貴族という種族

 深い森の入り口の、市井の民に忘れ去られた騎士の家の、地下室の奥。薄ぼんやりと輝く常世のものとは違う青い光を淡く受け、フラウが呻くように息をついた。手に幼児の頭骨と思しき骨がある。傍ではエルロが、騎士の残した大剣に刻まれたカルガの術を読み解いていた。


「そこにあるのはホントのホントの極一部。日記に書いてあったよ」

「こんな……こんな話、わたくし信じませんわよ!?」


 フラウは膝下に置いていた日記を叩いた。


「ん。別に信じなくていいと思う」エルロはふぅと息をつき古びた椅子に腰掛ける「信じようと、信じなかろうと、関係ない。フラウは運が悪かっただけだよ。親選びを間違ったんだ」


 言葉の意味が取れないのだろう、フラウの眉間に細かな皺が寄っていた。


「私も間違えたんだと思う。気づいたらカルガの巫女がどうとか言われたし」

「――ッ! 一緒にしないでいただけまして!? わたくしのお父様は――お父様は……」


 続く言葉を見失ったか、フラウが口を噤んだ。


「疑ってはいるんだ」


 エルロは驚いたように瞬き、微苦笑を浮かべた。


「じゃあ、やっぱり、私とおんなじだ。選ばなかった私と、たしかめなかったフラウとで、おんなじだよ」

「たしかめなかった……?」

「いま、その日記を見て疑ってるなら、たしかめようと思ったこともあったはず。――でもフラウはしなかった。選ばなかった私とおんなじだよ。やっておけばよかったことをしなかったんだから、自分の責任なんだよ」

「責任って……な、何の責任ですの!?」


 フラウは手にしていた小さな頭骨を床に叩きつけようと振りかぶり、思い直したのか箱に戻して両肩を抱きかかえた。


「……この、この日記を書いた方は、誤解しているに違いありませんわ。――ええ! そうです! そうですわ!」


 フラウは顔に細かな汗の粒を光らせ、片手を広げてみせた。


「きっとこの方達は慰み者ですのよ! わたくし達とは流れている血が違いますもの! わたくし達のために、代わりに、わたくし達の苦しみを……代わりに……」


 フラウの、熱に浮かされているかのような弁明が途切れていく。やがて金切り音に似た耳鳴りが部屋を支配すると、エルロが暗中に歯を見せて笑った。


「流れている血は違っても色はおんなじだよ」


 コクリ、とフラウの喉が小さく鳴った。


「ん」


 エルロは言った。


「フラウのお父さんはいっぱい人を殺して遊んだ。おんなじ色の血がフラウにも流れてる。でも、おんなじ血じゃない。私のお母さんは巫女だった。私にもおんなじ色の血が流れてるよ。でも、おんなじ血が流れてるわけじゃない。でも、みんなフラウとおんなじことを言った。お前は巫女だって。カルガの子どもじゃなくて、巫女なんだって」


 エルロは椅子の背もたれを軋ませた。


「ジーについて行けって言われて山を下りて、みんなに言われた。お前はカルガだから。ちょっと違ったのはアウルだけ。笑っちゃった。カルガの巫女に生まれたお前が悪い、だって。笑っちゃうけど、そうかもって思った。アウルも言ってた。クソ貧乏な狩人の倅? なんかに生まれた俺が悪いんだって。けっきょく、なにもかも自分のせいなんだってさ」

