第19話 ポロの農村
眼前に広がっていたのは、一面の畑。
簡素な木の柵で囲われた広大な土地に豊かな緑が並んでおり、その合間に人影がぽつぽつと垣間見えることから人里であることは確かだ。
うす茶色に剥げた道の向こうに目を凝らすと確かに人の居住地が確認できて、何人かの村人たちが談笑している。
「ここは……どこだろ?」
「え、ここホルガナじゃないの?」
「うん。目指してたところとは違うみたいけど……方向がずれちゃったのかな」
彼女は息を整えながら思案した。
さすがのミーシャも連日の徒歩の旅はきつかったらしい。
少しだけ息を乱して、上品な仕草や服装を整える動作も見えなくなっていた。
「ねえ! これなんて書いてあるか読める?」
少し離れた位置から、緋色の声が届く。
慣れた様子で機工斧に手を添えた彼女の前には看板が立っていて、機工世界でも見たことのあるような文字が彫られている。
もはや意識にも昇らないほど日常化している翻訳魔法も、文字の読解にまでは対応していないらしい。
なのでこの中で唯一、幻想世界の文字が読めるミーシャが当然のように前に出た。
「『ポロの農村』って書いてあるね」
「村か……確かに見た感じ、街って規模ではないよな」
「何にせよ人里には着けたじゃない!」
緋色はずんずんと村の中に入っていった。
彼女も疲労は溜まっているはずだが、ここに来てなぜか急に体力が回復したらしい。
目を輝かせたまま先へ歩いて行ってしまう。
自分たちも置いていかれないように進みながら、土と風が混ざったような空気を吸い込んだ。これがこっちの世界での農村のにおいか。肥料らしき生臭いにおいも若干したが、気分を害するほどではない。
総じて、こっちの世界の空気は向こうよりも澄んでいるように感じるな。
「たぶんここ、シャピア帝国の領地だと思うな」
「え、もう?」
「精霊王国自体がとても小さい国だからね。
意外と近いんだよ? この二つの国って」
ミーシャいわく、シャピア帝国で最も多いのは農村――つまり農作物を作っている村らしい。
要するに一次産業を営む村や町が多く、反対に海や大きな湖に面しているところでは港町が、森に近いところでは狩人や木こりたちが住む集落が形成されているとのことだ。
そして、それら一次産業地域のだいたい中心近くに、流通の要となる商いの街が点在していて、そのひとつががホルガナという街だったらしい。
もちろん交通網も発達しており、ゲートへ向かうにあたってたいへん都合がよかったはずなのだが………過ぎたことは仕方がない。
今さらそちらに向かっても遠回りになるみたいだし、ここから行ける方法を探すことになった。
「――君たち、もしかして精霊王国から来たのかい?」
畑と居住地の境目に差し掛かったころ、兵士……というか守衛らしき簡素な革鎧を着こんだ人が話しかけてくる。
とくに理由はないが若干緊張しながら「はい」と答えると、
その人は気の良さそうな笑顔をパッと浮かべた。
「いやあ、大変だったろう。
闇の軍勢からよくここまで逃げてきた。
早馬で情報が届いてね、避難してきた人には手を貸すよう言われてる。
何もない村だが、しばらく休んでいくといい」
宿は通りの右側にあるけど、道は分かるか?
と、その門番は詳しい場所を教えてくれる。かなり親身だ。
こっちの世界の人たちは優しいな……と思ったが、ふと別の可能性が頭をよぎった。
もしかして今の自分たちって、それなりにつらい状況にいるように見えるのだろうか。
それこそ例えば、戦火で家を追われた子どもたち、みたいな風に。
この二日くらいは割と愉快に草原を歩けてたんだけどな。
急に謎の罪悪感が湧いてきたので、俺はとりあえずぺこりと頭を下げておいた。
「ありがとうございます、おじさま。
あなたもずっと立ちっぱなしでお疲れでしょう?
