第11話 夜道を進んで 後編

 緋色の手を掴み、路地裏を足早に進んでいく。


「ちょ、ちょっと……」

「…………」


 ちらりと後方を確認。


 さっきの男は、後をつけてきているようだった。

 あの盗賊っぽい身なりで、変わらずナイフのようなものをちらつかせている。


 なんでだよ、くそ。

 身の危険を感じて足を速める。


 しかし、そこで俺は間違いに気が付いた。


 前方からもう一人やってきた。


 挟み撃ちだった。


「…………」


 緋色もなんとなく状況を理解したらしい。

 口を閉ざしたまま、警戒するように後ろの男のほうを見てくれていた。


 俺は前方のやつのほう向いて、ぎこちのない笑みを浮かべる。


「えっと……はは……通してくれませんかね……」

「…………」


 無言のまま答えようとしない相手を警戒していると、

 背中に、ドン、と伝わる衝撃。


 緋色がぶつかってきたようだった。


 様子を確認するため振りかえって見ると……


 後方にいたはずの男が、接近してすでに緋色に向かって鋭いナイフを突き立てていた。




「……え」


 スローモーションで緋色がよろめく映像が、瞳に焼き付けられる。

 たなびいた赤い髪で表情が見えない。


「緋色!」


 そしてその謎の男のナイフが、引き抜かれ――




「何……すんのよ!!」


 次の瞬間、そいつは頭からきりもみ回転してぶっ飛んだ。


 十数メートルをバウンドし、全身を堅い地面に打ち付けたそいつは民家の石壁に激突。

 盛大な音を立てて、そのままやつは沈黙した。


 俺は拳を振りぬいた姿で固まっている緋色に目を向ける。

 いったい、何が起こったんだ。


「……え、緋色、怪我は……――」


 呆気にとられたのも束の間、今度は前方にいたやつが自分めがけて襲い掛かってくる。


 異世界の言語を口にしながら、ナイフを片手にやつが迫ってくる。



 ――瞬間、俺の脳裏によぎったのは、

 なぜか、ミーシャと出会った場所にあった『空気椅子』だった。


 襲い掛かってきた男に条件反射でかざした手から、自分のまとっていた魔力が切り離される感触。


 そして俺は知覚した。


 巨大な風圧の塊が、ハンマーのように相手へ打ち付けられるのを。


「ぐっはぁッ!?」


 そいつはきれいな「く」の字になってぶっ飛んだ。


 たぶん緋色が殴った時の倍は飛んだと思う。

 狭い路地裏を破裂するように吹き抜ける風圧に、俺たちは身体を大きくよろめかせる。


 ぶっ飛んだ謎の暴漢は、ピクリとも動かない。


「あ、あんた今なにやったの……」

「わ、わかんね……ひょっとしたら風魔法かも……。

 じゃなくて! 緋色、怪我は!?」


 とりあえず呆気にとられた姿で直立していた緋色に視線を向ける。


 ブレザーの下の白いシャツがわずかに裂けているが、その奥にちらと見える白い肌には傷一つ見られなかった。信じられない。


 そこで思い出した。『闘気習得者は交通事故に遭っても平気でいる』という話を。


 そうか、これも闘気の恩恵なのか。

 すさまじい防御力だ。


 感心しながら腹部のあたりを凝視していると

「ちょっと! これくらい平気よ」と赤面した緋色に距離を取られた。


 ……それにしても。




「こいつ……何者なんだろう」


 俺たちは突如として襲い掛かってきた暴漢を見下ろす。


 やっぱり、口と鼻を隠す黒い布に、頭部を覆うフード。

 そして身動きの取りやすそうなピチっとした暗めの衣服と……。


 とにかく肌の露出を極端に抑えた、ザ・盗賊といった風貌である。


 うわあ、こういう服するやつって本当にいるんだ……。


 胸がわずかに上下しているから死んではいないようだが、それでもやはり距離を取ってしまう。

 緊張しながら相手をつつく俺たちの姿はきっと未知の物体を観察する猿のように映ることだろう。


 見るからに悪役っぽい真っ黒な服装だが、羞恥心に類するようなイタさはい。


 なんというか、『本物』が持つピリピリとしたオーラを感じる。

 気絶して意識を失っている今でも近寄るのがためらわれるようだ。


 もしかして本当に裏側に生きている人なんだろうか。

 口元を隠す布を暴いてみたくなったが、突然起き上がりそうで怖かったので止めておいた。


「何でこいつら襲ってきたのよ」

「さあ……強盗とか?」


 俺は例の悪夢のことを忘れたふりしてそういった。


 夜道を出歩く機工世界の学生二人組なんていいカモである。

