フォルジェリ

 フォルジェリ邸は雷雲に包まれたような緊迫に支配されていた。壁やテーブルにかけられた鮮やかな文様入りの真紅の絨毯はそこに暮らす憤怒を思わせ、硬く冷たい白石床と時を経て青く浮きあがった継ぎ目の筋は当主の冷血を連想させる。


 部屋の最奥、大きく開かれた窓から差す光を背に、フォルジェリ家の現当主グスタフ・フューリアス・フォルジェリが真っ赤なソファーの中央に座している。その背後、右腕の側には顔に大きな傷跡をもつ大柄な老兵が控え、厳しい視線の先、当主を挟んだ向こうに縮こまる若者が三人。普段は忙しくしている使用人も物音を立てぬよう細心の注意を払い呼吸している。


 ザリ、とグスタフが白と金の混じる横髪をかきあげた。


「それで、一晩たったようだが……?」


 嗄れた声には、焦燥よりも隠しきれぬ怒気が多く含まれおり、誰ともなく喉を鳴らした。

 グスタフは顔を伏せて逆光に表情を隠したまま呟く。


「下手人は見つかったのか? 手がかりは? 聞き取りはどうなっている?」


 また、誰かの喉が鳴った。若者達はいずれもフォルジェリ家より格の劣る貴族の家から見習いあるいは人質として奉公に出されている子弟達だ。当主の機嫌を損ねるわけにはいかず誰一人として口を開こうとしない。未だ有力な情報は得られていないのだろう。


「……オーグよ。お前は何年私の下で働いてきた? 耄碌したか?」


 グスタフの問いに、傍らに控える老兵の、鈍色に濁った瞳が揺れた。


「二十……二十五年になりましょうか。昔とは違うのです、主様。精兵と呼べる者も魔物共との戦いで数を減らしました。力づくでお嬢様を拐かすような輩に一日で追いつくのは……」

「数が足りないなら集めればいいだろう。ギルドに言って勇者を呼べ」


 低い嗄れ声に詰められて、オーグは首を傾げるようにしてうなじをさすった。


「いかに主様の命とあれど勅命には敵いません。以前のように呼び戻そうにも手筈を整え手紙を出し、メーンまで戻るまで――短く見積もっても一月はかかります」

「……では選べ」


 グスタフは顔を上げぬまま、左手を伸ばし若者達を指さした。ぐっ、と一同が背筋を伸ばした。その場から逃れよと本能が告げるのか、今にも後退りそうだ。

 オーグは若者達を一瞥し、なだめるようにグスタフに言った。


「主様、手勢が減ればその分だけ仕事が遅れます」

「選べと言った」


 グスタフが右手の平を天に向け、オーグの前に出した。

 オーグはため息混じりに銀色に輝く杖を取り、グスタフの手においた。「おい、前へ出ろ」と左端の青年を指差すと、青年の顔から血の気が引いていった。


「お、お許しください! 明日には――いえ、きょ、今日の夜までに――」


 鉛のように重い沈黙。青年は言葉を切り、固く目を瞑り進み出た。

 コーン、と硬い打音が部屋に反響した。グスタフが杖を手がかりに腰をあげる。一歩ごとに地を突く音を高めながら青年に近づいていく。窓から伸びる帯のような光が彼の手に包まれた六角柱の杖飾りに反射していた。憎々しげな息遣いに怯え、使用人達の手も止まっている。


「あの――!」


 後ろに控える青年が言った。


「仕置きは私に任せて頂けないでしょうか!?」

「……いいだろう」


 言って、グスタフは手の内で滑らせるようにして握り変え、杖を高く掲げて、前に出ていた青年の頭を強かに打ち据えた。鈍く重い肉弾の音が部屋にこだまし、青年は手押された木偶のように床に倒れた。頭が床で一つ弾んだ。左のこめかみからドロリと血が流れ出した。


