第41話 幕引き

 ……突き出した杖剣を力なく引き戻し、ダビデの鎧から引き抜いた。


 強烈に感じる、眠気とだるさ。


 これが、魔力切れか……?


 あれだけみなぎっていた魔力が、枯渇しているのを実感した直後、蒼色に輝いていた右腕がどんどん薄くなって――消失した。


 カランカランと音を立てて落ちる世界樹の小枝。


 身体の支えを失った俺は、視界がぼやけるのを認識しながら二歩、三歩とよろめいて、倒れた。


 背中に淀む鈍痛。息をするだけで精一杯だ。

 全身が痛みすぎて何がどうなっているかもう分からない。


 耳栓でもされたみたいに遠い聴覚の奥で、ガシャリとやつの巨体が崩れ落ちるのを、何秒もあとになってから理解した。


 それから、しばらく、大の字になって浅い呼吸だけを繰り返した。


 ……魔力切れでも意識までは失わないのは、俺がもともとは魔力を必要としない機工世界民だからだろうか。


 このまま死ぬんじゃないかと本気で思っていたが、どうやらまだそういうわけでもなく、休んでいるうちにかろうじて聴覚が戻ってくるのをわずかに感じた。


「……私は……負けたのか……」


 地面に倒れ伏した黒騎士が、ぼそりとつぶやている。


「……胸を貫いたってのに、なんでまともに喋れてんだよ……」

「とうの昔に、生身の身体は失ったのでな……。

 もう少し中心部を穿たれていれば、魔石核は砕けていたかもしれん」

「……でもお前呼吸してるじゃん……」

「なんにせよ、この破損状況では指一本動かせまい……。

 お前の勝ちだよ、フカドウ・シンヤ」


 ダビデが、倒れたままの状態でわずかに兜を傾ける音が聞こえた。


 ……いや、俺にとっての勝ちは、まだ確定はしていない。


 やつの言葉を無視して、血の止まらない左腕だけで這い始める。

 動くたび全身に走る激痛に意識を失ってしまいそうになるが、まだ気絶するわけにはいかない。


 感覚の消えた両足を引きずって――どうにか青い髪の少女のところへ到達した。


 今もなお横たわっている彼女の様子をぼやける視界で注視する。


 ……呼吸はある。胸がかすかに動いている。


 怪我も、なさそうだ。


 ……同じく緋色も、バファも、ここからだと少し遠くて分かりづらいが、動かずにじっと見ればちゃんと無事だと分かった。


 とりあえずは、これで勝ちだ。


 緋色だけはちょっと血まみれ過ぎて危険な状態かもしれないと思ったが、弓使いの時と同じように致命傷は避けている可能性がある。そっちまで這っていく気力は残ってないので彼女の天性のバトルセンスを信じることにした。


「だがな……もう遅い。

 私が倒されても、魔物たちは攻撃を続ける」


 安堵の息をついていた俺に、黒騎士が鎧の内側から低い声を発してくる。


 そして、それに呼応したかのように、遠くの方から多数の魔物の影が並び歩いてくるのが、うつぶせになった俺の位置からでも確認できた。


 ……まだ……魔物の群れが残ってんのか……。


 さすがに……もう無理だなぁ……。

 戦う気力も魔力も残っちゃいない。

 打つ手なし、だ。


 黒騎士は倒せたとはいえここまで全力を尽くしてダメだっていうなら、ある意味ここで終わっても素直に受け入れられる。だってそれ以外に選択肢ないんだから。


 遠くから響いて来る地鳴りのような振動音を聴きとりながら、目を閉じる――……。







 ――でも、あともう少しくらいは、抵抗してみようか。


 俺より先にミーシャたちを死なせたくないだろ?


 大丈夫。こんなボロ雑巾みたいな状態でも、きっと囮くらいにはなれるはずさ。




 ……そう自分に言い聞かせながら、ほとんどの感覚が消えた身体を持ち上げて、膝をついて立ち上がろうとした、その刹那――。










 迫っていた魔物たちの群れが、消し飛んだ。




「え……」


「……この、力は……!」







 ――ああ、あの長太刀は、ネットでも見たことがある……。


砂竜刀さりゅうとう』。


 斬った対象の魔力を奪って自分のものにしてしまう、幻想世界産の妖刀。


 かつて、機工世界の男が、この刀を用いて魔力を手に入れ、幻想世界を救ったのだ。




「よく頑張ったね。もう大丈夫だよ」




 その着物姿の男のことを、ずいぶんと久々に見た気がした。


 俺がミーシャたちと出会う直接のきっかけを作ったと言っても過言ではない、『異世界体験旅行プログラム』。


 その、主催者。




「……うた優月ゆづき、ただ今見参。

 なんてね」


 茶目っ気たっぷりにウィンクを向けてくる、男。


 そう、彼のことを一行で表すとすれば――


 ――異世界の存在を最初に発見した、例の変態だった。




「歌 優月……!!

