第7話 ミーシャと名乗る少女

「ここはね、公園になっているの」


 ミーシャと名乗った女の子は、きれいな青い髪を揺らしながら振り返った。


 元いた場所からは離れたところまで来てしまっている。

 プログラムの進行から外れないか心配だ。

 これでうっかり時間をつぶしすぎて置いてけぼりにならないだろうか……。


 そんな俺の胸中を知ってか知らずか、彼女は「どうしたの?」とこちらを覗き込んでくる。いきなりのことで驚いた俺は反射的に「なんでもないよ」と答えてしまった。


 まぁ……わざわざプログラムに交流を設けてるんだし、話す時間くらいはあるだろう。

 むしろこんなかわいい子と二人きりになれたんだから、楽しまなきゃ損だ。

 そう思い直した俺は目の前の精霊人の少女に向き直った。


「この切り株。断面に魔法陣が描かれてるでしょう?

 これに魔力を流すと、風が出てきて椅子になるの」


 彼女が腰ほどの高さもないその切り株に手をかざすと、肉眼でも見える白い風が巻き上がり、つむじ風のような現象が起きる。


 文字通りの意味での『空気椅子』だ。ミーシャはその上に身体を預けるようにして腰かけ、ほんのわずかに上下したあとに安定した姿勢で落ち着いた。

 地味にスカートがめくれないようにしていたが、その動作ひとつにもやはり気品のようなものが感じられる。


 この世界の精霊人はみんなこうなんだろうかと思いつつ、その肉眼でも見える白い風を見て俺はふと最新技術の乗り物のことを思い出していた。


「エアロ・バイクみたいだ」

「エアロ・バイク?」


 空気椅子のおかげで同じ目線の高さになった彼女から首を傾げられ、俺は長らくカバンにしまい込んでいた雑誌を取り出してみせた。


 開いたのは長いインタビュー記事の最後。

 エアロ・バイクの絵が乗せられたページだ。


 簡単に説明しながら手渡すと、ミーシャはそれを興味津々といった様子で凝視し始めた。

 やがて、印刷された掲載物のみならず紙の生地そのものを撫でたあと、他のページもパラパラとめくってみた彼女は笑みを隠しきれないまま口を開いた。


「キミのいる世界もとても楽しそうだね。

 きっと毎日が飽きないんだろうなぁ」

「いやいや、向こうにも大変なことはあるよ」

「例えば?」

「そうだなぁ……うーん………。

 ……いま俺、受験生でさ。

 あ、受験生ってのも知らないか。

 とにかく、半年後にある筆記の試験で将来が大きく変わるんだ」


 俺は彼女に説明した。

 国語とか、数学とか、歴史とか……いろんな科目があって、それらの知識やら思考力なんかで点数を取る試験制度が、向こうにはあることを。


 彼女はまた、興味津々といった様子で目を輝かせていた。


「それってみんな受けるの?」

「いや、受けない人もいる。

 そういう進路は本人が決めなきゃいけないんだ」


 青い髪の精霊人は空気椅子からパッと降りて、身を乗り出してくる。

「それでそれで?」と。


 俺はさらに話した。


 自分のいる学校じゃほとんどの生徒は大学進学を目指してその試験を受けるんだけど、どれくらい力を入れるかは人それぞれなこと。


 俺自身は勉強にそこまで情熱を傾けているわけではなく、むしろ授業中は時計の針が進むのがやったら遅くて苦痛なこととか。


 あと家に帰った後はとりあえず遊ぶけど、「こんなことやってていいんだろうか」なんて漠然とした不安が襲ってくることとか。

 でも、なんだかんだで遊び続けちゃうこととか……。


 ミーシャから向けられる数多くの質問に、俺は高校三年生程度の語彙力で必死に説明する。

 彼女はそんな俺のつたない言葉のひとつひとつに、しっかりと耳を傾けてくれていた。


「そっか、キミには色んな道があるんだね。

 うらやましいなぁ」

「いや、はは……そうでもないよ。

 向こうには向こうの悩みもあるし……」

「どんな悩みなの?」


 きらきらとした目で微笑む彼女。

 その邪気のない笑顔に当てられて、自分の中のなにかが気を許したのか、ふと気が付けば口が勝手に動いていた。


「実は、どの道に進めばいいか分からないんだ」


 おどけるように笑いながらそう答えた。

 こんなこと話すつもりじゃなかったけど、と思いはしたが、結局俺は自分自身が発した言葉の流れに呑まれるようにそのまま続けてしまった。


「とりあえず俺も大学進学を希望しているけど、実はそんな大した理由は無くてさ。

 ただ単に、みんながそうしているからってだけ……。

 周りの友達とかクラスメイトがみんな同じ道を目指している環境で、自分だけ違う方向を向いていたら何言われるか分かんないだろ?