 グスタフは細く長く息をつき、さきほど声をあげた青年を見やり、杖を投げた。慌てて受け取る青年に、彼は言った。


「やれ。私に代わり仕置きをしたかったんだろう? してやれ。お前が」


 言葉を失う青年を、グスタフの冷え切った鋼のような瞳が射抜く。じわじわと血が広がっていく床の上で、ひゅう、ひゅう、と打たれた若者が細い息を繰り返していた。

 グスタフが立ち尽くす青年に迫り、その固く握りしめれた手から杖を奪い取った。


「仕置きしたいのではなかったのか?」


 言って、杖を振り上げようとしたとき、部屋の扉が開かれた。


「あ、あの、主様ー……? お客様が……」


 様子を窺うような少年の声。小姓としてフォルジェリ家に使えている子だ。すぐ後ろに続いて、アウルが顔を出した。


「どうも。お初お目に――おっと」


 アウルはグスタフと若者達の姿に唇の端をあげた。


「ご歓談中でございましたか。お邪魔しても?」


 グスタフがひときわ強く杖で床を突いた。激しい音に小姓が首を竦める。


「……見ない顔だ。ギルドの寄越した傭兵か?」

「ギルドからじゃないんだな。ただ、お嬢さんの救出に協力したいと思って――」


 言いつつ、アウルは首元から翠色の印章が入った指輪を出した。


「……翠色の印?」


 グスタフの眉間に皺が寄った。


「勇者だと? なぜメーンに?」

「理由については話せないんだ。職務上ってやつだね。まぁ偶然といえば偶然なんだけど――ついでに人助けをしようとね。人払いしてくれるか?」


 グスタフは部屋を見回し、杖を払った。若者二人が慌てて床に伏す仲間を引きずって出ていく。小姓は怯えながら当主に一礼して背を向け、メイドが我先にと部屋を後にし、残された一人が緊張で頭がどうかしたのか床に残る血痕を拭きだし、


「出て行け!」


 というグスタフの雷声に慄き、血溜まりに足を取られて転び、逃げるように部屋を出た。あとには、フォルジェリの怒れる当主と、オーグと言う老兵と、昏い目をしたアウルが残った。

 深いため息とともに、グスタフがソファーに腰を下ろした。犠牲者の血で汚れた杖をオーグに手渡す。オーグは受け取った杖の頭飾りを布で拭きつつアウルに尋ねた。


「まずお名前を頂戴してもよろしいですか?」

「アウルだ。みんなそう呼ぶし俺もそう名乗ってる」

「ではアウル様、フラウ様――お嬢様の救出にご協力いただけるというのは?」

「言葉通りの意味だよ。森の探索中に空っぽの馬車を見つけてね。はじめは散策かと思ったんだけど――護衛がいないのはおかしいだろ? ちょっと探して確認してからでも、と――」


 アウルは身振り手振りを交えながら嘘を続けた。野盗をやっていた頃のようになめらかに。


「――見つけはしたけど只者じゃなくてね。考えてみれば当然だよ。お宅のお嬢様を拐ったんだし。人質の扱いも心得ていらして。戦えば勝てるけど無傷で救出は難しい。そこで――」


 アウルは胸元から薄ぺらい木片を取り出した。


「代わりに交渉してきた。これだけ払ってくれれば返してくれるんだと」


 木片には犯人からの要求という形で身代金について書きつけてある。森で見つけた蛇の血を使い、できるだけ危ないやつに見えるようギザギザした字体で、復讐という言葉も添えた。