 なぜ貴様がここに……!」

「やあ、久しぶりだねえ、黒騎士ダビデ。

 もう一つのゲートでも襲撃があったもんでさ。

 そっちをどうにかしてから走ってきたんだ。

 さしもの闇の軍勢でも、予想外の展開だったかい?」


 呆気からんとした口調で答える彼に、黒騎士が悟ったように言葉を漏らした。


「……そうか……軍師『フライウェン』はしくじったのだな……。

 あのエルフめ……よもや私を見捨てたのではないだろうな……」

「なんにせよ、君は終わりさ」


 長太刀を下げたまま黒騎士の姿を見下ろす彼が、散歩でもするみたいにやつのそばを歩いた。


「……そうだ! 歌優月、さん。聞いてください!

 ミランダさんが、『扉』のポートに……!」

「大丈夫だよ、深道くん。

 ほら、あっち見てごらん」


 そこで、一気に身体が軽くなった。


 治癒魔法をかけられたらしい。

 全身の痛みが嘘のように和らぎ、質の良い潤滑油を差されたようにスムーズに動く首を回して、その方向に視線を向ける。


 ゴレスさんだ。

 その剛腕でまるで資材でも運ぶみたいに雑に持ち上げているのは、

 ――なんとミランダさんである。


 彼女も、無事だったのだ。


「うははははは!!

 久方ぶりの充実した戦であったな!! ミランダ!!

 魔王軍を破って以来、これほど刺激のある局面にはそうそうお目にかかれなかったであろう!!」

「……ゴレス……私はあなたよりは繊細なのです……。

 これ以上の苦労はもうこりごりですよ……。

 あとそんなに大声でしゃべらないで……」

「うはははは!! あのミランダがここまで弱気になるとは!!

 これは中々に厳しいいくさであったようだ!!

 うはははは!!!!」


「――とまあ、この通りさ」


 手を上げてすくめた着物男が、またウィンクをした。


 ……あれ、ゴレスさんってあんなに流暢にしゃべってたっけ?


 まだぎりぎりミーシャの翻訳魔法が残ってるのだろうか。

 つたない日本語だったはずのゴレスさんが流暢にしゃべっているのを見るのは初めてかもしれない。

 魔力が切れたせいでもう分からないが、なんとなく、彼も黒騎士と同レベルの闘気をまとっていると直感した。


「私を殺しても無駄だぞ、歌 優月」

「……君は、殺さないよ」


 長太刀を、どこかの異空間へと納刀する歌優月。


 ――やがて、荒れ果てた道路の向こうから、大小さまざまの車両が駆けてくるのを知覚した。


 赤いサイレンを点灯させながらやってきた車の群れ。

 その先頭を走っていた特殊車両が最初に、倒れ伏した黒騎士のそばに停車し、中から重装備を着込んだ隊員たちが降りてくる。


 短い状況判断と歌優月との会話の後に、落ちていたやつの剣が回収され、次にレールガンの機工武器に着手。

 これは闘気をまとった者が担当したらしく、かろうじて盾としての原型が残っているそれを一人の隊員が直接担いで持っていった。


 すごく手際がいいけど……車に入り切るんだろうか、あれは……?


 と、いつの間にか来ていた救急隊員の人たちの診察を受けながらそう考えた。


「誰の心のなかにも……闇のかけらは渦巻いている!!

 人という存在がある限り、我ら闇の軍勢が衰えることはない!

 いつか必ず!! 私以外の誰かが、世界に闇をもたらすであろう!!

 それがこの世の――逃れることのできぬ摂理だ!!」


 叫んだやつの、肉体の無い鎧に、拘束具がつけられる。

 図体が図体だけに馬鹿でかいのが用いられていた。


 金庫をまるごと拘束具として改造したみたいなそれがひび割れて焼け焦げた手籠に取り付けられ、さらに足首にも特殊なワイヤーが括り付けられてゆく。


「黒騎士ダビデ、君はしばらく機工世界に拘束される。

 闘気を持っていても抜け出せない頑丈な牢獄だ。

 しばらくの間……大人しくしているといい」


 そして、拘束装置を完全に取り付けられたダビデが、護送車に乗せられて運ばれていく……。







 こうして、後に『宮境市襲撃事件』として呼ばれる大事件は、幕を下ろしたのだった。

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