第三章 旅編
第18話 旅の初日
「もー! 二人ともしっかりして!」
延々と続く広大な草原のど真ん中で。
前を歩いていた小柄な影が、腰に手を当てて振り返った。
きれいな青空を背に立つ彼女……ミーシャル・フォウ・ミルカヴィルは、
鈴を転がすようなその声音に一種の呆れを含ませている。
彼女が声をかけたのは、ひいひいと辛そうな息を吐く機工世界の住人たち――
つまるところ、俺と緋色の二人であった。
「筋肉痛くらいでだらしないなあ、もう!」
「……逆になんでそんな動けるのミーシャ……?
痛っ、痛つつ……」
俺は老人にでもなったみたいに背中に手を当てながら顔を上げる。
うわっ、もうあんなところまで……。
もっとペース上げて歩かないとダメなのか……。
俺はローブを開けて学生服の内側をぱたぱたと仰ぎつつ、
背後にいるはずのもう一人の少女に声をかけた。
「緋色、大丈夫か?」
「…………」
返事が返ってこなかったので後ろを振り返る。
日本人とは思えないほど鮮やかな赤い髪をしている緋色はいま、出来の悪いロボットみたいな挙動で歩きながら恨めしそうな涙目を向けていた。
どうやら彼女のほうが筋肉痛がひどいらしい。
もしかしてこれも闘気の影響なのだろうか。
常人とは比べものにならないくらい筋肉を稼働させるから痛みもひどいとか……ありえそうだ。
――先日、黒騎士ダビデとの戦闘をくぐり抜けて精霊王国から逃げ延びた俺たちは、見渡す限りの青草と花々が広がる原っぱをひたすら進み続けていた。
目的地は、ホルガナと呼ばれる街。
そこで何かしらの交通手段を確保し、ゲートのあるシャピア帝国まで向かう予定だったが……筋肉痛というごくありふれた生理現象のおかげでいまだにたどり着けていない。
街と街の間ってこんなに距離が開いてるんだなと、にじんだ汗をぬぐいながらそう思った。
「――シン! ヒイロちゃん!
この先に果物が成ってるからそこで休憩しよう!」
原っぱに膨らんだ小さな丘のてっぺんから、澄んだ声音が響き渡る。
機工世界出身の二人が苦しんでいる中、普段通りに動けているのは彼女だけだった。
華奢だし、小さいし、彼女に合わせて移動する必要あるかもなんて考えてたけど、そんなことはまったくなかった。意外と体力があるんだなと思いました。
情けない気分を味わいながら丘を登り終えると、ミーシャの言う通りポツリと佇む一本の果樹を発見。
棒のように張った両足を動かしてたどり着くと、頭上で丸っこい果物がぶら下がっているのに気が付いた。
成っていた果実は桃に似ていた。
タユアの実というらしい。
枝からもぎ取ると、予想よりも固くて重かった。
「精霊王国でも人気の果物なんだよ~?
甘くて、お腹いっぱいになるんだもん」
「へえ……」
「……これ皮ごといけるの?