 それが怖いから俺も同じように勉強しているだけなんだ」


 なんか自分で言ってて情けなくなってきたが、正直これが本音。


 周りと違うことをするのがちょっとだけ怖いのだ。


 この異世界体験旅行プログラムだってそうだ。

 学校の人たちには『親戚の不幸』と誤魔化してここまで来ている。

 プログラムへの当選などという幸運が周囲にバレでもしたら、何が起きるだろう?


 俺は誰かがコソコソと話す噂話が怖く、唐突に向けられる注目の視線が怖かった。


 異世界体験旅行プログラムが終われば、自分はまたあの教室で慣れ親しんだ「深道慎也」に戻る必要がある。


 ……だが、ふとした時に、漠然とした不安に襲われる。

 このままでいいのかと、どこかから不快な声が届いてくるのだ。


「シンは、何かやってみたいことはないの?」


 ミーシャはそう尋ねてきた。

 彼女の声は安心する。ちゃんと自分を見てくれているからかもしれない。


 ふと、この場所でなら、未熟な自分をさらけ出しても許されるような気がした。


「……魔法」


 ぽつりと、言葉が漏れた。


「魔法、使えたらいいなー、なんて」


 言ってすぐに後悔した。なんだこのガキみたいな願いは。


 理由など別になんでもなかった。ただ単にやってみたいってだけ。

 ほんの少し興味があるってだけ。本当にそれだけだ。


 それで将来生計を立ててくとか、職を見つけたいとか、そういうのは全然ないけど、単に、憧れで……


「いや、何でもないよ!?

 だいたい魔力を扱えるのって幻想世界の人たちだけだし、さ!

 俺みたいな機工世界のやつが魔法とか魔術なんて、そんな馬鹿みたいな……!」


「使ってみる?」


 まくし立てていた口がぴたりと止まった。


 唐突に差し込まれたその言葉が脳内でリピートされ、数秒間フリーズした。


「……えっ」

「私の魔力、ちょっとだけなら渡せるよ」


 ものすごい勢いで思考が回転する。


 機工世界の住人に魔力は使えないはずとか、

 ひょっとして何かしらの代償を要求されるんじゃないか、とか……。


 しかしそんな思考と並列して、目の前の彼女の、ちょっと得意げな青い瞳を見つめ返し――今までの人生で一度も味わったことのない高揚感が湧いてくるのを感じていた。


「手、出して」

「う、うん」


 熱くなった俺の両手に、くすぐったい彼女の指が触れた。


 うわあ、手ちっちゃ……こんなきれいな肌の子いるんだ……。


 絹みたいな肌触りの、その細い指先から心地よい体温が伝わってきて、俺みたいなのがこんないい子と両手を繋げているということに深い感慨を抱いてしまう。指を握り返すのがためらわれるほどだ。


