第三章 宮境市 決戦編

第36話 責務

「行かないと」


 自分よりも明らかに背の低いミーシャが、青い髪を揺らして振り返った。


 ――何が起こってるの?

 ――すみません、これくらいの子を見ませんでしたか……?

 ――くそ、新型『エアロ・バイク』のお披露目式がめちゃくちゃだ……


 そんな戸惑いのささやき声が至る所から浮かぶ公園内で、彼女は震える足を隠しながら決意のこもった青い瞳を向けてくる。


「行かないと、って……どこへ?」


 こちらが困惑しながら尋ねると、ミーシャは息を呑んで、魔物の大群で覆いつくされた『扉』のポートを指さした。


「……本気か?」

「うん。私は……精霊王国の王女さまだから」


 そう言って少し残念そうに笑う、精霊人の少女。

 彼女は、きれいに整備された公園の芝生に視線を落としていた。


「向こうでちゃんとした立場にいる人が戦わないと、

 きっとこっちの世界の人たちは『幻想世界は味方だ』って思ってくれないでしょう?」

「ちょっと……!

 何言ってるのか分からないわよ、ミーシャ……!」


 混乱したように詰め寄る緋色を一歩離れて眺めながら、

 俺はなんとなく、ミーシャの言わんとしていることが分かってしまった。



 



 今のこの事態は、見方を変えれば『幻想世界が機工世界に侵略してきた』と捉えることもできちゃうわけで。


 そうなればきっと、間違いなく、『扉』を保有している機工世界の国々は警戒を強めるだろう。


 ……最悪、幻想世界と自由に行き来することすら難しくなるかもしれない。


「ヒイロちゃんは、私たちの出会いがぜんぶ無かったことになってもいいの?」


 ミーシャが、自分よりも背の高い緋色の赤い髪を見上げた。


「……どういうことよ」

「もしも二つの世界のつながりが断たれたら、

 あの出会いも、旅も、今後だれの人生にも起きなくなるかもしれないんだよ?」


 ……もしかしたら、俺たちが幻想世界に足を踏み入れたきっかけである異世界体験旅行プログラムすらも、もう二度と開催されないかもしれない。


 いや、それ以外にも、この一年で手探りで培われてきた交流手段のほとんどが、水の泡と化す可能性だって……。


「――申し訳ないですけどねえ、ぼくはもう付き合えませんよ。

 ミランダ嬢から頼まれましたけど、自分から死にに行くようなやつは

 ぼくでもさすがに守り切れない」

「構いません。バファさまも、きっとまだ旅の途中でしょう。

 安心してください。私が死んでも、死ななくても……。

 どちらに転んだとしても、戦う姿を見せただけで目的は果たせますから」

「死んだら元も子もないじゃない!

 立場なんて、そんなの捨てちゃえば――!」

「ダメだよ。

 王族としての私も、わたしの一部だもん」


 過去一番のレベルで、力強い声音だった。


 この小柄な体躯のいったいどこにこれほどの強さを抱えることができたのだろう。

 一切の異論を許さない雰囲気の彼女に、緋色は黙ったまま後ずさりしていた。


「ミーシャ」

「……うん」


 俺は彼女の青い瞳に視線を落とした。


 まっすぐに見つめ返してくる彼女の瞳には、複雑に絡み合った感情の群れが滲んでいる……。


 震える白い拳をぎゅっと握りしめ、決意に満ちたまなざしを浮かべながら。


 彼女はほんの少しこちらの右ひじの先に視線を移して、ごまかすように弱く笑った。


「……行かない選択肢は無いんだな?」

「…………うん」


 頷いた瞬間の彼女の瞳は、今度は別れを告げているようにも見えて。

 その表情を見て、ようやくこちらも決心がついた。


「分かった。俺も行くよ」

「……そんな……! 