いっ!? たた……」
「無理すんなって緋色。ほら取ってやるから」
枝からもう一つもぎ取って緋色に渡してやった。
「情けないわね、あたし……」と自虐している彼女がゆっくりとその果実を抱える。
ミーシャによると皮ごと食べて平気らしい。
小さい口で歯を立ててかじり取る彼女を見て、俺と緋色も真似するようにタユアの実を口にした。
……うお、ほんとに甘い。しかも果汁がすごい。
ほどよい歯ごたえと強めの甘味、そしてみずみずしい食感に俺は目を輝かせる。
良い水分補給にもなりそうだった。汗をかいていたのでこれはありがたい。
零れ落ちる果汁が服につかないように気を付けながら夢中でむさぼった。
「この木はね、動物たちに種を運んでもらうんだって。
小さい果実は鳥が食べて、大きめの果実はオオカミたちが飛び跳ねて採るらしくって……」
ミーシャが得意そうに知識を披露しているのを聴きながら、ジャクジャクと甘い果実を咀嚼する。
ピクニックにでも来てる気分だった。
天気はよく、のどかで、牧歌的な景色が変わらず目の前に広がっている。
俺と緋色は疲れていたのもあってすぐに食べ終えてしまったので、ミーシャが食べ終えるのを待ちながらあと何個かタユアの実を採ることにした。非常食になりそうだし、また食べたいと思ったからだ。
果物を採集しているあいだ、相変わらず筋肉痛にあえいでいる緋色を見かねたミーシャが『治癒魔法』をかけていた。すこしだけなら痛みを抑えることができるらしい。
何気に治癒魔法を見るのは初めてかもしれない。
黄金色の温かい光が緋色の身体を照らすところを見て、俺はちょっと感動した。
やっぱあるんだ、こういう、『癒す』系の魔法……。
ミーシャは緋色に、いわゆる膝枕をして。
片手で治癒魔法を、片手でタユアの実をかじり、そして口元についた果肉を器用に舌先でなめとっていた。
果汁が緋色の顔に落ちないのかなと心配になったが、どうやら水魔法も同時に使って制御しているらしく、彼女の周りには無重力空間みたいに水滴が浮かんでいた。すげえ。
――そうしてしばらくの間休憩したあとはミーシャの一声でまた行進が始まる。
緋色は相変わらず無口なままだった。腰に携えた巨大な機工斧が邪魔で邪魔で仕方ないという雰囲気だったが、ミーシャは構わず先に進み続けている。意外とこの子厳しいな。ひょっとしたら彼女は思っていたよりもお転婆な子なのかもしれないと思った。
俺はときどき本当にこの方向で合っているんだろうかと一人で不安になりながら、世界樹の小枝を立てて歩いた。
さすがに日が暮れたときは怖かった。
美しい夕焼け空に見惚れていたのも束の間、あれだけ視界が開けていたはずの草原が少しづつ闇に閉ざされていくのは不思議な感覚だった。
夕暮れなんて機工世界も幻想世界も変わらぬ自然現象なのに、何かの夢でも見てるような気分だった。
その日は道ばたで枯れていた倒木でたき火を作り、三人で取り囲む。
パチパチと炎を弾ける音を聞きながら、ほっと息をついた。
明かりがあると意外と安心する。
夜の暗闇くらい平気だろうと思っていたが、実際にその場面に遭遇してみると思っていたより心細い。月明かりのおかげでいちおう視界は確保できるのだが、どうも、あたりが異様に静かに感じて落ち着かないのだ。
緋色は着ていた外套をレジャーシートみたいに敷いて寝転んでいる。
虫の音に耳を澄ませているのか、鮮やかな星空を眺めているのか、それとも単にぼーっとしているだけなのか。何とも言えない表情でゴロゴロしていた。
とりあえず晩ご飯――さっき採ったタユアの実――は食べ終えた。
口の奥に残った甘みが、すでに満腹であることを繰り返し伝えてくる。
もうあとは寝るだけという段階に差し掛かっているわけだが……ぶっちゃけやることがなかった。
まだ眠るには早すぎる気もするし、暇をつぶすためだけに残りの果実を食べてしまうのももったいない。
どうしようかとぼんやりとしていると……
ふと、魔法でたき火を調節しているらしいミーシャの姿が目に入った。
「……ミーシャ、良かったらそれ教えてくれない?」
「……? 火魔法のこと?」
彼女もぼーっとしていたのだろうか、ワンテンポ遅れてから目をぱちくりと瞬かせてきた。
