騒動の跡
空の荷台を引くからとやや早足で往く馬車の上、アウルはぼんやりと考えていた。
ガンツィの森の奥で祭壇を見つけたのが苦難の始まりかもしれない。なんとはなしに捧げ物をして、力を得て――実はあの祭壇は邪神の罠だったのでは。本当に与えられたのは小賢しい知恵であり、ありふれた自らの境遇を拒み希望を夢見させる仕掛けだったのでは。
その証拠に、すぐに傭兵の道を諦め盗賊に堕ちた。真なる勇者に拾われ希望を見ても、彼の空より澄んだ善性に耐えきれず袂を分かった。そしてまた人さらいに堕ちている。
「だいたいムカつくんだよ。汚れ仕事は人任せでさ」
アウルはまるで隣にジーが座っているかのように言った。幻影の彼は申し訳無さそうに苦笑するだけだ。何を言うでもない。実際、口を開いたとしてもごめんの一言くらいだろう。
「それは違うよ」
ジーの声音を真似て呟く。彼の言うとおりだ。代わりを頼まれたことはない。命じられたことも。すべて自分から進んでやってきたこと。カークの仕事を引き継いで、後に発言や提案をエルロが引き継ぎ、実際の行動はアウルが担い、それに不満はなかったように思う。
「じゃあ、なにが憎くて刺したんだよ、お前は」
自分に尋ねる。決定的な契機は海辺の街オランだ。脅すほうが早い。まったくそう思う。考える素振りもなく否定されたのが気に食わなかったのか。ない。ジーの選択は分かっていた。違う答えを期待して思い通りにならなかったからキレたのか。それでは世の中を知らない子どもと同じだ。最初に堕ちたとき世界というものを理解した。別の理由があるはずだ。
「感謝の印……」
あのとき口をついて出た言葉だ。なんの感謝だろう。ジーのような聖人がこの世にいると教えてくれた礼だ。おそらくは。では刺した理由は。
「この世には俺みたいな邪悪もいると教えたくて」
バカかお前は、とアウルは背中を丸め膝に頬杖をついた。
時間というのは難しい。喉元を過ぎれば全てが不確かになる。ジーは世界の汚さを理解していなかったのだろうか。そんなはずはない。出会ったとき彼は盗賊を皆殺しにしたのだ。
彼は理解していた。アウルの嘘も承知の上で仲間に加えた。なぜ。経緯が経緯だけに聞くこともできず別れてしまったが、彼は何を思っていた? 本当は殺したくなかったのか? それじゃ足りない。反抗を防ぐためか? まだその方が納得はいくが――。
「それは俺のやり方だ」
彼の考え方には合わない。ではなぜ?
悪党どもに良いように使われている彼が不憫に思えたから?
「アホらし。ムカついたから刺したでいいだろ? 他になんか理由がいるか?」
アウルが手のひらに尋ねると、馬車馬がけたたましく嘶いた。思わず顔をあげた。馬車の進路を塞ぐように数人の門兵達が長槍を構えていた。
「――おい! 耳が聴こえないのか!? 馬車を降りろと言っている!」
御者台の一番ちかくにいた若い門兵が青い顔で叫んでいた。
アウルは左手を小さく挙げて、顔を向けた。
「悪い。考えごとしてたんだ。ちょっと急ぎの用件があって――」
「だ、黙れ!」
門兵は槍の穂先で馬車の荷台に刻印された紋章を示した。
「そ、そ、それ! グスタフさまのとこの紋章だろう! お、お、お、お、お――お前がやったのか!?」
門兵は今にも槍を突き出してきそうな剣幕だった。
アウルは怯える門兵のために、胸元から翠色の印章が入った指輪をひっぱりだす。
「落ち着けって。その件で来たんだからさ」
門兵が目を大きく見開いて、口をぽっかり開けたまま、肩の力を抜いた。長槍の穂先が揺れて地に向かう。なぜ今まで使うのを躊躇っていたのだろうと、アウルは口の中で笑った。
こんな便利なものは、他にないのに。
「――とりあえず、グスタフさんちの場所わかる? 娘さんのことで大事な話があるんだ」
問うと、門兵はぶんぶんと首を縦に振った。
馬車の処遇を兵士達に任せ、アウルは街の空気を探りながら案内人の後に続いた。市場の活気は変わらない。ときおり覗く裏通りも同じ――いや、亜人達の顔つきが心なしか険しいか。しかし、毛皮に包まれて表情は正確には読めない。アウル自身が練兵場で起きたことを知っているからそう見えるだけかもしれない。
「――意外と騒ぎになってないんだな」
アウルは声を低めて案内人に尋ねた。案内人はドキリと肩を弾ませ、肩越しに曖昧な笑みを見せた。言いにくいのだろう。固く歯を噛んで首をめぐらし、俯きがちに言った。
「……関わりたくないんですよ。練兵場の話はもうお聞きですか? フラウさまが鍛錬につれていく連中はただの私兵じゃないんです。ギルドの傭兵ですよ。この街でも特に腕が立つ。彼らをしてフラウさま一人に歯が立たないんですよ? それをあんな……」
案内役の兵士はぶるりと躰を震わせた。
「勇者様がきてくれて良かった。俺達じゃどうにもなりません。もし捜索に駆り出されたりしたら命がいくつあっても足りない。――もし助けられても報酬なんか期待できませんしね」
「へぇ……ってことは、賊とやらは義憤に駆られたってわけだ」
案内人が小さく吹き笑いし、慌てて口元を隠した。
「噂が本当ならありえない話じゃありませんが――いえ、あの、この話は」
「俺は何も聞いていないよ」
案内人がほっと息をつき、顎をあげた。
「あれがフォルジェリ家のお屋敷です」
見れば石畳の先に砦を思わせる鋳鉄の格子門扉があった。すぐわきの門柱に軽装の傭兵が二人、背を預けている。門の奥にも二人いるようだ。壁の高さは人にして二人半くらいか。門から屋敷までは大股で百歩といったところ。庭木も見えるがいずれも簡素に思える。
「……意外と庭が狭いな」
アウルが風に紛れるような声で呟くと、案内人は息を呑むように唇を結んだ。
「あの、差し出がましいとは思うのですが……言葉にはお気をつけになさったほうが……」
「怖がりすぎじゃないか?」
「とんでもない……!」
案内人は顔を伏し小声で言った。
「診療所に運び込まれた傭兵の一人が死んでるんです。死ぬような怪我じゃなかったのにですよ? あれは、絶対に――」
「やらかした端から殺してたら人がいなくなりそうなもんだけど……八つ当たりで殺すような奴もいるからなぁ……。災難というかなんというか――ね」
苦笑し、アウルはもう帰っていいよと案内人の肩を叩いた。
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