 腕を無くさせちゃったのに、これ以上は……!」

「そうだね。ミーシャの言う通り、これ以上どっか身体の一部を失ったら

 もっと気まずい思いさせちゃうだろうね」


 世界樹の小枝を肩で支え、彼女の言葉を遮りながら、ぽんと、その小さい肩に左手を乗せてささやいた。


「――だから、何が何でも無事に戻らないと」




 正直、怖かった。

 ミーシャを失うことが。


 肉体的につらい思いをするのは別にいいんだ。


 腕を無くしたときのように、傷さえ治れば痛み自体はすぐ消えるから。


 でも、心はそうはいかない。


 一度の後悔が、数週間、数か月と……毒のように長続きすることがある。


 死への恐怖がまったくないわけじゃないけど、でも、それ以上に――


 ――ミーシャという、俺と異世界とをつなぐ唯一の『縁』が断たれれば、

 俺みたいな弱っちい人間はきっとだろうと思った。


 彼女だけは、ぜったいに守りきらねば。


「ううぅぅう……

 あー、もう!! あたしも行くわよ!!」


 そこで、涙目で唸っていた緋色が声を張り上げた。


「こっちの世界じゃ魔力は回復しないんでしょ!?

 このバカ! 無謀!」

「ちょ……痛い痛い痛い!」

「もうっ、もうっ……! 

 こうなったら派手に活躍して、あたしをイジめてたやつらに文句言えなくさせてやるんだから……!!」


 ひとしきり叩いてきたかと思えば、ふてくされたかのような様子で機工斧を準備する緋色。

 ちょっと心配になって「無理してついてこなくてもいいんだぞ」と言おうとするとキッと睨まれた。


 何が何でもついてくるつもりらしい。

 申し訳ない気持ちはあったが、なんだかんだで彼女が一緒に来てくれるのは心強い。


「……待ちなさい」


 そして、最後にバファが、ひどく難しい顔で俺たちを呼び止めた。


「大丈夫。無茶なことはしないよ。

 あんな風に言ったけど、自分がまだ弱いガキだっていうのも自覚してるから。

 だって片腕無くしてるんだし。それに、ミランダさんが転移魔法を使ってまで逃がしてくれたんだ。

 だよなミーシャ? 命を捨てに行くなんて、できないよな?」

「うっ、はい……ごめんなさい……」


 ミーシャに圧をかけつつ、獣人の旅人に視線を戻す。


 彼は腰に両手をあてて、猫背になってしんどそうに地面を見つめていたかと思うと……突然、疲弊したようにも見える座った目でこちらを向いてきた。


「……少しここで待っていてください。足を調達してきます」


 最初、何を言っているのは意味が分からなかった。


「あし? おい、バファ。 

 どこに行くんだ、バファ?」


 そのまま、彼は何も言わずに背中を向けて歩いて行ってしまう。


 何を待てというのだろうか。

 というか、バファも協力してくれるのか……?


 判然としないまま彼のでかい後ろ姿を目で追っていると、やがて、とあるスーツ姿の集団に向かっているのが判明する。




「社長、この緊急事態です。

 これ以上、新型機のお披露目式を続けるのは、もう……」

「くっ、やむを得ないのか……!」


「――みなさまがた、どうやらお困りのようで」


 両手を広げながら、バファはそのビジネスマンたちに近づいていった。


「ちょっと、あいつ何するつもりなのよ」

「さあ……とにかく様子を見るしかない」


 小声で話しながら近づいて行って、成り行きを見守る。


 あんなあからさまに手をすり合わせて、何をしようというんだ。

 うさんくさい詐欺師にみたいに見えるのに。


 集団の方に目を向けると、どっかで見たことのある、まだ二、三十代くらいの男が、いかにも高級そうなスーツを着こなして獣人であるバファと対峙している……。

 そいつの背後には、部下と思しき数名のサラリーマンと、カメラを携えた記者らしき多数の群れ。


 そして――俺はようやく気がついた。




 銀色のつやつやとした胴体部に、風防としての大きな前面ガラス。


 普通なら車輪がついているはずの前後の脚部は半球状の空洞になっており、展示のために用いられてそうな金属のフレームによって支えられている、SFチックな巨大な乗り物……。