「――いま、キミに魔力を注いでいるんだけど、分かる?」


 いや、ぶっちゃけそれどころじゃなくて。


 マジで体温とか、絹みたいな感触が伝わってきて、なんか、柔らかいけど同時に織り上げられたような強靭な力の流れもあって、その流れが……流れが……。


 あれ。


「分かる。

 いま腕のあたりまで伝わってきてる、よね」

「そう……すごいね、もうそこまで届くんだ」


 ミーシャはふわりと笑った。


「キミにはきっと精霊のご加護があるんだね、シン」

「……すげえ……こんな感覚なんだ……」


 彼女は最後に少しだけ、流れを強めてから手を離した。


 指先が急に涼しくなったが、喪失感はあまりない。

 俺はもう彼女の指先のことなんて考えてはいなかった。

 自分の身体に流れる、新しい力……感覚の脈流に、脳の新しい領域が広がってゆくような感動に酔いしれていた。


 その未知なる変化を拒まず受け入れたおかげか、腕まで昇っていた魔力はすぐに全身にまで広がっていく。


 圧迫されていた血管が開いて、流れる血液が全身を押し広げていくように……それは心地の良い抵抗感を伴いながら俺の全身を包んでいき……


 やがて足の先まで行き渡ったところで、俺は深い息を吐き出した。


「どう? 魔力を持った感想は」

「……最高だね」


 ゆっくりと魔力をまとった身体を動かす。

 なんというか、ちょっと気を抜くと弾けてしまいそうな脆さがあるように感じた。

 ミーシャが流してくれた強靭な魔力も、使い手の練度によってはこんなに強度が違うみたいだった。


 試しに、さっきミーシャが使っていた『空気椅子』を起動してみる。

 切り株に描かれた魔法陣に自分を包んでいた魔力の一部を感覚で流し込んでみると、ふわり、と優しい風が舞い上がった。


「渡したのは私の魔力の……半分くらいかな。

 それだけあればけっこう色んな魔法を使えると思うよ」

「……何か返せるものがあるといいんだけど」


 ここまでくると申し訳なさの方が強くなってくる。

 頭が上がらない気分で首の後ろのあたりをさすっていると、ミーシャは後ろ手を組んでのぞき込んできた。


「じゃあ、私、もっと聞きたいな。

 キミのいる世界の話を」

「……俺ばっかり話してたら飽きちゃわない?

 ミーシャの方は何か話したいこととか……」

「でも私、魔力渡したじゃない?」


 私のほうが優先だよね、とにんまり微笑む彼女に、俺はおとなしく「降参」と両手を上げた。




 そして、迷った末に、飛行機に乗った時の話をすることにした。


 自宅から宮堺市に向かうまでの道のりで使った、移動手段のひとつだ。


「あー、飛行機っていう空を飛ぶ乗り物があるんだ。

 ……そう、ほんとに空を飛んで移動するんだ。びっくりだろ?


 それでさ、プログラムの集合時間が朝だったから前日の夕方の便で来たんだけど、

 まあ、安いって理由だけで選んだ格安の航空会社でさ。

 やたらと狭い座席に人がたくさん詰め込まれてて、ひどい乗り心地だったんだ。

 しかもその日は大雨で………外がもう暗くなってて、期待してた景色もぜんぜん見れなくて。


 残念に思いながら飛び始めたら……びっくり。

 ――空から見える夕焼けが狂おしいほどに美しかったんだ」




 俺は説明した。


 飛行機は、雲よりもずっと上を飛ぶのだと。


 地上ではどんよりした薄暗い景色だったけど、

 雲の上まで突き抜けた途端に天国かと思うほどまぶしい雲海が広がってて、

 地平線のあたりがぼんやりと赤みがかってて……


 それを俺は、手垢のついた小さな窓から必死に眺めたのだ。


「――地上で夜が始まっていくのが見えるんだ。

 あれだけまぶしかったはすの雲海が見る見るうちに暗くなって、

 あれだけ直視できなかったはずの夕陽が消えかけの灯みたいに沈んでいってさ。

 それがすごく……きれいだった」


 ミーシャは、きっと想像のなかでその景色を思い浮かべていたのだろう。


 息をするのも忘れて、俺が見た世界を感じ取ろうとしていた。


「……こっちの世界ではね、ずっと昔に作られたお話があるの」


 彼女は、じっと余韻を味わったあとにゆっくり口を開いた。


「歯車で動く機械がたくさんある世界のお話。

 空を飛ぶ乗り物が普通にあって、魔物なんかどこにもいない……。

 そんな平和な世界をいろんな人が時代を超えて、同じ世界を共有して語り継いできたの。

 ――そしたら、あなたたちが本当に現れた」


 こんなにおかしなことはないよ、とミーシャは口元を抑えて笑った。


 確かに、考えてみればおかしな話だ。


 これほどにも空想のままの世界が現れるなど、あまりにも現実離れしている。

 でも実際そんな世界になってしまったのだからほんとうに世の中なにが起こるか分からない。そのことを、しばらく二人で笑いあった。


「……ね、キミに見せたいものがあるんだ」


 満足そうな笑みを浮かべたミーシャは、おもむろに何かを取り出す。


 彼女の手のひらに乗せられていたのは、青い原石だ。


 まだ十分に磨かれておらず、鈍い黒石の隙間から輝きがわずかに確認できる程度の、青い原石。

 手の内に用意に収まるサイズで、持つとほどよい重みを感じた。


「この『召喚の魔石』は、誰が使うかで力を変える。

 善人が使えば光の力が、悪人が使えば闇の力を放出するの」

「お、おおぅ……」


 なんだその人格判定装置みたいな機能は。


 俺は急に嘘発見器で詰問きつもんでもされているような居心地の悪さを感じたが、そんな胸中を察したかのようにミーシャは「大丈夫だよ、持ち主に危険が迫ったときしか発動しないから」と苦笑した。


