最終話 守り抜いたもの

 あれから場所を移し、俺たちは救護車両に乗せられて『扉』のポートへと運ばれた。


 ここが臨時の医療キャンプらしい。

 魔物はもう全滅させられていたのか、すでに数多くのけが人や救急スタッフがそこに集められていた。


 破壊されたあの神秘的な柱の群れを中心とした広いドームの中には、仮説のテントがいくつも張られ、その内側で診察や治療が行われている……。


 ――俺たちはそこで諸々の処置を受け、しばらく待機となった。


 ドームの中心部に座り、草花の揺れる暖かい領域で崩れた柱の群れをぼんやりと眺める。


 膝元で静かに呼吸を繰り返すミーシャの青い髪を、生傷の癒えない左手で撫でながら、俺は背後から聞こえてくる靴音に振り返った。


「大丈夫。

 治癒魔法をかけて魔力回復のポーションも飲ませました。

 殿下もすぐに目が覚めると思います」

「ミランダさん」


 顔を上げると、煤けた頬に若干焦げた髪色を垂らしたエルフの姿が目に入った。

 改めて見るとずいぶんボロボロの姿だ。自慢の眼鏡は片方が割れていて、その奥の瞳を包帯が覆っている。


 明らかな疲労の色を滲ませながらも、けが人や医者や防衛隊員たちで溢れた現場をせわしなく動き回ってた彼女に、俺は素直に頭を下げた。


「ミランダさん、すみませんでした。

 転移魔法で逃がしてもらったのに、無茶なことして……」

「まったくですよ本当に。

 単騎であの黒騎士に挑むなど、無謀も良いところです」

「す、すいません……」

「……でも、黒騎士ダビデを倒したのは誇って良いことだと思います。

 お手柄ですよ」


 そこで唐突に、ミランダさんは背後を振り返って「あなたもね」とつぶやいた。


 首を横に傾けて彼女の背後の先を見ると、そこには、包帯だらけの姿と化した緋色が手を上げていた。


 意識はちゃんと戻ったのか。


「それでは、私は用事があるので失礼します」と、ミランダさんは離れていく。

 その途中で、すれ違った緋色と何か一言話してから、彼女は仮説医療キャンプの人混みにまぎれて行った。




「――どうにかなったわね」

「緋色」


 そう言って隣に座ってきた彼女。


 俺とそんなに変わり映えのしない恰好だ。

 至るところに包帯を巻かれ、頬にはガーゼを張られ、さらには骨折した人がよくやるように首に結んだ三角巾に腕を吊るしていたりと、ボロボロの様相だった。


 即効性のある治癒魔法は、この機工世界では貴重な資源だ。

 ただでさえ魔力を回復できないのだから、機工世界なりの医療技術でどうにかなる人は魔法ではなく現実的な治療を施されている。俺も緋色も、その一人だ。


 声を聴いた感じだと身体に問題はなさそうだ。

 最後に見た時は血まみれだったが、やっぱり致命傷はうまく避けていたらしい。


 肩を並べて座る緋色が、俺の膝上で眠るミーシャの前髪をいじっていた。


「……ほんと、すごい冒険だったわよね」

「俺は正直、何度も死ぬかと思ったよ」

「あたしも。

 でも、なんかさっぱりしたわ。

 前は学校なんて嫌だーとか、あたしをいじめてきたやつらに復讐でもしてやるーとか考えてたけど、なんかどうでもよくなっちゃった」

「……ああ、俺もちょっと分かるかも。

 俺も学校戻ったら無くなった右腕のことどう説明しようかと思ってたんだけどさ、なんか、そんなこと考えてるのがくだらなくなった」

「やっぱりそうよね?」

「ああ」

「……ぷっ、あははははは」


 せわしく人々が行き交うドーム内医療キャンプの一角に、のんきな笑い声が浮かんだ。

 ひとしきり笑い、だるくなった横隔膜のあたりをさすりながら、俺は話題を切り替えた。


「バファは?」

「あいつ、治療を受けたらもうどこか行っちゃったのよ。

 少しくらい話してっても良かったのに」

「はは……あいつらしい」


 脳裏には、帽子を押さえながら笑って立ち去る獣人の姿が思い浮かんだ。


 最後にバファと会話したのは、黒騎士とのラストバトルの直前か。

 あれっきりとなると何だか物寂しい気持ちもしてくるが……長い人生だ、きっとまた再会できるだろう。


 もしかすると、何かしらの責任を追及されるのが怖くて逃げだしたのかもしれないなんて思ったが……けど、バファも間違いなくこの戦いの功労者の一人だ。たぶん、数日後くらいにもっと有名になっていてもおかしくないんじゃないかと、そう勝手に思った。


「――久我 緋色さーん! 傷の経過を診る時間です!

 どちらにいますかー!?」


「……呼ばれてるぞ?」

「もうそんな時間?

 仕方ないわね……それじゃ慎也、またすぐあとで会いましょ。

 連絡先、あとでちゃんと教えなさいよ?」


 立ち上がりながら指を鼻の先に近づけてくる緋色。

「スマホが返ってきてからな」とだけ言い返し、満足そうな横顔で去っていく緋色の背中を見送った。






 ドームの中心部に崩れている、神秘的な柱の残骸。


 破壊されたにも関わらず、そこには変わらず草花が芽吹き、どこからともなく柔らかい風が吹いてくる。

 頭上にぽっかりと空いたドームの風穴からは陽光が差し込み、俺たち二人を含めた『扉』の近辺を淡く照らし出していた。




 ――やがて、膝上に横たわっていた少女に反応が訪れる。


 身じろぎを始めた彼女のまぶたが、少しずつ開かれ、

 きれいな青い瞳がこちらに向けられる。


 そして、こちらの姿を視認した途端にその青い瞳が見開かれ、しかしすぐに、身体中の至るところに丁寧にまかれた包帯に気が付いたようだ。


 こちらが何も言わずに青い髪を撫でて頷くと、彼女は首の力を抜いて安心したように深い息を吐き出した。


「……」


「俺、決めたよ」


 ……ミーシャがきょとんとした表情を浮かべた。


「将来は、二つの世界のつながりを守るような道に進みたい」


 そんな俺の独白を、彼女は同じ表情のまま聞いてくれていた。


「今はまだ具体的な方法とか思いつかないけど、

 でも、君の魔力を通して見つけられた自分の資質を、世の中のために使いたいんだ」


 もしかしたら、またどこかの『扉』が狙われるかもしれない。

 誰かと幻想世界とのつながりが、断たれる事件がまたどこかで起きるかもしれない。


 それを防ぐためならば、しんどい思いをしてもいいと、唯一そう思えたのだ。


「だから……ミーシャ。

 君はいつでも、安心してこっちの世界の夕焼け空を見に来ていいんだ」


 ちょっと恥ずかしい気持ちになりながら、そう言って膝元の少女に笑いかける。


 相変わらず呆けたような顔をしている彼女が、ハッとして口を開いた――……。







「ご、ごめん、シン。

 翻訳魔法使うの忘れてて、何言ってたか分かんないや……」










 ……俺は目元を覆い、自分のセリフを反芻して悶えた。


 こんな……こんな仕打ちってねえよ……。


「……嘘だと言ってくれミーシャ……」


「ご、ごめん、ごめんね?

 今度はちゃんと聴くから、ね?

 そんな、落ち込まないで――……」


 めちゃくちゃ申し訳なさそうな顔で肩をさすってくる彼女に、俺はもう何も言い出せない。




 ああ、もう……。


 最後まで……締まんないなあ……。

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