第9話 小さな大きな分岐点

「いやーやっと授業終わったよ。

 オレ今日すげー退屈だったわ。異世界での勉強ってのもこんなもんなんだな。

 なあ深道?」

「あ、ああ、そうだな……」


 俺たちは、指定の宿泊室に戻ってきていた。


 二人部屋の同室者はカイトだ。

 彼は伸びをしながら自分のベッドに身を投げ出して息をついている。

 その付近は物で散らかっており、二日目にしてすでにこの部屋に適応してしまったようだ。

 俺はその横を通り抜け、いまだに収まらない不快な心拍を感じつつ服を脱ごうとする。



 ……電話は……無理だよな。


 連絡先なんか交換してないし、そもそもこちら側にはネットがつながっていない。

 あの精霊人の王女様がスマホを所持しているなんて、馬鹿げた妄想である。


 手紙を送ろうにもいつ届くか分からない。

 それ以前に郵便局みたいな施設がどこにあるかも不明だ。

 ていうか、こっちの世界の文字とか、知らんし。


 俺は頭を抱えた。


 ちくしょう、異世界の住人とつながるってこういうことか。

 コミュニケーションがすぐに取れないもどかしさに歯噛みしつつ、半ば投げやりに上着を脱ぎ捨てる。


 つい数時間前に発覚した――というか勝手に勘違いしていただけだが――『精霊王国への再訪問が無い』問題。

 俺は悩みに悩みまくっていた。


 このままではミーシャに会いに行けず、そしてそれは同時に、あの悪夢の内容を無視してその後の時間を過ごすことを意味していた。


 もしこれで悪夢の通りになってしまったら、もうどれほどの罪悪に苛まれるやら……。


 ……いっそのこと魔石からミーシャ本人が召喚されてくれればいいのに、と思った。


 頼む! 来てくれ!

 ぴかー、モクモク!

 ミーシャ! ほんとに成功するなんて!


 ……俺はいったい何を考えているんだろう。


「カイト、精霊王国につながる転移門って昨日通ったとこ以外にはないよな」

「まーそうだな。転移門自体そう簡単に作れるもんじゃないっぽいし、もっと離れたとこまで行かないと無いんじゃね」


 カイトの言葉を聞いて「やっぱそうだよな」とうなだれつつも、未練がましくスマホを取り出して今後の予定を確認する。


 明日以降にあるのは、「他種族との交流」「魔物についての講義」「現地企業でのインターン」等々。

 一応それぞれの場所についても簡易的な地図で表されているが、どれも最初の転移門からは離れていくように位置していた。


 精霊王国へと通じるゲートが近くにあるのは状況的に考えたらぶっちゃけ今だけしかないってことになる。


 後のことを全部捨てて飛び出してしまえば事は解決するが、それができたら誰だって苦労しない。

 世の中に生きている人間はみんな何かに縛られて生きているのだ。

 高校生の自分だってその例に漏れない。

 未来を棒に振る選択肢など、取れるはずがあろうか。


「深道、いったいどうしたんだよ、元気ないじゃないか。

 もしかして最後の授業中ずっと機工武器の話を振りまくって邪魔してたの気にしてる?

 なあなあ、オレを見捨てないでくれよ、なぁなぁ」


 俺はすがってきたカイトの頭をひっぱたき、振り返って窓を開く。

 転落防止の特殊な柵の隙間に、とても現実とは思えないほど豊かで美しい幻想世界の街並みが広がっていて、西日から差す夕焼けに影を差したシャピアの城下町が活気づいていた。