「……それ、めちゃくちゃ後ろを向いてませんませんこと……?」


 話を聞くうちにフラウの口の端が下がっていて、エルロはふっと口元を緩める。


「ん。それは、ちょっとそう思う」


  地下室に広がる穏やかな沈黙を破るように、上の階から扉の開く音が聞こえた。

 エルロは小動物を思わせる動きで天井の隅を見つめ、声を張った。


「アウルー。こっちだよー」


 足音の主はぶつくさと文句を並べながら階段を下りてきて、面倒くさそうな顔を出した。


「こんなとこで何やってんだ?」

「ん。おかえり。フラウが見たいって言ったんだよ」


 ね? とばかりに振り向かれ、フラウは日記を拾い上げた。


「……わたくしは、わたくしはこんな話、信じませんわ」

「目は瞑り耳を塞いで神の元に召されましょうって? 貴族らしくていいんじゃないの?」


 アウルは興味なさげに言って、エルロに顔を向けた。


「んなことより、パナペペの警備いまだけキツめにできたりする? 侵入者は即殺みたいな」

「ん? できるよ。だいぶイジり方も分かってきた」


 言って、さっそくエルロが大剣に手をかざし鉞を抜いた。調整に入ったのだろう。

 アウルは凝りの残る右肩をぐるぐる回しながら言った。


「まったく面倒くさいったらないよ。グスタフさんとこ出たら即、尾行がついてきてさ」

「お父様に会いましたの!?」


 勢い立ちあがるフラウ。アウルは一瞥しただけで彼女には答えず、エルロに話を続けた。


「撒いちゃっても良かったんだけどさ。それだと俺が疑われるだけじゃん? だったらなんかやばい盗賊団っぽいって思ってもらえるようにさ、始末したほうがいいかと思って」

「ん。でも殺しちゃったら――」

「ついてきてるのはギルドの傭兵じゃないから大丈夫だよ。てか、聞いてくれよ。グスタフさんヤバいんだよ。せっかく俺らが生かして帰してやった傭兵を――」

「アウル! わたくしの質問に答えなさい!」


 フラウの高い声がアウルの話を遮った。


「お父様にお会いしましたの!?」


 詰問され、アウルはだらんと首を下げた。


「はいはいはい、会いましたよ、会いました。高すぎるからいくらか負けろってさ」


 アウルはそれだけ言い、で、と先の話を再開しようとしたのだが。


「負けろ……? 負けろってどういうことですの!? 詳しくお聞かせなさいな! アウル!」


 フラウがなおも食い下がった。

 いよいよ面倒になり、アウルは重い息を吐く。


「わーかったって。話してやるからちょっと待てよ。先にこっちを終わらせて――」

「ん」


 とエルロが指で大剣をなぞると、刀身に刻まれた文字列が赤く光った。


「できたよ。範囲内に入ってきた人はすぐ攻撃する。獣への対処は今まで通り」

「早いな。助かるわ」


 と、アウルはエルロの頭に手を伸ばしかけ、じろりと見られて引っ込めた。


「んじゃメシだな。暗くなる前にと思って早足で来たから腹減っちゃったよ。――お父様のお話は、食事の席でしましょうか?」


 背筋を伸ばし、フラウに振り向けられたその目は、すでに深淵の底から彼女を見ていた。

 そして。

 本日の献立は新たな肉を加えたいつもの煮込み。尾行をつけられた状態で買い物はできないし帰り道には馬を使えない。大金をせしめたら真っ先に改善したいところだ。


 食卓は質素でも一人増えて会話は賑やかになった。あまり楽しげなではないが。

 食前に感謝の祈りを捧げようとするフラウに対し、アウルが礼を言うなら取ってきて調理した俺にと腐したり、獣脂の濾過作業をサボったことについてエルロが事情があったと弁明しようとして叱られたり、グスタフの話が囚われの少女の手を止めたり――。


 フラウは何度か匙を持ち上げようとして、そのたびに吐き気を催すのか口元を押さえた。

 その姿はアウルにとって意外だった。


「なにがそんなに気持ち悪いんだ? 獣の匂いか? それとも口に合わない?」


 あの父親にしてこの娘ありである。グスタフはアウルが出会ったなかでも特に貴族らしい貴族だ。自らこそが神に選ばれた者だと思考し、他者への傲慢を隠そうともしない。


「……放っておいてくださいまし」


 そう声を暗くするフラウにしても、それは同じだ。生まれた時から選ばれた者であると教えられ、奔放な生を許されてきた。ギルドの傭兵を私兵として鍛錬を積む――その過程で父親よりはいくらか鷹揚さを育んだと見えるが、その根は同じフォルジェリにある。


「ん」


 とエルロがおかわりを所望した。


「良かったね、フラウ。自分の値段が分かって」

「わたくしを侮辱していますの!?」


 フラウがテーブルを叩いた。衝撃で匙が皿から溢れて天板を汚した。アウルは深淵そのものと化した眼差しを向け、くつくつと笑う。フラウの目が怯えるように揺らぎ、エルロがそれを見て口先を尖らせる。


「ただの冗談だよ。私は、あんまり上手じゃないんだ」


 不貞腐れたように匙を口に運ぶエルロに代わり、アウルは言った。


「まぁ値切られるの前提でふっかけてるし、傷ついてやることはないさ。――ていっても、十分の一じゃ危ない橋を渡った意味がないから、せめて半分は払ってもらいたいけどな」


 安心させるつもりだったが、フラウは吐き気を堪えるように目を瞑っただけだった。

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