エピローグ 夕焼けの空へ
――ゴオオオオ……と機内に響く強めの空調音とエンジン音の中。
俺は広めの座席に座ったまま、通路のキャビンアテンダントさんから飲み物を受け取った。
頼んだのはごく普通のリンゴジュース。
若干トゲがあるように感じる甘い後味を味わいつつ、隣に座っている小柄な青い髪の少女に目を向けた。
「うわ、すごい耳が遠く感じる……!
シン! 私の声聞こえてる?」
「ああ、聞こえてるよ」
隣の座席に座っている精霊人、ミーシャル・フォウ・ミルカヴィルは気圧の変化によって得た新感覚に興奮ぎみだ。
とりあえずキャビンアテンダントさんからもう一つリンゴジュースを受け取り、ミーシャの興奮が醒めるのを待ってから手渡した。
彼女が小さめの紙コップに口をつけては舌で唇をなめているのを見ながら、なんだか自分が保護者になったような気持ちになった。
「……あ……」
――楕円形の小さな窓から、赤い西日が機内に差し込んでくる。
外で夕焼けが始まっていたようだ。
俺は首を右側に向け、窓際の席に座ったミーシャの後頭部を視界に収めながら、
一緒に同じ夕焼け空を眺めていた。
「……空、すごくきれいだね」
「……ああ」
リンゴジュースを口に含み、喉を潤す。
宮境市での戦いから、三日。
一日目は諸々の疲労のせいで昼過ぎまで眠りこけたり、黒騎士関連のことで事情聴取を受けたりで時間がつぶれ、自由に動けるようになったのは二日目からだった。
その間に、黒騎士は日本の牢獄に収監された。
抵抗の素振りは、見せなかったという。
場所は知らない。
俺たちは解放され、ついでに荷物も回収。
機工世界では必需品であるスマホである。
ついでに、異世界体験旅行プログラム参加時に身に着けていたカバンなんかの諸々も受け取った。
それらを世界樹の小枝と、緋色が使っていた機工斧と、それぞれ交換した。
精霊王国から譲り受けた重い杖を手放すときは、やはり寂しいものがあった。
しかし、だからと言って駄々をこねてもしょうがない。
俺はしぶしぶ杖を手放し……
そして次の瞬間には交換されたスマホで連絡先を緋色に求められた。
あいつの少年のような笑顔が脳裏に思い浮かぶ。
関東在住の緋色とは空港で別れたが、機内モード中の俺のスマホの画面には三人で撮った記念写真を始まりとしてあいつとのメッセージが記録されている。
『夏休み遊びに行くわ! もう航空券取ったから住所教えなさい!』
『俺ことし受験生なんだけど?』
『あたし進学校生徒だけど苦手な科目とかある?』
『数学お願いします緋色先生』
『二年生でも分かる範囲だったらなんでもいけるから』
『え、年下だったの?』
ここで飛行機に乗り込んだので会話は途切れている。
たぶん目的地に降り立ったらまたやり取りが再開されているに違いない。
ちなみに画面上に文字をどんどん浮かんでいく光景をミーシャが狐につままれたように眺めていたのは余談だ。
ついでにカイトともどうにか連絡先を交換できた。
エアロ・バイク社に問い合わせて探してみようしていた矢先に、逆に向こうから見つけられたのは記憶に新しい。
どうやって居場所が分かったのか聞くと、俺たちが無償で泊まっていた部屋はエアロ・バイク社が手配したものだったらしい。そりゃすぐ見つかるわ。
あの戦いでの『新型機』の活躍をうまく宣伝材料にできるかはこれからの動き方次第なところがあるらしく、社長であるカイトの兄は忙しくしていると教えてくれた。
最強の機工武器の一角であるレールガンの話をしてやったら予想通り食いついてきて、最後にそのレールガンをぶっ壊してやったと締めくくるとやつは複雑そうな顔を浮かべていた。
バファは、行方をくらました。
エアロ・バイク初代公式戦のチャンピオンという有名人なら、機工世界を歩いているだけで目立ちそうなものだが、今のところネット上に目撃情報が上がっている様子はない。
きっとどこかでふらふらと旅を続けているのだろう。