「……実は、昨日精霊王国に行った時さ」

「おー」

「なんていうか……お姫様? と仲良くなってさ。

 預かった物を返しに行きたいんだけど、行けないっぽいんだよね……」


 俺は目をそらしながら言った。

 嘘は言っていない。どっちにしろ召喚の魔石とかも返す必要があるし。


 でもカイトはどんな反応を返してくるか。

 ひょっとしたら掴みにかかられるかもしれない。

 特に、お姫様と仲良くなったってところが原因で。

 もしくは「あ、そうなんだ……」と微妙な反応されて一気に気まずくなるか……。


 警戒しながら待っていると、ベッドで肘をついて寝ころんでいたカイトが平然と言い出した。


「なんで? 行けばいいじゃん」

「え? ……いやだからさ。

 プログラムにそんな予定が無いから無理なわけで」

「転移門自体はまだ開いてるんだし、

 今すぐ行って明日の朝までに帰ってくればバレねーじゃん」

「いや……いやいやいや」


 俺は畳みかけてくるカイトを手で制する。

 確かに、そうすればことは解決するかもしれないが。


「ほんとにバレたらどうすんだよ。ミランダさんとか、ゴレスさんとか、プログラムに携わってる人たちに迷惑かかるかもしんないし、第一、こっちの世界って盗賊とか普通にいるんだぞ?

 もし騒ぎにでもなったりしたら……そんな迷惑かけれないって」

「うーん、そういうもんかねぇ……」

「そういうもんだろ。

 それに、ほら、向こうだって、庶民のこととか、もう気にしてないかもしんないし」


 俺は急に不安になった。

 ミーシャは王族だ。


 日本にいたときは身分制などまるで別世界の話だと思っていたが、いざ自分がその立場に置かれてみるとなんだか急に近づくのが難しくなってきたような気がする。


 第一、城まで行ったら門番になんて言えばいいんだ。

 向こうに着く頃には夜になってるだろうし、そんな時間帯に押しかけて警戒されないはずがない。


「それはないだろ。

 身分に関わらず、面白いと思ったやつに人は近寄ってくるもんだ。

 王族だろうと金持ちだろうと変わらないさ」

「なんでそんなことお前に分かるんだよ」


「――邪魔するわよ!」


 唐突にドアを蹴り破る轟音。

 ぎょっとして入口の方を見ると、そこには目が覚めるほどの赤い髪をなびかせた女が腕を組んで立っていた。


「ひ、緋色さん!?」

「なっ……!

 お前なんでいるんだよ!?

 ここ男子部屋っ……」

「準備は?」


 緋色はこちらの言葉を遮るように問いかけてきた。


「はぁ?」

「精霊王国に行きたいんでしょ?」

「…………」


 俺はカイトに目をやった。

 情報流したのか? と視線で聞くと、カイトは首をぶんぶん振ってスマホに表示された『圏外』の文字を指さしていた。

 そうだよな、こっちの世界に電波なんて通じてないもんな。


 とりあえず、この場が誰かに見られると面倒そうだと思い、入口に行って扉を閉める。


 万が一にも目撃されたくなかったので、念入りに施錠しておいた。


 ……いや、鍵閉めたら余計に誤解されるのでは………? と思ったけど、面倒になったのでそのまま二人のところに戻った。



「えーと……俺、緋色に話したっけ?

 精霊王国に行きたいってこと」

「授業中の反応見てたらなんとなく分かるわよ。

 なにか用事あるんじゃないの?」

「……用事は、あるんだけど、その」


 首の後ろに手を回して煮え切らない態度を取っていると、

 ツカツカと詰め寄ってきた緋色に突然、腹パンされた。


 二発。


「行くの!? 行かないの!?」

「い、行きます行きます!」


 ちょっと意識が危なかった。女の腕力じゃない。


 俺は殴られた衝撃で分からなかったが、緋色の顔を見ていたカイトがとても怯えていたのが怖かった。「何よ、かなり手加減したのに大げさね」と言い捨てた緋色は、次の瞬間にはパッと表情を変えた。


「じゃ、さっそく行きましょ!」

「ちょ……待って緋色」

「何よ。まだ痛むの?」

「それもあるんだけど……普通に行っても止められない?

