第39話 精霊宿し
「……う……?」
頭が痛い。
ずいぶんと重いまぶたを上げて、不明瞭な視界の奥に目を凝らす。
目に痛いほどの青空。
視界の隅の方から黒煙が昇っては空へ溶けていくのをぼんやりと眺める。
……薄暗いトンネルを進んでいたはずだけど、地上に投げ出されたのだろうか。
横を向いて、目と鼻の先に広がっていた銀色のアスファルトの奥にピントを合わせる。
エアロ・バイクは、大破していた。
ぼこぼこのフレームの隙間から謎の煙を巻き上げ、よく分からない細かい部品がひしゃげ、破損して散乱している。
首を反対側に回してみれば、全身の至るところが擦り切れて血がにじんでいる緋色の姿が映った。
仰向けで寝かされた彼女のあの自慢の赤い髪もだいぶ乱れていて、衝突の激しさを物語っている。腹のあたりがちゃんと上下しているので無事なはずだけど……。
そうだ、バファとミーシャは……?
左の手のひらを突き立てて上半身を起こし、すぐそばに転がっていた世界樹の小枝を引き寄せる。
まだ立ってもいないはずなのに頭がふらふらと揺れて気持ち悪い。
そのまま杖に左半身で寄りかかるようにしながら立ち上がろうとした時――
「シン。まだ動かないで」
聞こえてきた声にゆっくりと首を回した。
青い髪の小柄な少女が、地べたにしゃがみこんで空に円を描くように片手を動かす。
波紋上に広がっていくその波は、どうやら自分たちをドーム状に覆っているようだった。
「……ミーシャ……」
「いま、私たちの姿を消す魔法を使ってるから。
こっちの居場所は向こうにはまだ分かってないはずだけど……」
波紋上に揺れる透明な膜の向こうに、黒騎士の影が垣間見える。
ほんとうに見えていないのか。
やっぱり、ミーシャの魔法はさすがだなと思った。
「……バファは……?」
「ポーションを探しに行ってくれてるよ。
できれば魔力回復用のがあればいいけど……。
あんまり贅沢は言えないね」
空気中に何かよく分からない産業廃棄物的な粉塵が舞い散っているのを光の反射具合で視認し、杖を持った左腕で口元を覆いながら視線を上に向けた。
四方はビルに囲まれていて、自分たちは多数のがれきが転がる主要道路にいるようだった。ところどころからはみ出ている尖った鉄筋の槍が無機質な金属のにおいを漂わせている。
……そこで俺は、ようやく気が付いた。
ミーシャの脇腹が、真っ赤に染まっていることに。
視界が、頭が、一気に鮮明になっていく。
「ミーシャ、怪我が……!」
「これくらいは平気。
心配しないで、ね?」
赤い鮮血のにじみ出る腹部を、小さな白い手で押さえながら彼女は笑った。
脳裏にフラッシュバックする、あの悪夢。
加えて、治癒魔法は術者本人にはかけられないことも思い出して、
俺は急いでポケットからあるものを取り出した。
「大丈夫だ、ミーシャ。
これがあるから……」
回復の魔石だ。
ベルリーチェにいたときに買っておいたものである。
今使わずしていつ使うというのだ。
取り出したそれを見て驚いていたミーシャが、何も言わずに魔石の効果を受け入れる。
使い方は簡単だった。ほんの少し魔力を通して起動させるだけ。
すぐに、魔石から黄金色の輝きが溢れ出した。
「……」
暖かい光が傷口に投射され、見る見るうちに癒えていく彼女の腹部。
やがて、効力を失った金色の魔石が、色のない透明な魔石と変わり果てて完全に沈黙する。
軽くなった魔石を放りだして改めて傷口を確認した。
服の切れ端に血がこびりついて見えずらいが、大丈夫だ。
「……ありがとう……」
ぽす、と彼女が頭を当ててくる。
震えていた彼女の腕は背後に回され、ぎゅっと身体を締め付けられる。
抱きつかれているのだ。
俺は彼女の青い髪に自分の顎を乗せて、ゆっくりと撫でてあげた。
埃か、粉塵かも分からないざらざらした粒を彼女のきれいな青い髪から落としながら視線を上げる。
唯一の移動手段街であるエアロ・バイクは破壊され、緋色もダウン。
魔力も、あまり残ってはいないのかもしれない。実際に身体の重さがさっきまでとは雲泥の差だ。
そして今は、黒騎士の脅威から身を隠すのみ……。
……ああ、これ、けっこう絶望的な状況なのか……。
「……今までずっと、大変な思いをさせてきてごめんね」
やがて、俺の胸から顔を離したミーシャが、伏し目で弱く笑いながら
欠けた右ひじの先に触れてきた。
「……大変だなんて、そんなこと……」
「でも、いつかきっとシンは気付くよ。
片腕を無くしたことが、長い人生の中でどれだけ大きな損失なのか」
そして、彼女は、まだ残っている俺の左手も取った。
向かい合って、互いの両手と両手をつなぐ姿勢。
こちらの右手のほうだけは欠けているけど……あれ……?