 ――エアロ・バイク。




「そうか、彼らはエアロ・バイク株式会社の人たちか!」

「エアロ・バイク? ……ああ、そういえばそんなのあったわね」

「……わたしはちょっとだけ聞いたことあるかも……」


 記憶の底を探るようにつぶやいたミーシャが、直後に興味津々といった様子でその機械をのぞき込む気配を横で感じた。


 となると、あの二、三十代くらいの高いスーツを着こなしたやつは社長か。

 前に雑誌で顔を見たことがある気がする。けっこう年が若いのも印象に残っていた。


「誰だね、君は。

 すまないが、新型エアロ・バイクの重要なイベントの最中なんだ。

 部外者は……」

「いや、待つんだ!

 失礼ですが、獣人の方。

 お名前を聞いてもよろしいですか?」

「――バファ。

 ぼくはバファと申します」


 恭しく頭を垂れる獣人。


 直後、彼らの表情は驚きに染まっていった。


「あ、あなたは……!

 エアロ・バイク公式レース戦で優勝を果たした初代チャンピオン、

 バファ・ベイルガーフ殿ではないですか!!」


 にやりと頬を釣り上げる、一人の獣人。

 関係者たちから発せられたどよめきが、次第に周囲へ広がっていく。


 公園内に集まっていた一般人の群れの中からでさえ「え、本物?」「すげえ、バファがいるぞ……」と熱のこもった声が浮かんできた。


 えっ……有名人だったの……?


「お久しぶりですねえ、旦那。

 会うのは三か月ぶりでしょうか?」

「バファ殿。どうして君がこんなところに……」

「ねえ、それより旦那。

 その新型のエアロ・バイク、少しの間ぼくに預けてみませんか」


 彼は高い背をかがませながら、金色のタレ目を若社長に落とした。


「ぼくはこれからね、あの魔物たちをどうにかしようっていう勇敢な若者たちを連れて、あの街に向かおうと思ってるんです」

「なんだって!?

 できるのか?」


 バファはにやりとほくそ笑んだ。

 エアロ・バイク社の社長は、信じられないといった表情で驚いている。


 いや……嘘だろ?


「想像してみてくださいよ。

 最高のレーサーが新型のエアロ・バイクで魔物を突き放していく様を……。

 どんな宣伝文句を並べたって、実物のインパクトにゃ勝てない。

 それに、今あそこで起きているのは歴史に残るような大事件です。

 そんな大事件の収束に、この新型の機体が一役買ったとなれば……どうです?」


 その時、近くに集まっていた無責任なマスコミからも同調の声が上がった。


「確かに。これ以上ない宣伝方法だ」

「ああ、うまくいけば一気にシェアを拡大できるだろう」

「私たちも、この上なく記事が書きやすくなるな……」


 各々カメラや、社員証のようなものをぶら下げた中年のスーツ姿たちが、一斉にさえずり始める。


 その空気を、年若い社長は敏感に感じ取ったのであろうか。


 わずかな黙考の時間を取ってから、次の瞬間には大きく声を張り上げていた。


「よし。わが社は新型エアロ・バイクを彼に預ける!!

 途中で大破しても構わない! すべての修理費はこちらが持とう!」


 湧き上がる歓声。ヨイショするマスコミ。


 とんだ茶番劇だ。


 しかし、自分たちの都合の良いほうには話がまとまったらしい。


「さ、足は手に入れましたよ。

 ぼくたち四人で街を救いに行こうじゃありませんか」


 にやりと笑って帽子を持ち上げるバファ。


 こうして俺たちは……あの魔物の群れに立ち向かうための移動手段として、新型のエアロ・バイクを手に入れたのだった。

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