第17話 vs黒騎士ダビデ!

 蛇のようにうねった影が、確かな質量を持って襲い掛かる。


 恐怖で顔を背けそうになりながら咄嗟に大杖を挟むと、

 ギャリ、と何かが削られたような嫌な音とともに衝撃が加わった。


 おっも……ッ!?


 掲げたはずの杖を力いっぱい額にこすりつけ、

 限界まで縮められたバネみたいに全身を硬直させながら衝撃に耐える。

 うわこれマジで死ぬやつ……ッ!!


 ビリビリと衝撃の余波で痺れた筋肉にさらに無理を言わせ、

 後ろに倒れ込みそうになるのを全力で阻止。


 背中が千切れそうになるかと思った。

 死への恐怖と大量分泌されたアドレナリンによって膨れ上がっていた興奮が鈍重な息とともに吐き出され、

 半目になっていた瞳がようやく視界のピントを合わせると……黒騎士はすでに、目の前で剣を薙いでいた。


「――ッ『つるぎよ、守れ』!!」


 直後に瞬く、雷のような刹那の閃光。


 極端な点滅に頭をクラクラさせながら、視界に焼き付いたその光の奥を凝視。


 視界外から飛来した青い剣が、まるで凄腕の剣士に操られているかのように

 飛翔し、回り、敵の鎧へ振り下ろされる。


「ほう、これほど洗練された魔導剣を操れるか!

 ……そうか、貴様が王女たるミーシャル・フォウ・ミルカヴィルだな!!

 探す手間が省けたぞ!」


 しかし黒騎士は魔導剣をたやすく捌きながら、ずんずんこちらへ近づいてくる。

 あれほど俊敏に駆け巡る魔導剣が、正確無比にはじき返される。


「はあああああ!!!」


 そこへ、やつの背後から緋色が飛びかかった。


 彼女は、空中から闘気による膂力を加えた機工斧を振り下ろす。


 ガィン!! と響き渡る甲高い金属音。


 が、しかし。


「素人め!! この程度の闘気などいくらでも見てきたぞ!!」

「なっ……!」


 闘気をまとった緋色が、呆気なく殴り飛ばされた。

 防御力は確かなはずなのに、彼女の表情は明らかな苦痛を訴えている。


 え……闘気って、自動車に跳ねられても平気なくらい固いんじゃなかったの?


「まずは取り巻きを傷つけてみるとしよう!」


 件を振り上げたやつが標的にしたのは、緋色だった。

 斧ごと弾かれて倒れていた彼女めがけて、影の刃が鋭くうねる。


「――!!」




 それを目撃した途端――全身が沸騰するような激情が視界を覆った。


 わずか数秒の暗転の直後。


 すさまじい轟音とともに、何かを容易く握りつぶすような快感が立ち昇る。


 世界樹の小枝に、濁流のように魔力を注ぎ込んだ感触。

 杖が内側から破裂するんじゃないかと思うくらいの、すさまじい抵抗力を感じた。




「――ははははは!!

 期待通り、いやそれ以上だ!!」


 ハッとして声の方向に視界を合わせると、

 そこには分厚い鎧の一部分が丸ごと削り取られたダビデの姿が……。


「……あ……?」


 そして、愉快そうに笑うその黒騎士のさらに奥。


 あれだけ美しく感じたはずの精霊王国の街並みが。


 まるで天変地異に遭ったかのように、見るも無残に崩れ去っていた。


 地中から沸き立つ湿気た土の匂いが、街の面影に上塗りされていく。

 化け物が切り裂いたような三本の巨大な亀裂が、深々と大地に痕を残していた。


 これを……俺がやったのか?

 半ば信じられない気持ちで、茫然と立ち尽くす。

 飲み込む唾が、とても不味い。


 これは魔法の力なのか。


 それとも、自分の力なのか。


「間違いない! 貴様には恐ろしい獣の血が流れている!!」


 ハッとして振り向き、斬りかかってきた黒騎士の剣を受け止める。


 重い……熱い……ッ!

 全力で杖をかざして後退する刹那に、緋色とミーシャの姿を捉えた。


 ――まだ二人は無事だ! ぼうっとしてる場合じゃない!


 守るんだ!! 俺が守らないと!!


 闇の力を押し返そうと、杖を握る手を強める!




「ダビデ様、お助けを……!」


 そこで、あの盗賊っぽい服をした連中が視界に入った。


 シャピア帝国でも襲ってきた謎の暴漢。それとほとんど同じ見た目のそいつは、崩れたがれきに挟まった状態で黒騎士ダビデに手を伸ばしていた。


 ……こいつの部下だったのか!