 ミランダさんたち見張りしてるでしょ」


 俺は痛む腹をさすりながら座った。

 いまの時間帯に外出は許されていない。こっちの世界は日本ほど治安が良くないのだから。

 当然、入口に誰か一人くらいはついているだろう。


 彼らは歌優月と共に幻想世界を旅してきた歴戦の戦士でもある。

 不意でもつかない限り――て言ってもそれも難しいかもしれないが――彼らを相手に出し抜けるとは思えない。


「おまけにこの窓。魔力付きの鉄格子だ。

 抜け出そうにも抜け出せない」


 俺は親指で後ろの窓を差した。


 魔力で補強された物品は今日珍しくもなんともない。あの機工武器だって同じやり方で部品間の摩耗を減らし、耐久力を向上させているのだ。

 魔力で強度を爆上げさせる技術は至るところで用いられている。


 この宿の場合は魔力付きの格子をつけることで安全性を売りにしているのだろう。

 転落防止だけでなく外からの侵入者対策になる。こういうときに外に出れないのが致命的だが。


「何言ってんだ深道。外せばいいじゃんか」

「いやいや、魔力付きの部品なんて特殊な道具使わないと。

 それより、何か災害用の避難経路とか探したほうがまだ……」

「オレ持ってるよ」


 カイトはおもむろに散らかっていたベッド周辺からバッグを手繰り寄せ、さらにその中から慣れた手つきで工具を取り出した。


 微細な傷がたくさんついたそのケースに記されていた印は、たしか国かどこかの認定許可の証だったか。

 間違いなく、それなりに値段が張るであろう正規品であることを物語っていた。


「十分くらいくれ。それまでに外すわ」

「……カイト、お前何者?」

「ふっふっふっ、実はオレの正体は、かの有名なエアロ・バイ――」


「こっちのが早いでしょ」


 ドヤ顔で自分語りをしようとしたカイトの真横を、目にも止まらぬ速さの蹴りが通過。


 その刹那の残像を認識したころにはすでに天変地異かのような轟音が炸裂し、魔力で補強されていたはずの格子は窓枠ごとシャピアの街の彼方へとぶっとんでいた。




 俺たちは愕然とした。


 ついでに格子を蹴り破った本人も呆けていた。


「あ、あら……? こんな軽いの……?」と、彼女が覇気もなくつぶやいていたのが妙に印象に残った。


 そこで俺は唐突にハッとして緋色の方を見る。


「緋色……お前もしかして『闘気』持ってるの?」


 こちらから問いを向けられた彼女は、なにがなんだか分からない様子だった。




「――いったい何の音ですか!?」


 突然に、背後の扉の向こうから声が聞こえてくる。


 ミランダさんだ。

 いまのを聞きつけてもうやってきたのか。

 ガチャガチャと、鍵のかかったドアノブを壊さんばかりに回している。


「……ちょ、ちょっと! 早く行きましょ!?」

「あ、あー、えー、カイト!」

「えっ?」

「すまん! 後のことは頼んだ!」


 絶望に瞳を染めたカイトを横目に、俺は先に緋色が下りるのに続いて壊れた窓枠に足をかける。


「――慎也! 早く来なさいよ!」


 下からキレのある声が届いてくる。


 後方からは相変わらずドアノブを回す音が聞こえてきて心臓がバクバク鳴り響く。

 俺はこの一瞬で、自分の中にある理性と本能がぶつかったのを感じた。


 そして――


「とうっ!」


 俺はジャンプした。


 緋色が強引に開けた風穴から、あまり手入れのされていない影の中に飛び込んだ。


 ほんのわずかの浮遊感のあと、意外とすぐ地面に足がついて、ひざに伝わる自重の衝撃をこらえながら立ち上がった。

 二階でも怪我なく降りれたのは魔力で身を包んでいたからなのだろうか。

 緋色はもうすでに先に行っていて、こちらに早く来るよう合図していた。


「この惨状は……何があったのですか!?」

「あ……あ……。

 ふ、深道が謎の暴漢にさらわれましたあああぁぁあ!!!」


 下に降りて駆け出したとたん、後頭部の上のほうから聞こえてきた渾身のシャウトに背中を押され、俺と緋色は幻想世界の夜へと駆けていったのだった。

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