無理はしないでくださいね」
「ははは、私は平気さ」
ミーシャは余裕を持って会話している。
この辺はさすが王族とでも言えばいいのか。
自分たちと話している時とは違うスイッチが入ってる感じがする。
緋色は早く村のなかを探索したいのかうずうずしていた。
そんな緋色の様子を目にしたミーシャが、軽く挨拶を交わして会話を切り上げる。
そしてあの気の良さそうな門番から離れるとすぐに、緋色がこちらをのぞき込んできた。
「ねぇ、宿なんて後回しにして少し見てまわりましょうよ!
ここの人たちがどんな風に暮らしてるか知りたいわ!」
目をらんらんと輝かせて村に視線を向ける緋色を見て、俺はちょっと引いた。
マジかよ、せめて明日じゃない?
疲労が溜まりすぎて棒のようになっていた足を揺らしていると、こちらの反応を見た緋色が口を尖らせる。
「何よ、どうせ来たなら楽しまなくちゃ損でしょ!?
ね、ミーシャ?」
「うーん……しょうがないなぁ、ちょっとだけだよ?」
やり、と緋色が小さくガッツポーズを決めた。マジか……。
「まずはご飯を食べましょ! あたしお腹が空いたわ!」
そのまま彼女は、たたた、と軽快な足音を響かせながら先へ駆けていく。
「早く行かないと置いてかれちゃうね」とくすくす笑うミーシャとともに、俺はとぼとぼと杖をついて歩き始めた。
レストランにあたるようなものはなかった。
いや、あるにはあったけど、分類としては居酒屋と表現したほうが正しいと思う。
料理はおまけで、酒がメインみたいな感じ。そういう店が多かった。
異世界の酒場の雰囲気に緋色がどうも気乗りしていなかったのでどこで食べようかと悩んでいると、通りをさらに進んだ先に露店を見つけて解決。
おそらくは仕事終わりの農夫か子ども向けに売るのであろう吊るしパンと兎肉の串焼きを購入し、三人で食べ歩きながら村を散策した。
途中から聞こえてきた音楽につられて様子を見に行くと、リズムの良い楽器に合わせて村娘たちが歌い、踊っている。
今日の仕事はもう終わったらしい。
そこに畑いじりを終えた農夫たちが合流して、即席の酒場を結成。
各々が外に椅子を持ち出し、酒を飲んで大声でしゃべりまくっていた。
やかましい喧噪は、一歩離れた自分たちにも熱く感じるほどだった。
汗と土でまだ薄汚いにもかかわらず、彼らは肩を組み、笑い転げている。
――途中からは近くで眺めていた緋色が酔っ払いたちに引かれて踊りに参加させられていた。
興味津々だったはずの緋色が手を引かれていって、村娘たちに混じって困惑しながら足をもたつかせているのがなんだか妙に面白かった。
空はもう、暗くなっていた。
村の外に広がる闇が無味無臭の領域を伸ばし、視界を黒く染めてくる。
全身の感覚を奪われるような闇が周囲に広がるこの環境で、村の人々が灯したかがり火と喧噪は自分を大いに安心させてくれた。彼らがやたらと大声で話したがる理由がすこし分かったかもしれない。
「みんな楽しそうだね」
フードで顔を隠したミーシャが、くすぐったそうに笑う。
「……混ざってきてもいいんだぞ?」
「私は正体バレるわけにはいかないもん」
彼女はフードを両指でつまんで整えた。
ミーシャの顔って色んな人に知られてるんだろうか、なんて疑問に思ったが、
それを口には出さず、俺は緋色から預かった機工斧を抱え直した。
「――私は、ああいう人たちを守る側だからね」
ひと通り村を歩き回ったあとは、街の入り口近くに戻って教わった宿を探し始める。
途中で緋色がまだ物足りなかったのか「もう少し歩いていたい」と言い出してしばらく言い争ったが……
結局、寄り道せずに宿へ向かうことになった。
決めたのはミーシャだ。
緋色ばかりひいきしているとトラブルの種になると考えたのだろう。
俺の要望も聞き入れてバランスを取ろうとしているようだった。
このへんの処世術も王族たる
その後、件の宿を見つけ、中に入って泊まる旨を伝える。
店主は面倒見の良さそうなおばちゃんだった。
三人でも平気かと聞くと余裕の笑みを浮かべていた。
部屋を確認してくるよと言い残して去ったおばちゃんを待っていると、
同じ空間に併設された酒場での会話が聞こえてくる。
「闇の軍勢の攻撃が始まって二日か……
せっかく機工世界とつながったってのに、世の中相変わらず不透明だな」
「でも、おれ聞いたぜ。やつらもう精霊王国から引き上げたって。
理由は分からないけど、急に撤退し始めたとか……」
「バカ言え! そんなの嘘に決まってんだろ。
やつらデマを流して王国に戻った人たちを捕まえるつもりなんだ」
「ひょっとしたら次はこの村にも来るんじゃないか?
