第8話 授業と謎の悪夢

 浮遊感とともに、周囲に広がる闇。

 手足をばたつかせても空を切るようで、すべての感覚がシャットアウトされたように何も感じない。


 あれ、俺はプログラムに参加してたはずじゃ……?




 ……闇の奥で、点のようだった光が拡大されてひとつの映像が映し出される。




 どうやら、何かの夢を見ているようだった。


 見たところ、それもずいぶんひどい悪夢……。

 十年に一回。いや一生に一回レベルのとんでもなく嫌な夢である。


 ……それは、精霊王国が何者かによって襲撃されている夢だった。


 時間帯は真夜中だろうか。豊かな森と美しい街の合間を、闇色の獣が四肢で駆けずり回っていて、指揮官らしき黒い男の影がその後ろに続いて火を放っている。

 規模の大きさからして、まさに戦争のようだった。

 あの精霊王国が、戦火に包まれていた。


 けど何より最悪だったのは……ミーシャが死ぬ場面が映ったことだった。


 夢特有の急激な場面転換で、いきなりミーシャが血を流して倒れている映像が入り込み、俺は苦虫を噛み潰したように顔をしかめた。


 まだ覚めないんだろうか。いい加減終わってほしいんだが。


 身体がうまく動かない。

 足がとても重く、不自由な全身に言いようのない不安感が募っていく。


 ――場面はまた切り替わり、とつぜん俺の部屋が映し出された。


 部屋の中にたたずむ自分の手の内にあったのは、ネットニュースが映し出されたスマホだ。


『被害甚大』

『闇の軍勢による襲撃か?』

『宮境市、ゲート封鎖の動き』




『ミーシャル・フォウ・ミルカヴィル王女、亡くなられる』




 そして……そんなニュース映像を。すべてが手遅れになった後で。


 電子機器の画面越しに見ていることしかできない、俺の背中が――







「――はっ!?」




「シャピア帝国が掲げる『世界の統一』とは、『魔物の脅威に怯えなくてもいい世界を作る』ということなのです」



 いかにも魔法学校っぽい階段教室の最下層、

 でかい黒板を背に教壇に立つミランダさんが凛々しい声を張り上げた。



「その理想を実現するため、現皇帝ルースチア様はエルフやドワーフ、獣人・半獣人など……種族の区別なく、魔物や『闇の軍勢』から逃れてきた者たちを受け入れています。

 しかしながら、居住地の確保や種族間の対立など……

 様々な問題が発生することも事実。

 そこで、ルースチア様は種族や身分にかかわらず才のあるものを登用する制度を築き上げました。

 現在のシャピア帝国に様々な種族が暮らしているのは、そうした背景があるからなのです」


 ミランダさんは眼鏡をクイッと上げ、プログラム参加者たちを下方から一望する。


 階段状に机が並ぶ座席の、中段に位置するあたりに座って聞いていた俺は目が合いそうになり、逃げるように視線をそらした。


 やべ……完全に寝落ちしてた……。


 ミランダさん不機嫌そうだったな……やっぱこんなに寝落ちする参加者がいたらアレなのかなー……と思いつつ心拍を抑え、時間を置いてから視線を戻すと、ミランダさんは教室の最前列で突っ伏していたゴレスさんの頭部をひっぱたいていた。




 異世界学園旅行プログラム、二日目。


 初日の精霊王国訪問イベントのあとは、シャピア帝国に戻って一泊し、日を跨いだ後にこうして授業を受けていた。


 午後からの内容は『シャピア帝国の歴史』。

 昔、精霊人に選ばれた初代シャピア王が作ったのが、この国の始まりらしいが……それ以前に昼過ぎというこの時間帯はやはり厳しいものがあったのか、ほとんどの参加者はすぐ睡眠状態に移行してしまった。


 最初の方こそ活気があったはずなのだが、閉めきられたこの階段教室内は今はもう眠気を含む暖かい空気が淀んでいる。

 心地の良い昼過ぎともなれば、いかに異世界と言えどこうなるもんなのか。


 俺はあくびを噛み殺しながら、ぼんやりと手元のノートをめくる。


 午前中に受けたのは「魔力について」。


 最初はいったいどんな魔法を学べるだろうかと超絶ワクワクしていたが、ふたを開けてみれば哲学書みたいに複雑で難解な理論の話ばかり……。

 いまいちピンとこない方程式やら何やらを延々と聞かされた。


 しかし、ある意味それも当然かもしれない。


 自分を含む機工世界の住民に魔力はなく、ゆえに魔法も使えない。


 地球という惑星に魔力なんてものは存在しないのだ。

 魔法が使えるのは幻想世界に生まれた人間だけである。


 そんなわけで、魔力の授業なんて言っても、機工世界から来た参加者たちには概念の話をするしかなかったのだと思う。仕方ない。仕方ないけど……俺は頭を抱えた。


 ミーシャから魔力を分けてもらったはいいけど、どうやって魔法を発動させればいいんだこれ。

 呪文とかも知らんし、現状はただその辺の魔道具に魔力流し込んで起動するくらいしかできない気がする。


 どうしたもんか……と静かに悩んでいると、隣から「深道」と呼ぶ声が聞こえた。


「なあ深道。

 最強の機工武器って何だと思う?」

「どうしたカイト? やぶからぼうに……」

「ちょっと今向こうのやつらと語ってたんだけど、最強が何なのかで議論してたんだ」


 カイトは親指を立てて背後を指さす。どうやらいつの間にかグループを作っていたらしい。声をひそめて雑談を続けるその二、三人を背に、彼は熱く語り始めた。


「雷魔法を応用して開発された超電磁砲『レールガン』!