「そうそう。
せっかく魔力を分けてもらったんだし、さ」
「うん、いいよ。こっちに来て」
手招きするミーシャに従い、そばににじり寄る。
なんとなく気恥ずかしかったので微妙に距離を開けて座ったが、移動した直後にほんのわずかな沈黙が生まれ……少し間を置いてから彼女はゆっくりと口を開いた。
「……それじゃまずは……魔力を知覚するところからかな。
私のぶんを分けてあるから感じ取りやすいとは思うけど……」
細い腕を上げるミーシャ。
彼女にならって自分も手を掲げた。
「目を閉じて。
ゆーっくり深呼吸して……魔力を手のひらに集めてみようか。
全身に流れてる涼しい力が、すこしずつ集まっていくのを想像して」
「分かった」
俺は静かに集中する。「想像するのが大事だよ」とミーシャは言った。
「想像力に引っ張られて現象が起きるから」
魔力を集めるのは簡単にできた。
目には見えない『気』みたいなのを動かす感覚で意外と操れる。
手のひらに薄膜で覆われた水球を持っているように感じてると、ミーシャが、うん、と頷いた。
「それじゃ、さっそく魔力を火に変えてみよう。
ここは……なんていうのかな……『切り離す』というか、『ひっくり返す』って表現が近いかも」
「ひっくり返す?」
「そう。魔力を切り離してから、一気に変換させるの」
これは実際にやってみないとわからないかも、と困ったように笑っている。
一気に……ひっくり返す……か……。
なんとなくイメージを働かせつつ集中を試みる。
うんうん唸りながら試行錯誤している最中、
就寝前という時間帯で力が抜けていたのがむしろ功を奏したのか、
気が付いたら手のひらの上でボッ、と火が弾けていた。
「そうそう。やっぱりシンは飲み込みが早いね」
パッと表情を明るくしたミーシャは、今度は一転して先生みたいに人差し指を立てた。
「あとは練習あるのみ!
その気になったら色々なことができるようになるから、少しずつ試してみて」
「ああ、ありがとうミーシャ」
「……すぅ……すぅ……」
そこで間抜けな寝息が聞こえた。
寝息の主は緋色だった。
目を向けると、彼女は猫みたいに丸まって気持ちよさそうに眠っている。
いつの間に眠ってたんだろうか。
物音を立てても一向に起きる気配がないのを見て、
ミーシャは「ぐっすりだね」とくすくすと笑った。
「それじゃ、私も先に寝るね。
シンはまだ起きてる?」
「ああ。もう少し魔力をいじってみるよ」
「あんまり夜更かししちゃダメだよ?」
おかんか、とツッコミながら目を離し……
その数分後にはミーシャの方からも寝息が聞こえてきた。
もしかしたら彼女も疲れていたのかもしれない。そう思いながらひとりで炎に手をかざす。
「……」
急にあたりが静かになったような気がした。
二人を起こさないようたき火に木片を追加し、習得した火魔法を使ってみる。
ミーシャの教え方が上手かったのが大きいと思うけど、なんだかあっさり習得しすぎて実感が湧かなかった。
てきとうに魔力をこねくり回し、大小さまざまな形の炎に変換させて暇をつぶした。
魔力の肌触りは、例えるなら、液体に似ている。
水の中にたゆたって、肌の一枚外側に薄い膜があるような感じだ。
これがミーシャのような上級者だとたぶん絹のような柔らかい肌触りになるんだと思う。なめらかだけど、強靭で、容易に千切れない。
そういうのが洗練された魔力の特徴……な気がする。
翻って、いま自分が包んでいる魔力の流れは雑だ。
ところどころで引っかかるし、変にカタくて、慎重に動かさないとぽろぽろと零れ落ちてしまう。ほんとにそういう感触がするのだ。なまじベテランの技術を見ているだけに、自分がどれだけ雑なのかが思い知らされる。
ただ、まあ、そんな雑な魔力でも属性魔法に変換するのは一瞬だ。
オセロの白と黒をひっくり返すように、
窓にかけたブラインダーの層を一瞬で切り替えるように、
スイッチを「ぱちり」と入れるように、
そのもろくて柔らかい魔力を、一気に変換させるのだ。
「――パチリ」
俺の目の前で、火球が弾けた。
生み出した炎の残滓が、たき火の煙と混じって空に消えていくのをぼんやりと眺める。