 オーグはアウルから渡された木片を見て眉をひそめた。すぐさまに口を開きかけるが、グスタフが指を立てて止め、木片を受け取った。


「……物の価値を知らんようだな。話にならん」

「そうなのか?」


 アウルは驚いてみせた。


「大事な一人娘だろ? まぁ息子さんが二人いるようだし家督については平気だろうけど――払ってやったら? それで話は終わるだろ?」

「『払えば』終わりだ。次から次にやってくる」

「へぇ。なにか思い当たる節でも? さんざん悪いことをしてきた?」


 グスタフは昏く光る眼でアウルを睨めつけ、低く響くような声で言った。


「駄犬め。言葉遣いに気をつけろ。私はお前の主人だぞ?」

「悪い眼をするねぇ。俺は誰の飼い犬でもないんだよ」

「勇者か――ハッ!」


 グスタフは鼻を鳴らした。


「私がつくってやったギルドの、私の金を頼りに暮らす王の犬だろうが。勇者と綴り、犬と読むんだよ、駄犬」

「……挑発するなよ。助ける気が失せてくる。交渉決裂、殺していいよって伝えようか? あの様子じゃ甘やかして育ててきたんだろ? ここで命を散らしちゃもったいないって」


 フラウのために用意された剣、鎧、私兵。さらには私的な練兵場。すべてが彼女一人のためとは言えないが、それでもグスタフならばかけてきた金は回収しようとするはずだった。

 グスタフは深く息を吐き、木片を一瞥した。


「目端の利く犬だな。腹立たしいが、我が家の駄犬どもよりはマシだ。――お前の言うとおりだよ。金をかけてきてやった。それに、あれには選ばれし者と呼ぶに相応しい才覚もある。そのせいで見誤った。もう少し早く出荷しておくべきだったな」

「出荷とはまた……実の娘を家畜よばわりとはね」

「拐われたと知れれば王家入りには使えんからな。バカ息子どもより役に立たん」

「街じゃ騒がれちゃいないし無傷で救出すれば夢の糸も切れずにすむさ。ギルドへの依頼はまだなんだろ? さっさとお嬢さんを買い戻して箱に入れときな。それでおしまいだ」

「……それもそうか」


 グスタフは唇の端を吊りあげ背もたれに躰を預けた。


「――だが、高すぎるな。この額面がどれほどのものかお前に分かるか? 私の財産だ。しかも――」


 グスタフは木片をテーブルに投げ出した。


「金貨で要求してきたのなら可愛げがあるが、宝石やら呪具やら……馬の背に乗せられる重さにしろという。悪知恵が働く奴らだよ。いったい、どこの誰が入れ知恵したのだろうな?」


 グスタフに試すような眼差しを向けられ、アウルは肩を竦めてみせた。


「腕が立つって言ったろ? こっちとしちゃ巻き込まれたようなもんだ」

「フン――いいだろう。値引き交渉だ。最低でも十分の一になるまで値切れ。上手くお使いができたら差額を駄賃にくれてやる」

「つまり、それ以上に値切った分だけくれるって? だったら、それを署名入りで――」

「断る。脅しのネタをくれやるほど耄碌しておらんよ。私を信用してもらおうか」

「俺のことを信用してもらえてないのに? そっちに都合が良すぎないか?」

「断ればギルドに勇者の印を剥奪させる。脅しじゃないぞ。選べ、受けるか、断るか」

「……値切れなかったら?」

「差額は借金として貸し付けてやる。返済が終わるまで私の奴隷だ。昨日までと変わらんよ」


 さも当然とばかりにグスタフは言った。

 今の時点でこれ以上押しても無駄だろう、とアウルは片手を振った。


「ムチャクチャな依頼だな――でも、断るのが無理ならやるしかないしな」


 もっと強い脅しがいる――それが分かっただけでも収穫だった。



 *



「……オーグ。あいつを追え」


 アウルが去ったばかりの居室にグスタフの声が響く。


「勇者様を、ですか? ……勇者ともあろう方が、主様に牙を剥くでしょうか?」

「……オーグ、あの目を見たか? あれは人の姿をしているだけだ。あれには、何もない。命乞いをする人間が息絶えるそのとき、あれは何も感じない。喜びもせず、悲しみもせず――」


 グスタフはソファーの背に頭を乗せ、細い、長い、精神の震えを隠すような息をついた。

 オーグは固く瞑目し、開くと同時に首を垂れる。


「畏まりました。――人選びはどう致しましょう?」

「お前が選べ。起きたことは全てお前の責任だ。いつも通りな」


 オーグは浅く一礼し、居室を出た。

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