二度目の交渉

 二日後、アウルは身代金の交渉にフォルジェリ家を訪ねていた。急な訪問だからか待つように申し渡され、しばらくして、使用人の少年に連れられ小さな部屋に通された。


 奥にはグスタフの座す豪奢な机があり、脇にオーグが立っている。机の前に二脚の椅子。壁を覆う本棚には巻物や帳簿が詰め込まれており、机の上には金の天秤があった。ジーと旅をしていたとき、王城で執政官と面会した部屋も同じようなつくりだった。いわゆる執務室だ。


 アウルは部屋に残る使用人の少年に疑問を持ちつつ、グスタフに気安く手を挙げてみせた。


「よぉ、久しぶりだな、グスタフ・フォルジェリ」


 言い終わるかどうか。グスタフは殺意を隠そうともしない眼差しで手をオーグに差し出し杖を受け取り、強く床を叩いた。てっきり少年の人払いかと思ったが、違った。アウルの背後で扉が開き、強面の傭兵達が入ってきた。一瞬、視線を巡らすとすぐに分かった。練兵場にいた兵士達の一部だ。傷の浅かった面々が呼ばれたのだろう。


「遅かったな、駄犬」


 グスタフは低い声で言った。


「なぜ娘を連れていないか聞いてやろう」

「この二、三日で言わなきゃ分からないほど耄碌したのか?」


 アウルの言葉に、兵士達が緊張した面持ちでグスタフを見やった。


「……いくらまで値切ったんだ?」

「二分の一が限界だとさ」

「……フンッ!」


 グスタフはくだらないとばかりに鼻を鳴らした。


「話にならんな」

「向こうもそう言ってる。そりゃ十分の一じゃ無理だよ。半分まで値切ってやったんだからそれで受けてやってくれ。俺の取り分は一割――じゃ多すぎか。一分も貰えればそれでいい」

「フッ、フハハハハハッ! 取り分――取り分ときたか! 鏡を見てみろ。角が生えたぞ」

「角ぉ? 犬に角が生えるかよ。あちこち旅してきたけど見たことないぞ?」

「……古い言い回しだ。まぁいい」


 グスタフが顎先を振ると、オーグが腰に下げた剣の柄頭に手をかけ、前に出てきた。アウルの周囲を取り巻く兵士達も気配を鋭くする。一人事情を察しきれていないらしい使用人の少年はきょろきょろと不安げに首を振り、そっと部屋を出ていこうとし、


「動くな。客人に顔を見せてやれ。私が良いと言うまでな」


 グスタフに低い声で命じられ、少年は微かに躰を震わせながらアウルを見上げた。


「……あー……これはどういう趣旨の遊びなんだ?」


 アウルは昏い目をして尋ねた。


「勇者様につけた者が未だ帰っておりません」


 グスタフに代わりオーグが答えた。

 フォルジェリ邸に訪れる前、土地を借りた役人のところにも寄ったが、密告の気配はなかった。触らぬ神に祟りなしという言葉もある。気づいてはいるようだが、口に出さなかった。状況は、アウルの望む方向に向かっているはずだった。


「だな。放っておいたけど会えなかったよ。どうなったんだか」


 死んでいる。完全にバラバラだ。拾い集めてから半日ほどフラウも塞ぎ込んでいた。


「おい」


 と、グスタフが顎をあげた。


「お前達を襲ったのはどんな奴だったんだ?」


 傭兵達への問いかけだ。彼らは唾を飲み込んだ。


「背格好が、似ています」

「だから?」


 アウルは両手を垂らし傭兵達を見回す。


「証拠はあんた達の証言だけか?」

「――あなたの短剣ですよ、アウル様」


 オーグが言った。アウルは鼻を鳴らして短剣を抜く。兵士達が僅かに反応したが、彼が短剣をつまみ持っていたために衝突には至らなかった。


「黒皮の片刃。俺は元々ガンツィで狩人をやってたんだ。あの辺りじゃありふれてたけど、ここらじゃ違うのか? モノ自体も特別に拵えたようなモンじゃない。冒険者向けの商店に行けば手に入る。他に証拠は? 次は服か? 毛皮? 技? なんでもいいけどさ」


 アウルは漆黒の瞳で傭兵達を見回した。ジリ、と傭兵達が半歩ほど間合いを広げた。


「勇者の俺と、あんたと、誰がどっちを信じるのか、よく考えた方がいいぞ?」


 それが当初の目的――あるいは保険だ。誰が作ったにせよ、すでにギルドの存在と勇者への信頼はジーを含めたどうしようもない善人達が固めてくれている。

 一方で、利益を優先する商人への信頼はどうだ。

 特に、過酷な時代でも自らの権益と豪遊を最優先するような商人と比べたら、どうだ。

 傭兵にとって、同業者を生かした勇者と、処刑した恐怖の象徴を比べたら、どうだ。


「最初の要求の半額。あんたの資産の四分の一だ。それで終わればお互いに幸せだろ?」


 アウルの、もはや隠そうともしない要求に、オーグと、使用人の少年が気配を固くした。


「勇者を名乗っておきながら、そんな小さな子の前で暴力を振るうのか?」グスタフが言った。


 アウルは唇の片端を吊り上げ、つまんでいたナイフを背中の鞘に戻した。


「必要ならね。――必要になるのか?」


 考えうるなかで最も穏やかな警告。グスタフが片手を挙げ、老兵が動いた。柄頭に乗せた手を滑らせ逆手で抜く――いや、抜こうとした剣が、指の幅も動かぬうちに止まった。


 アウルの右の第二、第三指が、オーグの眉間に突きつけられていた。

 長剣を抜くにしても、短剣を抜くにしても、最短最速を望めば間合いは一歩に収まる。であれば、抜きの動作が短い方が勝つ。長剣より短剣、短剣よりも素手だ。事の起こりさえ見切れば――選ばし者アウルにすれば、たとえ出足が遅れても余裕をもって後の先を取れた。


「もし俺が短剣を抜いていたら?」


 アウルは肩越しに傭兵達を見やった。彼らはオーグよりもさらに遅く、まだ剣の柄に手を伸ばす途中であった。


「この部屋、赤く塗り直そうか?」

「……お前はそれでも勇者か? その子に血を見せる気か?」


 言われて、アウルは使用人の少年に視線を落とす。つぶらな瞳に涙を溜めて小刻みに震えていた。小便をもらす手前だ。


「俺はこの子の年のころ鹿を捌いてた」アウルは昏い目をグスタフに向けた。「半額だ」

「断る」


 グスタフの瞳に憤怒が宿った。


「『連中に伝えろ。銅貨一枚たりとも渡さない』」

「後悔するぞ?」

「もう二、三日やる。無傷であれを返せ。でなければ、お前の首を市中に晒して歩いてやる」

「……金を用意しておけよ?」


 と、背を向けるアウルに、グスタフが言った。


「首を洗っておけ」


 扉を開けてゆるりと振り向き、アウルは笑みを送った。


「毎日ちゃんと洗ってるよ」


 手を振ってみせてやり、部屋を出て、今度ばかりは街を去る前に尾行も撒いた。

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