 さきほどの正体不明の力で向こうは大きな被害を負ったのか。

 彼にはもう戦う力は残っていないようだった。


 しかし。


「弱者め、大人しく死んでいろ!!」


 黒騎士は刃を走らせて呆気なくそいつを斬り飛ばした。


 舞い上がる鮮血と、人体の一部。

 立ち昇った明確な死のにおいが、顔面に降り注いでくる。


 ――俺は自分の中に生まれた恐怖を、かすかな怒りで塗りつぶしながら飛びかかった。


「ふざけるな!! 仲間じゃないのか!?」


!!

 今のうちに数を減らしておかなければ、私が幸福に生きられないではないか!!」


 ダビデは鎧兜の内側から、闇夜に響かんばかりの叫び声を上げていた。


「私にとって他者とは常に、己を阻む『壁』である!!

 壁の数が少ないほど――世界はもっと生き易い!!!!」


 黒騎士の全体重を乗せた斬撃が、杖に襲いかかる……ッ!


「あっダビデ様、ダビデ様……!」

「邪魔だ!!」


 がれきに挟まれていた下っ端の首が、またも容易くはじけ飛んでいった。


「やめろ、殺すな!!」

「何を言う!?

 無関係な誰かが死んだくらいで貴様もさして気にしないだろう!?

 貴様も私と同じだ。他人を邪魔に思っている!」

「――違う!!」

「嘘をつくな!!

 貴様の本能は、貴様以外の強者がいなくなることを望んでいるのではないか!?

 でなければ……!

 そんなにも生き辛そうな顔などするものか!!!!」


 巨大な漆黒の兜を眼前に鍔迫り合いし、顔の見えない強者と戦い続ける。

 崩れ去った精霊王国の街を、俺は駆け続けた。


 追いついてきた緋色とミーシャも、必死で攻撃に参加し続けてくれる。


 闘気をまとって振り下ろされた機工斧を、黒騎士は小手を加えただけで軽くはじいた。


 揺れ動く魔導剣が漆黒の剣閃をはじき、まばゆい青の火花が散り抜ける。


 俺は無我夢中で、覚えたばかりの風のハンマーを打ちつけ、

 杖に宿した魔導剣を突き出し、

 ――巨大な爪のような衝撃の塊を、黒騎士に叩きつけようとする。


 しかし通用しない。


 生きている時間が違う。

 そう錯覚するほどに、やつの動きは洗練されていた。

 それこそ、ド素人の自分でも分かってしまうくらいに。


 圧倒的で理不尽な力の差に、怒りどころか困惑すら抱けない。

 累乗式に増えていくのは、ただ疲労と絶望だけだ。


 しぼんだ風船みたいに希望が抜けていく感覚に、動きが鈍くなり……

 その隙を、こいつが逃すはずはないだろうなと、他人ごとのように思った。


「これでも開花しきらぬか……!

 もうよい! 貴様には失望した!

 潔く死ぬがいい!!」


 しびれを切らした黒騎士が、いらだったように剣を突き出し。

 その切っ先が、まさに自分の胸を貫こうとした瞬間――




 ――預かっていたはずのが、胸ポケットから飛び出した。




「――!」


 黒騎士が突き出した闇色の剣が、ぴたりと止まり。


 そして召喚の魔石は、まばゆいほどの輝きを放つ――……。




 ――突如として現れた純白の魔法陣から、白い獣が浮かび上がる。


 彼らは味方のようだった。敵に取り付き、噛みついて、動きを止めようともがき続ける。


 黒騎士が闇の剣を振っても、その召喚物たちは止まらない。

 雲を切り裂くみたいに、やつの攻撃は空ぶっていた。


「……シン! 今のうちに、早く!」

「ほら、走りなさいって!!」


 ミーシャに手を引っ張られ、緋色に後ろから急かされる。


 何が起こったのかは分からないが、千載一隅のチャンス……!


 俺たちは全速力で走り続けた。


「フカドウ・シンヤ!!!!」


 突如、背後から響く怒声。

 止まりかけた足を無理やり前に押し出しながら、ミーシャの背中を追いかけた。


「貴様とは、いずれ再び会うことになるだろう!!

 人の本質は変わらぬ。個人も同じだ!!