「それじゃシン、ちょっとこれ持ってて」

「え? いいけど……どうして」

「もうお別れみたいだから」


 ふわりと立ち上がった彼女は、寂しそうな顔を浮かべていた。


 いやいやどういうことだよと笑っていると、遠くからがちゃがちゃと騒がしい音が近づいてくるのに気が付いた。


「――ミーシャル殿下!」


 金属鎧を揺らしながら現れたのは、衛兵のような恰好をした複数の男たちだ。


 銀色に青の刺繍が施された鎧姿はいかにも魔術騎士といった感じで男心をくすぐられたが……気になるのは彼らが口にした言葉。


『殿下』だって?


「殿下、身勝手な行動はお止めください。仮にもしものことがあれば――」

「自分の身くらいは自分で守れます。

 それに、機工世界のことを知るせっかくの機会なのです。

 無駄にしてしまうのはもったいないでしょう」


 背丈の低いミーシャの、その小柄な体躯からは想像できないような大人びた声色を耳にして、俺は困惑した。


 え、じゃあ、ミーシャってもしかして……。


「んふふ、改めまして、シン。

 私の名前はミーシャル・フォウ・ミルカヴィル。

 この精霊王国の王族の一人です。

 驚いた?」


 俺はあんぐりと口を開けた。驚いた、って……。


 茫然と立ち尽くす俺を尻目に、魔術騎士っぽい兵士が頭部を丸ごと覆った金属兜の奥からくぐもった声を出した。


「殿下、いつの間に日本語を勉強なされたのですか。ペラペラではないですか」

「翻訳魔法を使ってみたのです。思っていたよりもうまくいきました。

 ね、すごくありませんか」

「いくら王国最高峰の魔力をお持ちでも、あまり一人で動き回らないでください。

 危ないですから」

「何を言うのですか。私たち精霊人は好奇心を最も美徳とする一族でしょう。

 その長たるミルカヴィルの一族が、身をもって示さなくてどうするのです」

「殿下、先日に盗人が現れ、さらには謎の集団が王国周辺をうろついているという時に――」


 衛兵たちへの気品に溢れる姿勢に、俺は彼女の王女殿下という肩書がガチっぽいことを悟る。


 このときこちらの脳内に溢れていたのは――異世界での身分とかはよく分からないが――王族の人、に対して失礼なことしてなかったか、とか、

 王女さまだと判明した今、彼女に対してどんな姿勢で接したらいいのか、とか、

 何ひとつ分からずフリーズしていた。


「ごめんね、シン。もう行かないと。

 一緒に話してくれてありがと。

 あ、それと――」


 彼女は淡い水色の髪を揺らしてくるりと振り返った。


「――その魔石、いつか必ず返しに来てね?」

「……あ」


 そう言っていたずらっぽく笑うミーシャに、俺は手元の青い石を思い出す。


『召喚の魔石』と呼ばれたそれを握る右手から顔を上げると、

 彼女はまるで合図でも送るようにウィンクしてきた。


「あ、はは……!」


 俺はなんだか、何かが許されたような気持ちになってたまらず笑いだした。


 こちらが噴き出したの満足そうに見ると、ミーシャは騎士たちとともにどこかへと去っていく。


 青い騎士たちは俺なんかにも礼儀正しく一礼して、青い刺繍の入ったマントを翻し、彼女を護衛するように囲んで歩いていた。


「ミーシャ! プログラムには何日かあとに再訪問の予定がある!

 ――また会えるからな!!」


 俺は彼女に届くよう思い切り叫ぶ。


 確か、異世界体験旅行プログラムの最後の方にまたこの国を訪れる時間が設けられていたはずだ。


 それを伝え終えた後、「楽しみにしてる!」と遠くから可憐な声が届いてきたのだった。




「――深道!

 探したぞ、そろそろ戻ろうぜ。

 もう次の場所に行くってよ」


 俺は後ろを振り返る。

 カイトだ。わざわざ探しに来てくれていたらしい。


「ああ、ありがとう……ところでカイト。

 王族を呼び捨てで呼ぶのってフツーに犯罪かな」

「は?」


 訝しげな視線を送ってくるカイトを横目に、俺は「冗談だ」と言ってその場をあとにした。


 ――その後はプログラム参加者たちの群れに合流し、ミルカヴィル精霊王国を出て、少し立派な宿泊地に案内され、そこでプログラムの初日を終えたのだった。

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