「もうこれ以上、あなたを苦しめるわけにはいかないから」
このポーズは、覚えがある。
そう、かつて精霊王国で……。
――魔力を半分、分け与えられた時の――
「シン。
あなたに、私の魔力のすべてをあげるね」
「……何を……!」
気が付いたときには遅かった。
身体が動かない。魔力の糸で押さえつけられているのだ。
自分の意思とは無関係に、体内に温かい力が灯されていく。
二度目であっても変わらずそれは身体の内側から押し広げていくように抵抗感を伴いながら進み、全身を優しく包みこんでいく。
「ごめんね」
今までにないくらい、優しく微笑むミーシャ。
だって、そんなの。
嫌だ。
「あなたはここで終わっちゃダメだよ。
難しいことかもしれないけれど、生きて、やりたいこと全部やってください。
……私には出来なかったこと、どうか成し遂げて……」
そして俺は、彼女の青い瞳が、まるで眠気に抗えない年頃の少女のように、
ゆっくり、ゆっくりと閉じかけているのに気が付いた。
「もうすぐ、バファさんが来るはずだから……。
ヒイロちゃんを連れて、どうか、逃げ、て……」
「ミーシャ……?」
――ぱたりと自分に倒れこんでくる、青い髪の少女。
魔力切れ。
揺さぶっても起きない彼女と、自身の内側に有り余るほどに溢れた魔力の脈流に、絶望した。
だらりと落ちそうになった彼女の身体を支える――……。
「――ここにいたか」
そして、もう何度目になるのだろうか。
背後から重鎮な声が響いた。
「魔力を持っていないはずの貴様がなぜ魔法を使えるのか疑問だったのが……
そこの精霊人の仕業だったか。
王女というだけあってずいぶんと肝が据わっている。
赤髪の娘も、機械馬を駆っていたあの獣人も……
まあ、立場の割にはよくやったものだ」
「……なぜ、こんなことをする?」
後ろの方で、黒騎士が兜だけを静かに回して、街の惨状を眺めたのが気配で分かった。
「……貴様も心の奥底では求めていたはずだ。
この破壊と混沌に満ち溢れた景色を」
視界の端で、自動ドアの上方に組み立てられていた工事用の足場が自然に傾いていくのを捉えた。
遠くから響いてくる鉄パイプの狂人のような共振音が、穴ぼこだらけの機工都市の隙間に寂しくこだまする。
何かが燃えるにおいが鼻の奥を焦がし、鋭利に欠けた瓦礫の刃先が至るところに浮かぶ、街路。
人の生身など簡単に損なえる要因がそこら中にありふれているこの惨状は、まさに『非日常』そのものだった。
「よく聞け、フカドウ・シンヤ。
破壊とは次世代への道を切り開く唯一の手段だ。
世界が行き詰まった時……人は、期待するのだよ。
たとえ凡人の身分でも、壊れた世界でなら……ただ生きているだけで認められるのではないか、とな」
…………。
「人は、私たちが起こした事件を見逃し、黙認するだろう。
そのほうが都合が良いからだ。
貴様も一度くらい経験したことがあるだろう。
大事件が起きた事実を悲しむ一方で、胸のうちに仄暗い歓喜が湧き上がる瞬間を……。
ここまでの旅路でさえ、そのような闇の想いを抱いたことが一度もないと断言できるのか?」
そんなの……。
……いや、あったかもしれない。
そうか、やっぱり、俺の中にもこいつと同じ色は混じってたんだな……。
「世の中には、闇の側面でしか救えない者たちがいる。
正義の光では決して癒せない、誰かが――。
お前は……その一人ではないのか?」
背後から、明確に自分に向かって問いかけてくる黒騎士の声。
その巨大な冷たい影が、俺を包み込み。
そして、背中を丸めた自分の影の内に、ミーシャが横たわっているのを見た。
「我々のような存在は、人を信じて歩んでも幸せにはなれん。
他者の心ほど移ろい易いものはない。
いつの日か、信じ切っていた相手に裏切られる時がやってくる。
……その精霊人も、いま手離してしまったほうがあとで傷つかずに済むぞ」
「でも……でも……っ!」
目の前で横たわるミーシャの小さな体躯が、ぼやけた。
「……この子のおかげで胸張って生きられるようになったんだよ……っ!」
ぼろぼろのローブを握りしめ、無くなったはずの右腕を太ももに強く押し付ける。
背中を丸めて座っているような、こんな身体の中には今も……柔らかくて力強い、魔力の豊かな脈流が流れ、ちっぽけに震える自分の身体を温めてくれるのだ。
ふん、と兜の奥から漏れる失望の溜息が、後頭部の上のほうから聞こえてきた。
「精霊人など……。
神のごとき存在であった精霊から只の人へ成り下がった下等種ではないか。
力を失ったにもかかわらず、身の丈に合わぬ理想ばかり追い求める愚か者ども――。
そうして無様に地を這うことになるのも当然のことであろう」
「…………!」
流れていた涙が、ぴたりと止まった。
……代わりに、胸のうちに点々と宿っていく、小さな炎。
怒り、恐怖、疑念、勇気――。
それらすべてを混ぜ合わせるように燃えていく炎が、静かに全身に巡りだす……。
「……仕方あるまい。
その目に深く焼き付けるがいい、フカドウ・シンヤ。
背後から突き出されたやつの剣先が、俺の肩をかすめてミーシャへと伸びていく――……!