 最新技術によって敵を自動追尾・攻撃する『自律駆動ビット』!

 正体不明、材質不明。謎のエネルギー波を放出し続ける古代のアーティファクトを機械で無理矢理制御した『封印拘束具』!


 どれも捨てがたいけど……個人的にはレールガンを推したいぜ!

 雷鳴を轟かせて弾ける稲妻の閃光……くぅーっ!

 いったいどんな形状してるんだろうなぁ!」


 小声で熱弁するカイトを横目に、あくびを噛み殺しながらまぶたをこする。




 機工武器。

 それは機械にとって致命的な弱点である衝撃や湿気を克服し、さらには部品間の摩耗すらも従来の千分の一にまで抑えた革新的な近未来武器だ。


 生産場所はもちろん我らが機工世界。


 衝撃と摩耗を克服したという点が特に大きく、

 剣や槍と同じように直接相手に叩きつけても壊れず、

 しかも往来の遠距離射撃能力はそのままと、遠近両方での戦いをそれひとつ所持するだけで可能にする、変形式の立派な武器だ。


 弓術や魔術を憶えるのが苦痛だった幻想世界の戦士から特に支持され、ついでに変形機能に多大なロマンを感じる人々からの根強い人気を誇る武器種である。


 最初に開発したのはなんと幻想世界出身の天才発明家。

 魔術の劣等生とまで言われ蔑まれていたにも関わらず、機工世界に移ったとたんに才能を発揮したというエピソードは有名だ。


 時代を五十年は先取りしたとまで言われている彼の理論は素人には理解できないくらい難解で、科学と魔法、その両方に深く精通していないと製作なんかとてもできないらしい。


 カイトが話しているのは、そんな機工武器の最強格と呼ばれている物たちだ。


「あれ、でも確か『レールガン』の機工武器って盗まれたんじゃなかったっけ?

 ほら、何カ月か前に、俺らの世界の軍事施設からさ」

「そんなのどうせ歌優月とかがすぐに取り返すって!

 それより深道。最強の機工武器って何だと思う?」


 全身から「語ろうぜ」オーラを出しているカイト。


 ただ、彼の熱もちょっとは分かる。

 数ミリ単位で調整されたパーツがこれでもかと詰まった機械を駆動させ、ガキンガキンと金属音を奏でながら武器を変形させて戦う姿には男心を大いにくすぐられる。


 が、しかし、俺は遠慮するように手を上げた。


「悪いが俺は『魔法』派になったんだ。

 機工武器も良いと思うけど、どっちかって言ったら俺は色んな魔法を駆使して戦ってみたいね」

「なんだよノリ悪いなー」


 カイトは身を乗り出して、俺を挟んだ反対側の席に視線を送った。


「緋色さん。どうですか、こちらで一緒に話でも」

「興味ないわね」


 ばっさりと切り捨てた緋色は、俺を壁にしてカイトからの視線を躱す。

 やがてタイミングを失ったカイトが「あっじゃあまたの機会に……」と残念そうに戻っていくのを見向きもせず、彼女は頬ひじをついて窓の外を眺めていた。


 そう、なぜか緋色も隣に座っていたのだ。

 授業中の席は自由である。にもかかわらず俺がこの場所に座っていたら後から緋色も近くに寄ってきた。


 特に話題もなかったのか話しかけてくるでもなく、こちらもどう切り出せばいいか分からなかったので黙ったまま授業を聞いていたのだが、俺はついに耐えかねて小声で話しかけた。


「俺を盾にしなくても」

「……」


 無言のまま窓の向こうを見つめ続ける緋色。


 ガン無視か。

 そうか、そうか、つまり君はそういうやつなんだな。


 ちくしょう、どういう距離感で関わりゃいいんだと頭を抱えていると、


「どうだった?」「ダメだった。オレまた緋色さんに振られちゃったよ」

「――いいよ、あいつ、いつもあんななんだし。どうせ元の学校でも浮いてんでしょ」

 という、どこかトゲのある会話が届いてくる。


 それが彼女にも聞こえたのだろう。

 緋色が不自然に無表情なまま、身動きひとつせず口元だけを強く引き結んでいるのを見て、俺はちょっと心が痛んだ。


 いやいや、本人がまいた種なんだから、俺がフォローする必要は……。

 でも……うーん……。




 ……結局、居心地の悪さに耐えきれなかったので、右側の連中の視線を遮るように姿勢を崩しながら「緋色、ノート見せてくれない?」と伝えた。


 こういうのは友達とか協力者みたいなのが一人いるだけで違うと思う。


 少し驚いた表情を浮かべる彼女は、やっぱり真面目に板書は取っていたらしく、

 わずかにペンを走らせてから静かにノートを差し出してくれた。


 実際本当に授業を聞いていなかったので素直に書き写していると、内容をかなり分かりやすくまとめられたそのページの片隅に「ありがと」と丸文字が書き添えられているのを発見。