精霊王国と近いだろ、この村。
だから――」
情報が錯綜しているようだった。
一瞬、精霊王国は無事だと聞こえて安堵しかけたが、しょせんはただの噂。
信じられる根拠はなく、安心したくてもできなかった。
あまつさえ「もう精霊王国は滅んでいる」なんて言い出す輩も出てきたので
さっさと二階に上がることにする。
タイミングよく戻ってきてくれたおばちゃんに案内され、
二階の部屋の扉を開いた。
おお、意外と広いな。
部屋の中は一人分のベッドと机のみ。広さは六畳くらいか?
清潔感があって良い部屋だ。
幻想世界での平均的な宿のレベルは知らないが、これなら十分休めそうである。
ベッドの構造は木箱の中に藁を敷き詰めてシーツをかぶせただけの簡素なつくりだったが、「やっぱこういう感じなんだ」と妙に感激した。
壁の向こうからかすかに聞こえてくる緋色とミーシャのくぐもった声や物音を耳にしていると、急に解放感が湧き出してくる。
一人部屋。自由だ。
世界樹の小枝を部屋のすみに立てかけ、外套を外し、特に意味もなく木窓を開閉して遊んでから簡素なベッドに寝転んだ。
終日歩きっぱなしで棒のようになっていた両足からみるみるうちに疲労が抜けていくようで気持ちが良い。
すぐにまぶたが重くなっていって油断したらすぐに意識を失ってしまいそうになるが、この時間から眠りに入ってしまうのはなんだかもったいないような気がする。
気怠さを覚えながら上半身を起こし、とりあえず部屋の設備をもう一度見ることにした。
村人たちの手作りなのであろう小っさい机の上に、ほんのりと発光する温かい色合いの魔石が設置されていて、おそらくこれが照明なのだろうなと思った。
好奇心に従って魔力を流し、照明を起動。
機工世界の電気照明とは性質の異なる薄暗い雰囲気を楽しみ、次第に「やっぱ明るさが足りないな」と不便に感じ始め、さらに魔力を流そうとするとなんだか壊れてしまいそうだったので、思い切って灯を消した。
すると木窓の向こうに広がっていた暗闇が、一瞬で部屋を覆いつくす。
ここの夜は、とても静かだった。
簡素な木窓の向こうから聞こえてくる虫の音色に耳を傾け、
時折聞こえてくる雷のような野生動物の遠吠えに不安を覚え、
頭上に広がる宝石を散りばめたような美しい星空に身を乗り出し、
涼しい外気が染み込んできた室内に肌寒さを覚えながら息をついた。
たまに隣の部屋から緋色たちの笑い声が漏れてくることがあって、今ならすぐに眠れそうだと思った。しばらく寝不足が続いていたし、もう休むことにしよう。
木窓をそっと閉じて、静かにベッドに横たわる。悪くない気分だった。良い一日を終えた感が胸を満たしてくる。
そして、すぐに眠れそうだという目論見通りに、まぶたを閉じるとたちまち意識が霧散していった。
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