 しかも一方は線の細い女。狙われるのは当然かもしれない。

 まさか女の方が闘気まとってたなんて思いもしなかっただろうが。


「……俺たちもフード被ってくか」


 機工世界人であることは隠した方がいいだろう。

 これ以上面倒ごとは避けたい。

 ファンタジー異世界に盗賊は腐るほどいるもんだ。

 これは自衛。運悪くこういうイベントを引き当ててしまっただけだと自分に言い聞かせて先を急ぐことにする。


 去り際、緋色が追い打ちといわんばかりに蹴りを一つ加えていた。




 その後はまったく拍子抜けするほど人に会わず、

 シャピアの街を見回りしているという衛兵たちにも出くわさず、

 あっさりと、精霊王国へ通じる転移門に到着。


 幻想世界の交通を担っているはずのその装置の周辺にも、

 一般人はおろか警備兵すらいない……。


 不思議ではあったが、とにかく都合が良いことだけは確かだった。




 そして、意を決して転移門に入ることにする。


 二人で並んで転移の魔法陣の上に立ち、足元が紫色に怪しく輝いたのを確認。


 夜でもちゃんと起動する。


 素晴らしい、順調だ。

 怖いくらいに。


 自分の身体が透けていくような感覚を味わいながら、考えた。


 あの悪夢が気掛かりでここまで来たけど……

 いったいどうなっちゃうんだろうなぁ……これ……。


 もしあの悪夢の通りだったら……想像したくもない。

 命の危機なんてのはさっきのやつでもうこりごりだ。


 でももし、精霊王国が心配していた風になっていなかったのなら。

 突然現れた自分を見て彼女は驚くだろうか……迷惑に思われなければ良いが。


 そういえば夜の精霊王国はどんな匂いがしているのだろうか。

 瑞々しい木々の匂いや虫の鳴き声に溢れているのだろうか、夜風は柔らかいんだろうか……。


 ……とにかく、ミーシャの安否を確認できたら……まあ、それでいいか。




 そして俺は、転移が完了したことを肌で感じた。


「よし、精霊王国、到ちゃ――!」




 目を開いた瞬間、言葉を失った。


 


 転移門から光とともに現れた自分たちに、全員が一斉に視線を注いでくる。


 俺は、出鼻をくじかれた気持ちになりながら、反射的に人数を数えた。

 十、二十……もっとだ。なんで?


 わけもわからず緋色と顔を合わせるが、状況が飲み込めるはずもない。


 集まっている精霊人たちはみんな表情が暗く、なぜか肌や衣服の至るところが土で汚れ、すすけている。


 夜なのに、どうも明るいなと思った。


「……え、と」


 声を発した途端、精霊王国の兵士たちが威嚇にも似た怒号を上げながら槍を突き出してきた。

 そのあまりの迫力に俺たちは簡単に尻もちをついて、呆気なく兵士たちに拘束される。


 彼らが何をしゃべっているのか分からない。

 ミーシャの翻訳魔法が今回は無いからだと、後になって気付いた。

 闘気をまとっているはずの緋色ですら、混乱のあまりされるがままになっていた。


 強引に腕を引っ張られ、痛みで顔をしかめつつ、

 ふと横を見た時に……あるものが目に入った。




 ――口と鼻を隠す黒い布に、頭部のほとんどを覆うフード。


 身動きの取りやすそうなピチっとした暗めの衣服を上下に着込み、極めつけにブーツ、手袋……。


 とにかく肌の露出を極端に抑えた、ザ・盗賊といった風貌の男たちが。


 地べたに何人も倒れ、あるいは拘束されて並べられている……。


「ねえ、ちょっと慎也。

 あれって……」


 俺は小声で話しかけてきた緋色が、視線で示す先を見た。




 そこは、自分の知っている精霊王国ではなかった。


 目のまえに広がっていたのは燃える森と家屋。

 揺らめく炎によってもたらされた黒煙がいたるところで上がっており、唐突に吹き抜けた風が、黒い煙の臭いと一緒になって肌をザラザラと撫でつけてくる。


 見下ろした木々の隙間に見えるのは、牙と涎を凶悪にぎらつかせた獣の群れが人々を追いかけていく光景だ。

 俊敏なその小さな影たちは精霊王国の至るところを走りまわり、獲物を追っているようだ。


 そして遠くの方の、ここと同じように精霊王国を見下ろせる位置にある高台には、指揮官らしき大きな黒い影が立ち、静かにこちらへ顔を向けているような気がした。


 俺は、動悸が不快に早まるのを感じた。




 ミルカヴィル精霊王国は……


 謎の勢力に、明らかに攻撃されていた。

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