 いずれ来るその時までに、自らの内に潜む闇と向き合っておくがいい!!」


 どんどん遠のいていくダビデの低い声。

 にもかかわらず、やつの言葉は呪いのように頭に刻みついて離れない。

 そんな錯覚を振り払うように、俺は走り続けた。


 その途中で一度だけ振り返ると、急速に薄れていく魔法陣の光の真ん中で、

 黒騎士が、召喚の魔石を拾い上げたような気がした。




 ――




「はぁっ、はあっ……逃げ切れた? よな?」

「た、たぶん……」


 息も絶え絶えに俺たちは膝をつく。


 柔らかい草地の感触が気持ちいい。


 腰まで下ろして、酷使した両足が癒されていくような感覚に没頭した。


 もう立ち上がる気になれない。


 見れば、自分を含めた三人全員で、天を仰いでぜーぜー言っていた。




 周囲はなだらかな起伏の続く草原だった。

 樹海のような森であふれた精霊王国とは違い、遠くのほうまで見通しがきく。


 どうやら、夜通しでここまで来たらしい。

 いつの間にか白み始めていた空を眺めながら、手のひらを草露で湿らせた。


 前方から顔を出し始めた朝日が、ほのかに温かい。

 鳥の鳴き声がぽつぽつとささやかれ、静かな風の音が原っぱを通り抜けていた。


 ……生き延びたのだ、自分たちは。


 あの黒騎士から逃れられたことへの安堵が、少しづつ少しづつ染み込んでくる。

 今までに一度も味わったことのない疲労と虚脱で満たされる全身。


「はぁっ、はあっ……」




 ……いったい自分はどうして、こんなところで、こんな思いをしているんだろう。


 異世界体験旅行プログラムに当選してやってきただけの高校生なのに。

 気が付けばこんなところで王女様や闘気を取得した女子高生といっしょに足を休めている。


 それも、明確な殺意を持った敵に追われ、草や土でぼろぼろになりながら、だ。


「は、ははは」


 唐突にこみあげてくる笑い。

 それが、際限なく膨らんでいく。


「ははははは!!」


 この奇妙な愉快さが、彼女らにも伝染したのだろうか。

 汗とともに赤くなっていた二人の頬が、みるみるうちに緩んでいった。


「ちょっと……何よ……急に……!

 ぷっ、あっははは!!」

「ねえヒイロちゃんまで笑わないでよ……っ!

 あははは!!」


 そのまま、三人でずーっと膝を叩きながら笑い転げた。


 命の危機を切り抜けた直後だからだろうか。

 みんなして変なテンションになっていたと思う。


 だれかが笑うとそいつのささいな挙動や笑い方がツボにはまってまた笑い出すような、そんな無限連鎖状態に陥る。


 引きつる腹部を抑えながら、自分たち以外に誰もいない草原で声を上げて笑い続けた。


 楽しかった。


 明日には絶対に筋肉痛になっているであろう全身のだるさとか。

 がんがんと音の鳴るほどの頭痛とか。

 急に感じ始めた空腹すらも含めて全部、楽しかった。


「はー、はー……。

 召喚の魔石……本当に命を救ってくれたんだな」


 目元に浮かんでこぼれそうになっていた笑い涙をぬぐいながら、

 俺はポツリとつぶやいた。


「もちろんだよ。あれ、精霊王国の秘宝のひとつだもの」

「秘宝!? そんな貴重なものだったんだ!?」


 いやでも確かに、秘宝というだけのことはあった。

 あの魔石がなければ今頃は血まみれで死んでたかもしれない。

 所有者の命を救うという話は伊達ではなかった。感謝感謝だ。


 息を整えながら合掌していると、

 あたりをキョロキョロと見回していた緋色がふいに口を開いた。


「ねえ……どこよ、ここ」

「え?」


 言われて自分もあたりを見回す。


 そういえば、事前に教えてもらっていた場所と違う。


 護衛隊長の人が言っていたのはこうだ。


『街を抜けたら、だだっぴろい草原に街道が現れる』

『それに沿って進め。そうすればホルガナという街にたどりつく』

『ホルガナを経由してシャピア帝国のゲートに向かえ』


 だだっぴろい草原てのは合ってる。

 でも街道なんてものは見当たらない。

 若草色のなだらかな起伏が、朝日の昇る地平線までひたすら続いているだけだ。


 早朝の涼しい空気を吸い込みながら、俺は口を開いた。


「ミーシャ。

 この辺の地図とか持ってたり……?」

「えっと、あはは……」


 彼女は申し訳なさそうに笑った。持ってないらしい。


「でも安心して! 地理は把握してるから」とミーシャは胸を張って言った。

 そんな様子を、緋色は若干不安そうに聞きながら笑っている。


 ……ま、きっとどうにかなるか。


 楽観的に考えながら、遠くで白くなってゆく朝焼けに背を伸ばす。


 幻想世界での、新しい夜明け時でのことだった。

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