「……なっ……!」
驚愕の声を上げた、黒騎士ダビデ。
やつが伸ばした闇色の剣を、
俺は右手で掴んで食い止めていた。
視界に埋め尽くすほどの、青の淡い輝き。
それは、魔力を練り上げて構築された魔導剣とは似て非なる――
獣のような三本爪。
魔力で練り上げ、仔細に編み上げられた頑強な空色の獣腕が、無くしたはずのひじの先と一体化していた。
なにかの危険を感じたらしいダビデが、剣で切り下がりながら距離を取った。
久しぶりに感じる無くしたはずの右手の感触が、以前よりもはるかに力強い脈流を伝えてきて、溢れそうだった――……。
「貴様……『回路』をつなげたなッ!?
人と精霊をつなぐ回路を! その非力な身体の内側にッ!!」
やつが叫んだと同時に、ふわりと自分が何かに持ち上げられたかのような感覚に陥る。
「……『
明らかに自分のものではない、上位種の声。
まるで何者かに憑依されたかのように、この機械都市の全土を震わせるような重鎮な声が、気が付けば自分の口から発せられていた。
「『……我に従え、すべてを委ねろ。
その刃……思う存分に振るわせてやる』……」
――蜃気楼のごとき異様なオーラを発する魔導剣が、六本。
どこからか音もなく降り立ち、まるで王を支えるかのように自分の背後に付き従う……。
「そうか……貴様が私の最後の『壁』だな!!
フカドウ・シンヤ!!」
俺は青に輝く魔法の右爪をだらりと下ろし、左手で世界樹の小枝を握りしめ。
背後に六本の魔導剣を従えながら、眼前の強敵をはっきりと据えた。
「……ずいぶん、すごいことになってるじゃあないですか」
耳に届いたのは、獣人の声。
探知魔法を用いて、振り返ることもなく仲間だと認識する。
そっちもずいぶんぼろぼろじゃないかと、帽子の取れている頭を見てそう思った。
「バファ。二人を頼む」
ちゃんと、元の自分の声が出た。
「ええ、この場じゃあ、たぶん僕しかできないでしょうしね」
「ごめん、毎回こんな危ないこと押し付けて」
バファはそこで身をかがめ、見慣れた帽子を拾い上げたらしい。
落ちていた帽子のほこりを払い、ぽすっと頭に被りながら笑った。
「『割を食う』のが大人の役目なんですよ、フカドウ君。
ここはぼくに任せて、ま、好きなようにやんなさい」
「…………ありがとう」
視線を黒騎士へと戻し、本格的に魔力を練り上げていく。
――身体強化に、感覚強化に、探知魔法の完全化――
イメージしたことが、寸分の狂いもなく、実現していく。
より効率的な魔力の使い方も、広げ方も、直感で分かる。
これなら、ミーシャにもらった分と合わせれば足らせられるだろう。
そこで、パシャリと、ポーションをぶちまけるバファの姿が探知魔法に移った。
「ほら、ヒイロくん。
起きてください」
「げほっ、げほっ……ここは?」
「二人でお姫様を守りますよ。
魔力回復のポーションは在庫切れだったみたいなんでねえ。
ぼくらは魔力がなくても動けるんですから、もうちょい働きましょうや」
「……慎也は……?」
気だるそうに腕を額に当てる緋色がむっくりと上体を起こしていく。
そして彼女が、こちらの姿を確認して息を呑んだのが分かった。
「頼んだぞ、緋色」
俺は黒騎士を視界に収めながらも、わずかに後ろを向いて六本の魔導剣の隙間からアイコンタクトを交わす。
エアロ・バイク追突時の衝撃のせいか、片方だけ開き切っていない瞳で茫然と俺の姿を写す彼女。
――やがて、すぐにその瞳の内側に炎が宿っていくのを見た。
「……任せなさい……!!」
機工斧を突き立て、闘気をみなぎらせながら立ち上がる緋色。
闘気を感知する魔法もあるんだなと、彼女から発せられる熱いオーラを見てそう思った。
……視線を戻せば、やはり、緋色とは比べものにならないオーラの塊が変わらずそこに立ちはだかっていた。
「ふん、精霊の力がなんだ。貴様もしょせんはただの人間。
ぬくぬく育ったと機工世界の住民だ。
……この私に、勝てるとでも?」
「人生には!!
できるできないに関わらず、やらなければいけない時がある。
――今がその時だ」
ゆらりと、背後の魔導剣が切っ先を相手へと向ける。
「来い!
人と精霊をつなぐその回路……二度と戻らぬよう断ち切ってやるぞ!!」
――剣閃が、弾けた。
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