 ちらりと隣に座る彼女の横顔を見ると、緋色はさっきよりも少しだけ柔らかい表情でまた窓の外を眺めていた。




 ……気が付いたら右側に座ってたやつらの会話は途絶えていた。


 あれだけ機工武器にお熱だったカイトが急に機嫌を悪くして黙り込んだのがきっかけだったらしい。

 陰口大会に突入しそうになっていたそいつらは困惑して――やっぱり罪悪感でも抱いたのだろうか――急に黙って板書を取り始めていた。


 それからの授業はいたって平和に続いた。


 相変わらず退屈で、緋色のノートを写し終えた俺はやることもなくなって。


 次第にまた午後の陽気に当てられて眠気を覚え……。


 いつのまにか自分が机に突っ伏しているのに気づき……。


 ………本日二度目となる寝落ちの感覚に沈んで――……。





 





 今度はもっと鮮明だった。


 ミーシャが、腹のあたりを剣で刺される様子を見せられた。


 剣を突き立てられた瞬間に彼女の全身がこわばり、息ができなくなったのか胸のあたりでギュっと服を掴んで。


 でも腹部を貫いた刃のせいで身動き一つ取るのも辛そうで………もう見てもいられないのに、悪夢は容赦なくその場面を見せつけてきた。


 やがて呆気なく剣が引き抜かれ、腹部を抱えるように倒れこんだミーシャが、かすれた声で泣きじゃくるのを見た。


『………やだ……ひっぐ……だれか…………』


 ――そして、大粒の涙を焼けた地面へ落とすミーシャめがけ、

 真っ黒な刀身が鞭のようにうねって――……。







「うあああああ!?」


 階段教室内の全員の視線が、こちらに向いた。


 突然ガタリと立ち上がった自分に、ミランダさんがひときわ鋭い瞳を向けてくる。


「……深道慎也くん。

 授業はもうすぐ終わりますので、それまではお静かにお願いします」

「は……はい……」


 周囲からの失笑のような気配を感じつつ、席に座った。


 なんだいまのは。


 二回も続けて、あんな夢見るか?

 妙にリアリティのある感覚が、まだ残っている。


 あのミーシャが、剣で……。


「ちょっと、どうしたのよ?

 ひどい汗かいてるわよ」


 緋色が小声で心配そうにのぞき込んでくる。


「……いや、大丈夫。なんでもない。

 それより緋色、再訪問の日っていつだったっけ」


 俺は汗をぬぐいながらそう尋ねた。

 うわ、ほんとにひどい汗かいてる。ぬぐった腕がびしょびしょになるくらいだ。


「再訪問?」

「ほら、ミルカヴィル精霊王国にさ……

 あったよな?」


「……えー、と」


 きょとんとする緋色を見て、イヤな予感がした。


「――では、これで本日の授業を終えます。

 みなさん、宿に戻りましょう」


 よく通るミランダさんの声。

 どうやら移動の時間に入ったらしい。

 プログラム参加者たちは一人、また一人と席を立ち始める。


 俺は血相を変えて充電用モバイルバッテリーにつないでいたスマホを取り出し、機工世界で事前にダウンロードしていたプログラム予定表を開く。




 ――無い。再訪問のスケジュールが、無い。


 横帯で記されたタイムスケジュールの中に、「精霊王国」の文字は初日の一か所にしか記載されていなかった。

 スライドしても、スライドしても、出てくるはずの情報が出てこない。


 見間違い? 勘違い?


 超速で原因を考えつつ、同時に今それを考えるべきではないと心臓に早鐘を打ちながら俺は足早に階段教室を降り、教壇のかたわらに立っていたミランダさんを呼び止めた。


「あの、すいません。

 質問なんですけど、今後のプログラムに精霊王国への再訪問ってありましたっけ?」

「ミルカヴィル精霊王国ですか?

 いえ、ありませんよ」


 サッと頭から何かが引いた気がした。


「……どこか、別のタイミングで自由時間を取れたり、とか?」

「自由時間はありますが、精霊王国へは厳しいと思います。

 今後の日程だとミルカヴィルへの転移門からはかなり離れてしまうので」

「いや……でも……」

「?」


 俺は信じたくなくて、どうにか糸口を聞き出そうと思ったが、しょせんはただの高校生。世間知らずの自分に大したアイデアが浮かぶはずもない。


 怪訝な顔をされるだけに終わった俺は、ただ茫然と立ち尽くした。




 ……もしかして…………もしかして自分はいま。


 なにかの選択を迫られてるんじゃないの……?

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