昨日、何気なく使ってた魔法も、こういうプロセスで発動させてたんかな……。
…………。
俺はふと思い立って、魔力を別のものに変換させてみようと思った。
氷とか風とかいろいろできるみたいだけど……
そうだ、夜の闇を見通せるようになりたい。
魔物がいてもすぐ気づきそうだし、一石二鳥だ。
さっそく、自分の外側に魔力を薄く広げてみる。
まるでスライムでもになった気分で、地面に魔力を少しづつ、少しづつ這わせていく。
まだ足りないか、いやもういいか? などと一人で葛藤しながら半径およそ五メートルくらいまで魔力を伸ばしきり、切り離す。
俺はいそいそと座り直した。ちなみに就寝中の二人は効果範囲内に入れないようにした。万一失敗して起こしたりしたら嫌だったからだ。
さて、やってみよう。
想像力が大事ってミーシャも言ってたし、教わった属性魔法じゃないけど、まあいけるだろ。
これで魔力を一気に変換させれば周囲の様子が分かるはずだが……
とにかく、ものは試しだと思いながら、魔力を一気に反転した。
瞬間、夜の暗闇がバッと開けた。
「えっ」
唐突にスポットライトが下りたかのような、白黒の世界。
それが、目を瞬かせた途端に、まるで夢だったかのようにふっと閉じた。
「……え、もしかして、できた?」
周囲には変わらず、穏やかな虫の音が響いている……。
その静寂が余計に、湧き上がる興奮を加速させるようだった。
「も、もう一度……!」
じれったい思いで、魔力を広げ始める。
モノトーン状に照らされた世界を第三の眼で視たような不思議な感覚は、
まだ胸のうちに残っている……。
今度は半径六メートルくらいまで伸ばし、意識を集中させて魔力を反転。
――暗闇が、開けた。
「……た、楽しい……!」
眠気が吹っ飛んだ。
魔力はもろくてこぼれやすいから少しずつ……慎重にその領域を広げていく。
そして、これくらいでいいかな~いやもうちょい行ってみようかな~と思ったところで、変換。
まるで真夜中に突然スポットライトが降りたかのように、周囲の地形や、植物や、小動物の気配が、手に取るように分かる……!
そこで、さらに実験を進めて、俺はいくつかアイデアを思い付いた。
今のやり方だと、ほんの数秒だけしか探知できない。
込める魔力量を増やせば探知時間も延ばせるっぽいが……効率が良くないし、なんかつまらない。
そうだ、潜水艦のソナーみたいに連続して探知を行ってみたらどうか?
これはどれだけ魔力を早く広げられるかにかかってる。
スピード重視で、バッと広げて、雑でもいいからすぐ変換して、また新しく魔力を広げて……そういうのを一秒の隙間も挟まずにやり続ければ……!
――俺は夢中になって魔力を手繰り続けた。
回数を重ね、時間をかければかけるほど、見える世界が広がっていく。
夜の暗闇ですら、今の自分には障害にすらなり得ない。
昼間に感じていたはずの疲労や筋肉痛は、もうどこかへ消えたようだった――。
「ふぁ……」
翌朝。
朝日に照らされてごそごそと目を覚ましたミーシャが、あくびをしながら辺りを見回し――
そして、俺と目が合った。
「――おはようミーシャ」
「……おはよ……なんか、楽しそうだね?」
目をぱちくりと瞬かせる彼女の目の前で、俺は探知魔法を中断した。
顔面に照りつける朝日が、生ぬるい。
気が付いたらもうこんな明るくなっていた。
自分の顔がどうなっているかは簡単に想像できる。おそらくは特大のクマが目元に浮かんでいるのだろうと、彼女の表情を見てそう思った。
結局あの後、一睡もすることなく探知魔法で遊んでしまった。
徹夜しきったせいで全身の感覚がちょっと変な感じがする。
眠たいはずなのに目ははっきりと冴えていて、瞳孔が開き切ってるように思えてならなかった。
「何よ……もう朝……?」
目をしょぼつかせながら気だるげに上体を起こした緋色が、次の瞬間、筋肉痛で全身をこわばらせる。まだ痛みが続いているようだった。
一人は徹夜明け、もう一人は重度の筋肉痛。
今日も旅は進まなそうだね、とミーシャが呆れたように息をついた。
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