いつかまた再会できると信じて、姿を消してしまった獣人の後ろ姿を記憶の中にしまい込んだ。
……目を開けて、右側のシートに座る青い髪の少女に視線を戻す。
なんだかんだで歌優月のもとにミーシャを送り届けるという目標も達成した。
闇の軍勢の一件も、とりあえずは落ち着きを見せ始めている。
分けられていた魔力はちゃんと返したが、ミーシャ本人からの希望でまだ半分だけ預かっている。
『黒騎士ダビデ撃破』という実績ができてしまった俺への、自己防衛の手段として、というのがミーシャの言い分だった。
どちらにせよ、魔力を完全に返すのはまだずっと先のことらしい。
借金を背負っているみたいな居心地の悪さはあったが、少なくとも彼女との縁が続いたことに関しては噓偽りなく嬉しいと思った。
精霊王国を目指して、日本にもう一つある『扉』のほうにミーシャを送り届けるこの空の旅が終われば……俺はまた高校生に戻る。
ミーシャも、たぶん王族としての多忙な日々に戻るだろう。
――その前にどうしても伝えておかねばならないことがあった。
「ミーシャ、俺、やってみたいことがあるんだ」
「やってみたいこと?」
「ああ」
青い瞳が、西日の加減のせいでオレンジっぽい神秘的な色に変わっている。
ちょっと見惚れてしまいそうになりながら、俺はずっと考えていたことを口にした。
「学校を作りたい」
ちょっとだけ気恥ずかしさで目を逸らしながら、夕焼けで赤くなった機内を視界に収めて呟いた。
「幻想世界と機工世界とをつなぐ
だから育てる道に進みたい。
その過程で、子どもたちに傷つく心配をせずに自由に振舞える環境を用意してやりたいんだ。
……もしかしたら、前の俺みたいにビクビク怯えて苦しんでるやつがいるかもしれないし」
俺の言葉を、彼女は変わらず、静かに聴いてくれていた。
こういう風に相手を優しく受け入れられるような人間に、俺もならないといけないな。
「それじゃあ、何を教えるの?」
「闇の軍勢との戦い方」
これは間髪入れずに答えた。
「あいつらに立ち向かうための存在を育てる学校にする」
……直感だが、闇の軍勢はまた攻撃をしかけてくる気がするのだ。
それが数年後なのか、数十年後なのかは分からない。備えはしておくべきだろう。
なんだかんだ、今の俺には『黒騎士ダビデ撃破』という実績が残っている。
それが具体的にどう有利なのかはぶっちゃけよく分からないけど、少なくとも良い方向には向かうはずだ。
「歌優月さんと話はしてる。
この異世界体験旅行プログラムだって、もともとは『異世界学園旅行』として始めようとしてたみたいだから。
俺も異世界に学園を作りたいって話をしたら食いついてきたよ」
「……いつの間に」
「昨日のあたりに、ミランダさんを通じてね」
歌優月パーティに関しては『扉』の同時襲撃事件の後始末やら、異世界体験旅行プログラムの後始末やらでずいぶんと目を回しているご様子だったが、その話は目をキラキラさせて飛びついて来たのだ。
「ミーシャにも、協力してもらうことになる」
くりくりとした青い瞳が、こちらに向けられた。
「君以上にうまく魔法を教えられる人はいないからね。
強引な手を使ってでも授業をしてもらうよ。
……王族としての責務とやらに時間を使うよりは、よっぽど面白そうでしょ?」
ふふ、と大人びた笑みを浮かべるミーシャ。
「確かにそうかも」と愉快そうに窓の外を眺めていた。
「……長い旅路になるね」
「シン、これからもよろしくね」
「ああ」
そう言って、夕焼け空を背に微笑む青い髪の少女と、シートの上で手をつないだのだった。
――それから、数年後……
年若い学長と、わずか数人のプログラム関係者たちを中心とした小さな学園が樹立されるのは、また別の話である――
異世界体験旅行プログラム 東容あがる @teisoku-gear
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