……」


 少年が目に涙をためて振り向いた。下はすっかり悄気げていた。その小さな肩の向こう、床に敷かれた略奪品の絨毯の上で、全裸の少女が力なく横たわっていた。


 アウルは少年を押しのけ、少女の傍に屈んだ。青黒く腫れた顔。痣だらけの躰。豊かな暮らしで大きく膨らみ育った、いっさい上下しない胸――。アウルは手を少女の鼻と口の前にかざした。風の流れはない。細首を覆うように、はっきりと手形がついていた。


「なにしてくれてんだよ、お前ら……」


 芯から冷え切った声。先の男が、ゆっくりと立ち上がり喉を絞るようにして言った。


「お、俺が入ったときにはもう――」

「おれじゃないッスよ!? アニキ! おれじゃない! やったのは――」


 次々と口を開く塵芥。悪漢にすら足らない。

 ――俺は、こんな奴らと一緒に死ぬのか?

 アウルは心中で神に尋ねた。目に見えぬ沼に沈んでいくような気分だった。

 娘を殺めたとあってはどうにもならない。捕まれば死罪は確実。およそ想像のつく拷問すべてを味わい尽くし、殺してくれと願えども叶わなくなるだろう。


 もし――もし娘が生きてさえいれば、苦しくとも牢獄暮らしですんだかもしれない。そうでなくても、金が取れないようなら娘を返し、狩り場を変える猶予くらいは得られたはずだ。


 ――言いつけ一つ守れぬ愚か者共。


「お前らさぁ……」


 アウルは男達の間抜け面を見回した。襲撃者は確実に近づいてきていた。それも、猛烈な速度で。盗賊達にとっては死神に等しい、おそらくは冒険者ギルドに属する、人の形をしながら人から離れた者ども。勝ち目はない。


 薄いのではなく、ない。

 指揮と作戦さえあれば魔物すら狩る盗賊団の見張りを秒で切り捨てるのだ。

 アウルは冷徹かつ怜悧に思案しながら中指で唇を撫でた。盗賊団の強さはその数に自分を加えてのこと。数が減れば向こうが上だ。敗北は死。起死回生の一手は向こうに付くこと。


「……だから、俺のために死んでくれ」


 アウルは右腰に差した短剣を一息に抜きつつ少年に迫った。男達の視線が一拍遅れて残像を追う。黒皮と称される黒き刃筋がランタンの光を鈍く返して少年の首を薙いだ。バクンと大きく開いて倒れる生首。アウルが駆け抜けざまに少年の髪を掴んで傷を開いたのだ。動脈血が噴水のように吹き、男達を赤く濡らした。悲鳴ともつかぬ声は誰のものか。アウルは後ろから少年の股ぐらに腕を通して持ち上げ、男達に血の煙幕を浴びせながら突進した。


 あとは駆除と呼ぶのが相応しい。

 アウルは少年の躰を手前の男に投げつけると、狼狽える半裸の男の下腹に刃を突き立て捻って抜いた。躰を回して隣の男に飛びかかり、鼻腔から脳へと短剣を入れた。引き抜きざまに体重と落下の力を乗せて、横の男の太ももを深々と切り裂いた。


「――シィッ!」


 一息吐いた。床で昏倒する全ての前歯を拳で叩き折られたバカモノ――おそらく娘を殺したであろう男の首を踏み抜きアウルは跳んだ。血の煙幕に全身を濡らした賊の背を切り裂き、ようやく少年の躰を投げ捨てたばかりの男の背中の、ちょうど腰骨のすぐ上を狙って剣を突き出す。絶叫。腎臓を貫かれたゆえの苦痛。刃を捻り、余分な横腹の肉を断ち割りながら、


「――ンンンンゥウォラァ!!」


 気合と共に振り抜いた。

 ドシャリ、ドシャリ、と男達が膝から崩れる。アウルは首を傾け骨を鳴らし、短剣を逆手に握り変え、昏い瞳で、冷めきった顔をして、首にナイフを叩き込んでいった。


 一人につき、一突き。

 飛沫を上げる鮮血と対照的に、アウルの心中は薄く凍った水面のようだった。


「……アウ、ル、さ……」


 半裸の男が、鮮血で下腿を真っ赤に染め、虚ろな瞳で呟いた。止めようのない涎が口の端から糸を引いて垂れていた。血が混じっていた。


 ――どうにか間に合ったな。


 ほっと息を入れ、アウルは黒鉄の刃で半裸の男の首を舐めた。頭だけがそっくり返り、躰は伏しているのに生気無き眼は空を見上げる。


 腕を払うようにして短剣の血振るいを済ませると、アウルは刃を鞘に収めて部屋を出た。


 扉の脇にもたれて待つこと十秒、目当ての気配が飛び込んできた。

 ――歳はアウルと同じくらいだろうか。青い髪の少年が美しい翠緑の長剣を構えた。隣には見上げるほどの大男。後ろに、神官服を着込んだ丸眼鏡の少女。アウルは三人を一瞥し、悲しげな声をつくる。


「……遅かったよ。俺のせいだ」


 言葉を重ねながら、まるで絶望したかのようにズルズルと腰を落とす。


「機を窺ってたらこのザマだ。お前らがもうちょっと早く来てくれてたら――」


 そこで言葉を切り、アウルは侵入者に笑いかけた。できるかぎり辛そうな顔をして。


「悪い。お前らのせいじゃないな。なんか、キツいわ」


 目を閉じて、後ろ頭を洞窟の壁に打ちつけた。壁は想定より固く、脳が揺れた。上手くいってくれているだろうか――いや、いったはずだと、アウルは薄目で襲撃者の様子を伺った。


「……間に合わなかった? ……君は?」


 パーティのリーダーと思しき青髪の少年が、警戒心を残したまま剣を下げた。すかさず片端の大男が重槍を手に進み出ようとし、少年が制した。


 乗ってきたとみて、アウルは口のなかで笑った。

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